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 2005年9月25日
 藤岡宣男の事故について

 9月25日の藤岡宣男の事故について

 当日、藤岡が、ワインパーティーに出るということを、六時過ぎに美容院からの電話で確認した。

 私は、藤岡は事務所に戻らないということで、晩酌をして食事をし、ソフワーに体をあずけてうとうとしていた。丁度八時になる前に、藤岡が、事務所に戻って来た。両手に荷物を下げていたので、買い物を置きに来たのであろう。

 私がソフワーから食卓椅子に座ると、藤岡がソフワーに腰を下ろした。

 二言、三言話をした。私は、酔ったせいもあり、ぼんやりと藤岡と話していた。

 事故は、その直後であった。

 私がタバコに火を点け、二度ほど吹かした時、藤岡がベランダの方に出たとは感じた。

 「あーああっ」という声で、私がベランダに行くと、藤岡が、ベランダの欄干にぶら下がっていた。数秒のことである。

 その日は、翌日の紙類の収集の日で、私は、高さ1メートル程のベランダに50センチ程の紙類を積んでいた。

 藤岡は、その紙類の上に上がり、足を滑らせたのである。

 当然、長身な藤岡にはベランダの欄干は、腰の辺りになる。滑ると、欄干から落ちる。

 助けようと思い、藤岡の両手首を掴み、下の階のベランダの欄干に足を置くように言うが、届かないという。冷静にと思って、必死に下の階に滑り込むことを考えていた。しかし、その数秒の間に、藤岡は、落ちた。何故、私の腕を掴まなかったのかと今思えば、私も欄干に乗り出して、私の腕を掴むと、二人とも落ちてしまうのである。無意識に藤岡は、それを感じたとしか思えない。

 その一部始終を、階下の住人が見ていた。

 私はすぐさま、一階の花壇の上に落ちた藤岡のところに駆けつけた。普段なら、越えるのに一苦労するでろあうマンション一階の高い壁を越えて、藤岡の側に行った。藤岡は、静かに息をしていた。ああ、助かった。骨折程度で済むと思った。

 一階の住人が電話をしていた。救急車を呼んでくれたのだ。

 一部始終を見ていた住人の女性も駆けつけてくれた。

 私がパンツのみの姿に、彼女は着替えるように言う。私は、一度部屋に戻り、着替えて、到着した救急車に乗り込んだ。

 後の話では、戸部警察の警官が、彼女に詳しく話しを聞いたと言う。

 市立病院の処置室に入った藤岡を待つ。

 その間に、警官が署まで来てくれとのこと。パトカーに乗り、署にて、事の次第を語る。その間、連絡していた藤岡のお弟子さんが病院に駆けつけて、待っていた。

 事情を話していた私の携帯にお弟子さんからの連絡が入る。「駄目だということです」

 骨折では済まなかったのだ。私は、すぐに病院に駆けつけたく、警官に言う。目撃証言のあるせいか、素早く警官が書き付け、パトカーで病院に行く。

 病院で処置した先生から、説明を受ける。肺の動脈破裂により、10時9分に亡くなったと。

 遺体となった藤岡に対面する。

 笑みを浮かべたような美しい表情で、静かに息を引き取ったと見られる。

 苦しまずに逝った。それが救いだった。

 出会いから八年、そしてコンサート活動から七年。私は藤岡と共に過ごしてきた。

 藤岡は子供のように私の甘えた。父親がいないせいか、私を肉親以上に思い、慕ってくれた。私と藤岡は家族になり、過ごした。性格の違う二人は、よくよくケンカをした。

 そして、謝ったり、謝られたりを繰り返して、生活していた。

 慟哭、悲痛、傷心、我が身を責める言葉等々、どの言葉も空しく、ただただ私は、声を上げて泣いた。悲しくて寂しくて、身の置き所がない。

 藤岡がよく、二人で一つなんだから、心配するんだよと言っていた。私が無謀なことをする時に言うのだ。

 二人で一つなんだから。

 私は、多くを語らない。語れない。ただ、これから藤岡宣男を世に出すのみである。

                 木村 天山

 追)一部報道に酔っていたとあるが、それは安定剤を飲んでせいでの、不安定な行動である。欄干で足をばたつかせていたとの目撃者の表現は、薬のせいで力が入らない様を言ったものと思われる。自力で欄干を上ることが出来なかったのだ。

 藤岡の名誉のために言うが、五年ほど、神経過敏、抑鬱症状にて薬を常習していた。芸術家がそうであるように、天才的芸術家がそうであるように、藤岡もそうであった。

 私は、その症状に苦しむ藤岡を見続けていた。それは他の人には、想像を絶する戦いの様でもあった。水鳥がすいすいと水面を泳ぐが、その足の動きは、見えない。スマートで美しい藤岡は、その見えない心の世界で、悪戦苦闘していたのである。スマートで美しい藤岡のみを知っている人には、理解出来ないことである。それを持って、藤岡を語ることが、いかに愚かなことであるか。あの、天上の声には、どれ程の労苦があったか。

 私の幸せは、唯一、コンサートで歌う藤岡ではなく、私の部屋で練習する藤岡の姿であった。藤岡が練習していると、私は、幸福感に包まれた。

 藤岡宣男は、私の愛しい宝物であった。これからもそれは変わらない。



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