藤岡宣男物語り 第3部第1章  高円寺 綾

 プロローグ

 七月は北の街札幌でも、気温が高くなる。だが、藤岡のいるヤマハ音楽振興会のビルは、ほどよい冷房が利いている。夏でも冬でも、一定の温度に保たれて、居心地は良い。

 仕事は順調だった。何かを覚えるということにかけては、人一倍藤岡は早い。

 藤岡の担当は、幼児の音楽教育、新人講師の採用、指導である。そして、この春からダウン症の子供たちの音楽教育を始めるべく、講師たちと研究、勉強会を行っていた。

 藤岡が机の引きだしを開け、講師たちから頂いたチョコレートを一つ口にした時、隣席の高野が「藤岡先生」と呼びかけた。

 チョコレートが口に入っている。見られたのか、差し上げなければと思いつつ、もう一度、机の引き出しを開けようとした時「カウンターテナーって知ってる?」と尋く。

 高野は藤岡より十年上である。

「ええ、CDで聴きます」

「生で聴いてみない?」

「生でですか」

「チケットあるのよ。ブライアン・アサワの」

 藤岡が、ブライアンの名を聞いたのは初めてだった。

「PMFで来てるのよ。メゾソプラノとジョイントするの」

 その時の藤岡の素直な感想は、カウンターテナーの声は好きではない。どちらかという不自然で、気持ちが悪いというものだった。

 是非とも聴いてみたいというものではない。それも本日である。まあ仕事が終わっても予定はない。高野に付き合ってもいいかという気持ちで、軽く頷いた。

 高野は机の上に、二枚のチケットを置いた。

 仕事を終えて、二人で連れ立って中島公園の地下鉄へ向かう。

 外に出ると風が涼しい。昼間暑くても、夕方になると涼しい風が吹くのが、北国の街である。

 東京研修を終えて、札幌勤務を言い渡された時、母親のことが気になった。広島県福山で生まれ暮らしていた母親を、全く新しい環境に呼んでもいいものかと。母親が嫌だと言えば、一人で行くしかない。高齢の母親を一人にさせるのは心配だと思っていた。

 しかし、それは杞憂に終わった。七十になる母親は、平気で札幌生活を楽しんでいた。親一人子一人の家庭である。

 母親の生まれが幸いしたと藤岡は思った。藤岡の母親は、戦前のお金持ち生まれのお嬢様である。世間のことに疎く、見事に一人の世界を持っていた。孤独という意識もないのだろう、友人もいないで平気である。

 息子の世話をしているということで、日々の生活を送り、それで人生が一杯なのだ。

 教育文化会館には、開演の前、十分に間に合った。

 小ホールの入り口で渡されたブライアン・アサワの経歴に目を通す。

 日系三世であるというのが印象的だった。アサワという名字は聞いたことはある。

 藤岡は、この時、これが人生を大きく転換させるきっかけになるとは、想像も出来なかった。神様とは、何げなくさりげなく、人生の重大なことを示す。

 キリストが弟子たちに「目覚めて祈れ」と繰り返し説いた。人生、目覚めていなければならない。いつ、どんな形で、神様が、次の手を用意してくれるのか知れたものではない。 誰の人生にも、このようなごく自然でありふれた形を通して、神様は語りかけるのである。「ほら、お前が探していたものを」と。

♪(注・藤岡以外の人名は、承諾を取った人以外は、仮名です)

2006/2/24 掲載

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