藤岡宣男物語り 第3部第1章  高円寺 綾

 藤岡宣男物語り2  

 (衝撃)

 ブライアン・アサワが歌い出した。

 自然で透明感溢れる声が響く。藤岡は大きな衝撃を感じた。

 これがカウンターテナーなのか。言葉に出来ないほどの驚きだった。

 無心に聴いた。ブライアンの声は、藤岡の体を通り抜け、再び体に戻り、心を揺さぶり、魂に語りかけた。藤岡の精神は麻痺した。

 パーセルの「しばしの間の音楽」が、忘れられない曲になった。

 今まで抱いていたカウンターテナーに対するイメージが一掃された。

 裏声で気持ちの悪い声だったのが、今、目の前で歌っているカウンタテナーは、実に自然で、微塵も不自然さを感じさせない。心にすっと入ってくる。

 感動した。

 藤岡宣男は、広島大学教育学部教科教育学科音楽教育学専修。同大学院教育学研究科音楽技法内容学修了である。そして文部省派遣留学生として、アメリカ・ミシガン大学音楽学部大学院へ留学。帰国後、広島大学研究生を経て、同大学院博士課程後期単位取得。

 専門分野は、ピアノ教育、特に19世紀初期のイギリスにおけるピアノ教育についてである。

 大学生当時から、声楽のピアノ伴奏をしていた。

 ピアノは不器用なタイプであったが、音楽的感性と人柄で重宝される。また大学院時代から、子供から大人までピアノのレッスンをするようになる程だった。しかし、ピアニストになることは考えていなかった。

 だがその頃は、ピアノのレッスン料と家庭教師のアルバイトで、母親との生活を支えていたのだ。

 藤岡が、大学を辞め、つまり大学教授の道を諦め、(財)ヤマハ振興会に就職を希望するのは、広い世界でピアノや音楽教育に携わりたいという思いからだった。大学での研究に先行きの希望が持てないという感触もあった。

 この頃から、藤岡は何かに挑戦するという意識が強くなっていたようだ。

 先の見える道よりも、先の見えない、何があるのか解らない道に、心が引かれるようになっていたのだ。

 

 コンサートを聴いての帰り道、ブライアンの声が、胸の内で響いていた。

 透き通る風のようなブライアンの声が、今も胸にあることが不思議であり、また感動だった。

 PMFに参加していたブライアンに会うことになるとは、その時、知らない。

 誰が、どんな縁をもたらしてくれるのか。縁は人を通してやってくる。そう、運というものも、人を通してやってくる。ゆめゆめ、人との縁は疎かにできない。

 数日後、ヤマハの支部長に声を掛けられた。

 「藤岡君、PMFのディレクターが、君の先輩のようだよ」

 と言う。

 竹津ディレクターというその人は、藤岡と同じ大学の出身だったのだ。

 「君の話をしたら、興味を持って、良かったら、リハーサルに来ないかと言っている」と言うではないか。

 そして、予定表を見ると、何とブライアン・アサワと、日本人メゾソプラノ歌手が一緒にリハーサルをする予定であった。

 藤岡は、即座に申し込んだ。もう一度、あのブライアンの声を聞ける。

 それに、リハーサルの中でなら、話しも出来るかもしれないという希望があった。

 リハーサルの日、藤岡は札幌郊外にある芸術の森に、タクシーを飛ばした。タクシーでも30分以上はかかる遠い場所である。

 普段は、電車、地下鉄、バスに乗る藤岡が、タクシーを飛ばす程、ブライアンの声には、魅力があった。

 会場には、リハーサルが始まる寸前に着いた。

 息遣い荒く、会場に入る藤岡。

 そして藤岡は、新鮮な風を感じていた。仕事は順調で何も問題がなかった。だが、どこかにマンネリという言葉が適当な日々があった。このままでも、何も問題がない。だが、もっと人生には、何かあるのではないかと、無意識のうちに感じていた。

 音楽の神が、藤岡を誘うのである。

2006/2/24掲載

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