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  藤岡宣男物語り12  高円寺 綾

 始まりの始まり

 鎌倉生活も半年を過ぎようとしていた。

 藤岡が藤沢に映画を見に行こうと、木村を誘った。籠もっていた木村が、それを渋々承知した。

 藤沢で映画を見て、食事をすることになった。

 その時、木村の精神は、限界に達していた。パニック障害にある鬱状態である。

 藤岡は木村の不機嫌さの訳を知らない。

 「そんなに気分が悪いなら、帰っていいよ」

 藤岡が言う。

 「食事だけして、帰ろう」

 木村は、そう言うのが精一杯だった。兎に角、具合が悪いのだ。身体のどこかが痛いという問題ではない。背中に、何かべっとりと張り付いているような凝りと、不安感である。 鎌倉に来てから、霊感の強い木村は、霊的作用も受けていた。毎晩のように訪れる浮幽霊と、その霊障である。

 祓っても祓っても、際限なく霊的作用が出てくる。

 木村が後に、鎌倉は地獄であると断定した物言いをする。あれ程、寺が多いのにも関わらず、清め祓いが出来ていない、とんでもない場所であると。藤岡が、それを理解するには、時間が必要だった。

 結局、藤岡は木村と一緒に鎌倉に戻った。部屋に着くと、木村が

 「宣男君、もし、私が変なら、変だと言って欲しい。変でしょう」

 そう尋かれて、藤岡は

 「秋になっても具合が悪いなら、病院に行ったら」

 と答えた。

 木村は、それを聞いて翌日、精神科に出掛けた。それは、藤岡も変だと思っているとはっきりしたからである。木村の行動は素早い。

 木村はそれから一年程、精神的苦痛と苦難を感じて、鎌倉生活を続けることになる。後で木村は、何度も札幌に戻りたいと思ったと言う。

 

 藤岡と木村に、一つの良い出来事が起こった。

 木村の弟子であった女性が結婚して、鎌倉に移転するというもので、知り合いが出来ることになったのだ。

 この夫婦によって、二人は、多く慰められた。

 M夫婦は新年明けてすぐに移転して来た。

 何より、木村が喜んだ。話し合う者が増えたのである。藤岡も同じで、木村の部屋に四人が集い、よく会話し食事などを共にした。

 木村は自分の具合の悪さを話せる相手が出来て、明るくなっていた。

                     

 藤岡がその頃、不安に思ったことは、まず多い出費だった。毎月30万以上の出費があった。国保の支払いが前年の収入にかかってくるから、それだけでも膨大に思えた。果たして、こんなに出費が続くと、いつまで持つのだろうかと、不安になる。

 藤岡は、M先生に師事していた一年半の間に、韓国に二度、ウィーンに一度、イタリアに一度と、セミナーに出掛けている。その出費だけでも、百万を有に越える。

 二年間で八百万程のお金を出すことになる。お金が尽きれば、希望は達成されない。生活のために働けば、それだけにかまけることになる。

 そして、いつまでたっても、お金の掛かる状況は変わらないのだ。

年明けの春に、M先生の発表会があった。そのために練習をする。舞台に出て唄うことは本望だった。またそれが藤岡の唯一の発表の場である。

 チケットを、東京にいる友人たちに買って貰いノルマ分を埋める。それが当たり前だった。ノルマのあるコンサートだけが発表の場であると気づくには、時間がかからなかった。 上野のあるコンサート会場には、木村と、少し前に出会っていた大石太郎(仮名)が向かった。大石とは鎌倉生活を始めて、すぐに出会った。藤岡がインターネットを通して知り合った一人だった。

 木村と共に、北鎌倉で会ったのが最初で、それ以後の付き合いになる。現在の藤岡のホームページの管理人である。まだ大石のことを、すべて理解している訳では無かったが、三人は気が合った。

 後に、大石は藤岡の良き話し相手になり、木村を信頼しているなら、大石を信用する藤岡だった。人を信じることの少ない藤岡が心を許した一人である。

 一時期、大石の生活が激変して、会うことが少なくなったが、付き合いは続いていた。横浜に来てからは、毎日のようにコンピューターのチャットで話し合う相手になった。

 時々、木村の部屋に遊びに来ると、最終電車になった。話が終わらないのだ。木村がうたた寝を始めても、二人で話し合う。その話題は、広く尽きなかった。

 藤岡が亡くなった時の、大石の落胆は、話すまでもない。

2006/5/1掲載

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