藤岡宣男物語り15  高円寺 綾

 焦燥

 歌の表現方法と、解釈をU先生に師事することにした。先生の所は鎌倉から近いこともあり、気が楽だった。藤岡はもう、何時間も電車に乗ることは限界だった。

 だが、藤岡を不安にさせたのは、お金が尽きるということだった。二年の間で、溜め込んだお金の底が尽き始めていた。

 木村の部屋に行き、新聞の求人のちらしに目を通すようになった。働かなければ食べてゆけない。その姿を見た木村が言った。

「私のお金、使いな。どうせお金なんて、みんなのものなんだから」

 しかし、その木村も、不況のせいで原稿依頼が激減していた。特に、札幌からの原稿依頼は減り続け、仕事をしても原稿料が支払われないという事態に陥っていた。

 何げなく木村がそういうことを言う。それを聞いただけでも、藤岡は、胸が苦しくなった。頼りの木村までも、窮したらと思うと、いても立ってもいられない不安な気持ちになる。このままではいけない。仕事を探そう。

 木村は何も言わずに、月末になると、藤岡にお金を渡すようになった。それは生活する最低限の金額だった。レッスンに行く日は、木村が封筒にレッスン料を入れて渡してくれた。黙って貰うしかない。

 お金が無いことが、こんなに大変であると想像しなかった。貧しかったが、お金に困ったという経験はない。奨学金の返済も出来なくなった。

 心をしっかりと、意識して持たなければと思うようになった。それ程、事態は切迫していた。

「木村さん、この会社の面接に行く。どう思う」

 木村は顔を曇らせたが

「行くなら行けばいい。」

 否定も肯定もしなかった。

 その頃の木村の心境を聞くと、断腸の思いだったと言う。仕事をしろとも、するなとも言えない。何せ、本人の心境の問題だから。仕事に付いて安心するならそうすればいい。 木村も持ち金を計算していた。藤岡を、どのくらいの期間支えられるのかと。

 木村自身も、東京での仕事の話が進まないことから、焦燥感を抱いていた。事が進まない。藤岡を理解するには、十分なほど、木村も焦っていた。

 木村は言う。あの頃は、地獄の日々だったと。

 その頃の木村は、藤岡のプロデュースをするなどということは、露も考えていない。ただ、陰で支えようとしていた。しかし、支えようにも、クラシックの世界のことが解らないのだ。クラシックの世界では、どういう形で、世の中に出ることが出来るのか。ただ、誰かが引き上げてくれるのを待つしかないのか。

 レッスンをしている藤岡の声を毎日のように聞いている。巧いと思う。だが、木村は素人である。手だし出来ない世界だった。それももどかしい。木村の焦りが、藤岡の焦りと重なり、木村の心境としても、地獄を思わせた。

 木村が持つ、図太い神経の行動力も発露させようがない。

 木村は礼儀作法を重んずる。だから、藤岡のクラシックの世界に対しては、余計な発言を控えていた。

 面接から戻った藤岡が、木村に言った。

「この会社で働いてみる。仕事内容だけでなく、色々勉強出来そうだし」

 木村は何も言えなかった。ここに一億でもあって、これを使いなと言える程でなければ、何も言えない。口で言うのは簡単である。しかし、やるのは大変なことである。

 口先で色々言う輩が多いが、結局は何も出来ない。ということは、言葉は無力だということ。実際が伴ってこそ、言葉が生きる。木村の45年の人生がそこにあった。

「木村さんに負担かけるのも心苦しいし」

 木村が藤岡を愛するのは、木村が最も大切にする、人生に対する真面目さがあるからだ。何をするのでも、藤岡は几帳面である。それは木村にないものだった。木村は適当であることを好んでいた。例えば、舞台に出るにしても、普段の練習の成果が出るのだからと、その舞台のための、特別な練習はしない。だが藤岡は、きちんと、その舞台のために、精魂込めて練習をする。木村は、舞台でも講演でも、準備すればするほど、自分には面白くない。その時出るものに、木村は楽しみを見いだす。即興的なタイプである。藤岡は違う。再現芸術家としての精神をたっぷりと持っていた。訓練の上に成り立つ舞台である。

 木村には、藤岡が子供のように可愛い。小学生が明日の学校の準備をするように、藤岡は万事万端を尽くし準備する。木村には真似が出来ない。そして、それが可愛いのだ。

 木村の人生の哲学は「明日死ぬこと」である。明日の朝はないかもしれない。今しかないのである。しかし藤岡は明日のために準備をする。大きな違いである。木村は、その違いを楽しんでいた。

 木村から見ると、藤岡の痛々しい日々が始まった。藤岡程の学歴と能力があれば、ほぼどんな会社でも、珍重される。それが書店の前に立ち、英語教育の勧誘のちらしを配るという。木村は、考えただけでも、身が震えた。怒りに似た切なさである。

 今も木村のプロデュースの原動力は、その時の感情に似ている。

 それは負けるものかというような低俗なエキサイトではない。この世の不合理と不公平さである。才能があっても、世に出られない。それは木村の和芸の世界にもあった。どんなに上手な踊り手でも、お金がないばかりに舞台を掛けられない。お金がないばかりに、花を活けることが出来ない。そういうことである。

2006/5/23掲載

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