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藤岡宣男物語り16 高円寺 綾
ささやかな希望
四つのオーディションやコンクールを受けることにした。その一つに、カワイクラシックオーディションがある。費用は木村がすべて出した。
木村も二つの会場に足を運んだ。
結果は、入選が二つ。最優秀賞が二つである。
カワイと、もう一つのコンクールの審査員には絶賛された。
「今までカウンターテナーにはない声質だ」
「カウンターテナーの声は嫌いだが、君のは聞ける」
審査員の言葉が藤岡の心を弾ませた。
結果に満足した。
だが、その満足は三日も持たなかった。
だから、どうなる訳でもなかった。それで終わりである。
その頃の藤岡は、毎日のように、木村に占いをせがんだ。どうなるの、どうなってゆくのかと。良い話があるのかと。
木村の占いは、予言の占いではない。哲学としての占いである。つまり、行動することから始まる運気の使い方を探るのが、木村の占いのスタンスなのである。どうしたいのかが解らなければ、答えようがないのである。
ある夜、木村が藤岡を誘った。歩いてすぐ側の鶴岡八幡宮に向かった。
深夜になると、柵が設けられて、奥には上がれない。木村はその前で、朗々と祝詞を上げ始めた。
カトリックである木村が、祝詞を上げるという不思議に、藤岡は、ただ佇んでいた。
「あのねー。私には、今、これしか出来ないの。神頼みではないよ。鎌倉に来て始めて、この神宮の神様に挨拶した。そして、神霊の力を頂きたいとお願いした」
木村は神に願うことはしない。願うなら、行動するタイプである。神を、人生の願いのために頼むことは、無礼だと考えていた。神霊は生きとし生けるものの、大元のパワーである。すでにそれは頂いている。その他に、望むことがあるだろうかという心だ。
「願わくば、多くの人に藤岡宣男の歌声をと、お願いした」
木村は言う。神がいるとか、いないとかの議論はしない。皆、すでに生かされて生きている。神のことを意識しなくても生きられるようになっている。神の意識は、そんなけちなものじゃない。例えば神に逆らう者も、神は抱いている。
宗教を持つとか持たないということも、どうでもいいこと。楯突こうがどうしようが、母は子を愛する。そういうこと。
「藤岡の歌声を、どうぞ多くの人のためにお使い下さいと、お願いした。もし、ここに本当に神の位にある方がおられるなら、ね」
「えっ、いないってこともあるの」
「そうだよ。ここの神主が馬鹿なら、神の位にある方もいないよ」
藤岡の知らない世界である。
木村は祝詞もお経も、時に応じて唱える。お祓いもする。見えない世界を、木村は知っていた。
クラシックの世界が、どういうものかを知っていたなら、木村も、神宮に参ることもなかった。手段があれば、挑戦すればいいことだからだ。知らない世界だから、こうするしかなかったのだ。
その後、藤岡はチケットノルマのある入賞者コンサートに出演した。しかし、出る度に失望した。それは単に主催者の利益と、実績のためである。発表の場を与えるという口実で、単に商売なのだ。そこには、希望は見いだせない。
それを木村も、即座に見破った。
酔った木村が、藤岡に
「クラシックの世界も、以外に馬鹿馬鹿しい世界だね」
と言う。
「なんだか、面白くないね」
そういう木村が、その時を待っていた。その時とは、一丁やってやるかという時である。
藤岡は、仕事を始めた英語教育の会社の社長との食事会に参加することになった。
藤岡の場合、必ずと言っていいほど上司に目を付けられる。能力があるからだ。案の定、藤岡を一目見た社長は、強烈なモーションを掛けてきた。
「君なら成功する。この仕事に賭けてみないか。金になる。歌はその後やればいい。いや、金があれば、自分で音楽事務所を持ったっていい」
社長は使い切れない程の収入を上げている大物である。そのパワーも凄いものだった。確かに、世の中、お金が支配する。お金があればいうことはない。今だって、お金のために、こうして仕事を始めた。
だが、と藤岡は考える。お金だけがすべてではない。歌でお金が欲しいのは、歌で生きてゆきたいからだ。お金のためのお金儲けは、御免だった。
その後も、何度か食事会に参加したが、社長は、変わらず藤岡を口説いた。
その内に、役職がないにも関わらず、特例としてハイヤリング担当にされた。入社希望者に対する会社説明と、採用に関わる仕事である。
人間を見抜く者は藤岡の資質を見抜くのである。
藤岡が会社に勤めれば、必ず出世コースーを行くことは確実である。それを、みすみす捨てて、この艱難辛苦の歌の道に歩み出したのである。
神がいるならば、天があるならば、愛しい人間に試練を与えるという考え方がある。そうだとすれば、藤岡は、神や天に選ばれた人間なのであると考えることが出来る。
そう、才能の無い者は、神にも天にも選ばれない。
いや、才能を与えられたから、艱難辛苦の道を歩むのかもしれない。
作家は、自分の考えを延べることを控える。
2006/5/31掲載
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