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藤岡宣男物語り17 高円寺 綾
出会い
あるオーディションの会場である。控室で皆待機していた。
藤岡の横に座った男は、ギターを抱えていた。千葉真康である。
後に、彼と多く共演するとは、その時考えてもみない。
二人は隣同士に座った。藤岡が挨拶すると、千葉も快く返した。
その時、何を話したのかは、解らない。四方山話である。その千葉と、オーディション合格のコンサートに出演した。千葉は一部に出演し、藤岡は二部に出演した。
二人とも、何かのきっかけを掴むべく、オーディションを受けていた。しかし、それは単なるオーディションであり、その後に続くものはチケットノルマのある単なるコンサートであり、自己満足以外の何物でもなかった。
お金を得て音楽活動するために、どんな方法があるのか。それを藤岡は探していた。
誰かに見いだされることが一番であるが、クラシックの世界は、そんなものではなかった。つまり、クラシック音楽の世界に在る者が、今までに、そういうシステムを作り上げていないということでもあった。
人の縁とつてにより、仕事を得る。それ以外は、お金を出して舞台を買うという方法のみである。藤岡が、それに気づくに時間を要しなかった。
そしてまた木村も、そうだった。
「いつになったら、何かなるんだろうね。宣男君は、それを知っていたの」
と木村が尋ねる。藤岡は首を振った。
ただ歌いたいというそれだけで、ここまで来た。
芸能界のようでもなく、近いといえば、和芸の世界に近い、要するに、家元制である。
クラシックで金を得るには、教える先生になること。それ以外に無いのである。演奏や歌で生計を立てる者は、数える程なのだ。
それを知る。心底知る。
オーディション会場では多くの音楽家の卵を見た。だが、藤岡の心に響いた者は数少なかった。声楽を志す者は、ソプラノが多く、それは声を頼みとするものばかりで、歌とは言えないものだった。
発声の前の発音から成っていないものもあり、驚きを通り越して、暗澹たる気持ちになった。語感というものを無視しては、歌は成り立たない。
藤岡は歌の世界に遠くはなかった。大学時代はグリークラブに入り、歌を歌っていた。それは趣味にせよ、まだ真っ当だった。
自分より十も若い者たちに交じってオーディションを受けるということに抵抗も感じた。ここは自分の居場所ではないと。
オーディションを受けることは、きっぱりと止めることが出来たのも、その世界を見抜いたからである。
だが、何かのきっかけを求めるべく、藤岡は希望の少しでも感じると、出掛けて行く。音楽関係に関係のないテレビ関係のオーディションや、商業ベースのオーディション等々にも出掛けた。しかし、クラシックというと、皆、倦厭する。クラシックですかと言い、クラシックは難しくてとの返答を、何度も聞いた。
結局、何一つのオーディションも適わなかった。
クラシック以外の世界がクラシックの世界を、どのように見ているのかを、嫌というほど見せられた。
それを木村に言うと、木村は何も言わない。
当時を振り返り、木村が漏らす。私も、どうするのがいいのか、解らなかった。声楽家が、どんな風に世の中に出るのか解らないから、アドバイスのしようもない。どこかのオーディションに行くと言えば、賛成した。一緒に行くこともあった。結果発表に名前の無いのを見て、二人で落胆した。何故、受からないのかと、私は解らない。審査員の基準というものが解らないから、何も言えなかったと。
木村の部屋で練習する藤岡は、よく木村にアドバイスを求めたという。その度に、木村は、いいよ、いいよと繰り返した。何かを言える立場ではないと考えた。唯一、日本語の歌の時には、言葉についてはアドバイスしたという。発音が曖昧なものだけを指摘した。
だが、木村もまた、藤岡の練習の歌を聞き続けることによって、声楽というものの歌を理解し、耳が慣れていった。藤岡が聞かせる世界の声楽家の声を、嫌が上にも聞かせられたという。
木村は、朗詠、長唄と日本の伝統的歌い方を身につけていた。その感覚での日本語の語感である。それは藤岡にも大きな影響を与えた。
藤岡の偉大なところは、素直に素人の言うことにも耳を傾けるということである。決して自己満足の世界に浸ってはいなかった。
木村は、藤岡の「初恋」の最後の歌詞である、思いいずる日の、ひ、という音が高音域なゆえに消されていると感じていた。それをいつ言うか言うかと、考えたと言う。藤岡を傷つけないようにと。しかし、藤岡は、そんな木村のアドバイスを待っていたのだ。
ある日、ついに木村が「宣男君、最後の日という音が、かき消されている」と言う、藤岡は即座に、何度も、最後の歌詞を練習したという。その姿勢が藤岡の歌を作った。
2006/6/5掲載
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