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藤岡宣男物語り18 高円寺 綾
広がり
あるオーディションで最優秀賞になった者の、入賞コンサートがあった。
こういう手のコンサートはこれが最後と出演した。
そこで出会ったピアニストから、始めての仕事の依頼を受けた。市川にあるパン屋の新年のコンサートである。二日で五万円である。
「木村さん、二日で五万円も貰えるんだよ」
と、すぐに木村に報告した。藤岡は喜んだ。心が弾んだ。勿論、木村も喜んだ。
こういうことは、続くものである。一年ほど前に出会った人の紹介で、作曲家に縁することになり、テレビCMの仕事の依頼を受けた。そしてまた、国連クラシックライブという団体からの、音楽劇の出演依頼である。
少し希望の光が差し始めた。
中でも、大きなきっかけになるソロリサイタルの話しが、オーディションの時に伴奏してくれたピアニストから持ち込まれた。
鎌倉のお菓子屋が主催するコンサートの企画の一環としての、ソロリサイタルである。鎌倉に来て四年目の春を迎える二月に、それが催される。
何か少し動いてきたのだ。
鎌倉の元旦は、騒がしい。特に、藤岡のマンションの前は、鶴岡八幡宮に続く道である。深夜から朝にかけて、人の波がある。
藤岡は二日の日、その人の波に逆行して、駅に向かった。年初めの、それも初の仕事である。
自分の歌声が、人にどのように受け入れられるのか。
評判は上々だった。皆、その声の美しさに、感動してくれた。
三日の日にギャラを貰い、早速、木村の部屋に行った。
そのギャラを、木村に渡した。
「始めてのギャラ。木村さんに上げる」
藤岡は嬉しかった。
五万円のギャラを受け取った木村が言った。
「あんた、こんなもんじゃないよ」
「どういうこと」
「こんな額じゃないってこと」
「少ないってこと」
「こんなもんじゃ、終わらないってこと」
その時まで、木村も藤岡宣男を売るということは考えていない。しかし、心の何処かで、また潜在意識が気づいていたのか、「その時」が、目の前に迫っていた。
歌でギャラを貰ったが、歌で食べてゆくということは出来ない。遠い道程だった。
仕事を始めた収入で、ようやく最低の生活が出来た。そんなことは知らない母が、お金が足りないとこぼす。
藤岡は母に三万円を投げ付けた。母は知らない。息子が、どんな状況に置かれているのかを。だが、それが救いだった。本当の状況を知ったら、母を、どんなに苦悩させるか、藤岡は知っていた。
母の生活費は、年金の五万円だけだった。足りない分を藤岡が補う。何も言わないが、木村が時々、三万円、五万円を、お母さんに上げなと言って差し出す。
いらないと言えない。黙って貰う。
木村は言う。
「命の次に大切なお金を、どう使うかで、その人間のすべてが解る。手段のためのお金は、どんなに求めてもいい。でも、目的としてのお金を求めるのは、哀れを通り越して、愚かだね。私は、一にお金、二にお金、三にもお金だよ。何より大切だ。でも、いらない。世の中、お金で解決するから、お金が必要で、それ以外はお金いらない。私は、知っているからね。本当の世界を。本当の世界って、お金の無い世界さ」
お金が無いことも悲しいが、歌の道の先が見えないことが、藤岡には、もっと悲しい。 山梨の古楽コンクールに出た時、他の出演者や、審査員の幾人かから、素晴らしい声だと称賛されたが、入選も入賞もしなかった。その時、芸大のカウンターテナーが入選した。また、某テレビ局のコンクールでも落とされた。
カウンターテナーはファルセット、つまり裏声のくぐもった声を基本とするところから藤岡の声質の場合、評価が別れる。
たとえば、スラバなどと比べると、決定的な違いがある。藤岡の声は奇麗すぎるからだ。奇麗な声を、深みがないと言う人もいる。
ちなみに、藤岡が感動したブランアン・アサワは、奇麗な声の部類である。が、人により、大きく評価が別れる。これについては、この物語の主旨でないので、コメントを控えるが、木村の言葉を聞く。「要するに、カウンターテナーが何かということを、誰も知らない。裏声で高い声を出すのを総称して、カウンターテナーと言うことも出来る。評論家や、訳知りの、自分では声も出ない者が、何おか言わんやである。知った風なことを言う者はいるが、本当は何も知らない。何せ、カウンターテナーの前進である、カストラートの声さえ、誰も聞いていないのだから。知った風なことを言うなということさ」
2006/6/14掲載
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