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藤岡宣男物語り20 高円寺 綾
始動
横浜に移転をした木村が、即行動し始めた。
木村は、藤岡を前に言う。
「宣男君、私、新潟に行ってくる。新潟でリサイタルしよう」
木村は七月に新潟でリサイタルをするつもりだ。つもりということは、するのだ。
客が入るとか入らないとか、木村には関係ないようである。やると言ったら、やるだけのことなのだ。
こんな人間もいるという驚き。
「人間は男と女でなくて、やるかやらないかの人種しかないの」
と木村は言う。徹底していた。
「どうせ死ぬんだもの。踊った方がいいでしょ」
藤岡は木村の哲学に乗った。
心配すること不安になること多々あるが、それを撥ね除けて、木村は行動する。
「職業に貴賎はあるよ。まず、百姓と漁師が偉い。そして、職人。その次が芸人。それ以外は、下。世の中、その逆だね。居眠りこいて生きている人の多いこと。気絶して生きている人の多いこと」
また木村は藤岡に言った
「今死んでもいいという人の話だけは、耳を傾けた方が言い。あとは、どうでもいい」
口ではなんとでも言える。言った言葉に責任を取る人の話しだけを聞くことだ。それはつまり命懸けの言葉しかあり得ない。
藤岡は、木村の哲学に乗ってみようと思った。そしてそれが、本当の始まりだった。
東京は代々木上原のムジカーザというスタジオでのリサイタルである。
藤岡は客入りを心配したが、ピアニストのA嬢が一役も二役も買って出て、80名程のお客様で、成功だった。そのリサイタルから、今に至るまでフアンとして、コンサート会場に、いつも顔を出して下さる常連さんもいる。
鎌倉の二月からのリサイタルから、本格的にリサイタル活動を展開することになった。
翌月の五月は、札幌である。そして七月は新潟。だが、それで食べてゆかれる訳ではない。藤岡は、その合間に仕事に出掛けた。
少しの収入でも、あるに越したことはない。だが、誰も頼らず、依頼の仕事がなくても、自分で出来るという自信はついた。勿論、木村あってのお陰であるが。
札幌は、交通費や宿泊費がかかるので、大きな収益は見込めなかったが、お客さんの反応は良かった。お客の大半は、木村の弟子を始めとした知り合いであった。
それ故、リサイタルの合間に、木村が話した。それが後に、色々なトラブルや勘違いされる元になるのであるが・・・
また、札幌では翌日も藤岡を応援してくれるAさんという方が、自分の主催する第一回のコンサートに呼んでくれた。続けて二度の公演である。
藤岡は充実した。歌を歌ということが、こんなに楽しいものであと。第一歩を悠然と踏み出した心境である。
東京へ戻る日には、札幌でも、英語教育の勧誘の仕事をした。
藤岡は、自分がそんなに器用な人間だとは思わなかった。しかしやれば出来るのだ。
仕事は横浜の木村の部屋が活動の起点になった。英語教育の事務所も横浜にあり、遅くなると、木村の部屋に泊まった。
U先生のレッスンも、発声をマスターしていたお陰で、求められることがすぐに出来た。 藤岡は、自分の進んでいる方向に間違いないと、確信した。後は、収入の安定である。母を横浜に移転させられればと考えるようになった。勿論、すぐに実現出来ることではない。引っ越しは、百万程のお金が必要だからだ。
新潟のリサイタルは、木村の多くの知人の助力で、200名以上のお客様が席を埋めた。上々の成果だった。利益も上がった。
木村は、何とそれが終わるとすぐに、新潟でのクリスマスコンサートの会場を探し、横浜に戻る前に予約してしまうという早さだった。
新潟の音楽文化会館のステージから、藤岡は音の響きを確かめた。500名が入るホールで歌う自分を想像した。
木村は、次々とリサイタルの企画を立てる。客が入るかどうかなど、眼中にない。
「客が入るかどうかより、やるかやらないかが問題だ」
と、藤岡にハッパを掛けるのだ。
八月は、東京近江楽堂にて、リュートソングのリサイタル。九月も同じく、鎌倉恩寵教会というプロテスタント系の教会でのリサイタルである。
だが、実現しなかったものもある。10月の札幌でのリュートソングリサイタルの後、鎌倉、新潟のクリスマスコンサート、札幌でのディナーコンサートは、企画倒れで終わった。それはまず知名度が無いための、客入りの悪さだった。当然である。新潟のクリスマスコンサートは、藤岡の体調も良くなかった。その判断の素早さもまた木村は、見事だった。止める、やるという判断の基準を藤岡は知らない。
しかし、木村はめげることはなかった。すでに翌年の会場押さえを始めている。
そのエネルギーに藤岡は圧倒された。
「木村さん、そんな大丈夫かな」
「何言ってんの。金出すのは私だよ。私が金出してやるっていうだから、何も心配ない。チケットノルマのあるコンサートに出て、主催者の手柄にするより、よっぽどいいや」
この木村の考え方に乗ってゆくしかない、そう藤岡は思った。心強い。
戦国時代を考えた。木村という人物は、そういう時代に生まれ合わせたら、きっと天下を取っていたのではないかと。ただ、木村を理解するのは、これまた容易ではない。
でも今は、木村の船に乗るしかない、藤岡はそう思った。
2006/7/1掲載
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