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藤岡宣男物語り 21 高円寺 綾
暑い夏
2001年の夏は、いつにも増して暑い夏だった。
木村は、マンションの窓を全開にしていた。エアコンを付けることをしなかった。音合わせをするために、人が来る時だけ、エアコンを入れる。
藤岡は暑い最中も、歌と仕事をした。まだ不安があった。時々、急に不安が襲ってくる。 結局、経済的な不安が大きい。食べてゆくことが出来る状態になるには、まだまだ時間がかかるのだ。
芸大、音大を出ても、音楽で食べてゆくことが出来るかと言えば、そうではない。食べてゆけない人の方が多い。まして、自分のような遅い出の者は、と考えると、また不安が襲う。それを知ってか知らずか、木村は、次々とホールの利用要綱を取り寄せている。
大きな話をしてくれる人はいるが、実際問題、木村のように実行する人は、皆無だった。だが、木村はクラシックの世界を知らない。自分でも、そう言う。
しかし、木村に任せるしかない。
自分の力で人を集めるのには限界がある。毎月なんてコンサートを出来る訳ではないと思っても、木村は平気で企画する。
八月に二度もリサイタルを決めた木村に
「お客さんは、どうして集めるの」
と尋くと、思わぬ答えが返ってきた。
「客なんて、来なくていいよ。私がやりたいんだから、やるの」
仰天した。そんな考え方があるという。
木村には他の人と根本的に違うところがあると思った。
八月は、コンサートは少ない。お盆や夏休みなどの行事がある。しかし、代々木上原のムジカーザで、アメリカンポピュラーソングのリサイタルをした。
案の定お客は少なかった。しかし、そのお客の中に、ピアニストのOが、また音楽プロデューサ、作曲科のKもいた。それが、後に大きな収穫になるのである。
Oは伴奏を買って出、Kからは、ミュージカルの仕事が舞い込む。
何が起こるか解らない。
リサイタルの予定は、木村のペースである。翌年のホールの押さえも始めていた。
木村は自分の仕事の幅を広げず、藤岡の企画にのめり込んでいる。少し心配になった。「大丈夫なの」
木村の収入を心配して言う。
「やりたいからやるの。神様が、やれって言ってんだろうさ」
木村は、感じたら即行動する。それが逆に不安になることもある。しかし
「人生の大問題は死ぬか生きるかしかない。後は、瑣末なこと。どうでもいいこと。死んだら終わりだよ。来世があるって言ったって、来世は違う人間だからね。今しかないよ、この人格、この環境は」
と、笑う。
東京オペラシティリサイタルホールを取ったと聞いた時は、驚いた。そんなホールでリサイタルをするなんて、昨日まで考えていない。それが、簡単に決まる。
嬉しいことだが、怖い気もする。だが、藤岡の心境にはおかまいなしに、木村は次々と、予定を立ててゆく。
昼食は、木村の部屋で、めん類を食べる。ほとんど毎日、昼食は、木村のゆでためん類を御馳走になる。外で食べないから、お金がかからない。
出来る限り、節約をする。節約することが当然であった。一円も無駄に出来ない。
ヤマハに勤めていた頃は、毎月、多くの貯金が出る程、収入があった。それを時々思い出す。大きな賭けに出たものである。あのままいれば、生活の心配はなかった。
もう何年か勤めると、年収は一千万近くになっただろう。それを捨てたのだ。悔いはないが、しんどい。せめて持ち家でもあればと思うこともある。家賃を払わなくてもいい家が欲しい。
大きな家は、子供のころからの夢だった。母と二人で、六畳一間の部屋に住んでいた頃からの夢。それを木村に言うと、木村は笑いながら
「悪いことをすれば、お金になるよ」
と言う。
「どんなこと」
「私なんか、霊を払うから、霊払いで、お金稼げる。でもしない。まだまだあるよ、やれることは。でも、私は土地も家も興味ない。あんたには、大きな家、買ってやるよ。今に、嫌というほど、金になるよ。待ってな」
そうは言われても、目の前にないと信じられないのだ。
木村が冗談に言うような、本当のような話しに煙に巻かれる。
だが藤岡は知っていた。頼れるのは木村以外にいないと。誰も、何かを言うが、何かをやってくれる人はいない。
暑い夏の夜が更けてゆく。まだ先が見えない。どんな風に、自分の世界を作っていかれるのか。不安のまま、夜を過ごすしかない。
2006/7/11掲載
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