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 藤岡宣男物語り 22  高円寺 綾

 焦燥感

 リサイタルが終わる度に、不安がある。いつになったら、会場一杯のお客さんになるのかと。このまま続けていいのか。しかし、それ以外の方法が見つからない。それでは、これを続けるとか方法がないのである。

 仕事が入ることが一番だと思っても、生活するたけの収入にはならない。

 クリスマスにかけて、高輪プリンスホテルでの、クリスマスコンサートの仕事を依頼された。続けて、新年のコンサートである。それを持ってきたのは、音楽事務所のFである。藤岡の歌声を、市川のパン屋で聴いて、一目で、藤岡の歌声に魅力を見いだしたのだ。

 どこで、誰が聴いているのかしれないと思うと、どこで歌っても、疎かに出来ないのである。

 そういう仕事は、お客の入りを不安になることはない。ギャラが出るから気が楽だ。

 木村も、そういう仕事に付き合ってくれる。マネージャーということで、同行してくれるので心強い。

 結局、ギャラの交渉などを、木村がしてくれるという安心感がある。これを一人ですることになると、精神的な負担は大きい。余計なことを考えないといけないのだから。

 不意に、藤岡に襲ってくる不安や、焦燥感は変わらなかった。それは、抑鬱神経症の症状である。鬱病なら、短期間の抗鬱剤で治るが、抑鬱神経症は長く続く。

 現代人の多くは、抑鬱神経症ぎみである。大なり小なり、鬱ぎみの人が多い。それが体に表れると、目眩や頭痛、肩凝りや、不眠、イライラ感などとなる。

 藤岡の場合は、一人でクラシックの世界に立ち向かっているというストレスがある。

 仲間がいない、孤立した状況である。一時、芸大の大学院を受けようと思った程である。仕事の幅が、それにより広がると思った。しかし、師事していたU先生は、芸大に行っても学ぶものはないと言う。また木村も、

「芸大に言って、音楽で食っている人が、どのくらいいるの。芸大の時代なんて、もうすぐ終わる。そんなことにお金を使うことはない」

 と言う。

 藤岡にしてみては、何かのチャンスをと思ってのことだが、周囲の反応は違った。

 イギリスへの留学も考えたが、それも木村に

「イギリスに行って、どれほどの仕事が出来るの。お金を得るなら、日本に適わないよ」

 と言われる。

 今時期、よほどのスポンサーがつかない限り、どこへ行っても、行き損だと言う。

 勝負は日本でするべきだと言うのである。

 もっと認められたいという強い欲求が藤岡の心を駆り立てるのだ。

 暑い夏も終わり、ようやく秋風が吹き始めた。

 長く感じられた夏が終わる。

 はた目から見ると、藤岡の活動は順調だった。秋には、川口リリアホールにて、チンクエボーチェのコンサートがある。五つの声と題してのコンサートである。また、クリスマスコンサートの依頼も、藤岡のフアンの一人であるYさんからあった。世田谷区の喜多見での商店街が主催するものである。

 予定は入ってくるが、藤岡の心は、まだ安心を得るものではなかった。

 自分でも、この不安感は、病気なのではないかという思いがする。病気のせいで、何があっても不安感を感じるのだと。

 結局は、収入に集約された。どんなにやっても、それだけでは生活が成り立たないというジレンマである。

 結局、クラシック関係の芸術家は、学校の講師や教授をしつつ、残りの時間にコンサート活動をするのが関の山である。コンサート活動だけで食べてゆく人は、ほんの一握りの選ばれた人である。何とか、そこを打破しなければならない。

 一つ一つのコンサートを終わる度に満足感と、すぐにその満足感の後に襲ってくる、不安との戦いである。

 生活のために始めた英語教育勧誘の仕事を終えて戻る道、藤岡は決して無駄遣いをしなかったが、一輪のばらの花を買った。自分のためにである。

 思えば、自分のために、何か贅沢なことをしたことがない。たった一本のばらの花を買うのでも、勇気がいるのだ。

 いつか、大きな家に母を住まわせて、沢山のばらの花を部屋に飾る、そんな生活がしてみたいと、ささやかな夢をみる。

 藤岡は赤い薔薇の花が好きだった。それは豊かさを暗示した。赤い薔薇の花に象徴される生活。薔薇の花は、貧しく育った自分の唯一の贅沢である。

 結局その花は、立ち寄る木村の部屋に飾ってもらい、少しの満足を得る。

 いつになったら、本当の心の平安を得られるのだろうか。

 藤岡の道は、まだまだ終わらないのである。


2006/7/18掲載


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