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 藤岡宣男物語り 23  高円寺 綾

  仕事

 英会話教室の勧誘から、一段飛びのハイヤリングの担当になった。それは勧誘員の教育である。藤岡の好きな成功哲学のお話しである。

 藤岡は色々な成功哲学のサンプルを取り寄せていた。それを聞くのが楽しいのである。そんなことで、時々、木村と喧嘩もする。木村は成功哲学を笑うのである。

 始めの頃は木村もそれを無視していたが、木村の部屋で成功哲学のCDを聞くものだから喧嘩が始まる。

 「あんたー、そんなの聞いて、成功するっていうのは、はっきり言ってないよ」

 藤岡は「好きだから聞いているんだ、僕は」と言い合う。暫く、その話題で日が暮れるのである。

 藤岡は几帳面に、そんなサンプルのものでも整理し、いつでも取り出せるように保存していた。何事も、藤岡に取っては勉強なのである。

 子供の頃から、学ぶことが好きだった。そしてそれを整理して、自分用のものを作る。それは変わらなかった。

 その頃の藤岡のことを木村が言う。

 兎に角、学ぶことに対して人一倍の努力家だった。そして、なけなしのお金でも必要と思うものにはお金を費やしたと。残金が少なくても、ローマに行くと言い、講習会に出ると言い、耳を訓練するための機械も購入した。木村は、それをはらはらして見ていたと。

 

 しかしそれは、木村を頼っていたから出来たことでもあるといえる。貯蓄が少なくなっていく中でも、学ぶことにお金を掛けられたのは、木村の存在が大きい。そういう意味でも、甘える人を知らない藤岡が、唯一甘えられる人が木村だった。

 藤岡が得たお金は、自分のために使うことが出来た。家賃から生活費までは、木村の采配で行っていたのだ。

 その仕事で100万円を貯めた時には、すぐに木村に渡している。お金を渡すほど、木村を信頼していた。

 木村の口癖は「命の次に大切なお金」である。それは藤岡も同じだった。子供のころから母親に「お金の無いのは首が無いのと一緒だ」と教わってきた。そして母親のもうひとつの教えは「一を聞いて十を知る」ことだった。

 藤岡は、時に感じて、木村に子供の頃の生活を話していた。

 おじちゃんと呼んでいた父親のこと、親類との付き合い等々である。ただ藤岡と母親は、すべての親類との付き合いを断っていた。藤岡自身も親戚が一番嫌いだったと言う。

 子供ながらに、自分が邪魔物であるという意識が強かったと言う。要するに、未婚の母を親戚は敬遠していたのである。

 「どうして、母が僕を、親戚の家に遊びに連れていったのか、よく解らない」と木村にこぼしていた程だ。母親が鈍感な分、藤岡は敏感に感じていたのだ。

 一日をのんびりと過ごすことがあった。

 ホームページを作ったり、楽譜の整理をしたりする。木村の部屋で行うから、一日木村と過ごす。昼と夜の食事を一緒にする。

 そこに、ほんの一時の安らぎと安心感があった。

 木村と四方山話をする。昔語りをする。思い出を語る。

 「好きなことして、こうしていられるのは本当に幸せだね」

 藤岡が言う。

 「そうだね。中々出来ないからね。したくても、将来が不安で出来ない人が多いからね」 木村が続けた。

 「私なんかは好きなことだけやってきた。でも、好きなことをやるというのは、本当に多くのことを犠牲するということ。それを人は知らない。簡単に、苦労なく見えるから、嫉妬する。こんなことは、人に薦められないよ。だってね、神経の弱い人は、やって行けないよ。不安で不安で、毎日が戦いだからね」

 藤岡は自分を納得させるように言う。

 「僕たちは幸せだ」

 「そうだよ」

 木村が笑って応えた。

 木村は藤岡の貯めた100万円で、藤岡の母親の横浜移転を考えていた。それは年明けになった。丸一年、藤岡の母親は一人で鎌倉に住んだことになる。それ程長いこと母親と別に暮らしたのは、藤岡がアメリカ留学の時以来である。


2006/7/25掲載


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