目次    TOP

 

 藤岡宣男物語り 24  高円寺 綾

  部屋探し

 横浜で母親と暮らす部屋を木村と探し始めたのは、年の暮れだった。なんとか早く呼んで上げたいと思う藤岡であり、それを理解した木村だった。

 部屋を借りるということは、保証人が必要である。

 最初の不動産で、木村を叔父として保証人にすると言うと、身内の者にして欲しいと言われた。藤岡には身内はいない。

 結局、部屋を借りることが出来なかった。

 次に、木村が

 「私が借りることにするよ」と言う。

 藤岡はそれに従った。木村のマンションの近くに見つけた3DKのマンションを借りることにした。名義は木村である。保証人は木村の父親である。

 藤岡は

 「部屋を借りることも出来ないだね、僕たち親子は」

 と言うと木村は

 「今に、保証人なんかいらないくなるよ。そういう時代になる。心配ない」

 と答える。

 その三年後に、賃貸マンション建設ラッシュになった。金持ちが銀行預金よりマンション経営の方が得だと気づいたからだ。マンションは、それから借りやすくなった。外国人などは、保証人などいなくても借りられるようになった。

 面白い話がある。藤岡と木村が気に入った部屋があったが、叔父に当たる木村が保証人になると言うと、大家がOKを出さなかった。そこで木村が、よしと言い、この部屋を封印する。三年間は、誰も借りないよと藤岡に言った。

 その言葉通り、その部屋は三年間誰も入る気配がなかった。

 藤岡は面白いのと、木村が、そんなことをする人間だとは思わなかった。しかし驚いた。木村は、こんな素晴らしい人が入るというのに、それを大家が感じられないのなら、感じるように教えて上げるのさと言った。

 木村が、どうしてそんなことが出来るのかと藤岡は思ったが、さもありなんと思うようになった。藤岡の目覚めだった。そういうことが出来る人もがいるということだ。

 「木村さんは、横文字、英語が覚えられないのに、どうして祝詞の長いの覚えられるの」 と子供のように木村に尋ねた。

 「人それぞれ、得意分野があるんだよ」

 それから藤岡が、木村の不思議な力を頼むようになる。どうしても助けたい人がいると、その人のためにと木村にお願いするのだ。

 そして、時に時間のある日は、木村に心霊や宗教の話を尋ねるようになった。

 特に、宗教曲を歌うために、聖書の講義を迫った。すると木村は、沢山ある聖書の中から一書を選び、毎日藤岡に講義を始めた。ヨハネの福音書である。マタイではなかった。木村が言う。

 「ヨハネが一番、精神的にキリストを捕らえている。物語りではなく、イエスの言いたかったことを素直に信じて、その心を伝えているからね」

 と答えた。

 最初は、木村が少し読み、それを解釈する。そのうちに、藤岡が質問する。その質問を聞いて木村は

 「あんた、よく解るね」

 と感心した。質問出来る程、理解したということである。

 始めの頃は、藤岡もよく理解出来なかったのだ。一体、何を言っているのかと。イエスがなんでそんな傲慢に物が言えるんだと思ったのだ。そんな単純な質問にも木村は答えた。 そして宗教曲の本質だった。

 バッハはプロテスタントでありながら、カトリックの典礼としての曲を書いたのである。その理由を知る者はいないとは木村の言い分である。

 新教とは言え、実はプロテスタントは、ユダヤ教の原理主義に戻っただけである。聖書を最も重要視し、そしてその解釈を広義にしたのである。つまり、それはカトリックの再生を促すためのものであり、教会の権利を更に強くするものであった。プロテスタントによって、カトリックはより強固になったのであると木村は考える。そして、木村はもっと進んで、独自の霊学と古神道により、ユダヤ、キリスト教の霊界は、民族神によって成り立ち、イエスは、その嫉妬と裁きの民族神からの解放を叫んだ。それにより、十字架刑に処せられたのであると。

 「キリスト以前の神は、怒りの神だった。しかしキリストからは愛の神となった。それが世界宗教への道になった」

 と木村が言う。

 「元の神は、神じゃあないの」

 藤岡が尋く。

 「魔神だよ」

 「そんなこと言っていいの」

 「言論の自由だ」

 藤岡の知らない世界である。それはまた刺激的だった。

 藤岡は、宗教曲のみのリサイタルを二度行っている。一度目は、近江楽堂でのオルガン伴奏によるもの。二度目は、横浜市内のホールで、チェンバロとチェロ伴奏によるものである。(それはすべて録音してあり、木村はCD制作を考えていたが、藤岡がそれを善しとしなかった。しかしそれは、藤岡の亡き後、音調整をしてリサイタルの形で聴くことが出来るようになった)

 母親が横浜に引っ越ししたのは、寒い二月だった。

 荷物を運んで来た藤岡が木村に開口一番言った。

 「木村さん、間一髪だったよ」

 「どうしたの」

 「後一日、遅かったら、母はベランダから落ちて死んでいたよ」

 「えっ」

 「物干し台の端が壊れたんだ。洗濯物を毎日干しているから、一日遅かったら、あの物干し台にもたれて下に落ちていたんだよ」

 それを聞いた木村は黙って頷いただけだった。

 そして二人は、遠い先の予言を暗示しているとは思わなかった。


2006/7/31掲載


目次へ    TOP

Copyright(C) 2004 officeTW2 All right reserved.