|
藤岡宣男物語り25 高円寺 綾
日本カウンターテナー協会
母親が越して来た年、藤岡は木村と日本カウンターテナー協会を設立する。
と言っても、大袈裟なものではない。数少ないカウンターテナーの存在を世に知らしめるための活動をしょうということである。
その会報紙に藤岡が書いたカウンターテナーとは、という文章がある。以下のものである。
その昔、教会音楽の世界では女人禁制の時代が長くありました。したがってその慣習にしたがい、当時の声楽では、高音部は、
1)声変わりの前の少年(ボーイソプラノ)
2)ファルセットで歌う成人男性(カウンターテナー)
3)去勢して声変わりを防いだ成人男性(カストラート)
でまかなわれることが多かったのです。
当時の人々は現代人とは異なり、高い声だから女性、低い声だから男性といった観念が薄く、逆に、輝かしくかつ深みのある高音(特にアルト)にヒロイズムを感じたようです。たとえばヘンデルのオペラでは、ジュリアス・シーザーはアルト、モーツァルトの初期のオペラでも王子様役はたいていアルトやメゾでした。
特にカストラートは、幼少の頃から、変声期に邪魔されることなく音楽の勉強と発声の訓練を続けることができたため、また、ホルモンの関係でからだが肥大化することで大きな楽器(胸郭など)を手に入れることができたため、抜群の声とテクニックを持つものも多く、17.18世紀にはオペラの世界で広く活躍しました。そのあたりのいろいろな事情については、映画「カストラート」で垣間見ることができます。まるで現代のヴィジュアル系バンドのように大人気でした。しかし、19世紀に入り、人道的見地からカストラートが衰退してからは、これらの役も女性が男装してズボン役として歌うことになります。
一方、カウンターテナーの方も、おもにイギリスでオラトリオなどの教会音楽を中心に生き残りつづけていました。しかし、かつてのカストーラトの地位に取って代わることはなかったようです。ロマン主義華やかなりしころのオペラ界では、性別と声の関係は現代より近くなります。また、より大きなホールで響き渡る大きな声が必要とされたため特別な場合をのぞいて、カウンターテナーがオペラで用いられることはありませんでした。
カウンターテナーはマイナーな存在でありながらも、絶えず存在しつづけました。特に教会合唱音楽では重要な役割を果たし続けました。そして、第二次世界大戦後、古楽を見直す動きの中で、再び注目されてゆくことになるのです。フランスの歴史論、アナール派の影響をうけ、音楽の世界でも新しい考え方が台頭してきます。
「当時の人の使っていたものを実際に使って、当時の人の感性を見ようとしたとき、当時の音楽のニュアンスが見えてくる。そうしてこそ、現代とどう違うのか比較検討でき、演奏の可能性の追求ができる」
こうして、カウンターテナーに再び光があたり始めたのです。
現在ではカストラートはいませんから、男性が高音を歌うその役目をカウンターテナーが担います。教会音楽、バロックオペラなどがおもな活躍の場です。また、イギリスの作曲家ブリテンは「真夏の夜の夢」のオベロン、「ベニスに死す」アポロなど、わざわざカウンターテナーのためにオペラの役を書いています。
カウンターテナーはファルセットを駆使するわけですが、そのため一般的には、通常のテノールやソプラノと声帯筋の使い方(緊張度)が違い、声量の面ではどうしても、マリア・カラスやパバロッティーのようにはなれないと言われています。しかしながら、歌手によってはヨッヘン・コワルスキーのように、オペレッタ「こうもり」でオルロフスキー男爵を演じてしまえるような声量の歌手もあらわれていますし、ブライアン・アサワのように、まったくファルセットを感じさせない、自然なタイプの声質の歌手もいます。まさにカウンターテナーは十人十色。(アンソロジーのCD「カストーラートの世界」(EMIクラシックス)等を聴いていただくのも面白いと思います)
現在では、本来の古楽、バッハ、ヘンデル等以外にも、ドイツリート、現代曲、セミクラシカルとさまざまなジャンルでの活躍が期待されます。
様々なジャンルでの活躍が期待されるとは、まさに、藤岡本人のことを言うようである。 一時期、藤岡は一番影響を受けたカウンターテナー、ブライアン・アサワに対して、深みに欠けると感じ始めたことがあった。
何げなくそれを木村に言うと、木村がすかさず
「そりゃそうだ、あんたの方がうまいからね。飽きるんだよ」
と驚くことを言った。
後に木村は、藤岡宣男の声質を称して、日本の伝統である「もののあわれ」があると言い、それは悲しみであり、哀しみであり、愛しいという情緒であると断定した。今までの声楽家が持ち得なかった、ようやく日本の声楽家として世界に立てる声楽家が現れたのであると。
二人で、カウンターテナーとして活動する者と逢うべく、連絡を取ることになる。その中の二人は、芸大にいるU君とA君であった。そして武蔵野音大卒のT君。異色だったのは、すでに活動していたMさんである。
五人のカウンターテナーのコンサートは、このメンバーで行われた。それについては、後ほど書くことになる。
2006/8/8掲載
|