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 公演の歴史

 ここで、藤岡がデビューした、2001年の最初のリサイタル前後の、コンサートの歴史をみる。

 1月、市川市のギャラリーサロン・グランパ、ニューイヤーコンサート出演。

 2月、国連クラシックライブ公演「そして森は生きている」出演。

 2月、最初のリサイタル、鎌倉、欧林堂。

 3月、鎌倉ムジカにて、リサイタル。

 4月、東京代々木上原、ムジカーザにて、リサイタル。

 5月、札幌、ジャスマックプラザにて、リサイタル。同じく、札幌にて、第1回アフタヌーンティーコンサートにて、ソロ出演。

 6月、ギャラリーサロン・グランパに出演。

 

 7月、新潟、だいしホールにてリサイタル。そして同じく、神戸にて、アカペラによるリサイタル。

 8月、東京オペラシティ、近江楽堂にて、リュートソングのリサイタル。

 同じく8月、東京ムジカーザでの、ジャズピアノによる、アメリカンポピュラーソングのリサイタルである。

 9月、鎌倉、恩寵教会での、リュートソングのリサイタル。

 10月、新潟での、ディナーでのソロコンサート。

 同じく、近江楽堂での、チェンバロによるリサイタル。

 11月、川口リリアでの、チンクエボーチェのコンサート出演。

 12月、東京、喜多見でのクリスマスコンサート出演。

 同じく、ランバンジャパンチャリティークリスマスパーティーのゲスト出演。

 

 無名とは言え、これだけのリサイタルとコンサートをこなしている。

 4月には、NHK第2放送、ラジオいきいき倶楽部「ちゅっと一息ティータイム」に生出演している。

 2月の、国連クラシックライブ出演の前日は、コマーシャルソング、スーパーロボット大戦の録音を取っている。

 この先日、木村は藤岡のために、東京にホテルを取り、録音が終わるのを待っていた。

 藤岡が戻ったのは、深夜を過ぎてである。

 歌い手には、ハードスケジュールであった。

 しかし、藤岡は、これがチャンスと、疲れもなんのそので行動した。

 コマーシャルソングが出来る過程が見えたということも、学びになった。

 そのコマーシャルの出来は上出来で、放送が流れると、問い合わせが多く、皆、女性が歌っているものだと思ったらしく、カウンターテナーという声質の男性ということが解ると、驚きの声が多かったという。

 カウンターテナーは、まだまだ認知されていないことが良く解ったのである。

 

 そういう意味でも藤岡は、自分によってカウンターテナーのイメージを創造するという意欲が湧いたものだった。

 日本では、唯一、米良というカウンターテナーが活躍しているようだが、目立たずに、活動をしているカウンターテナーも、ある程度いるということも知った。

 何とか、そういう人との連携で、カウンターテナーの認知度を広げたいと思った。

 それが、カウンターテナー協会の設立に発展するのだが。

 

 国連クラシックライブの舞台で、藤岡がシューベルトのアベマリアを熱唱した。

 客の多くは、藤岡が歌っているのではなく、テープを流していると勘違いした程、美しい声だった。

 しかし、終演して藤岡がロビーに出ると、人が群がった。皆、プログラムを持ち、サインを求めた。

 写真を要求する者もいた。

 藤岡は、これがスターなのだと感じた。こうして多くの人に見られ、評価される。評価の答えが、こうして人が集うことなのだと。

 

 大袈裟な衣装を身につけたまま、客のサインの求めに応じた。これが、藤岡の始まりだった。この時の経験が、後のミュージカル「りぼんの騎士」に生かされる。

 そのミュージカルのきっかけが、8月のアメリカンポピュラーソングのリサイタルである。その時、それを手掛ける音楽家、プロデューサーが客として来ていたのだ。

 どこから、縁がつながるか解らないのである。

 人生は、そうして人が運を運んでくる。

 木村の口癖を、藤岡が理解出来た時である。

2006/10/14掲載



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