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藤岡宣男物語り40 高円寺 綾
精力的活動
リボンの騎士が終わり、その後のコンサート活動を見る。
2002年9月、近江楽堂にて、ギターと共にリサイタル。
同じく9月、新宿文化センター小ホールにて、カウンターテナー青木洋也氏とジョイントコンサート。
10月、名古屋、ザ・コンサートホールにて、ソプラノ丹羽道子氏とのジョイントコンサート。
同じく10月、広島エリザベト大学ザビエルホールにて、青木洋也氏とジョイントコンサート。
同じく10月、横浜にて、バッハ、ヘンデルの宗教曲リサイタル。(この録音は、CDにするためにすでにマスターが出来上がっている)
同じく10月、東京開催、表現することは素晴らしいアート展、ゲスト出演。
11月、札幌にて、アカペラの響きリサイタル。
同じく11月、東京労音主催、北とぴあ、つつじホールに愛の歌コンサートゲスト出演。 同じく11月、東京、八重洲ホールにて、丹羽道子氏とジョイントリサイタル。
同じく、鎌倉第二回ハンノキコンサートにゲスト出演。
12月、ギターと共に、クリスマスコンサート。
同じく12月、横浜みなとみらい小ホールにて、クリスマスリサイタル。
上記は、東京労音以外は、オフィスTW2主催であるから、木村の企画である。
無名であるが、実に多くのコンサート、リサイタルを行っている。
芸大大学院古楽科に在籍していた、青木氏とのコンサートにより、藤岡は、確実に力量を掴んだ。青木氏は、バッハコレキュムジャパンなどに参加するカウンターテナーである。その相手と、十分にやり合うことが出来たのは、藤岡の自信につながった。
学ぶことが好きであるから、芸大の教授等からのアドバイスなども、実に参考になった。 また、バッハコレキュウムジャパンに参加するカウンターテナー、ロビン・プレイスの公開レッスンにも参加して、刺激を受けた。
ジャンルを問わずにやって行こうとする意識に、拍車がかかった。
藤岡はリサイタルのプログラムに必ず、日本の歌を入れた。それは、結果的に最後に行き着くのは、日本の歌であることを意識したからだ。日本人として、日本語の歌を歌うこと。それは、最も大切なコンセプトだった。
語学に堪能であればあるほど、日本語の美しさと、素晴らしさに気づくのだ。
日本の歌を入れることは、木村も大賛成だった。
「やっぱり、最後は、日本の歌をきいて、安心するんだよ」
木村が言う。藤岡は、それを否定しなかった。
カウンターテナーは古楽が主体であるが、藤岡が求めたカウンターテナーは、新しい姿だった。
それが後に、ポップス系の歌を歌うことにもなるのだ。
広島でのコンサートは、感慨深いものだった。自分が学んだ地でのコンサートである。過去の記憶が甦る。学生時代を過ごした土地である。
多くの知り合いに聴いて貰いたいと思ったが、積極的告知はしなかった。すべて木村の采配に任せた。お知らせすることが、強制的に思われては嫌だと思った。
しかし、それを聞き付けて懐かしい人の顔もあった。嬉しかった。
新幹線を降り、タクシーでエリザベト大学に向かう時だった。
タクシー運転手が、大学の玄関を知らないと言う。その物言いが、非常に傲慢だった。その時、木村の壮絶な言葉を聞いた。
「何言ってるの、あんた。私だって知らないんだよ。初めて来たんだ。ぐるっと回れ」
言葉の強さは知っていたが、それがあまりに激しくて藤岡もたじろいだ。と共に、それが藤岡の心にも刺さった。
どうして、そんなに木村が怒るのか、理解出来なかった。
藤岡は、非常に不愉快になった。
タクシー運転手は、物言わず、玄関を探した。雨が降っていたこともあるが、木村の真意が計り兼ねた。
怒ると、誰もが恐れを抱くと知っていたが、その時の木村は別人だった。
後で、そのことの意味を知る。
「広島のタクシーは、いつも、こうなんだよ。一度、広島に来た時も、その傲慢な態度に、怒り心頭になったが、友人がいたせいで、我慢した。日本のタクシーで、広島と、四国の丸亀のタクシーは最悪だ。いつか、徹底的に、言うことにしていた」
と言う。
「僕は具合が悪くなった」
藤岡が言った。
「悪かったけどね。今の時代は、言わなければ解らなくなった時代から言うことにしたんだ。前回は、親友の子供が小さくて、靴のまま座席に座ったんだ。すると、凄い剣幕で運転手が言った。抱いている子供の靴が汚い訳が無いのにだ。タクシーは、旅人にとって、その街の顔になる。その意識が無いなら、タクシー運転手などしないことだよ、馬鹿が」
木村は、まだ怒っていた。
木村は、一時期、三年程、日本全国をイベントの仕事で回っていた。色々な街の状況を知っていた。
しかし藤岡は、自分があんな風に言われたら、倒れてしまうと思った。
木村は、恐れ知らずの恥知らずと自分から名乗っているから、手の足も出せない。
タクシー運転手を殴る方が、まだましに思える程だったから、言葉の力は、凄いと別の意味で、感心した。
木村が祝詞を上げて、言霊の力を養っているという意味が少し理解出来た。言葉は剣よりも強いものなのだと。
それは、ひいては歌の言葉の力についても言えると思った。人の心に突き刺さる程の言葉の力で歌うことが出来るか。藤岡は、考えた。歌うことで、何かを訴えるとは、何か別の力、歌を歌うということ以外のものがあるように思えた。
それを意識するべきだろうか。このままを、続けて行くべきだろうかと。
外国語で歌う時、その言葉の力を、どの程度まで歌に凝縮出来るのか。意味の解らない人も、言葉の力で、何かを感じ取るだけの歌うを歌っているのか。
だが、木村が言う。
「あんたの歌には、素晴らしい日本の、あわれがある。今は、これ以上言わない。藤岡宣男のように歌える声楽家はいないよ。どんなに上手くても、言葉を知らないということだよ。言葉に意味があると思っているうちは、解らない。言葉に意味は無い。一音に意味がある。それが日本の言霊の思想だ。藤岡宣男は、無意識に、それを知っている。それを人は見抜けない。ただそれだけ」
時に、理解不能なことを木村は言う。
実は、藤岡は木村が怒ると、それに共鳴する。共感するとでも言おうか、だから、木村が怒ると、具合が悪くなる。木村と同化するからだ。
コンサートの前に、藤岡は安定剤を飲んだ。それ程、激しい木村の感情を受けてしまったのだ。
2006/12/20掲載
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