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藤岡宣男物語り41 高円寺 綾
カウンターテナー協会の活動
藤岡と木村が立ち上げたカウンターテナー協会の活動の一つだった、日本で活動するカウンターテナーのコンサート企画を二人で考え始めた。
五人を揃えてコンサートをしたいと言う木村に付き合い、芸大の大学院にいるU君と会うことになった。
U君が藤岡の存在を知っていたことから、すぐに親しくなり、三人で上野で飲むことになった。
U君お勧めの上野で、地酒を飲ませる居酒屋である。
藤岡が日本酒を飲めないことから、木村が最初にイタリア料理店で食事をすることにセッティングした。その後に居酒屋に出掛けた。
話は盛り上がり、楽しく過ごした。色々な情報をU君から聞くことが出来た。U君も胸襟を開いて、二人に接した。
藤岡はビールを飲み飲み、二人は日本酒を飲み始めた。酔うと、とんでもない話に発展する。藤岡は二人の話を聞いて、声を上げて笑った。
出身地の話で二人が盛り上がる。
北海道と四国の人の様である。そのうちに、方言が飛び出す。
馬鹿とかアホとか、激しい言葉が飛び散るのである。木村は
「こっちには、はんかくさいと言う言葉がある。そして最後は、丸くさい。はんかくさいは、まだ救いようがある。丸くさくなったら、全部馬鹿ということで、おしまい」
三人で笑った。
酔った木村とU君が、新宿二丁目に出ようということになり、タクシーを飛ばして新宿二丁目に向かった。
今度は、木村の番である。全国を回っていた頃から、新宿に通い20年程の付き合いの店もあった。
藤岡が声を出して笑うのは、久しぶりだった。
二人は、方言丸出しで話す。ゲイバーのママもたじろぐほどだ。
木村が言う。
「宣男君、もう電車ないよ、泊まってゆこう」
気づいたら、深夜を過ぎて、最終に間に合わない。それは納得していた。きっと、そうなるだろうと。
「いいよ」
U君はタクシーで帰り、二人は、ホテルを探した。
その時間ではホテルといえば、ラブホテルか、それに近いホテルしかない。歩いて駅に向かうのも面倒で、木村が決めたホテルに入る。
「値段の割に合わないね」
部屋に入って藤岡が言う。酔った木村は、
「いいよ、幽霊が出なければ」
と答える。
「ここ、いる」
「いるだろうよ、こんな場所だもの」
シャワーを浴びて、浴衣を着る。
藤岡は、顔の手入れをする。いつからか、顔の手入れを慎重にするようになった。舞台に立つ顔であるから、女性並に手入れをする。
木村がタバコをふかす。
「木村さん、タバコは駄目だよ」
「うん」
タバコを消した木村がシャワーを浴びた。
バスルームから出た木村が
「ここ、いるね」
と言う。もう慣れているから、平気だった。
「どうするの」
「別に。放っておく」
浅草の古いホテルに泊まった時、目覚めたら両側に男と女が寝ていたと言う。心中したカップルが、そのままいたというもので、そんな話は、よく聞いていた。
藤岡も気にぜす、木村の横に寝た。
「楽しかったねー」
木村が言う。
「びっくりしたよ、U君があんなに話すなんて」
実は、U君とは古楽コンクールで一緒だったこともあったのだ。その時は、顔を見たくらいで、入賞したのがU君だった。
その時、外人審査員の何人かが藤岡に、あなたの声は、実に美しい。ただ、こちらの声楽の考え方は、私たちと違うようだと言った。
つまり、叫ぶような声を、善しとする。U君は、藤岡の師事した先生の弟子についた経験があり、その発声の善し悪しはよく解った。確かに、強い声であり、藤岡も認めていた。それは個性であるから、競争すべきものではない。
藤岡は後に、一度、U君から指導を受けたことがある。藤岡は、習うことがある人には、年下であろうが、謙虚に耳を傾けて指導を受けた。
木村が回想して言う。
習うという気持ちが人一倍強くて、同期の者や、同門の人にさえ、習うべきものがあれば、願って教えを乞いに行ったと言う。
それは、本当に見習うべきものだったと。
木村は、そういう藤岡を尊敬したと言う。
遠藤周作没後10年の記念祭でゲスト出演した時、スペイン民謡を歌うことになった。その時、スペイン留学経験のある学生について、会話が出来る程、スペイン語を学んだという。
そういう話は、数限り無い。英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語と、藤岡は、持続して学んでいた。
師事する先生だと思うと、出掛けて学んでいたという。
音楽家は耳が命だ。藤岡は天性の耳の良さを持っていた。語学も、一度で覚える程の耳に良さは、音楽家として、全く見事なものだったと木村は言う。藤岡が英語の歌の発音を指導した際に、それを聞いた、イギリス人が感嘆したという。
翌日、二人は新宿駅近くの喫茶店で朝食を取り、横浜に戻った。
翌年の五人のカウンターテナーコンサートの企画が決定した。木村はすでにホールを押さえていたのである。
2006/12/27掲載
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