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 藤岡宣男物語り43 高円寺 綾

 2003年・新年

 98年に鎌倉に移転してから、六年目に入った。

 カウンターテナーを目指して六年間を過ごした。結果は、まだ出ない。しかし、歩みを止める訳にはゆかないのである。藤岡の男気というのであろうか。挫けない。前に進む。

 すでに新年からコンサート企画と予定が立っている。

 一月、すみだトリフォニーホール小ホールでの、「和の心・洋の心」の第二弾である。(記録録音として保存されている)

 二月には、五人のカウンターテナーとの共演である。それは、日本初となるものであった。ただし、木村の様々な告知によっても、マスコミ等は、取り上げなかった。

 強い者の味方をするのが、マスコミの姿勢であること、明々白日だった。

 

 年明けから藤岡は、木村の部屋に行き、練習をする。

 寒い時期である。四畳半の部屋で声だしするが、寒さで手のひらが冷たくなる。遠赤外線の暖房だけでは足りないのだが、狭い部屋には、それのみしか置けない。

 「木村さん、ほら」

 と言って、冷たい手のひらを差し出す。

 木村が辛い顔をして見る。

 「こっちの部屋に移動させてよ」

 と言うものの、物が詰まっている部屋の移動は困難だった。それを知っても、我が儘を言う。藤岡が発散出来るのは、この部屋であり、木村だけだった。

 通って来るお弟子さんたちも、その部屋でレッスンを受ける。そういう時は、あらかじめ、東側の部屋のエアコンを点けて、温めておく。

 兎に角、間に合わせの感覚だった。

 

 いつか、レッスン室を持ちたいと思う。そのいつかが、いつになるのか、解らない。

 辛抱する。我慢するしかない。

 その当時、レッスンに通っていたお弟子さんは言う。

 別に、問題はなかった。習うということだけで、寒さを感じなかった。それより、藤岡の歌声を聞いて感動して、泣いていたこともあると言う。藤岡が思っている以上に、お弟子さんは、藤岡に習うことが、僥倖だと思っていた。

 ソプラノなのに、何故カウンターテナーに習うのかと問われていた辻友子もその一人である。しかし、発声指導により、自分の声が変化したことを、実感として感じていた。そしてそれ以上に、歌うということの根源的な意味と感動を、藤岡を通して知ったのだった。

 その指導の様を聞いていたのが、木村である。

 それぞれが変化してゆくのを、知っていた。レッスンが終わると、奥から木村が出て来て、言う。

 「良くなったねー」

 藤岡は、それに頷く。

 指導が満足したものであることを喜ぶ。素直に喜ぶ。

 辻友子は、時に、木村からチョコレートや、北海道のジャガイモを貰った。

 「凄く良くなったから、これ食べて」

 それが、辻には心底嬉しかったという。

 藤岡と木村と自分との関わりに壁か取り払われたようだったと。

 

 藤岡は冬場に、精神的に落ち込むことが多かった。レッスン間際まで、リビングで寝ていることもあった。

 そんな時は、木村が藤岡が起き上がるまで、お弟子さんとの会話をする。

 準備をして貰う間、木村がリビングに来て

 「宣男君、どう。大丈夫」

 と尋く。木村に手を引いて貰い起き上がるのである。

 薬を頼りつつ、力を振り絞る。

 

 もう、何年薬を服用しているのだろうかと考える事がある。

 あの電車から降りた日を境に、木村に勧められて、精神科心療内科に行った。自分は、そんな性格では無いと思っていた。しかし、何かが弾けたかのように、不安感と、抑鬱感を抱いた。

 それを木村が分析した。

 子供のころからの頑張りが、こういう形で出たと。

 いつまでも、緊張していられない。特に、芸術活動に邁進するということは、感性が体からはみ出す。神経がはみ出せば、神経症になる。感性がはみ出せば、抑鬱にもなる。

 芸術家は、皆、それを受ける。当然のことである。

 だから、気分転換をうまくすること。しかし、生真面目な藤岡にとって、遊ぶということは、難しいことだった。後に、遊ぶということを実行するが、飽きてしまう。

 苛立つ気分の時は、きまって木村と喧嘩をした。言い争いである。最初は、木村も我慢しているが、次第に我慢を超える。

 互いに辛い思いを抱いて、言い争いをする。

 

 それでも藤岡は、他人から木村が批判されたりすると、即座に反撃した。

 自分がこうしてあるのは、木村のお陰であると思う。しかし、それを無視されると、激高するのだ。勿論、スマートな対応を心掛ける藤岡であるから、余程のことが無い限り、表には現さない。

 一度、信頼している者から、木村についてのメールを貰い、心底、迷ったことがあった。しかし、それも木村に打ち明けている。

 何故、木村は、こんな風に言われるのか、それが藤岡には、まだよく解らなかった。

 木村の何が、人をして言わせるのかである。

 目立つ、言動が激しい。誤解を招く等々。

 藤岡と一緒にいても、木村の方が目立つと言われても、どうしょうもないこと。しかし、それを批判されると、言葉に詰まる。

 何故、人は、木村の存在を煙たく思うのか。これも藤岡の悩みとなった。しかし、いずれ、それが藤岡に理解されるようになる。

 そのきっかけが、ある言葉だった。着物を着ている。そして、宗教をやっているという噂を聞いた時、悟ったのだ。理解出来ないものを、人は排除しようとする。そして、理解の範疇に入れようとする。

 よく理解出来ないものを、宗教という枠に入れるという驚きだった。そして、もっと驚いたことは、自分の存在が、木村の宗教の広告塔になるというものである。

 唖然呆然とした。

 木村の知識と教養の幅の広さを知らない。大学の教授と言うならば、理解するのであろうが、無名の人であるから、判断する材料がない。つまり、肩書である。この世は、特に、日本人は、肩書を必要とする。

 だから、無益なコンクールが流行るのである。

 兎に角、何か権威めいたもののお墨付きが必要なのである。もの最も良い例が、テレビに出るというものだ。

 藤岡が、テレビに出たいと思うようになる一端がある。

 

 二人の会話で面白いものがある。

 「木村さんは、頭がいい」

 藤岡が言う。

 「何いってんの、あんたの方が、数段、いや、比べられない程、頭がいいんだよ」

 と木村が答える。

 「違うよ木村さん、僕は、学校の試験の勉強をしたけれど、木村さんが学んだようなことを知らないんだよ」

 「私は、覚えられない」

 「覚えることでなくて、創造する力が、本当に頭が良いということだよ。僕は作曲や、小説を書くことは出来ない。精々、論文を書く程度」

 「私は、論文なんか、書けないよ」

 「論文を本当に読んでみてよ。驚くよ。創造力の無いことに」

 「まあ、色々な価値観があるけど、私は、頭が悪い」

 「いや、違う」

 延々と、二人の話が続くのである。

2007/1/14掲載



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