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藤岡宣男物語り46 高円寺 綾
名曲・逢いたくて
五人のカウンターテナー共演の「飛べカウンターテナー」のコンサートを終えても、寒い日々が続いた。
そんな中、藤岡は、オリジナル曲のCD録音のために、楽曲の練習を始めていた。
後のCD「風のいざない」である。
2001年の初リサイタルから、藤岡のアンコールは、バッハ・グノーのアベマリアだったが、2002年の三月を過ぎた頃から、アンコールは「逢いたくて」を歌った。
木村天山作詞、田原奈津代作曲である。
それを含めた、オリジナル曲、六曲である。
三月一日がレコーディングの予定である。
作曲家Oから、楽曲のMDと楽譜が送られて、それを毎日練習する。
木村の曲が二曲、そして他の作詞家の曲が、四曲である。
木村の「アガスティア」という曲も、田原の作曲であり、それは実に難しいものだった。繰り返しの曲ではない。終わりまで、語りのような詞である。
実は、それを木村は、札幌で藤岡と出会った時に作詞していたのである。
何人かの作曲をする者に渡していたが、誰ひとり手をつけなかった。というより、手を付けられなかったのである。
木村が、振り返って言う。
クラシックの作曲家は、現代曲というのか、訳の解らない作曲を善しとする。話しにならなかった。当然、私の詩は、大和言葉によるものであるから、不満なのであろうと。
もっと、えげつないものや、突拍子も無い詩を欲していたとしか、思えないと言う。
結局、名古屋にいる田原奈津代だけが、それにすぐさま曲をつけた。彼女は、実に、一般的であり、多くホテル等での作曲を請け負っていたので、木村の希望する、誰もが歌うことの出来るもの。ごく自然に、歌えるものとの希望を叶えた。
藤岡も、逢いたくてを気に入った。
後に、NHKのBSに出演した時にも、登場の時に、それを歌った。
藤岡が木村のリビングでMDを聴く時に、木村も一緒に聴いていた。
曲を覚えるために、藤岡が軽くハミングしたり、歌う。
自分のものにするために、練習する。自分だけの曲である。
勿論、この企画も木村が立てた。藤岡の路線を、少しだけ変更したいと思った。それは藤岡の意志でもあった。持ち歌を持つ、声楽家である。
それを十分にマスターすることが出来るだけの能力と、才能が藤岡にはあった。
声楽は再現芸術である。
しかし、オリジナル曲は、最初に歌う者に、多くのイメージを負う。後に、藤岡が、ポップス系に刺激を受けて、クラシックにポップスの色を掛けたいと考える伏線が、その時にあった。藤岡の目覚めを促したとでもいう。
そのレコーディングの前に、和の心、洋の心の第二弾、第二夜のリサイタルがあった。それの合わせも行いつつ、レコーディングの準備をする。
また、半年先のコンサートの予定も出来上がっていた。それらは、主に日本の歌が多くなっていた。歌曲や童話である。
昭和歌謡に行くまでには、もう少し時間が必要だった。
しかし、木村は満足していた。前々から、藤岡に日本の歌を主にしてコンサートをして貰いたいと願っていた。それは、声楽家の日本の歌が、日本語になっていないからである。日本語に聞こえない日本の歌を、いくら歌っても詮無いことだった。
藤岡の日本の歌、日本語の歌は、誰もが近づくことが出来ない完成度があった。
初恋、からたちの花を聴き続けた木村の、本懐だった。
「あれほど質の高い、初恋や、からたちの花を、聴いたことがなかった」
と木村は、言う。
そしてアカペラの「うぐひす」である。
何度聴いても、絶句したと木村は言う。それはコンサート会場だけではない。練習の「うぐひす」も飽きる程聴いていた。その度に、言葉を失う程の、至芸があったという。
三月一日、木村が先に出掛けた。名古屋からやって来る田原奈津代と待ち合わせてスタジオ入りするためである。
藤岡は、準備が整う時間に、渋谷のスタジオに入ることになっていた。
その前に、木村の部屋で練習をした。
花粉症の時期にかかり、万全の対策をしていた。
歌い手にとって、花粉症は、大敵である。
出掛ける前に、木村が用意していた漢方茶を飲みつつ、軽く声だしをする。
まさか、オリジナル曲をレコーディングするとは、考えもしなかったことである。人生、どんな風に進んで行くのか、解らないものである。
一日から三日間の予定でレコーディングを済ませる予定であった。
藤岡は、歌うだけである。後は、どのようなアレンジがつくのか知らない。兎に角、歌うことであった。
渋谷駅に着いて、木村に電話をして、地図を見てスタジオを探す。藤岡は、方向音痴である。
「こっちから、向かうから」
と木村が言う。
陸橋を渡り、言われた通りに、真っすぐ進む。
気づくと、木村が進む前に立って待っている。手を振って、歩く。
「お握り食べた」
木村が尋く。
「うん」
「弁当も用意してあるよ」
「どんな感じ」
藤岡が尋く。
「よく解らないけど、後は歌えばいいだけさ。田原さんも来ている」
田原は一日だけの予定なので、田原作曲の二曲を最初にするのだろうと思った。
スタジオには、作曲家二人、お手伝い二人、技術者二人が揃っていた。
「おはようございます」
「よろしくお願いします」
スタジオの技術者二人が名刺を出した。
多くの機材が目に入る。
ここからも、また出発なのだと藤岡は、決心した。
2007/2/10掲載
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