物語目次    TOP

 

 藤岡宣男物語り48 高円寺 綾

 出雲大社参拝

 2003年3月は、オフィスの主催コンサートが一度、そしてヴァイオリンのリサイタルへのゲスト出演であった。

 翌四月も、ヴァイオリンリサイタルのゲストを務めて、出雲市にての、ジョイントリサイタルを開催した。

 チェンバロのAさんの縁である。

 初日は、出雲市大社町、翌日は、松江市総合文化センター、プラバホールにてのコンサートだった。

 大社町のコンサートの日に、出雲入りした。

 木村も一緒である。

 

 出雲市大社町は、出雲大社の門前町である。

 国譲りをした、大国主命が奉られてある。

 国津神の総代であり、冥世の大神として、死後の世界を司る。天津神の天照大神に、国譲りをし、そのお礼に、天照大神と同じ神殿を与えられたといわれる。その神殿の跡が、発見されて、話題を呼んだ。神殿の柱の跡が、モニュメントとして、足下にある。

 

 Aさんの御祖父様の計らいで、大社にお参りすることになった。単なる参拝ではない、内宮の手前、つまり神殿奥の大国主命がおられる住まいの入り口、天皇陛下が入る門の手前での参拝である。

 藤岡と木村、そしてチェロ弾きのM君とAさんの御祖父様の四人で参った。

 参拝する前に、神主から清め祓を受ける。

 四人が並ぶと、神主が御幣を一振りして

 「祓いたまえ、清めたまえ」

 と、唱える。一同は頭を垂れて、それを受けた。

 木村が代表して、入り口の門の前に立ち、四度柏手を打つのに、三人が唱和した。

 厳かな雰囲気である。

 一同の参拝が終わると、一人の若い神主が案内する。

 大社の宝物伝である。

 藤岡が木村に

 「木村さんと同じ言葉を言ったね」

 と木村に言う。

 祓い給え、清めたまえとは、いつも木村が口にしていた言葉である。

 木村は黙って頷いた。

 

 若い神主の説明を聞いて、30分程過ごし、控えの間でお茶をいただいた。

 大社の総務部長という方が出られて三人に贈り物を差し出した。

 木村がそれを受け取る。

 特別扱いになっているのは、Aさんの御祖父様のお陰だった。

 藤岡は、母が喜ぶと思った。何よりのお土産になった。

 その後、Aさんの御祖父様の家に立ち寄り、出雲蕎麦を御馳走になる。

 打ち立ての蕎麦である。それが、旨い。

 歯ごたえがあり、蕎麦そのものを食べているという感触だ。藤岡は一度で、出雲蕎麦を気に入ったが、木村も同じだった。

 小さなお椀に重ねられてある蕎麦、一つ一つにツユをかけて食べるのである。椀子ソバの逆である。

 帰る日に、駅前の蕎麦屋で、温かい蕎麦を食べたのも、木村が是非温かい蕎麦も食べてみたいと言ったからだ。

 出雲市でのコンサートは盛況に終わり、翌日の松江でのコンサートも、思った以上の人入りで終わった。

 二泊目は、松江のホテルに泊まった。

 CDも多く売れて、残りをホテルから送り返した。

 すべての予定が終わり、藤岡は木村と二人で食事をした。

 木村は、次の企画を考えていた。

 「来年もう一度やりたいね」

 木村が言う。

 「早ければ、今年の暮れでもいい」

 今回は、チェンバロとのジョイントであった。出雲市では、ゲストとして藤岡が出た。松江は、オフィスの主催である。

 藤岡は、頷いて聞いた。

 コンサート後の充実感を感じて、次のことは木村に任せていた。

 

 こんな縁がなければ、出雲に来ることは無かった。

 神話の土地としての認識しかなかった。

 藤岡は、これから色々な土地に出掛けて行く自分を思った。

 いずれは、海外で歌いたいと思った。次に海外に出るのは、仕事で出たいというのが、願いだった。

 ローマやウイーンに出掛けたのは、みな、レッスンのためだったが、次は仕事で出掛けたい。それを木村に言うと

 「飛行機がね」

 と、言われる。

 木村は、飛行機が苦手だった。飛行機に乗り、パニック障害を発症したからだ。

 しかし、その頃は、ほとんど完治していた。

 それでも飛行機に乗る際には、安定剤を持ち歩いていた。

 「ヨーロッパまで何時間かかる」

 木村が言う。

 「10時間」

 「げーっ。駄目だ、そんなの」

 「いや、一緒に行ってもらう。僕が困るし」

 そういう時は、子供のようになる。

 「まあ、その時は、その時、考えるよ」

 

 出雲での公演は、その時の一度で終わった。

 二度と、出雲に行くことなく、藤岡は去った。

2007/2/26掲載



物語目次    TOP

Copyright(C) 2004 officeTW2 All right reserved.