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藤岡宣男物語り48 高円寺 綾
仙台公演
2003年4月は、地方公演が多かった。
出雲への公演の後は、仙台での初のコンサートであり、名古屋、そして札幌である。東京でも、一本開催している。この4月でも、6本の公演であった。
ギタリスト千葉真康の故郷、仙台での公演は大盛況だった。
予定人数の300名を超えた。
焦ったのは、木村である。
消防法の規定もあり、開場側がチェックしている。座席を増やすことが、木村の仕事だった。受付のお手伝いはいるが、後のことは、すべて木村一人でやる。
会場の中を木村が走り回る。
藤岡と千葉は、リハーサルをしていた。
次々と座席が増えるのを見て、藤岡は心躍らせた。
お客さんが一杯なんだと思うと、心底嬉しい。
着物の木村が汗を流している。
リハーサルを終えて、楽屋にいると、木村が入って言う。
「もう大変。座席が足りないかも。チケット分の座席がないよ」
藤岡も千葉も、笑顔で聞いたが、木村は汗だくになりながら、真実困っていた。
「もう、立ってもらうしかないかも」
千葉が
「急に来られなくなる人がいるかもしれません」
と言う。
「そうだと、いい」
再び、木村が出て行った。
「凄いねー、仙台」
藤岡が言う。
「初めてだからですよ」
千葉が答える。
開場したとみえて、ホールが騒がしくなった。
藤岡は、楽屋の扉を少し開けて見た。
続々と、お客様が入って来る。
花束を抱えた人もいる。
「千葉君のフアンの人だよ、きっと」
振り返って千葉に言う。
「花束を持っている」
千葉が笑う。
本番前、木村が挨拶している。
楽屋の二人は、立ち上がり、出る準備をした。
挨拶が終わると、木村が楽屋の扉を開けた。
藤岡が最初に、そして千葉が舞台に上がった。
拍手が風を起こした。
記念すべき、仙台公演の幕開けである。
その年の秋にもジョイントリサイタルを開催し、翌年も、二度コンサートを開催した。仙台公演は、定着した。
何事も、見切り発車をする木村の方法を、藤岡は知り尽くしていた。それを止めることは出来ない。結果的にやり通してしまうからである。
仙台のお手伝いの人も、コンサート時には、会場に入って聴く。その間、木村が案内にいる。そして、休憩になると、木村が入って来て、明かりを点ける。兎に角、一人でやる。やってしまうのである。
飄々としてやるものだから、周囲の人も当たり前だと思う。
そして、舞台の状況まで把握して、藤岡に注文をつける。藤岡も、そんな木村の言葉に従った。立ち位置までも、木村の言うとおりにした。そうして、自分は歌うことだけに、専念したのだ。それが良かった。
歌うことのみに、心が集中するから、無心になって歌の心に分け入る。
自分の響きを聴くことが出来るのだ。自分の声を聴くことは、容易ではない。ポップスのように、返しのスピーカーなどないから、自分の声の行くへを確認出来ないのだ。
声楽家は、皆そうである。後で、人の批評で知る。しかし、藤岡は、自分の声を聴いた。冷静に聴いた。
自分が、一番後ろの席で聴く気持ちで歌う。全体に均等に響く声である。それを追求した。ある人が、座席を変えて藤岡の歌を聴いて言った。
「どこで聴いても、同じ響きなんです。凄いです。前でも、後ろでも、同じなんです」
しかし、これが声楽家の歌であり、声である。前だけに響くというものではない。均等に会場全体に響くのである。だから、声楽家の意味がある。
大声で歌っても、後ろに響くことがなければ、プロとは言えない。その声を飛ばすという方法を、藤岡は身につけていた。
もちろん、一朝一夕に出来たものではない。
体を楽器にするべく、様々な試みをして、編み出したものである。
アンコールが終わって、木村が最後の挨拶をする。
コンサートで、主催者が挨拶をするというのも、木村が初めてである。それを怪訝に思う客もいたが、そんなことは、どうでもいいことだった。
木村が言う。
「わたしの挨拶、そんなもの、どうでもいいの、歌さえ、コンサートさえ、満足してくれれば、付け足しなんだから、いいじゃない、挨拶したって。聞きたくない人は、帰ればいいんだから。コンサートは終わったんだよって言っているだけ」
心の欲するところに従って、事を成すということだ。それが木村の流儀である。
藤岡も、それについて何も言うことはなかった。
2007/3/7掲載
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