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 藤岡宣男物語り51 高円寺 綾

 三田文学編集長

 それは、レッスンに通っていた、辻友子からの縁だった。

 辻友子は、作家、遠藤周作の樹座に参加していた関係から、三田文学編集長K氏に縁していた。そのK氏が藤岡のリサイタルに数回来ていた。

 藤岡の歌声に感動し、支持してくれていた。

 辻友子を通して、遠藤周作没後七年の記念公演の依頼があった。

 前夜祭と、遠藤作品の「侍によせて」で歌う企画だった。

 

 「侍」という小説は、支倉常長がモデルの小説である。時の仙台藩の意向により、ヨーロッパへ旅する小説である。史実を元にした実話に近いものである。

 その朗読と音楽の公演だった。藤岡は、スペインのシーンでの一幕を任せられる。

 スペインといえば、ギターである。千葉真康との共演になった。

 半年後の企画であるから、十分に準備が出来る。快く承諾した。

 

 台本が送られてきて、藤岡は千葉と共に、曲の選定を考えた。

 スペイン民謡を歌う。

 それからスペイン語の学びを始めた。ここが、藤岡の性格である。スペイン留学の経験者を探し、スペイン語を学ぶことにした。

 会話が出来る程度に、スペイン語をマスターすることだった。歌のためには、それが必要だった。単に歌を歌うのではない。スペインの言葉の感触をつかむために、会話程度をマスターするという意気込みである。

 藤岡は、小学生の頃から語学が好きで、その頃テレビを見て中国語を学んでいたという。 歌の道に生きると決めてからは、イタリア歌曲、ドイツリートを歌うために、イタリア語、ドイツ語を学んでいた。それだけではない。フランス語までも手をつけた。

 鎌倉に住んでいた頃から、横浜に出て、それらを学んでいたのだ。また、教育テレビをビデオに撮り、暇さえあれば、それを見て学んでいた。

 藤岡の亡き後、その教材の多さに、木村は驚いている。

 昔、木村が聖書を学ぶために準備した、ラテン語の辞書までにも手を伸ばした。そして宗教曲を歌うために、木村からヨハネの福音書を学んでいる。

 兎に角、藤岡は学ぶという行為が好きだったといえる。

 それをしっかりと、ノートにまとめることも几帳面にしていた。

 木村の手元には、小学生時代からの、それらが多数あるという。

 

 K氏とは、コンサート後に、時々会食をするようになった。

 K氏が連れてくる若者達との交流も楽しいものだった。三田文学関係の若者達である。また、慶応大学の学生等々である。

 藤岡のスマートさは、彼らの気持ちを曳き付けた。

 中でもフランス文学専攻のY君は、コンサートに頻繁に顔を出すようになり、オフィスの身内のような付き合いになった。

 そのY君も、今度の企画のスタッフとして参加した。

 

 2003年9月の日までは、間がある。

 この物語りは、それ以前の出来事に戻ることにする。

 仙台公演を終えて、名古屋公演、そして二大カウンターテナー公演を東京、日暮里で開催する。

 翌5月は、札幌での公演で、チェンバロのAさんとの共演である。

 すべて、オフィスTW2の主催公演だった。

 

 名古屋の縁は、藤岡が札幌から出て来て師事した先生の門下のMさんとの、縁からだった。藤岡と気が合うMさんは、矢張り、七年間師事した先生の元を離れて、地元名古屋に戻り活動していた。

 木村が、Mさんに発案して、コンサートの企画が始まった。

 今回は、二度目であり、藤岡のリサイタルということで、日本の歌レクチャーコンサートとして開催した。ゲストがMさんである。ピアノ伴奏も、Mさんの縁により、名古屋の方をお願いした。

 実は、この名古屋のMさんの友人から、田原奈津子さんという作曲家を紹介されて、あの名曲、「逢いたくて」が生まれた。

 それ以後、藤岡亡き後も、田原奈津代さんは、木村の作詞に曲を付けている。

 

 現在では、20曲以上を田原さんが作曲し、続けて多くの作詞を木村が提出している。

 誰もが作曲に、戸惑っていたが、田原さんは、やすやすと作曲した。

 アガスティアという曲は、藤岡も、どうやって曲のするのかと訝しんだが、田原さんは何の事なく、曲がつけにくいだろう作詞に作曲した。

 藤岡が木村に言った。

 「すぐにやる人に適わないね。皆、作曲出来なかったんだよ、詩が難しくて」

 インドの知恵の神といわれる、アガティアをモデルにした詩である。最初から最後まで、曲がつけられた。それを歌うということも大変なことであったが、藤岡は、それを成した。今は、風のいざないというCDに収められている。

 

 次々とのコンサートは、藤岡を舞台人にしていった。

 舞台により、藤岡はプロになっていったと言ってよい。

 二年間で、40数回のリサイタルを行っている。

 そんな中で、リサイタルは練習ではありませんなどという、嫌みのメールもあったが、激怒した木村が、返事を書くと言ったが、藤岡は笑って、こんなの放っておこ、との一言で、木村も止めにした。

 音大の教授というから、やっかみ、嫉妬なのだろう。自分は、リサイタルも出来ずに、悶々として過ごしている。すいすいと、リサイタルをする藤岡に悪心を抱いたのである。

 木村が藤岡に言った。

 「こういうのって、弟子にも嫉妬するんだよ。そして、自分より上手な弟子を潰すんだ。大半の教授は、こういう程度だ。だから、クラシックの世界は、終わっている。でもね、和芸の世界も、こういうの多い。特に、女が多いね。救われない者は、女だ」

 木村の女嫌いは、徹底していた。

 「家康も、腹は借り腹って言う。女の役目は、子供を生むこと。それを知っている男は、天下を取るね」

 女を自由にすると、何事も収集がつかなくなる。

 ただし、ここで言う女とは、女性性と考えてよい。差別ではなく、区別をしていたのである、木村は。

 「男の子に優しいもね」

 藤岡が言う。

 「男の子が好きだからね」

 「男でも馬鹿が多いよ」

 「それはね、当然。私はアホ、他は皆馬鹿。それでいいじゃん。皆、裸になれば、アホか馬鹿で。そのうち、死ぬ」

 話は尽きない。

2007/3/20掲載


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