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藤岡宣男物語り55 高円寺 綾
初秋
風に空きを微かに感じる時がある。
藤岡宣男は佇む。
どこか遠い土地に行きたくなる。
イギリス、フランス、イタリア、いやニューヨーク等々、色々思う。でも、と、そこで考えが止まる。自分には母親がいる。一人にして出掛けることは出来ない。一週間や10日程度なら良いが、一年も二年も、無理である。
母親は自分で面倒をみると決めている。
「遠藤周作没後七年によせて」その前夜祭と「侍によせて」に出演する。
ギタリストの千葉真康との合わせが続いた。都内のスタジオでの通し稽古があった。何度も繰り返すうちに、遠藤周作の「侍」という小説に入ってゆく。
支倉常長をモデルにした、格調の高い小説である。藤岡は、沈黙という小説より、共感するものがあった。全く、未知の世界への旅である。そしてキリシタンという宗教への帰依。壮絶な心境の変化を小説によって体験した。作家の想像力とは、凄まじいものである。
前夜祭のリハーサルは、昼過ぎからである。
木村と共に、紀尾井ホールに向かった。急な坂を上がると、紀尾井ホールがある。
いつか、このホールでも歌ってみたいと思ったことがある。それが叶えられた。
楽屋には、有名役者もいた。テレビで顔を見て知っていた。共演者となり、前から親しかった者のように接してくれる。
リハーサルを舞台の後ろで木村が見ていた。
一度のリハーサルで十分だった。それだけ千葉と合わせをしていたのだ。
木村も何も言わない。
本番を待つ間、外に出て食事をした。
坂道にある、中華料理の店であるが、中華の定食屋といった雰囲気である。木村の好みそうなところである。
千葉と、藤岡の弟子に当たる辻、そして木村と四人で、それぞれの物を注文した。
本番の内容については、全く誰も触れない。
藤岡も緊張感は無い。木村と辻が話すことを黙って聞いていた。それに千葉が加わる。
木村と辻が、侍の小説について話した。
「沈黙と侍は、最も共感した小説だった」
と木村が言うと、辻も同感した。
それぞれの箇所について、二人が話す。
「純文学を書くと10キロ痩せたと言っていたね」
木村が言う。
「そうみたいですね」
辻が答える。
「私は、無理だね。小説家は、体に悪い。余程の才能がなければ、無理無理。職業作家にはなれない。趣味で書いているうちが花」
木村も小説を聞いて30年を経ている。
「何度応募しても、箸にも棒にもならなかった。一度だけね、エロ小説を書いて最終審査までいったの、それでね、よしと思って、愚かにも小説家を目指して、今は、こんなの」 皆が笑った。
「木村さんは、詰めが甘いの」
藤岡が言った。
「良く解るね。長い文章書いていると、頭悪いから、こんがらかるんだよ。何を書いていたのか、解らなくなる」
木村が新聞にエッセイを書いている時に、藤岡がよく添削した。
「突然、省略になるからね、木村さんは」
と藤岡が言うと、皆、笑った。
心地よい秋風を感じて坂を上がる。
藤岡と千葉が楽屋に入る。
木村と辻は藤岡のCDを受付に並べた。
楽屋では、出演者と藤岡が何でもないことを話す。そして、微妙に親近感を増す。
手伝いの三田文学の学生が藤岡と千葉を呼びに来た。
舞台の立ち位置の確認であった。
前夜祭は、ゲストのトークと歌だけである。秋吉久美子と三浦朱門等々である。その後、藤岡と千葉のコーナーである。歌は別にソプラノ歌手も出演した。
本番を待つはがりになり、楽屋で藤岡はリラックス体操をする。それを見ていた朗読の役者が、藤岡にその意味を尋ねる。
こういう時、藤岡は丁寧に教える。そして親しみを増す。
藤岡はアカペラの「うぐひす」を歌った。その前に朗読が入った。
終わった後でケチをつけたのは、木村である。
「あの朗読は、うぐひすじゃなくて、アホひすだ。棒読み、念仏読みっていうんだよ」
そして、それを真似る。
「木村さん、いいよ。聞かれる」
藤岡は、木村の行動にハラハラする。誰が見ていても、平気である。
その夜は、近くに泊まろうかという木村に、帰ると藤岡は言った。お金がかかる。でも、木村には
「家の方が眠られるから」
と言った。
「また、明日、電車で来るの、大義だ」
木村が言うが、藤岡の言いなりに帰ることになった。
本当は藤岡も、泊まってもいいと思ったが、余計な出費をすることが嫌だった。
「兎に角、藤岡は倹約家だった」と木村が言う。
温泉や旅に誘っても「もったいない」と言った。
木村は、藤岡亡き後、無理にでも連れて行けば良かったと言う。
安い海外旅行も、仕事じゃなきゃ、僕は海外に行かないと言っていたと言う。
2003年9月は、その他、札幌の「日本の歌レクチャーコンサート」横浜での第一回「天山歌座」が開催された。天山歌座は、いずれジャンルを問わないコンサートにするというもので、藤岡も出演した。
その時、初めて古賀政男の「影を慕いて」を歌った。昭和歌謡を歌う最初である。
木村は言う。50枚のコピーのチラシを作り、お客は、25,6人だった。チラシの枚数から言うと、大変なお客の数だったと。
赤字コンサートも何のそのと、木村は考えていた。
有名でなければ、客が入らないのは、どの分野にも言える。クラシックコンサートなども、弟子を多く持つ人は客が多い。それを持って、客が多いと思っている。
知らない人が来ること、それが一番大切なこと。そして、続けて来てくれること。
しかし、それは並大抵のことではなかった。
「コンサートが多すぎる」
と藤岡が木村と喧嘩をする。
確かにコンサートが多い。特に、クラシックでは多すぎる程開催していた。
客が少ない中で歌う藤岡の心境は、言いようがない。
木村は、今、その藤岡の心境を追体験するべく、自分のコンサートを開催していると言う。客が少なかった藤岡の気持ちを感じたいと。痛いほど、それを感じたいと言う。
有名で人が集まることは簡単なことで。しかし、有名な人も、最初は無名だった。いつ、チャンスが来るか解らない。だから、続けて開催したと木村は言う。
藤岡と木村の言い争いは、そこにあった。
しなければ、辛さも無い。だが、しなければ始まらない。
歌い続けて、その続けることに意味を持つこと。それが木村の考えである。しかし、実際的に多くの負担は、木村が負う。そして精神的負担は、藤岡が負う。どちらが、どちらとは言えない。
藤岡は、一人になる時、なるべくコンサートのことは考えなかった。予定が決まれば、それに従った。ただ、終わった後で、少ない客の数のことで、木村と喧嘩をする。そうして、ストレスを発散した。
「木村さんは、僕を苦しめる。苦しめる」
木村は、一人でも多くの人に藤岡の歌をと思う。
互いに苦しい。
何故、そんなに苦難の道を行くのか。
二人にも、それが解らない。
藤岡が木村を責める。木村も言い訳が無い。
動きを止めたら、止まる。止まれば、進まない。
演歌でも、ポップスでも無い。クラシックから出た歌手を、どのように世の中に知らしめるか。藤岡と木村は、それを両極端の形で考え、進めていった。
誤解されるのは、当たり前。人は勝手なことを言う。それが世の中。
しかし、続ければいい。何事も続けていればいい。そこには、世に迎合する何物も無い。全く日の目を見ないということもある。徒労に終わる。お金も無くなる。
生活することと、やりたいことは別である。しかし、藤岡はウソの人生は嫌だと、歌だけの道を選んだ。無謀であり、純粋であった。
そしてその分、辛苦をなめた。
2007/4/23掲載
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