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 藤岡宣男物語り58 高円寺 綾

 詩人の恋、そして淡彩抄

 詩人の恋全曲と、淡彩抄全曲のリサイタルをする。

 藤岡自身がそれを決めた。

 ホールは、すでに半年前に取っている。

 そのための準備、練習をする。

 木村は、録音業者を呼んで、CDにすると言う。リサイタルだが、公開録音のようなリサイタルだ。

 

 シューマンの詩人の恋を全曲聴いてもらうのは、大変な労力である。藤岡は、聴くに耐えるような歌を歌いたいとレッスンした。それは、自分の音楽に対する感性が、すべて投入される。また、淡彩抄も、古語の日本語の歌詞である。よほど注意しないと、独断になる。勿論、詩人の恋も、淡彩抄も、影アナウンスで現代語に朗読することにした。

 朗読する者は、最後の最後まで、決めなかった。

 会場は、録音に良いホールということで選んであり、会場としては辺鄙な場所である。つまり、お客があまり集まらないということだ。しかし、木村は平気である。

 兎に角、ホールで歌うこと、それが木村の狙いだった。

 録音するのだから、逆に少ない客で良いという開き直りである。

 そして、チラシであった。

 シューマンが、シャーマンになって出来上がった。それを見つけたのは、藤岡である。激怒した。

 「だから、木村さん、必ず一度見せててっ言ったのに」

 黙って木村は聞いていた。しかし、藤岡が言い始めると、中々終わらない。しまいに、木村が

 「詩人の恋なんだから、シューマンに決まっていると思うけどねー」

 と言う。

 「そんな問題ではない。これなら素人だと思われる」

 「私、素人だし、私が変だって思われるんだから、さー」

 この問題は、これで終わらなかった。後々も、藤岡は木村を責めた。その理由もあった。しかし、今はそれについては語らない。

 練習は、順調に進んだ。

 ともすれば、散漫になる曲である。飽きられるようでは駄目だと思いつつ、詩の内容を吟味しつつ、静かに、その内容に入ってゆくような歌にする。

 それは、後にギター伴奏などでも歌うようになる程、身につけた。

 他の人が歌う、詩人の恋も聴いた。

 語学の才能ある藤岡は、語感を最も重要にした。

 語感、それは木村も言うものだった。言葉の命は語感だ。語感は、感性であるから、語感を聴けば、歌の出来不出来より、即座に歌える者か否かが解る。

 カタカナ英語、カタカナフランス語、カタカナイタリア語など、木村は聴くに耐えないと言う。言葉を知らなくても、それは解るものだという。

 藤岡の語感に関しては、言うことがなかったという。見事だったと。

 練習をすると、不調も感じなくなる。それが良かった。歌を歌うことで、超えられる。特に、舞台で歌うことが、藤岡の救いになった。

 詩人の恋よりも、問題は淡彩抄の古語だった。古語の語感は、難しい。日本語でありながら古語の語感を探るのは、外国語より労力がいる。聴く人も、意味を知ることは難しい。 淡彩抄を歌う前にも、現代語による訳を朗読することにした。

 それらの録音は、すべて保存されてあり、今は貴重なものになっている。

 

 木村は、古語に関して、藤岡に一切口だししなかったと言う。師事する先生に教えられていることで、混乱しないために、口だししなかったと言う。

 ただし、練習は、よく聴いていた。

 藤岡は、見事に語感を再現していたという。

 天の川という歌詞がある。

 天の川

 しらむ夜ごろは

 葦の葉の露もしとどに

 我妹子は薄衣かこちぬ

 なか空ゆ声の見ゆるは

 はや秋の鳥わたるらし

 現代語の日本語でさえ、満足に聴こえる声楽家の歌は少ない。古語ならば、もう何語で歌っているのか解らないだろうが、藤岡は違った。

 現代語の意味を踏まえて、細心の注意を払い、言葉にした、歌にした。

 

 当日、結局、詩人の恋、淡彩抄の現代語訳を木村が朗読した。

 受付に出ていた木村が開演すると、舞台裏に回り、朗読をしたから、知る客は驚いた。しかし、木村は平気である。

 出来る人間は、出来ることを、すべてすることであると、嘯くあたりは、新しいプロデューサーと言えるのだろう。しかし、批判は限りなくあり、それを聞くのは藤岡だった。 

 プロデューサーは、表に出ないものである等々の批判の数多くを藤岡は、聞いていた。 いかに、世の中が、既成の観念に沈んでいるのかを、藤岡自身、嫌というほど、知ったのである。

 このコンサートで、藤岡の声量が増したこと、響きが益々と飛ぶことを知った。

 しかし、録音業者が、今までの藤岡の録音調整で行った。それが元で、何度か、調整を繰り返すことになった。

 確実に、藤岡が成長している証拠だった。

 現在、その手直しした、数枚のマスターが残っている。

 木村は、それをホールの大きさに合わせて使用すると言う。

 実に、貴重な録音となった。

 2007/6/02掲載


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