コンサートであり、儀式でもあります。
この一年、多くの事を学びました。この年にして、驚くことが多く、それはまた、悲しみを深くするものでした。
百人がいれば百の価値観があるとは知っていても、共通する礼儀作法といものがあるだろうと考えていましたが、別でした。
その多くの無作法に佇み、この世に生きるということは、それらを受容しつつ生きることであると知ることが出来ました。
人に死に対する、人の想いが、実に呆気なく単純なものであることも。当事者でなければ知りえないことを、当事者以外の者が、知っているという思い込みと、勝手な解釈、いい気なものということも。
世に名のある者でも、その程度が知れるということも、よく解りました。
藤岡の敵討ちをするという気持ちは、今でも変わりません。しかしそれは、単に誰を打つということではなく、私の心のあり方であり、私の生き方です。
私は、誰にも恨みなどありません。
多くの誤解や中傷も、何ら問題はありません。私には、私の心のみがテーマなのです。
私が真実であるか否かが問題なのです。それは、私が霊界を知る者だからです。
私にとって、藤岡に逢うことが、最も幸せなことです。
そう誰一人のお客さまがいなくてもいいのです。私が問題なのです。私の納得なのです。私が藤岡にすることが正しいことなのです。そして私と藤岡が向き合うこと、それが私の重大事です。
世の中に対して、私は、求めるものがありません。何一つ、欲するものは、ありません。問題は、私の心なのです。最後に残るものは、心のあり方であることを、私は知り抜いています。
この世の物質の世界を超えると、そこは霊的世界です。
それを知る者の強みが私を支えます。
人間は、死んでも死にません。それは確実なことです。
霊的世界からは、すべてがお見通しです。その眼に耐えられる人になりたいと思います。