一年祭を終えて、感無量です。
この一年を藤岡の追悼コンサートにという思いを実行できたということは、私が私を信じられるということです。
私が私を信じられる。この人生で自分を信じることが出来た。藤岡のお蔭です。
批判や非難を受け、誰に頼まれもせず、私が思ったことを成した。そして、ここまで私に協力してくれた、藤岡のお弟子さんたち。残ったのは、ソプラノ辻友子、ピアノ辻あやかです。
私は、この二人のために命懸けで、舞台を掛けるという意欲に燃えています。
そして、ギターの千葉真康の無言の励まし。お客さま。
即座にマスコミに取り上げられて、即駄目になることがなかったことが救いです。
これからはマスコミが来ても、平気で成すことでしょう。
無名でも有名でも、やることは同じです。
そして、やり続けること。自分が決めたことさえ続けられないという不幸を、私は経ずにやることが出来ました。
霊的世界の眼は誤魔化すことが出来ません。
藤岡の眼を誤魔化すことは出来ません。
いよいよ、私は進むでしよう。
もののあわれを知り、大和魂を知り、日本の伝統を生きる。
知っているからこそ、出来るということです。
藤岡の歌の「もののあわれ」を私は行為できるのです。伝統は、万葉集、万葉集は日本の言葉、つまり精神です。
歌の道とは和歌の道です。
歌とは声楽ではありません。歌とは、言葉の世界であり、日本の伝統の聖典は、万葉集にあります。
藤岡の歌と、万葉集をつなげて、私は哲学を書くでしょう。
本日、藤岡の歌を聴いて、上手いと真実思い感じました。
藤岡の上手い歌を、どのようにして皆様に伝えるか、それが私の役目です。それは日本の伝統を伝えることと同じであるということ。
私は、また腹をくくり、この思いを天に投げ打ちます。
利休のように、私も切腹の構えで、行きます。
信長のように、小細工した者を斬りつけます。
そして天照のように、大和魂を持って生きる、所存です。