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時代の不幸

この時代は、観光旅行の如くである。
次から次と予定をこなす。この場に、しみじみと佇むことが出来ない。
風の音も、雨の音も、虫の音も、ただ、あっそうと通り過ぎるだけである。
兎に角、機械文明に使われて、どんどんと前に進む。もう人生が何であるのかという問いさえも捨てて。
そして、人生についての少しばかりの本を読み、感動するという嘘を平気でする。
一年前のことなど、太古の昔のように思う。
こういう状態を古人は、哀れであると言った。
聴くことも、観るという行為も捨てて、一体何が解るというのだろう。
解るということは、納得するということは、行為となることを知らない。
ゲスな興味のみに、大切な思考力を低下させて、実に哀れである。
そしてしまいに、妄想の宗教、霊感、霊能力を信じてしまう。
何一つ、確実なことを知らずに、生きていると思い込んで生きている。
いつの世も、無知と蒙昧にあったが、今はそれに加えて、傲慢不遜が加わり、一層、酷い状態になった。
これは、もはや救いようのない状態なのかもしれない。

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2006年09月21日 10:58に投稿されたエントリーのページです。

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