ベートーヴェン、ピアノソナタ第28番イ長調Op.101
1楽章では、三度ほど私は躓きそうになった。私は楽譜を知らない。しかし、その後は、波のうねりの様に音が引いては押し寄せて楽しんだ。ベートーヴェンに対する喧しいと思うイメージが変わった。後期の作品は、喧しくないと聞いていたので、納得した。
リストには、驚いた。「詩的で宗教的な調べ」より第三曲孤独の中の神の祝福。
私は、湖に深く沈みこむ感覚を覚えた。そして何と、私は、演奏中に沈黙、深い沈黙に沈んで行くのだった。また驚きは、深い静寂を感じた。ただ今、演奏をしていて音が出ているのだが、私は、静寂を感じていたのだ。
素晴らしい。リストは、なんて素晴らしい曲を書いたのかという思い。そして改めて、辻あやかが弾いているという事実に、気づいた。
演奏後、辻あやかは私に間違いがあったと言ったが、私には、それすら感じなかったのだ。つまり、間違ったという波動を出すことなく、弾き続けたということである。間違ったという波動を出せば、私は即座にそれを感じて、今、間違ったと気づく。つまり間違いも曲に変容させた。見事である。
リストは、アメリカ留学から帰った者の演奏を聴いたことがある。ガチャガチャ、バタバタ聴こえた。喧しい。リストとは、こんな曲なんだと思っていたが、全く違った。
一年後に、再び、同じプログラムで開催する。
さて次は、ショパンのプレリュード、エチュード全曲である。
私一人のために、弾いてもらうゆえ、小さなホールで開催する。素人のプロデューサーを満足させえないで、リサイタルもなにもない。プロに聴かせても詮無いこと。彼らの耳は破壊されている。私に聴かせよ。私を満足させよ。それでよし。
音は、波動である。音を音のみとして聴くのは、アホなプロである。
音は、色に支えられてある。それが宇宙の法則である。色が音に変容するのが、宇宙の法則である。音楽に素人の私は、霊学にプロである。