藤岡の敵討ちをすると言うと、誰かを想定する。
この私が誰か、人を敵にするものだろうか。そんなことがあるはずがない。
私の敵討ちは、この人生の不合理に、この人生のブラックジョークに、この人生の悪い冗談に、そしてこの人生の無明に、敵討ちをするのである。
文章を読めなくなった時代である。説明過多の小説が支持される時代である。
多くを語らないでおくが、語らないから、語れないと思っては見当違いだ。書き込めば書き込むほどに、真理から遠のくことがある。
しかし語らない、言わぬが花でもない。それは誤魔化しである。日本人は、少ない言葉で、多くを語った。和歌や俳句を見よ。歌に天地万物を宇宙を込める作法を言葉の世界で持つ民族であるる。饒舌は最後に饒舌で終わる。沈黙は、最後に沈黙で終わる。沈黙の重さを深さを知る人は幸いである。沈黙から言葉が溢れる時、歌が誕生する。