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善意について

さんざんに迷ったあげく、書くことにする。勿論、誤解され非難されることは、承知の上である。
四月から、財政再建団体に移行する夕張市の社会福祉協議会に、全国から支援物資が届いているという。年明け以降から電話が鳴りっぱなしであり、職員は、その対応と、支援物資の作業に追われ、通常の業務に支障が出て、ついに、今後は物資を受け付けないことに決めたという。
これが善意の形だと思う気持ちが、どこから出るのか、私には理解出来ない。
ある道内の大物歌手も、100万円の買い物をしに行ったという。その他、多々ある。
夕張市の問題が何か、と考えているのかと、私は佇む。
私も道産子だから、人事ではない。夕張市だけではなく、今、今後、どれだけの町や市が財政破綻するのか、わからない状態である。
自然災害の事態ではない。神戸や新潟の場合と違う。
可哀想であるという気持ちなのか・・・
この場合は、善意であるとは思えない。気休めの善意である。そして場合によっては、善魔ということにもなる。
個人で言えば、自己破産したのである。自己破産した場合は、どうなるのか。
自己責任である。それに伴う諸々の事を受けるのである。
何年にも渡って、放漫経営をしてきた結果のことであろう。市の幹部が粉飾決算をして、誤魔化してきた。国際映画祭等々の催しを私も知っている。
市民の市政への自覚等々が問われる。
夕張は炭鉱の町としてやってきた。そして全国にも、夕張メロンで知られる。
善意の行為は、持続して始めて生きる。その時の気分で何事かを成すということは、とんでもない過ちとなる。
物資を受け付けないという決断は、実に正しい。
問題が違うのである。
これから廃墟と化す町が多くなり、その度に、支援物資を送り続けるつもりなのか。焼け石に水ということになる。夕張市民が、どこまで自分の町を愛するのか、ここで問われる。町起こしを自分たちの手でしなければならないか、もしくは、町を捨てるということになる。市の職員は大量に退職する。要するに逃げる。
私は評論家や識者でないゆえ、これ以上の言葉は避けるが、どうしても支援したいと思うならば、金を出せ。
要するに、借金で首が回らなくなったのである。
例えば、世界的に誰もが批判できないような善意の人、マザーテレサに対しても、私は思うところがある。善意とは何かという問題を、いすれ真剣に問いたい。
日本には、まだまだ本当に善意が必要なところが多くある。それは政治、行政のテーマでもあろう。
支援を受けなければならない子供たちも沢山いる。いや、皆が支援しなければならない子供たちだ。
長くなるので、以下省略する。
思いつきの善意が相手を傷つける、相手の品位を貶めることも多々あることを言う。

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2007年02月09日 05:06に投稿されたエントリーのページです。

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