万葉集は、舒明天皇、そして斉明天皇により幕を開ける。
万葉の原点が、最初にある。
舒明天皇の、お隠れ遊ばされた後、皇后であられた宝皇女が皇極天皇となられ、大化の改新の発足により、皇位を孝徳天皇に譲れた。孝徳天皇が崩御すると、再び、斉明天皇として、皇位に就く。
天武天皇、天智天皇の母親である。
このお二人から、歌道が開始される。
ここで重大なことは、このお二人が、奇跡的に完成された、歌を読んだということではない。すでに、在った言葉の世界を受け継いでいるということである。
それ以前の、書き物になっていない、いや、厳密に言うと、書き物が残されていない、それはあったが、消滅させられたという、それ以前の歌の道、言葉の世界を有していたということである。
蘇我入鹿が中大兄皇子によって、殺害された後、その父、蘇我蝦夷は、屋敷に火を放ち、蔵書を焼いている。これが問題である。
現代も、歴史を正しく見ず、日本の歴史を闇に封じ込めようとする者どもがいるが、蘇我家と同じである。蘇我家は、蘇我天皇を目指したのである。あの時、中大兄皇子が立たなければ、今の日本は無い。
魔界関与の国になっていた。
蘇我馬子の父親、蘇我稲目が持ってきた仏教を立てて、蘇我王国を造る算段だった。それに聖徳太子が、どのように関わっていたのか、私には、不明である。その太子の家族は、蘇我入鹿によって、皆殺しに遭う。
聖徳太子の苦悩は、計り知れない。蘇我家との連立政権を持って、当たっていたが、時が至らずに、お隠れになった。どんな心境かを察するのは、不敬に当たる。よって、これは、以下省略する。
兎も角も、仏教思想、偽物の仏教である、それをもって、国造りを成そうとしたのは、蘇我家の存在がある。
和を持って貴し、などの言葉は、大和言葉であり、何も仏教からのものではない。聖徳太子は、蘇我家との関係を良好にするために、仏教を進んで取り入れたのである。
当時、日本に入ってきた仏教は、大乗仏教であり、それは、仏教ではなく、大乗教と言われる新興宗教である。
大乗仏教について、簡単に言う。それ以前は、己一人が悟ることを目指す上座仏教、仏陀当時の仏教に、新たに起こった運動である。つまり、一般人のための仏教にということで、大きな船に乗り、皆を彼岸に送るというものである。一人が救われなければ、我も救われないという菩薩と言われる存在を立てて、教義を作った。
実に、耳障りの良い言葉である。すべての人を救うために、私は、願を立てて、如来にならず菩薩行をするというのである。
仏教の、仏陀の根本の教えを知れば、それはウソであることが解る。
因果応報、自業自得に尽きるのである。
誰も人を救えない。人を救うのは、その人自身である。それに、救いなど、いらないという人もいる。救いなどいらないという人がいるということを、教義に立てたのは、あの、玄奘三蔵法師である。必ず救われない人がいると。
私が大乗仏教のウソに気づいたのは、古神道に引き呼ばれたからである。
仏陀の遺言は、真理の法を拠り所とし、己自身を頼めということである。
私の中に、私の救いがある。私の中に、私に必要なものがある。私の外になど、真理がある訳がないのである。
大乗仏教の教義は、すべて、言さえぐ、ものであり、喧しいのである。
日本は大乗仏教の国であるという、つまり、偽の仏教の国であり、今では、仏教で言うところの僧など、一人もいない。僧とは、すべてを捨てて仏に向かって修行する者であり、寺を持ち、財を持つ、日本の僧が、僧である訳がない。
大乗仏教がウソであり、なおかつ、僧にもならないでいる日本仏教の僧とは、ウソの上塗りをしている。
そしてもう一つ言う。
聖徳太子という人物は、厩戸皇子のことであり、それは後に、尊称として贈られた名前である。それ程、立派なお方だったのである。
何が立派かとえば、魔界関与の蘇我家との対立を避けて、平和裏に政を行おうとしたことである。そして自然裏に、解決を目指した。
自分の家系を主にするという豪族の蘇我氏から、民を主にするという天皇家を確実なものにするために、辛苦をなめたのである。この苦悩が、大化の改新に結実する。そのために、自分の家族全員を捧げたといえる。血が絶やされたのであるから。
ここでも解る通りに、大和魂、大和心とは、平和的解決を求める心なのである。それは、高祖皇宗の天照大神が、和の神であるからだ。太陽は、すべての人のものである。その太陽を神の化身として崇めるという教えを説き、何事にあっても平和的解決を説いた実在の人物であるからだ。
この、天皇家の御心を知って、歌の道が理解できる。
舒明天皇、斉明天皇が、何故、あのような完成された歌を読まれたかと言えば、すでに、言葉の世界が成っていたからである。
それを無きものにして、何を新しくしたかったのか。
蘇我蝦夷が焼き払った書物が、今残ってれば、歴史の記述が変わっていたはずである。
息子が殺されても兵を上げずに、屋敷に火を放って、自害するほど、蘇我氏の支配欲は強かったのである。もっとも大切な国の歴史の証拠を焼き捨てるなどとは、浅はかな者がする、腹いせである。
それを蘇我氏に預けていた厩戸皇子の心境は、察するにあまりある。
天武天皇が古事記の編纂を急いだのは、その焼け跡から、一部を持ち出して届けた者がいるからである。
兎に角、知る者がいるうちに、書き残さなければならないと古事記編纂に取り組むのである。
もののあわれが、歴史にも観えるのである。