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もののあわれについて その21

こうして、もののあわれについて書こうとして、ただ今、万葉の旅をしている。
ここで、少し休憩して言う。
日本とは、日本人とは、誰か、何かということである。
多くの学者、識者等々が語る、日本について、日本人についての、大方が誤っている。
それは、平安期以降からの日本を日本人を観るからである。

今年は、神武天皇建国から、2667年に当たる。世界で、最も古く伝統ある歴史を有する国であることを、どれほどの日本人が知っているか。
私が尊敬する、タイのプミポン王は、ラーマ王朝の末裔である。それさえも、1782年に王位に就いた。ただ今は、九世である。
天皇家として、2667年も続くというのは、どう考えても、凄いことである。というより、奇跡的と言ってよい。日本は島国ゆえだということでの話ではない。
いくらでも、王朝が変わってもよかったのである。
天皇家が滅びて、蘇我王朝になっていても、おかしくない。
また、平家王朝、源氏王朝、北条王朝、足利王朝、豊臣王朝、徳川王朝である。しかし、武力で成ったものは、結局滅びた。何故、天皇家が残ったのか、それが重大なテーマである。そして、今に至るまで、天皇家は、存続している。
そこを、よくよく考えてみる価値は、大いにある。好き、嫌い、観念等々を抜きにして、今、考えるべき時である。

世界に禅を広めた、鈴木大拙という学者がいる。彼でさえ、日本の精神が生まれたのは、鎌倉時代からであるという。つまり、日本語の漢字かな混じり文が完成したということなのであろう。
確かに、鎌倉時代は、文芸の全盛期だった。しかし、精神が生まれたというのは、実に、傲慢である。仏教が、日本流になったということも言うのであろうが、基本的に、日本の歴史を知らないといえる。
飛鳥、奈良時代を検証しなければ、日本の歴史は解らない。そして、兎に角、大化の改新を理解できなければ、歴史は、日本は、日本人というものは、観えないのである。

仏教の言葉の世界が、純粋日本人の精神を狂わせ、心を曇らせたことは、否めない。
今に至るまで、和歌が、大和言葉で書かれ、それを誰もが読むことが出来るということは、世界に日本でしかみられないのである。
古文とは、他国にもある。古英文などは、特別の人でしか理解し得ない。しかし、和歌は、誰もが理解できる。少しの手引きがあれば、万葉集は、小学生から理解できる。こんな言葉の世界は、日本にしかない。
古事記、日本書紀ともども、和歌の段になると、漢語にならず、大和言葉になる。不思議である。つまり、和歌は、漢語にも翻訳できないものだった。
大和言葉は、それのみでなければ理解できないのである。
そして、それを理解できる者は、日本人なのである。それも、差別なく、老若男女問わずである。こういう文化的平等こそ、平等であるということが出来る。
和歌の前には、貴賎の差は無い。

大化の改新が重要なのは、豪族の手に、大和が支配されるという、恐ろしい支配の魔の手が始まるのを、防いだということである。もし、万が一、豪族が大和を支配するようになれば、日本は、このような歴史にならず、大陸のような、いつも、支配者が変わる動乱を生きなければならなかった。
あの戦国時代といわれる時さえ、人々は、戦に翻弄され、疲労し切ったのである。
大化の改新と、明治維新を見て、太平洋戦争の前後を眺めて、天皇家が存在したことが、日本と、日本人にとって、どれ程幸いしたかである。
勿論、左翼の思考のみしか持たない者は、全くそれを理解できないでいる。いつも、戦いや、騒動を好むのであり、国民の幸せ、安定などを考える者達ではない。
社会主義や、共産主義を見れば、よく解る。ナチスのユダヤ人虐殺を言うが、共産主義の大量虐殺を誰も言わない。今でさえ、北朝鮮は、その思想により、多くの民の命を物のように扱う。共産主義の極みである。ベトナム、カンボジアの話を持ち出すまでもない。

追伸。
天皇家とは、日本人の本家である。
日本列島上空に広がる、タカアマハラ霊界を有し、世界で唯一、高い神霊の有する国である。何も私は、差別を言うのではない。事実を言うのである。
ちなみに、ギリシャ神話の神々を見ると、化け物のオンパレードである。あれは、地球外から来た者が、どのような姿になろうかと、迷っていることを言う。
一々、例を上げないでおく。
西洋人は、アメーバーから進化したという如く、そうなのであろう。
しかし、日本人は、天孫降臨した民族の末裔である。
いずれ証明されるので、ここで止める。
日本の祖先、高祖皇宗は、天照大神と言われる。天皇家、日本人の祖先である。
日本で神と呼ぶ場合は、尊称であり、欧米の言う、神という観念は無い。それと一緒くたにして考えた、宗教学なる馬鹿な学者の罪は思い。
日本には、唯一絶対、超越したような神は、いない。
日本の神々は、皆、実在した方々が、霊界に上昇されたのである。
日本人が神という場合は、祖先のことである。
仏教が入ってきて、先祖崇拝が始まったと思っては困る。仏教には、元から先祖崇拝などない。仏教という団体は、役立たずの集団である。今も、そうであろう。
日本人が一番嫌う、「言挙げ」を好み、理屈を言わせれば天下一品である。大乗仏教になると、支離滅裂である。妄想も、あすこまで行くと、お手上げである。
インドという土地が、魔界支配であることは、明々白日である。
仏陀は、タカアマハラ霊界から、インドにて、あわれの思想、慈悲の思想を伝えるべく、転生したが、結局、根絶やしにされて、今では、皆々、バラモンから出たヒンドゥーに、そして仏教が伝来された土地は、イスラムに叩きのめされたのである。
魔物の力、恐れるべしである。

ちなみに、私がタイを好むのは、国教として仏教があるからだ。勿論、すべてを容認する訳ではない。

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2007年03月06日 19:17に投稿されたエントリーのページです。

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