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もののあわれについて その29

日本の歴史を平安期から見ても、駄目である。
兎に角、飛鳥奈良時代から以前を見なければ、この国の建国の精神と、大和魂を知るとこは出来ない。

そこで言う。
厩戸皇子、聖徳太子によって、手がつけられた律令政治の精神が、仏教を云々という者大半であるが、仏教を理解できたということは、すでに、その考え方を受け入れる器があったということであり、また、それを解釈する程、あることを身についていたと考える。
つまり、理解出来ないものは、それを理解する器が無いのである。

鉄砲伝来により、それを真似て鉄砲を作ったということは、そういう技術を有していたということである。
江戸時代も、時計を即座に作っている。つまり、その技術があったのである。
そういうことである。

仏教の大乗の考え方は、すでに、やまとの民族は、有していた。
ただし、大乗仏教という、魔界の関与なしでの、大乗の考え方である。
大乗仏教というが、あれは、仏教にあらず、大乗教である。新興宗教である。
その理屈たるや、延々として終わることがない。
大乗の精神は、皆が救われる、皆を救うという意識である。
救うとか、救われるということ自体に、実は意味がない。
やまとの民は、すでに、それを超えていたという。
ただし、それを言葉、体系づけての言葉の世界を有していなかっただけである。
それを、聖徳太子が成そうとした。
仏教の言葉を使ってである。

要するに、矢張り、対立の考え方なのである。
菩薩は、如来にならず、皆が救われるまで、菩薩行をするという。菩薩という救済者を置くのである。どうしても、すがいたいのかと、私は言う。
万葉の歌を読めば、そんなことは、楽々と超えている。
在るものを在ると見るのみだからだ。
無いものを、あたかも在る如くに意識しない。
しかし、大乗教は、無いものを、あたかも在る如くに、意識する。

何度も言うが、大和民族に、対立という考え方はない。
自然共生、共感のみがあり、救いも何も、皆々、自然に回帰してゆくことを、実感として知っていた。
それ以上のものがあるか。
例えば、霊界の存在は、宇宙外にはない。霊界も、宇宙にあるのである。
宇宙外に、在るといえばウソになる。宇宙の外という世界は無いからである。
無とか、空とか言うが、それは、宇宙外の世界のことであろうが、彼らは知らないらしい。
大乗の教義なるもの、皆々、空言、彼らが言う、無とか、空なのである。

大乗の精神などと、大げさに言う仏教家がいるが、やまと民族の、大乗を超えていることを知らないのである。
清き、明き、直き心。それだけで済んだのである。
清らかで、明るく、そして直き心、素直な心である。
これに適う心の状態は無い。
しかし、大乗は言葉という精神世界として輸入された。それが、聖徳太子の目に触れた。
太子に教えを授けたのは、半島からやってきた、僧である。今は、省略するが、彼に、多くを学んでいる。
それを持って、仏教の言葉の世界を持って、国造りを始めたのである。
近隣諸国と対座するためにも、当時浸透していた仏教の言葉の世界を使用することが、何よりだと思ったのである。

和を持って貴しとなす。などという言葉は、元からあった。書いてみて、初めて在るかのように思われるが、そんなことは、当たり前のことで、あえて書く必要がなかった。
おおいなる やわらぎの たま
大和魂である。
神武天皇から、この、やわらぎのまたを、実践していた。
何よりの証拠が、地元の豪族、土着の神々をすべて、祭上げたのである。
大陸の侵略は、すべて他の神々を排除することから、始まるが、神武東征は違った。
天孫降臨の子孫が、やすらけく たいらけくすべく、和を持って当たったのである。

ここで一つ正して置くことは、天孫族、土着族、天津神、国津神のことであるが、霊体としての、天津神であり、肉体としての国津神である。
渡来してきた民を、天津神ということを平気で言うが、霊感、霊視出来ない者が、そんなことを解るはずもない。
学者の戯言である。
天孫降臨など在り得ないと考える者に、解る訳が無い。
知らないことが無いことだとは、学者連中の常識である。
知らなくても、在るものは在るのである。
ただし、それを強制することはない。どうでもいいことだ。

要するに、飛鳥奈良時代に、日本人は国際人と成るべく、未曾有の苦労をしたのである。
だが、幸いなことに、本家帰りで、多くの渡来人たちがいた。
列島が大陸から切り離されて、多くの民が流浪し始めた。
結局、先祖の心のあるやまとの国に、無意識的に惹かれて本家帰りをしていた。
飛鳥奈良時代は、帰化人が多く、又、彼らをそのまま受け入れ、彼らの能力を正しく認めて、政治の中枢にまでも、取り入れたのである。

一時期、日本とユダヤ民族の同祖論が言われたが、全くでたらめである。
ユダヤの12部族の一つが日本だと言う。笑う。
あれは、アフリカの部族のことである。
ユダヤの部族は、アフリカの一部族であったのだ。それだけの話。
選ばれた12部族と言うが、魔神に選ばれても、しようがない。
ただ今、人類最古の証拠がアフリカからと言われる。
仮説である。
最も古い物が見出されたということであり、それが唯一の証拠である。

人類が生まれる前に何があったのか。
進化して人間になったという仮説もある。
ギリシャ神話を見れば、地球外から飛来してきた、惑星のエーテル体が、人間になろうとして、七転八倒している様が描かれている。
偉大なる妄想で、逞しく語る。
アフリカから辿り着いた民が、大陸の東に住んだ。大きな湖があり、東に大海がある。
12000年程前に、天変地異があり、列島が次第に、大陸から切り離された。
そして、その列島の上空に、新しい霊界が誕生した。
アカアマハラである。
そのタカアマハラ霊界から、霊体が降臨する。
天孫降臨である。

進化論、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、その他諸々の妄想を信じていい。
私の妄想を信じていもいい。
その内に死ぬ。

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2007年03月19日 00:19に投稿されたエントリーのページです。

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