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市長襲撃

あってはならないというが、あるのである。
これは、どういうことか。

長崎市長伊藤一長銃撃である。
民主主義を揺るがすものである等々、そのテロ行為に対してのコメントが多い。
暴力団幹部の男である。
そして、殺すつもりだと言う。
一体、これはどういうことか。
テロというより、この男の精神状態であろう。
言論の自由を阻害するというより、この男本人の問題である。
これで、民主主義が揺るぐことは無い。

よく考えて欲しい。
暴力団にいるということ。
暴力団という組織は、暴力を成すから暴力団と言うのである。
今更、何をか言う。

簡単なことである。
暴力団を亡き者にすることである。
要するに、頭が悪くて、言論で戦えないから、暴力に出るという単細胞の行為をする者を、暴力団員という。
これを書けば、私も暴力団に襲われることもあり得る。
が、本当のことであろう。

頭の悪いものに、頭を良くせよと言っても、詮無いことである。
そのようにしか生きられないのである。

もうひとつ言う。
人殺しは、暴力団以外の人の方が多い。
たまたま暴力団の男であった。
この記事は、新聞の一面から、社会面、そして多々枚数を割いている。どういうことか。市長が襲われると、ここまで大々的に告知される。
しかし、単なる人だと、社会面の、ほんの一部に少し載る程度である。

単なる人殺しと、どう違うのか。
同じであろう。
政治家が殺されれば、大変な問題になり、一般の人が殺されれば、単なる殺人事件として扱われる。
おかしい。
人殺しは、罪である、ということを、啓蒙することである。
また、暴力は、暴力を生むと啓蒙することである。

警察は、この暴力団に向かうのに、暴力で向かうべきである。
要するに、頭が悪くて話し合いにならないのだから、叩くしかない。
暴力団に人道で対処しても、詮無いこと。

殺すつもりだと言うのだから、確実に殺人者である。
救いは無い。
もし、市長が死んで、この男の7代が祟られても、文句は言えない。

すべての人に、良心があるなどというアホなことは考えないほうがよい。
どうしても救われない人がいるとは、三蔵法師玄奘の立てた、法相宗が言う。最澄は、すべての人に仏性があると詭弁を言う。
馬鹿は死んでも馬鹿である。手のつけられない悪霊というものが存在するのである。

警察は、すみやかに、暴力団を皆殺しにすべきである。
ただし、馬鹿は死んでも馬鹿であるから、死んでからも、暴力を起こす。それを抑えられる霊能者、宗教家は、日本にはいない。世界にも・・・

ひとつだけ言う。
暴力団の側に立つ。
暴力団の存在によって、かろうじて、少しはまともに、生きられる者もいる。生きられる場所を与えられるということだ。

日本は法事国家である。
法律で、しっかりと裁く。それでも、暴力団員は、人殺しをしても、10年の刑を受けて善しと思う者あり。
法律は、暴力団員が人殺しをした場合は、死刑であると決めればよい。
死刑を人道に反するという者がいるが、それらも殺されれば、死人に口無しである。彼らは、自分を殺す人間を傍に置いたことがないから、そんな理想を口に出来るのである。

最後にひとつ。
政治に怒りがあって、殺していいものならば、政治家は、皆殺しにされるだろう。
男は、市に対しての不満があった、公共工事の受注を巡り、市長に不満があった云々とある。そんなことを言えば、私などは、毎日、役所に出かけて人を殺さなければならないのである。
なぜ、私が人を殺しに出かけないかといえば、面倒だからである。そして、そんな暇は無い。要するに、男は、暇つぶしでやったのである。それしか、やることが無いのである。暴力団とは、その程度である。
何かにつけて、ショバ代等々と、金をせびる。ピンハネする等々、脅し、恐喝で金を得る。どこかで聞いたような気がする。
似たようなことをやっても、法に触れない者もいる。
この辺で、以下省略する。

追伸
これを書き終えた後、市長死亡の報が入った。
心から哀悼の意をおくります。

追伸
警察は、全力を挙げて銃を取り締まれ。
馬鹿に銃では、悲劇のみである。
もしくは、暴力団員の銃剣所持は、死刑にすることである。
暴力団は、オウム真理教と同じく、公安委員会の監視下に置くこと。

追伸
長崎市民は、容疑者の死刑を求める署名運動をすべきである。
容疑者が、どんなに悔い改めても、事実を消すことは出来ない。
霊界は、厳然として、自らを裁くことを許すのである。

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2007年04月18日 18:28に投稿されたエントリーのページです。

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