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永代供養の嘘

偽の日本仏教教団の多くが、永代供養云々と墓地販売に、いそしんでいる。
永代とは、永遠という意味であろうか。永遠に供養するという。

供養の意味も知らずに、供養するとは、異なことである。
供養とは、生きている人にするものであり、死んだ人にはしない。これ、仏法の常識である。しかるに、矢張り、偽の仏教である。死者を供養すると、言い続けている。

三蔵法師玄奘は、至る国にて、かの地の王から供養を受けた。そして、天竺から戻られたら、何卒、立ち寄り、仏法を教えて欲しいと言われた。
尊敬すべき聖者に供養せよとは、仏陀の言葉である。
死者ではない。生きている者にである。

永代供養とは、何事か。
仏法の何一つも、実践せずに、商売には、いたく熱心である。
すべて、地獄行きである。

墓地を作り、先祖を供養するということの誤りは、仏罰に当たる。

仏陀は、輪廻から、外れることを説いたのである。
つまり、この世に、再び生まれることのないようにとの、教えである。
そして、因果応報と、自業自得を観たのである。

子孫と言う者が、いくら供養したからといって、何にもならないのである。
まして、子孫と言っても、子孫であるかどうかなど、誰にも解らない。
子孫であるという根拠がない。
密通して出来た子であれば、子孫とは言えない。そんな女は、ゴマンといる。
先祖供養とは、あまりに矛盾であるし、また、先祖とは、どこまでの先祖か。その元を辿れば、アフリカまでに至る。

20代までの先祖で、一億人に達する。
一億人の供養をする。ウソでしょう。そんなことが、出来る訳が無い。

後継者のいない方のために、永代供養をいたします。
ウソでしょう。
しまいに、ローンでもたまわりますという。
たわけ者。
鎌倉仏教といわれる、新興宗教を開いた開祖たちは、まだ少しは、真剣だった。それが、今は、彼らの苦労を元に、金儲けである。
法然の念仏、そして、親鸞の念仏という他力本願、日蓮の題目、道元の禅という自力本願、皆々、妄想である。文学としては、評価するが、宗教ではない。

彼らの、文学は、価値があるが、信仰ということには、価値がない。
知らぬ者の戯言である。
現在の浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、曹洞宗等々は、仏法にあらず。
その証拠は、彼らの行為を見れば、一目瞭然である。
信徒を餌にして、何をしているのか。
本願寺の門主を見よ。何をしているのか。それらの末端を見よ。何をしているのか。
浄土宗、曹洞宗、日蓮宗の、坊主を見よ。何を行為しているのか。
蒔くことも、刈ることも、捕ることも、何もせずに、何をしているのか。
読経をしているとは、笑わせる。
読経の意味を知っているのか。また、その経典の根拠は、どこにある。
誰も、答えることが出来ない。
根拠が無いからである。

坊主の中には、それなりに善なる行為をする者があるが、それとて、耕し、捕る、作る者の足元に及ばない。
善なる行為をする坊主は少ない。
大半が、食って寝て、糞して、金を集めて、のうのうとしている。
もう一つ、言い忘れた。セックスしてである。

しまいに、真言密教、天台宗となると、開祖の野心が、未だに残って、見苦しいのである。
共に、仏法とは、何の関係も無い、中国思想である。
中国思想による、仏教解釈であるという。
であるから、ウソである。
あの国の思想家は、霊界の存在を知らない者の集いであり、言葉遊びに始終する。
それなら、ギリシャ思想の方が、余裕が在る。

永代供養という名の元に、商売をして、なんら良心に恥ずることない、その根性は、ただ事ではない。
オウムのように、明らかに悪事をすれば解るが、このやんわりとした悪事は、オウムより、悪い。
ホント、仏罰が、当たるであろうこと、必至である。

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2007年04月20日 22:31に投稿されたエントリーのページです。

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