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キリストの絶唱15

イエスは、十二人をよんで、二人ずつ派遣し、汚れた霊を制する力をさずけ、旅をするために、杖以外のなにものももたず、パンも袋ももたず、帯の中に小銭も持たず、「サンダルをはきいけ。二枚の上着を着てはいけない」とお命じになり、そして「誰の家に行くにしても、出発するまでは、そこにとどまれ。ある所で、あなたたちをむかえず、あなたたちの話をきかないなら、そこを去って、かれらへの証拠として足のちりをはらえ」とおおせられた。
弟子たちは、くいあらためを、のべに行き、多くの悪魔をおい出し、油をぬって、おびただしい数の病人をなおした。

悪魔を追い出し、病を治す力を与えたという。
そして、問題は、くいあらため、を述べさせた。

新約聖書のテーマの一つは、天の国は近づいた、悔い改めよ、である。

悔い改めるとは、いかなることか。
キリスト教の教義は、それには、一切触れない。
ただ、罪人である。原罪を持つ人間である。キリストの十字架が、それを負った。ゆえに、洗礼を受けることと、言う。洗礼は、入信の証となる。

上記の教義は、人間の創作したものである。
それを、成して、教会という団体がある。

今、イエスは、キリスト教徒に言うであろう。
悔い改めよ、と。
お解りか。
当時の、ユダヤ教徒の、偽善的信仰を、悔い、そして、改めよというのである。つまり、それらは、皆、人間が作った、規則だからである。
キリスト教団も、今は、それと同じである。

ここで、私の霊学から言う。
悪魔を追い出す力とは、何かということである。
当時、悪魔が跋扈している時代だったといえる。悪魔が跋扈する時代と、地域であったということは、ユダヤ教自体が、悪魔の巣であったといえる。

話を転ずる。
アフリカから、奴隷として、アメリカに送られた黒人たちが、唯一の救いとして、キリストを頼りにした。彼らの信仰は、実に、純粋で正しい。ゴスペルという歌を聴けば、それが、よく解る。
しかし、彼らを奴隷として、酷使した人間、白人も、キリスト教徒である。
だが、彼らがしたことは、悪魔的行為であろう。
要するに、何一つとして、白人のキリスト教徒は、キリストの教えを知らないのである。
キリストの教えではなく、人間が作った教会というものの、教えに従う。

私は、多くのカトリックの司祭、そして、プロテスタントの牧師を知る。だが、彼らは、キリストの教えを知らない。教会の教えを知っている。
愕然とする。
勝手に、教会を作られるプロテスタントの牧師もどきには、呆れて言葉も無い。
汚れた霊を、収めることも出来ず、病を癒すことも出来ずにいる様は、哀れである。そして、主の云々というから、笑う。大いに、笑う。

まずもって、悪魔を追い出すという行為からして、実は、おかしい。
仏教では、不成仏霊は、回向して、浄化する。最低でも、である。
悪魔と、神を対立させるということ自体に、非常に問題がある。

妄信、狂信、誤信の信仰を持っての、クリスチャンであるから、救われない。
キリストの十字架によって、救われるというのは、無い。
手前勝手な解釈であることを、知らない。

悔い改めるとは、神の国とその義を求め、互いに愛することを言う。
神の国とは、自分の心に従うことである。
これについては、いずれ書く。

この世は、地獄である。
悪魔が支配して当然である。
欲望までも悪魔の技と言うから、話にならない。
それでは、生きるということは、何かと問う。
断食して、死ぬべきであろう、キリスト教徒は。
しかし、平然として、肉を食らい、人種差別をして憚らない。どこに、悔い改めがあるのか。

日本人が、キリスト教を理解するのは、至難の業である。
ゆえに、日本人が、キリスト教徒になることは、至難の業である。
キリシタン弾圧の時に、殉教したという、キリシタンが、キリスト教を理解していたとは、思われない。
勝手な解釈、思い込みであろう。

信仰とは、神道である。
戦後、アメリカの占領政策で、神社を回った。その信仰に問題があるのではないかとの疑いである。当然である。自分たちの宗教は、戦争をする宗教である。
しかし、彼らは、愕然とした。
神主は、ただ御幣を振るだけで、何も語らずいる。
式だけがあり、特別な教義も無い。
皆、拍手を打ち、頭を下げて終わりである。
拍子抜けしたという。

そして、ご神体である。
山川草木であるから、また、驚いた。
ただ、石が置かれてある社もある。
神道は、偶像崇拝ではない。
太陽信仰である。つまり、自然崇拝である。

あの素晴らしい仏陀の教え、慈悲の思想が壊滅したのは、ひとえに偶像を作ったからである。それを、美術品として、評価するのは、理解するが、仏教の堕落は、仏像、寺院に、凝り過ぎたのである。
イスラムに、根こそぎ破壊された。
以下、省略する。

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2007年06月23日 00:06に投稿されたエントリーのページです。

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