藤岡の故郷、広島県の福山でリサイタルを開催した。
その際、藤岡の親戚の者も来た。
そして、解ったことは、藤岡の父親が生きているということであった。
藤岡の母親とは、親戚関係にある。
藤岡を認知せず、藤岡は母子家庭の中で育った。
藤岡の父親は、今でも、生き恥を晒して生きているのであろう。哀れである。
藤岡は、暗に父親に会いたいという意思があった。
もうどうでもいいがと、言いつつ、矢張り、会いたかったであろう。
腹違いの兄弟もいる。
広島、原爆を落とされる因縁の地である。
それを知っているのだろうかと思う。世界で、初めて原爆を落とされた。落とされたことを持って、云々という前に、落とされた因縁を考えよと言う。
あの辺り一体は、そのうよな因縁により成る。
さて、藤岡亡き後、私は、藤岡の母親の、成年後見人になるべく、家庭裁判所に出かけた。
結果は、親族が賛成しないという。審議官も、説得したらしい。遺産がある場合は、親族にゆくことになっているゆえ、木村が成っても問題ありませんと。しかし、彼らは、私を後見人としなかった。
そして、その後、誰一人も、藤岡の母親に面会に来るものはいない。
藤岡の母親は、天涯孤独になっている。
勿論、私は、最後まで面倒をみる。
それにしてもである。
これ以上は、詳しく語らないおく。
書けば、藤岡という名前の、因縁の地に住む者を自害に追い込むことを書くであろう。
藤岡の家から生まれた者で、藤岡宣男ほど、優秀な者はいなかった。しかし、藤岡を生んだ、その母は、塗炭の苦しみの中で生んだ。
あの当時である。
私生児を生むということが、どんなことか。想像に難くない。
若い男と逃げて、夫、子供を捨てた、瀬戸内何とかというアホの、作家で、僧侶がいるが、あのような無様な生き方をしても、有名になれば、世の中は許すのである。
藤岡が有名を目指した意味が解る。
私は言う。
福山にリサイタルを開催した際も、満席ではなかった。それを影アナウンス言うと、その後は、侃々諤々の議論が起こり、あろうことか、私に対して批判が湧き起こったという。
あの程度の、町であるから、今も、救われない。
子供の教育云々を言うのであろうが、実質的に何もしていない。
その町から出た者が、リサイタルを開催するというのである、大都会ではない。
あの程度の小さな町である。
その会場の大ホールでは、市長を呼んでの、選挙運動をしていた。
子供の教育など、何も考えていないのである。
あれが、市長を始め、教育関係者が来ることで、どれ程、教育効果が上がったか知れない。
その後、藤岡の母校の、霞小学校から、依頼がきた。しかし、それを目前にして、藤岡は、この世を去った。
後にも先にも、あの一度のリサイタルである。
世界的に有名になる藤岡を、あの程度のもので受け入れた。
世界的に有名になった時、どの面下げて、我らの町から生まれた藤岡であるというのか、見ものである。
さて、藤岡は、親戚縁者との縁をすべて切って、母と二人で生きたというから、私も、それにならって、対処する。
残念ながら、藤岡のすべての物は、私が引き継いでいる。億万の金が入っても、彼らには、一銭もゆかないことを言う。
藤岡の母は、何一つ、持つものがない。
亡くなれば、残るのは、遺骨のみである。
因縁深き、藤岡にまつわる親戚縁者よ。哀れである。
私は、彼らを祝福しない。