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イスラム6

同じ血を持つ部族を捨てて、異部族に味方を求めたムハンマドは、古アラビア社会から、完全に離脱したのである。
それは、考えられない行動だからだ。

当然、メッカのクライシュ族は、怒り狂うのである。

ムハンマドは、メディナで、預言者として活動を始めた。
セム人の預言者は、政治と関わり無くしては、成らない。
アラビアでは、政治と切り離した宗教は無い。ゆえに、今でも、政治に宗教が介入する。政治家より、宗教指導者が、強い発言力を持つのである。
政教分離などは、考えられない世界である。

メディナにおいてムハンマドは、政治家としての手腕を揮った。
メディナは、ユダヤ色の濃い都市であり、ユダヤ人が多く住む。また、住民は、ヘブライ的な人格神、唯一神に慣れていた。また、付近には、キリスト教を奉じるアラブ部族もいたのである。
また、アラビア古来の多神教、偶像崇拝も廃れていた。
カアバのような聖殿も無い。
メッカのように、それによる商売上の利益なども関係なかった。
つまり、ムハンマドにとって、理想的な布教の都市であった。
先にも言うように、宗教は政治である。政教一致である。

この、ムハンマドの布教が、後々に、現代まで続く、イスラムの性格を物語る。
ムハンマドは、無垢な宗教家ではなく、狡猾な為政者と化したのである。
そしてそれによって、単なる部族宗教から、世界的宗教へと羽ばたくことにもなる。

メディナにおいて、血ではなく、共通の信仰によって、人が結ばれるという、共同体が可能になった。
ムハンマドは、メディナの行政改革に乗り出す。
これが、アラビア民族にとっては、根本的改革となるものであった。
それによって、何と、伝統であった血族を無にし、部族に変わって、信仰と政治が渾然一体のものになるのである。
それは、イスラムの成立であり、もっと言えば、国家の誕生である。サラセン帝国である。

現在のイスラム過激派によるテロ行為の真意は、ここにある。要するに、新しいサラセン帝国を創るべく、敵を粉砕するという行為なのだ。
この、敵を粉砕し、破滅させるというのは、ムハンマドから始まる。
テロリストは、何も新しいのではない。ムハンマド自体が、テロリストなのである。

世に言う、聖戦、ジハードとは、ムハンマドの言葉にある。
「汝らに歯向かう者あらば、神の途において彼ら撃退せよ。何処にてもそのような者どもを見つけ次第、これに戦いを挑み、また彼らが汝らを追い出したる所より逆に彼らを駆逐せよ」
「反乱が根絶し尽くされるまで、また全ての宗教がただ一つアッラーの宗教となるその時まで、あくまでも敵と戦い続けよ」

世界の数ある宗教の教祖で、このような言葉を吐く者がいただろうか。

イスラムを理解するということは、ムハンマドの言葉を理解するということである。

この一神教の思想は、驚愕するものである。
しかし、ユダヤ教、キリスト教も同じである。
要するに、神の他に神は無し。その神の名を、云々というのである。
これでは、話し合いなど出来ないばかりか、敵と見なされて殺される。

自爆テロというのは、自分も死ぬというテロ行為である。それを平気で成すことが出来るという神経は、ただ事ではない。
しかし、日本にもあった。特攻隊である。
自滅を善しとして、敵に突っ込むのである。
思慮の深い者には、到底出来る行為ではない。だから、若者に、それを負わせた。
だが、しかし、戦争という非常時である。思考停止は、若者だけではなかったのは、当然である。

面白いことがある。
メッカでのコーランは、警告であったが、メディナでは、導きとなったのである。
当初は、現世の儚さを言うムハンマドが、メディナでは、現世の悪を言わず、政教一致を説くのである。
それによる、国家の建設を謳う。
それは、崇高な目的だった。彼の目から見ればである。

ドイツのヒットラーを思い出す。
彼もまた、統一国家を思い描いた。それも、世界である。世界を独裁で塗り潰すのである。ユダヤ人虐殺は、手始めだった。その次、その次と、続いていたはずである。要するに、目障りな存在は、消すのである。
だが、ヒットラーの後ろには、神は無かった。ただ、彼は、愚かな人間であった。しかし、ムハンマドは違う。後ろに神がいる。唯一絶対の神、アッラーがいる。

革命を目指した、新興宗教のO教があった。サリン事件等々、戦後最大の犯罪を犯した。
独裁国家を目指したのであろうが、あまりにも愚かであった。風土が違う。
自我意識拡大の妄想であった。
それに加担した哀れな信者たちである。今でも、その彼を信奉するというから、その神経と、感覚に驚く。
ポアすることも必要であると、殺人を肯定する教えに、よくぞ人が、着いて行くものだと思うが、実は、信じる者が必要な人間がいるのである。そして、一度信じると、その心理的捕らわれから開放されない。それを、世の中では、マインドコントロールという。

実は、このマインドコントロールというのも、因縁なのである。
成るべくして成った。縁すべくして、縁するのである。だから、今でも信奉する者がいる。

新興宗教の事件が立て続けにあった。
足相を見て修行を勧めるという教祖や、淫行に落ちる教祖等々である。生き返ると、死人をそのままにしていた教祖もいる。
しまいに、電磁波から、身を守るという教祖もいた。

通常の常識からしても、考えられないことを言うのである。が、信じる人がいるのである。
その大半が、霊能力という曲者を持つという者である。
霊能力とは、その人自身にしか解らないものである。霊能力を語れば語る程、嘘になると知らないのである。

偉大なる教祖、仏陀を上げる。
彼は、一度も霊能力に関して語ることがなかった。後の経典に、そのような記述があっても、不思議は、起こさなかった。起こす必要が無かった。
その証拠に、目連という弟子が、神通力を得た時に、彼は仏陀に、死後の母の姿を見てもよいかと問う。しかし、仏陀は、駄目だと言う。しかし、三度目に、ようやく許されるのである。
実は、その行為から、今のお盆の由来がある。

牛となって、地獄で苦しむ母を見て、目連は仏陀に、何か出来ないかと問う。仏陀、それでは、死者に声援を送ろうと、回向という行為を教える。

仏陀当時、読経などない。瞑想があった。
今は、読経により、供養するという言い方をするが、完全に誤っている。
死者には、回向という瞑想が必要である。

以下、省略する。

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2007年06月19日 09:10に投稿されたエントリーのページです。

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