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みたび沈黙を破る7

人間というものは、愚かなものである。
自分の意識以外のことを知らない。そして、なお、それを知らないということである。

自分より才能のある人がいても、それを理解する能力が無い。
例え、それを認めたとしても、矢張り、理解しているのではなく、何となく、そう思うのである。

藤岡に発声や、歌を習っていた者も、そうである。

頭の出来というものは、生まれつき備わったものなので、変更することは出来ない。
どうしても、理解の枠というものに、捕らわれる。
つまり、理解出来ないものは、理解できないのである。

発声を腹筋によるものだと信じきる人がいる。
何度、藤岡が、背筋と、横隔膜であると言っても、理解出来ない。つまり、頭が、動かなくなっているのである。

腹筋を鍛えて、歌が、声が出るという信仰を持っている。

声の響きは、横隔膜の柔軟で決まる。
私は、朗詠をする。ゆえに、腹筋で歌う。しかし、藤岡によって、始めて、横隔膜の力を知る。

私は、北海道の寒村で育ち、海のある場所で、声を鍛えた。
大声が出る。また、声が大きい。話し声が大きい。

これは、民謡を歌う時に、生きる。
だが、響きというものは、大きな声であればいいというもみのではない。

響きは、小さな声でも、可能であることを、横隔膜で知るのである。

この、素人の私が、それを知った。
だから、スラバのように、高音域を歌う時、反り返るという形にはならないのである。
反り返る形が誤りだと解る。
しかし、スラバは、マイクを使用するから、どうしたっていい。小さな声でも、拡張して、響かせることが出来る。
私は、スラバのリサイタルを聴いて、それを知った。
私の横に来て、歌う、スラバの声は、実に小さいものだった。

スラバとは、日本の女が好むカウンターテナーである。
しかし、私は、彼を声楽家とは、言わない。あれは、演歌歌手と同じである。
以下、省略。

さて、藤岡の弟子の中にも、アホがいて、藤岡亡き後、別の先生について、声を台無しにした、ソプラノがいる。
お化けのような、暗い声質になった。勿論、本人は、気づいていない。
哀れであった。

しかし、普通ならば、私は、許すが、藤岡の追悼コンサートの出演を、あんに、断ったことから、私は、捨てた。
チラシに、名前も載せている。それなのにである。
出るのが難しいと私に言う。
しかし、他の者には、何よりも歌を優先して活動すると言った。
つまり、私の事務所の主催で歌っても、詮無いことであると考えたのである。

私は、彼女を藤岡の弟子と認めることが出来なくなった。
二期会にでも、出ればいいのである。
そこで、さんざん金をつぎ込んで、老いる。それで、善し。

多く、舞台を与えたカウンターテナーは、ギャラも無く歌ったと言った。
私は、それも、捨てた。
舞台で、成長するということを、知っての、私の行為である。それを、理解出来なかった。
哀れである。
彼も、老いる。そして、何事も無く、この世を去る。
哀れである。

以下省略。

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