端的に言う。
ボランティアとは、共生の思想である。
それ以外に無い。
水が上から流れるように、下に行くようなものが、ボランティアではない。
つまり、助けが必要な人を、出来る範囲で、援助する。そして、こちらも、援助されるということである。
ボランティアに、携わっている人が、させていただける、という言い方をするが、非常に宗教的であり、うそ臭いのである。
確かに、それをするに当たっての対象があるということにより、その行為が遂行出来るが、させていただくという、特別な意識を持つこと自体に、問題がある。
させていただくという、私の立場が、矢張り、上なのである。
日本には、お陰様でという言葉がある。
ボランティア行為は、互いに、お陰様で、いい。
天災が発生し、被害が大きいと、即座に、募金を募る。
あれほど、危険なことはない。
実に簡単な行為であり、それで、気持ちが満足するだけであれば、意味が無い。
また、被害がある人が、ハイ、と言って、その募金を受け取るものだろうか。
赤十字、NHK、新聞社等が、募金をつるのが、私は、不安である。
善意をすぐに金にして、解決するのは、安易である。
それより、その場の必要な物を、差し出す方が、真っ当だ。
つまり、現場に駆けつけて、ボランティア活動する人が、真っ当だ。
さて、世界には、多く、支援や、資金が必要な場が多々ある。
しかし、よく考えると、様々な国の、様々な、規約等があり、何事もスムーズにいかない。
日本が支援している国でも、その金が、何に使われているのか、解らない国も多い。
国境を越えるボランティア活動は、実に難しい。
信頼性が高い、組織でも、お金を寄付するのは、注意が必要だ。
募金箱に入ったお金の流れが、全く解らないのである。
下手をすると、宗教団体の資金にされる場合もある。
普段の生活で、ボランティアなどの活動が出来ない人は、多い。だから、安易に募金をするというのは、もっと悪い。
普段の生活の中で、共生の生き方が出来ない人は、ボランティアという行為も、単なる付け焼刃であるし、一過性のものである。
日本には、相手を先に、する、という、美しい行為がある。譲り合いである。
これも、立派なボランティア行為である。
言葉のボランティアも、勿論ある。
挨拶である。
兎に角、ありがとう、が大切である。
ボランティアの語源は、意味意識というように、生きる意味意識である。
それは、人間だけが、相手ではない。
山川草木に至るまでが、対象である。
そうなると、ボランティアという行為は、単なる福祉、奉仕活動に限定されるものではないということが言える。
様々な形と、方法で、ボランティア行為をするのである。
つまり、それは、生きるということと同じである。
海外で、ボランティア活動をする人も多いが、それが、その国、地域の相互扶助を破壊する場合も多々ある。
善なることだから、良いのではない。
貧しい人の多い、インドの地での活動が、単なる焼け石に水ということもある。
あの、マザーテレサという偉人でさえ、インドの根本的な態度を変えられなかったのである。貧しい人が多いが、超金持ちもいる。その格差は、甚だしい。そんな国で、福祉活動とは、とんでもない酔狂になることもある。
バリ島では、バリ島以外の島から来た、売春をする女性が産んだ子供を育てる施設が、三つある。
その一つに、日本のNPOがある。
日本からの、滞在ボランティアを募集している。
一週間の滞在で、65000円ほど、かかる。安いツアーでは、その値段で、ホテル、航空運賃込みである。
それを、滞在するだけで、支払うとすると、この団体が、利益追求であることが解る。勿論、それは、私が裁くものではない。
ただ、事実を言う。
そして、寄付も募るのである。
更に、バリ島の伝統的生き方を教えるかといえば、そうではない。バリ島の伝統を知らずに、やっている。
バリ島には、相互扶助の考え方が生きていて、孤児は、村人が育てる。
タイの地方は、貧しいが、子供が餓死することはない。
それは、お寺があるからだ。
男の子は、出家をすれば、食べていかれる。また、お寺に行けば、布施の食べ物があり、最低限、食べることが、出来る。これも、相互扶助である。
ストリートチルドレンは、タイには、いない。おおよそである。
仏教国の良さが生かされている。
それから、誤解を恐れずに言えば、子供の命を救うと称しての、募金活動をするが、生かして、その後は、どうするのかという場合が多々ある。
戦争によらずの自然淘汰は、当然ある。
子供が育たない環境は、大人も、生きるに、壮絶である。
育った子供に銃を持たせるような環境で、いいのか。
単なる、安易な考えで、生かすということのみを考えるのは、おかしい。
国連と、銘打つと、信用する人が多いが、実に、危険である。
国連、ユニセフなどというと、信用する。
あの組織の金の流れを誰も知らない。全く、見えないのである。
そして、彼らが発表するものを、信じられない。
ユニセフ大使などといわれる人は、痛くも痒くもない生活をしている。
単なる名誉で終わる。
自費で、あのような行動が取れるか。否である。