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もののあわれについて73

笠女郎の歌を続ける。
大伴家持にあてた歌である。

わが命の 全けむかぎり 忘れめや いや日にけにや 思ひ増すとも
わがめいの またけむかぎり わすれめや いやひにけにや おもいますとも

全けむかぎり、とは、命の続く限り。
忘れめや、とは、忘れはしない。
いや日にけにや、とは、日増しに、日を重ねれば重ねるほどに。

この命の続く限り、忘れません、あなたのことを。日を増すごとに、益々と、思いが募ります。

恋心の直球である。

バレンタインデーという日が、カレンダーに載るほどになった。
バレンタインとは、カトリックの殉教者、聖人である。女性で、乳を切り取られて死んだ。その祝日には、感謝の思いで、プレゼントを贈る日である。
それが、デパートの商戦で、女が告白する日などと、アホなことを喧伝した。今では、チョコレートばかりではなく、とんだ、祝日になってしまった。
義理チョコなどという言葉も出来て、あーあー、である。

何にもないけれど、歌を贈る。
あっ、そうか。今なら、メールがある。
メールによって、短文に思いを込めるようになったという意見もある。
特別、五七五七七に、拘わることはない。
山頭火の場合もあるし、どんな形でもいい。
言葉の力は凄いのである。

君の肌の
奥にある
その硬さに触れたい
僕の心が
そこにある

これは、ゲイを想定して作歌した。
どうであろう。
こんな、どうでもいいものを、一万程書けば、本当になってゆく。それが、芸術の力である。

夕されば もの思ひまさる 見し人の 言問ふすがた 面影にして
ゆうされば ものもいまさる みしひとの こととうすがた おもかげにして

見し人の、とは、逢い見た人、ここでは、家持のこと。
言問ふすがた、とは、ものを言う姿。
面影にして、とは、ありありと、瞼に浮かんで。

夕暮れ、一層思いが募り、お逢いした時の、物言う姿が、まざまざと瞼に浮かびます。そして、更に思いが募ります。

面影にして、とは、見事な結句である。
ここまで惚れられるということは、凄いことであるが、恋をすれば、皆々、この心境になるのである。
今の若者は、どうなのかは知らない。
即、セックスに結びつくのであるから、情緒も、へったくれもない。
飽きれば、恋は終わりである。
成就に時間がかからないから、終わるのも、早い。これ、道理である。

この時代は、名を名乗ることが、相手に許すという合図だった。
名を言うことは、相手を言うこと、つまり、相手が目の前にいるのと同じである。これは、言霊である。

聖書のイエスは、私は言う、と言う。
言うことを言うという。
これ、言霊である。
言うことは成るのである。

キリスト生存時代の二千年前の日本は、部族国家発生の弥生時代である。
稲作から、弥生という説は、誤りで、縄文後期、少なくても、弥生時代に入る500年ほど前から、稲作が始まっていた。

そして、弥生の晩期、卑弥呼が邪馬台国女王となる。
すでに西暦189年頃という。
しかし、57年、すでに、倭双国王が、後漢に使者を派遣し、光武帝の印綬を受けている。
それ以前、倭国は、百以上の部族国家が発生していた。

神武東征は、縄文の後期、稲作を伝えての東征である。
神武天皇は、大和へ向かった。
ダイワと読むと、漢語である。ヤマトと、読むと、大和言葉である。
大和を、大、和にあてたのには、訳がある。
おおいなる、やわらぎ、である。
大和心とは、おおいなる、やわらぎの、こころ、である。
それを、更に総称して、大和魂という言葉を生み出した。

書かれなかったことに、真実がある。

当たり前、当然、であるということは、書かれなかった。
書かれたものは、記録する必要があったのである。
書かれなかったものを、観る目を、心と言い、魂と、言う。
それを、精神という言葉の世界で表す行為を、伝統という。

伝統は、デントウと読むと、漢語である。つたえ、すべる、と読めば、大和言葉である。
伝えて、統べるとは、政治である。政治を、大和言葉で、祭り、奉り、祀り、そして、政、まつりごと、という。

政治学という学問があるならば、日本の政治学を正す必要がある。
欧米の政治学では、理解出来ないのである。

日本は、統べる者を、帝、みかど、と呼ぶ。テイではない。
御、火、土、である。
天皇という言葉は、中国思想の、北斗七星を言う、天帝という語源がある。
すめらみかど、が本当である。
それを、天皇に当てた。

統べる帝である。
実は、統帝で、すめらみこと、でよい。

私は平民である。
天皇は、天皇である。
そのようにして、生まれてきた。私の意志である。
身分というものがある。
平等主義の仏陀も、王という身分を認めている。何故か。
それは、人には、役目があるからだ。その役目を通して、平等、つまり、仏に成ることを言う。
仏とは、平等の別名である。

これ以上になると、皆々が、混乱するので、省略する。

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コメント (1)

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2007年08月01日 21:45に投稿されたエントリーのページです。

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