終戦記念日は、お盆の期間でもある。
この世は、何一つ意味は無い。
また、この世に意味の無いことも一つもない。
すべて相対的なものである。
そこで、絶対的なものというのは、すべて妄想である。
不戦の近いを新たにする日本であるが、他国は違う。
開放記念日であり、日本への敵討ちを再確認する日になる国もある。
戦後62年を経た。
歴史の彼方へと、記憶されるようになる。
唯一の被爆国という意味を見出したが、見出しただけであり、その後の処理と、対策を後手にしてきた。
それに関しては、専門家に任せる。
私は、このお盆という、御親、みおや祭りに当たる時期に、終戦を迎えたということを言う。実に、そこに意味を見出す。
戦争を終結させたものは、何か。
御親を総称して、天照大神と言う。
天皇の詔を通して、御親が、終戦を決めた。
この世のこと、多く、霊界が関与する。
支配欲に駆られた霊界の霊が、軍部を動かし、それらが、つまり魔の力が、暴走させた。
無益な人の死を招いた。
これを、悲しみという。
かなし、かアなアしイ
大和言葉で言う。
かなし、とは、か、なし、である。
かアとは、何か。
アの母音は、開くを言う。かアは、カ行の最初である。
かきくけこ、は、人の食に関する事柄が多い。それでは、かアは、くウの食うの前の段階である。
つまり、食べる前の準備である。
つまり、食物を集める行為になる。
それを、分配することを、カミという、上の者が行う。
その分配する者、上の者がいない、無しなのであり、かなし、なのである。
上がいないゆえに、乱れる収集がつかない。
それが、悲しいという言葉に、表される。
悲しいは、所在の無い不安定な状態である。
悲しみとは、そのような心象風景を言う。
孤児に似た孤独感がある。
正しい、上を、カミを失ったがゆえの、戦争は、実に悲しい。
そして、失った多くのもの、特に命であった。
こんな悲しいことはない。
皆々、雲隠れした。
南の島で、アジアの各地で、そして、最後は、少年が特攻隊で、死ぬために、突撃した。
皆々、この世から、隠れたのである。
隠れた悲しみを言う。
この記念日の意味は、大和言葉から、明晰に解る。
隠れた者は、命、みとこ、として、神と尊称を受けるものである。
その伝統も、敗戦によって、無きものとなった。
これは、敗戦より、悲しいことである。
一人の人は、大海の一滴の水であるが、大海も、一滴の水よりなる。
一滴の水が失われることを、悲しむ行為を、慰霊という。
それでは、慰霊という行為にあるものは、と、言えば、これは、あまりに長くなるゆえ、省略する。
一滴の水、天に上り、再び、雨として、降り注ぐことを願う。
慰霊というのは、実に、輪廻に関わる行為であり、再生の祈りである。
この世は、相対である。絶対的なものを掲げては、この世が、曇る。
妄想を廃して、この世の実相に迫る時、この世の、そして、人間の生死が、観えてくる。
輪廻は再生である。
それは、形を変えても、再生である。
これは、宗教の観念を超越する。