もののあわれについて96
防人の歌を読んできたが、今度は、それを、見送る妻の歌を読む。
草枕 旅行く夫なが 丸寝せば 家なるわれは 紐解かず寝む
くさまくら たびゆくせなが まるねせば いえなるわれは ひもとかずねむ
妻クラ橋部刀自売 めくらはしべの とじめ
丸寝とは、ごろ寝である。
草を枕の不自由な旅を続けている夫は、夜ごと、着の身着のままに、窮屈に寝ているだろう。それを思えば、私も、家で着物の紐を解かずに寝て、夫を思います。
夫の苦労を思えば、云々。
これ以上の説明は、いらない。
今でも、それは、変わらないだろう。
結婚をしない男女が増えたという。
人生の同行者を必要としないのである。
つまり、愛情の機微を知らない者なのである。
すべて、何がしかの計算をしての、結婚である。情熱に任せた、結婚などは、できない。
合理的ということが、幸福には、結びつかない。
計算出来ない、人の心の機微というものがある。
相手のすべてを理解し、納得して、結婚するだろうか。
相手の人柄の、行間を読むのである。
私の文章は、行間を読むことに価値がある。
この、行間を、大和言葉で、たゆたう、という。
欧米人が嫌う、たゆたう心である。
説明不明の言葉である。
日本人の感性でなければ、解らないもの。
私の文章を、行間と、省略が多い文章で、云々と批判した、欧米の論理の好きな者がいたが、人生を、すべて、語りきるのであろう。
私は、そんな者には、なれない。
語りきるということの嘘を知らない。
政治家の演説ではない。
語りきり、説明し切って、安心するという、野蛮な心を持たない。
割り切れない。説明し切れないものがあると知って、人を追い詰めることを、しない。
ここに、風情というものがある。
どんな悪人にも、一分の逃げ道を用意するという、大和心である。
自分の苦労苦難を理解している者がいると思えば、人は生きられる。
男を生かしてきたのは、その女の心である。
男と女の溝を埋めたものとは、たゆたう心なのである。
愛情の形を、行為にしてきた、日本民族の素晴らしいさがある。
さり気ない行為をこそ、貴んできた。
心の内を、出来る限り、目立たすこと無く、密やかに。それを、奥床しいという。
奥床しいとは、抑制の美である。
それが、物理的に狭いと思われる空間にも、無限の空間を生じさせた。
それが、もののあわれ、である。
男女の心の機微にある、抑制の美を、もののあわれ、という。
家なるわれは 紐解かず寝む
これは、人生唯一の歌である可能性がある。
夫が無事に戻った時、その妻は、何と言って夫を迎えたか。
おかえりなさい
それである。
その言葉に、万感の思いを込めて、おかえりなさい、という。
万感の思いを込めて、さようなら、と言えるか。
私の父が、その母の棺に、一言、さようなら、と言った。
はじめて、父の、そんな言葉を聞いた。
人生で、父の、さようなら、という言葉をはじめて聞いた。
母を引き取り、最後まで、面倒を見た父の、万感の思いの言葉であった。
するべきことを、すべてした後の、万感の言葉であった。
それで、善し。
言うことも無い。
人は、行為によって、成る者に成るとは、仏陀の言葉である。
行為以外の何物も、行為の前では、無いものと同じである。
同情するなら、金をくれ、である。