憶良は、万葉の歌の中で異色である。
それは、現代人に似る。
字義のみの、無常観、無常意識を持ち、この世を穢土と呼ぶ仏教の現実把握をもって、歌うが、実のところ、その心境を深めることもない。それは、ただ、現実の厳しさから得たものである。
体験と言う。しかし、体験は、経験という、思索に耐えての、体験である。
何でも体験すれば、いいというものではない。
私は、行為を最も貴ぶが、貧乏体験の長い人や、苦難苦労が長い人が、捻くれるのを、見ている。
心が、捻くれる程の体験は必要ない。
また、それにより、心偏狭になる場合もある。
人は行為によって、自由に成るものである。
しかし、人は、体験によって、自己限定をし、他者への理解力を失う場合もある。
体験した人でなければ解らないという言葉が、傲慢に成ることもある。
体験をせずとも、人間は想像力によって、事の真相と、真理を知ることも出来るからだ。
日本挽歌の反歌を読む。
はしきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の 術もすべなき
はしきよし
愛しき、に、感動の助詞をつけて、はしきよし、である。
愛を、ハと読ませている。
愛しいという感情の、詠嘆である。ああーーー、という詠嘆である。
かくのみからに
こんなことになろうとは、という意味。
かくのみ からに と、別けることができる。
かくのごとく、である。
こんなことにらろうとは、思いもしなかった。私を慕ってくれた妻が亡くなろうとは。
旅人の、妻の死を嘆き哀しむのである。
それは、自分の妻にも重ねるのである。
これが、自分の妻ならば、という共感意識である。
妹が見し あふちの花は散りぬべし 吾泣く涙 まだ子なくに
あふちの花は、栴檀である。
五月ころに、葉の付け根に、淡い紫の花を咲かせる。
旅人の妻は、その頃に亡くなったのであろう。
妻が見て、喜んだあふちの花も、もう終わる。しかし、私の哀しみは、終わることがない。涙は、乾かない。
大野山 霧立ちわたる 吾が嘆く おきその風に 霧立ちわたる
大野山に霧が立ちわたっている。嘆きのあまりに、溢れるため息の風で、霧が立ちわたっている。
おきその風には、定説がない。
ため息の、息ののような風という意味である。
霧立ちわたるを、二度使うほど、嘆息の思い強くしている。
霧立ちわたる心である。
霧は、私の溜息によって出来るのである。
和歌になると、序文とは、全く違う。
憶良には、永遠なるものや、生命感覚というものが、見出せないが、和歌には、万葉の息吹を少しみる。
立身出世を望むあまりの、知識の吸収が、情緒を、分離させてしまったのである。
600年に中国から、大量の書物が日本に、もたらされた。
それは、日本の意識の幕開けである。
隋から唐にかけての中国から、日本は多くのものを学んだ。
貪欲に学んだ。
大化の改新を為しえたのは、隋へ出向いて、学んだ者による。
私は、中国の、儒教、道教、そして仏教を批判するが、否定するものではない。
現在言われる、日本の伝統文化と言われるものは、室町期のものを言うが、それらの思想的根拠は、中国思想である。
陰陽五行における、世界の把握は、日本の文化の元である。
様々な観念を得たが、それを独自に咀嚼して、日本のものに仕上げた。
だが、それらは、元から、あったものである。
それを理解できたということは、それを理解し得るものを、有していたということである。
室町期の伝統文化を否定はしない。
しかし、日本には、それ以前から、あったのである。
それを、私は、総称して、古神道という。
伝統は、万葉集に言えるものだと、私は、考えている。
この万葉の伝統から、日本を理解することで、より円やかな日本を理解できる。
和歌の発生は、自然発生である。
話言葉が、歌になった。また、歌になっていたということだ。
単語に意味があれば、そのようなことにはならなかったといえる。
一音に意味があるゆえに、五七調、七五調が生まれた。
古事記や、日本書紀も、大和言葉としての意味と、成果はある。
内容に関しては、為政者の思い強く、ある種の、作為がある。
私は、それをもって、批判する。
大和朝廷の以前の朝廷を、圧縮して、長い間の正統政権を、ことごとく取り入れての、書物である。
嘘ではないが、省略している。
歴史書は、その時の、為政者の思いに深く寄るものだ。
推古天皇の時に、はじめて、正統政権の崇めていた、天照大神を、皇室の神として、承認する。
それは、以前の正統政権の時の、主である。
皇紀2667年であれば、それ以前の王朝からの歴史は、膨大なものである。
私は、それに一万年を加えて、12667年のヤマトの国の歴史を観る。
丁度、日本列島が、大陸から離れた頃である。
これ以上になると、私の妄想になるので、省略する。