子等を思ふ歌一首並びに序
こらをしのぶうたいっしゅ ならびにじょ
釈迦如来、金口に正に説きたまふ。等しく衆生を思ふこと、羅五羅の如しと。また、説きたまふ。愛は子に過ぎたるはなしと。至極の大聖すら、なほ子を愛しむ心あり。況や世間の蒼生、誰か子を愛しまざらめや。
金口 こんく
如来は黄金の身。その口も、黄金であるゆえに、金口と、尊称した。
すでに、当時、如来像は、金色であった。
唐でも、見たであろう。
偶像の最もたるものである。
等しく衆生を思ふこと、羅五羅の如し
ひとしくしゅじょうをおもうこと らごらのごとし
羅五羅は、釈迦の子供。
衆生を子供のように思うということ。
愛は子に過ぎたるはなし
子を思い愛する愛に、勝る愛はない。
至極の大聖
釈迦のこと。
如来の尊称がつく。すでに、釈迦は、如来という観念である。
釈迦以外の如来は、皆、観念の産物である。
阿弥陀如来等々。
南無阿弥陀仏とは、阿弥陀に帰依するという意味。
大乗仏教から、多くの想像の仏が作られた。
大乗の思想、あたかも、小乗より、大きな思想に思えるが、単なる、空想である。
小乗の、狭い仏教団に対抗して、生まれた教団である。それから、多くの宗派が、生まれた。つまり、何をどのように解釈してもいいのである。
大きな船に衆生を乗せて、彼岸に送るという、実に、傲慢な教えである。
仏教の教義というのは、支離滅裂である。
何をどのように、解釈、教義を作ってもよい。
中国に入ってきてからは、壮大な妄想を展開した。
大乗仏典とは、何の根拠もないものである。
ちなみに、仏教の読経というのは、はじめは、暗記をするために、されたものである。口伝えにして、仏陀の教えを伝えたことからのもの。
それが、いつしか、仏に手向けるものになっていった。
読経とは、私のために、するべきものであったが、書物になり、集団で、暗記をするために、皆で、読経を始めた。
それが、今では、形式になり、読経として、ナンボのものになった。
本末転倒も、甚だしい。
そして、笑うのは、経典の最後に、その経典を読むと、どんな功徳があるのか、書かれるという、誇大妄想である。
これには、釈迦も、仰天である。
尊い教えというのは、解るが、経典に功徳があるという、教えには、首を傾げる。
サンスクリット語の経典を訳した、中国仏教では、それらの人の思いが、経典に入り、とんでもないものになっていった。
甚だしいのは、経典を作る。つまり、創作もしたのである。
勿論、大乗経典の多くは、作者不明である。次々と、受け継ぐごとに、思い入れを付け加えていった。
釈迦が、書き物を残さないということの、真実を知らない行為であり、皆々、嘘である。
大乗が生まれて、仏陀の教えは、一気に堕落した。
憶良が、遣唐使に出た唐では、仏教の隆盛の時期であるから、当然、多くの刺激を受けてきたであろう。
憶良の、序を読むと、それが、よく解る。
分派に分派を重ねた、宗団が、さらに、分派して、つまり、亜流となって、日本に渡り、仏陀には遠い、教義を生み出し、今に至る。
日本仏教の大元、天台というもの、天台教学などという、お化けを作り上げて、そこから、様々な妄想を生み出したのである。
天台も、密教の一派である。
真言も、密教である。
この、密教とは、実に、仏陀に遠い。そして、仏陀が、遠ざけた、バラモンと、その呪術を持っての、修法をよしとする。
亜流というより、全く別物と言った方がよい。
密教の、修法、その教え、おどろおどろしい、曼荼羅などを、有難がるアホがいるが、あれは、魔界のものである。
あれを、宇宙だなどというから、笑う。
蒔きも、刈りも、そして、捕ることも、作ることもせずに、堂々と、妄想を積み重ねて、それを、信じるという様。あきれ果てる。
彼らの言う、信仰とは、仏に行くものではない。
すべて、自分の妄想の信念に、戻るものりであり、仏との結縁などという、アホな行為を繰り返して、また、元のところに戻るという、業態を演じてるのである。
ぐるぐると、廻り、辿りついたところが、私だったという。
勿論、仏は、私であるから、いいのだが、あれは、単なる、遊びである。
子供の遊びより、悪い。
密教とは、秘密にしているものがあるという意味であるが、頭隠して、尻隠さずである。
すべては、お見通しである。
あれで、人生を棒に振る。
ご苦労なことです。
蒼生
あをひとのくさ
民草、つまり、庶民の意味。
お釈迦様が、その御口から、正しく仰せられた。自分が衆生を思うことは、わが子の羅五羅を思うことと、同じである。
また、こうも、仰せられた。
愛は、子を思う愛に、勝る愛は無いと。
お釈迦様のような、大聖人でも、わが子を愛している。
まして、この世に生きる人は、皆、誰か、子を愛さないものが、いましょうか。
当時、釈迦を持ち出せば、説得力があったのである。
何せ、国家を挙げての、仏教擁護である。
当時、最新の学問であった。
今で言えば、東洋哲学の仏教学ということになる。
私が、仏教を容認するのは、その支離滅裂な教義ではなく、それによって起こった、美術、芸術活動である。
造形美術から、絵画など、多くの芸術活動を展開した。
それが、素晴らしい。
拝まれる仏像を、鑑賞に耐えられる像にしたのである。
日本の仏教は、その芸術活動に、多く負うのである。
芸術、そして、文学としての、仏教は、実に素晴らしい成果をあげた。
次に、歌を読む。