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もののあわれについて125

万葉集の歌は、天平宝字三年、759年に終わる。

天平の最大の特徴は、聖武天皇の、東大寺をはじめとする、全国68箇所に及ぶ、国分寺の建設である。

古代史における、空前絶後の出来事である。

ただし、現在、その面影を残すのは、東大寺のみ。後は、皆、廃墟と化した。

天武天皇は、国家仏教としての意識であり、聖武天皇は、まさに、仏教国家である。

これは、政教一致の様である。
だが、皮肉なことに、ここにおいては、仏教の精神というより、それらのエネルギーが、芸術、特に美術と、建築に表現される。
厩戸皇子は、仏教の精神を持っての、国造りを目指したが、ここに至ると、精神というより、目に見えるものとしての、仏教である。
仏教の堕落であるが、また、それは、芸術の勃発である。

世界の遺跡の、大半は、このように、膨大な浪費を伴い、建設される。
支配者の大欲が、引き起こす。
それが、今の歴史遺産となっている。

何故、聖武天皇は、膨大な労力をかけて、そのような建設を行ったかは、察しが着く。

天平7年から9年にかけて、全国的に天然痘の流行があり、多くの死者を出した。実は、その前には、天変地異である。

当時の人は、まだ、それらの出来事を、何ゆえのものか、つまり、何の祟りであるかと問うのである。

天平9年には、全盛の藤原不比等の四人の子等が、全員死ぬ。
政治の中枢にいた者たちである。

藤原の血を引く、光明皇后は、即座に、長屋王の死を思ったであろう。
藤原氏の策謀により、自殺をしたのである。

聖武天皇の詔は、天平4年から6年まで、天変地異の様を書いている。
そこでは、国民のせいではなく、責めは、予ひとりにると、述べている。
天皇の責任を感じているのである。

天皇が、自ら、自責、不徳と、罪を告白するというのは、前代未聞である。

さらに、政治的危機にあり、天皇は、それからの救いとして、仏にすがるのである。

しかし、救われることは無かった。
聖武天皇は、結局、退位をして、孝謙天皇に席を譲り、出家するのである。
あれ程のエネルギーをかけて、建造したが、心は、安心せず、不安なままで、退位する。
つまり、天皇の失格である。

不思議なことは、それらのことを、伊勢神宮や、宇佐八幡に、問わせていることである。

仏教国家を目指したから、神々の世界が、衰退したかというと、そうではない。
更に、神の世界が、仏教に抵抗した様も無い。

依然、伝統として残り、仏教の隆盛を善しとするのである。

結論から言えば、仏陀の思想は、元々、日本の思想であったからだ。
それは、仏陀の釈迦族と、日本民族とは、同一民族だったからだ。
しかし、今は、省略する。いずれ、書く事になる。

当時、すでに、奈良に、六宗が、成立していた。
三論、成実、法相、倶舎、律、華厳、である。

その中で活動の様が残る者は、行基である。
衆生救済を成した唯一の人である。
空海などが有名だが、行基が、最初である。
何か。
民衆の中に入り、橋を作り、堤を築いた。

実は、行基の師匠が、道照であり、道照は、あの、三蔵法師で有名な、唐の玄奘の弟子である。
玄奘三蔵法師が、天竺から戻り、唐で、翻訳をしている時に、道照が、唐に渡る。
玄奘から、道照は、前世で縁ありと言われて、大切に指導された。
玄奘は、法相宗の開祖でもある。

道照も、井戸を掘り、橋を作ると、続日本書紀にある。
つまり、灌漑土木の技術を唐から、持ち込んだのである。

現在の、腐れ坊主とは、違うのである。
当時の僧とは、世の中の実践者として、大いに活躍した。

信仰が、社会的実践として、成る時代である。
信仰とは、実践であったということだ。
民衆救済のために、実践することが、信仰であった。
行基は、特記すべき人物である。
何となれば、一切の書き物を残すことなく、ただ、実践したのである。

当時の仏教は、実践者の仏教であり、思想は、一部の者のみが、享受したのである。

知識階級における、仏教の無常観ばかりを見ていると、誤る。
民衆に支持される、僧たちの活動をも、見ることだ。

南都の仏教からは、天台、真言などは、新興宗教である。
ところが、今の仏教は、天台を多く継ぐ。
つまり、新興宗教の、さらに、新宗教であるということだ。

勿論、思想的には、堕落している。

天台の最澄は、その教義に、法相宗の僧に、徹底的に叩かれているが、如何せん、権力がついて、日本仏教の元を創作する。

時代としては、柿本人麿などと、同じ時代に行基がいるが、交流したという、何物も無いのである。
別空間に在るようである。

万葉集には、憶良の、無常観を歌うものがあるが、仏教を歌う者は、皆無である。
そこで、薬師寺に残る、仏足石歌、ぶっそくせきか、を見る。

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2007年11月17日 07:15に投稿されたエントリーのページです。

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