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2007年12月 アーカイブ

2007年12月01日

もののあわれについて132

よみ人知らず
題知らず

わが宿の 池のふぢ波 咲けにけり 山ほととぎす いつか来鳴かむ

わが家の、池の藤の花が咲いている。ほととぎすは、いつ来て、鳴くだろうか。

いつか、の、かは、現代文だと、最後にくる。疑問の助詞は、古文では、このように、文中にきて、文末を受ける、つまり、係り結びになる。
文法については書かないが、これから、この表現が多いので、書いておく。

ふぢ波は、藤の花のこと。
山ほととぎすは、夏に、山から里に来て鳴くと、考えて、山にいる間を、山ほととぎす、という。

わが宿とは、家全体を言う。庭も、そうだ。

さつき待つ 花たちばなの 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする

五月を待ち咲く、花たちばなの香りをかげば、昔の人の袖の香りがする。
昔の人とは、恋仲の関係であろうか。
花たちばなとは、花が咲くことを言うが、これは、杜若、かきつばたや、菖蒲の立ち姿を言う。

夏山に 鳴くほととぎす 心あらば もの思ふわれに 声な聞かせそ

夏山で鳴いている、ほとときすよ。心あらば、物思いに沈む私に、声を聴かせてくれ。

心あらばと、ほととぎすを擬人化する。

万葉の歌と、歴然として、違うことが解る。

万葉の歌、勇壮として、自然同化をするが、古今は、自然と対立して、こじんまりと、自己の世界を歌う。

この、古今の、もののあわれ、が、以後、主流になるのである。
自己観照という意味では、自己を深めることになるが、歌の世界から、見ると、狭いのである。

そして、ここから、風情という感覚が、現れてくる。

万葉は、自然すべてに、光が射したが、古今、新古今となると、ピンポイントになってくる。
花鳥風月という、ピンポイントである。
新古今になると、さらに観念的になり、それが、芸術としての、芸域にまで、達する。歌が、芸術として、認識される。
歌の昇格なのであるのか、微妙複雑化してゆくのである。

純粋素朴なものが、成長発展するのである。
ただし、それを良し悪しで、判断することはない。
時代である。

きのふこそ さ苗取りしか いつのまに 稲葉そよぎて 秋の風吹く

昨日、さ苗を取ったばかりなのに、もう、秋の風が吹いている。早いものだ。

例えば、この歌を。
秋の風 さ苗取りしか いつのまに 稲葉そよぎて きのうこそなむ
最初と、最後を取り替えてみると、実によく解る。

更に、
秋の風 さ苗取りしか きのふこそ 稲葉そよぎて いつのまにまに

歌の分析に、これは、邪道である。
しかし、理解するために、あえてしてみた。

昨日、早苗を取ったばかりなのに、もう、稲が秋風にそよいでいる。

文法をよくする者、このようなことを、考えることはない。これをすると、分析が台無しになる。そして、文法上では、云々という。
文法が出来て、歌があったのではない。
歌が出来て、文法という、分析がある。
つまり、言葉は、生き物であり、それが、自然に生まれ育ちするものである。
それに、文法という、切り口から、解釈するという、たった、一つの方法であるということ。

まず、語感を感じ取ることから、始まる。

上記の歌、研究者は、二句切れという。
文法上は、二句切れとなろうが、読む者の、心境では、別になることもある。
私が朗詠すると。

きのふこそ さ苗取りしかいつのまに 稲葉そよぎて 秋の風吹く
となる。
誤りだろうか。

初句と、三句と、四句で、切れる。
文法ではない。語感である。

2007年12月02日

もののあわれについて133

よみ人知らず
題知らず

木の間より もりくる月の 影見れば 心づくしの 秋は来にけり

木々の間から、月の光が。物思いのふける秋がやってきた。

もりくる
漏れてくる。
影は、その月の光のことである。

ここで、影というものが、物の影ではなく、月のもれる光を言う。
もりくる月の 光見れば、とは、ならない。
光を影と、感じた、彼らの心境を理解する時、その時代の感覚が解る。

いや、漏れる光を、影と、表現したというべきだ。

月そのものの、光を言う時は、光と言う。しかし、間接的な光を、影という。
影の存在と言えば、無いものではなく、あるものである。

影により、そのものの存在感を、よりいっそう、感じるということもある。
上記の歌、実に、素直な歌である。

心づくし、とは、あれこれと、思うことを言う。
心づくしの、持て成しといえば、心を込めた持て成しと、いうことになる。
づくし、は、尽くし、になる。

心づくしの 秋は来にける
このように、秋を迎える心境を想像して欲しい。
何と言う、優雅さか。また、自然に対する感受性は、見事なものである。

白雲に 羽うちかわし 飛ぶ雁の 数さへ見ゆる 秋の夜の月

白雲を背景に、羽をかわして飛んでゆく、雁の数も、はっきりと解る、秋の月夜である。

当時の夜の光といえば、月明かりと、星明りである。
いかに、月の光が、輝いていたか。
夜の闇に、月の光は、煌々と照る。

闇というものの、価値を知るには、闇の只中に身を置いてみることだ。
私は、本当の闇を知っている。
自然の中での、闇である。

何もかも 何もかもがも 抱きこんで 夜の闇には 音さえも無く 天山

闇は、沈黙である。
その沈黙が、闇の本体である。
闇は、饒舌を許さない。

子供の頃に、本当の闇を知ったこと、宝である。
小さな、ローソクの光でも、それは、大きな救いだった。
私の救いの、原始体験は、闇の中の、小さな光である。
光に向かってなら、人は、歩むことが出来る。もし、闇の只中を行くとしたら、それはそれは、恐怖である。

火というものを知った、古代人が、一躍、文化的行為を獲得する。
火は、故に、信仰の対象とも、なる。

この原始体験の、眠れる意識を、観念による、宗教的救いに、置き換えてしまうと、単なる、妄想になる。
宗教の本体は、妄想である。

おおよそ、4000年ほど、人類は、そうして、観念の救いに陥っている。
唯一、原始体験を下に、行為にのみ、重きを置く、古神道が、残るのみ。

膨大な妄想の思想体系がある、宗教は、神道を、思想体系が無いと、軽蔑する。
逆である。思想体系がなければ、やっていられないという、愚かさである。
つまり、語り尽くそうとする。それは、文学、哲学であり、宗教ではない。しかし、宗教も、そのようだとする。故に、神道は、彼らの宗教概念には、入らない。つまり、神道は、彼らからは、宗教ではない。
私も、神道を宗教と、言わない。日本の伝統である。

神道は、日本人の潜在意識なのである。

なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる

実体を見るのではなく、観る、感じることであり、それは、更に実体がない。ただ、流れているのである。なにごとかが、流れているのである。それを、感じ取る。

すべてを、理屈で、解決しようとする、西洋思想が、いかに、偏狭になるかは、ご覧の通りである。
言論を戦わせると言っても、言葉遊びである。

それはしかし、インド思想も、そうである。
三蔵法師玄奘が、天竺の、最高学府ナーランダで、論戦のトップに立った。
言い負かし、である。
論破するという、愚かなことを持って、仏教の最高学府は、成り立っていた。
結果、今は、その仏教は、見る影も無い。
バラモンから、ヒンドゥーという、曖昧模糊なものに、取って代わられた。

仏陀の言葉が、重く響く。
人は、行為によって、成るものに成る。

理論武装という、馬鹿馬鹿しい言葉があり、アホ、バカが、それを言うから、また、おかしい。
いくら、理論を積み上げても、行為行動の前には、塵である。

日本人は、秋の夜の月で、終わる。
実に、気分がいい。

2007年12月10日

神仏は妄想である。

ある新興宗教の、観音経というものを、見て、仰天した。
神仏混合どころではない。実に、稚拙で、お経や、祝詞の継ぎ接ぎであり、内容が、渾然として、こんがらかっている。

どうして、このような、稚拙な文句に、信者が、気づかないのかといえば、単に、知識の不足だけではなく、基本的な、常識的教養を持たないからだと思う。

今、その経典を、ここに書くことは、控える。あまりにも、稚拙であり、また、ここに載せれば、弊害があると思う。

その、新興宗教は、ある、新興宗教から出た。その、大元は、大本教である。
大本教とは、様々な、新興宗教を産んだ、大元である。
つまり、魔界関与であるこというは、このように、証明済みである。

霊団の眷属が、分散したのである。

今は、霊的なことに、触れないが、宗教というものの、原始的姿を観た。

どんな、小さな宗教団体でも、唱える経典を作る。
多くが、既成の経典、特に、仏教経典から、借用する。

例えば、足裏診断で、詐欺罪に問われた、天の声の、教祖は、般若心経を、信者に唱えさせた。
勿論、般若経から出た、般若心経のことなど、知ることもない。
単に、適当に、説得力があるゆえの、盗用である。

現在使用される、般若心経は、玄奘三蔵法師の訳である。
それ以前は、クマラジュウ訳であった。

特徴は、玄奘は、観自在菩薩である。
クマラジュウは、観世音菩薩である。

玄奘は、自在と訳した。観世音とは、違う。
つまり、お経には、訳した者の、思想が入る。当然である。
玄奘は、自在というように、我が内に在るものと観た。
外に在るものではない。内にある存在である。

しかし、これは、梵語からの訳である。それを、漢訳した。
さらに、それを、日本では、漢読みする。要するに音読みである。訓読みすれば、大和言葉に成る。

これ程、不自然なものはない。
それを、読経するのである。

内容は、あたかも、深遠で、壮大な思想を語るようであるが、単なる、言葉遊びである。
大乗思想は、空の思想であるが、その空の思想とは、実に、妄想である。
この宇宙に、空という空間は無い。
宇宙を出て初めて、空という空間がある。

大乗の空観は、インドの言葉遊びに始終する。
それを、皆々、真理だの、なんだのと、勝手に解釈する。
大般若経を読まなければ、実は、般若心経も、理解出来ないはずである。

色即是空 空即是色
物即是無 無即是物である。

何のことは無い。
桃太郎や、浦島太郎の、物語も、読む側の問題である。つまり、解釈の仕様で、如何様にでも、なる。それと、同じである。

漢字の難しいイメージが、深遠さを、語るようだが、軽薄である。

仏典とは、多くの人によって、書き足し、次々に加えられて、膨大になっていった。
般若経というものも、八千の章があるという。
大乗仏典は、その般若経から、出た。維摩経しかり、法華経、華厳経である。また、それとは、異質な、浄土経典も、はやり、それを母体にしている。

そして、その元は、二世紀の、インド哲学というか、仏教学というか、何ともいえないが、龍樹・ナーガールジュナによって、説かれ、更に、五世紀の世親・ヴァスバンドゥによって説かれた、世界には、固定した実体は無いとした、あらゆるものは、空であるという、思想からである。

彼らの、死ぬまでの暇つぶしに、付き合う必要はないが、あまりに、人々が愚かに、唱える故に、書くことにした。

甚だしい場合は、浮遊する霊を成仏させるために、唱えるというものもあり、驚くのである。また、霊の供養のためにという場合もある。

更に、甚だしいのは、霊能者と言われる者も、平然として、唱えるのである。

唱える方も、解らない。唱えられた方も、解らないという、滑稽な展開である。
笑うに、笑えないのである。

更に、読経した後の、功徳という。
功徳とは、功績とか、お返しとか、褒美である。
そんなことが、ある訳が無い。

更に、日蓮などは、法華経でなければ、救われないというから、また、とんでもなく、おかしくなる。

経典は、あくまで、本である。
本を読んで。お勉強になるということは、理解するが、それが、唯一絶対のものとなれば、言わなければならない。

小説を読むと同じように、経典も、読むべきである。
何故なら、書かれたものである。
書かれたという、時点で、それは、過ぎ去るものである。
過去の、考え方である。

過去の考え方に、普遍的なものがあるというのも、一つの思想である。

書かれたものは、お話である。

更に、古いものであり、云々ということの、話は、何の真理も無い。
それが、妄想のものであれば、妄想に過ぎないのである。

更に言うが、漢訳されたということは、漢訳した人の思いが入り、書かれていないことまで、書き足すということもあるということである。
特に、仏典の場合は、そうして、書き足されて、膨大なものになったのである。

浄土経典などは、付き合い切れない程、アホらしい話が延々と続くのである。
そんなものを、死者に唱えて、成仏も何も、あったものではない。
有り難迷惑というものである。

しかし、実際、日本仏教では、それを、唱えて善しとしているのである。
マジである。

信じられないの一言。

2007年12月11日

神仏は妄想である。2

観音様という、菩薩がいる。
架空の存在である。

仏陀在世当時の、修行者だという説もあるが、作り事である。

観音様には、様々な観音様がいる。
私は、その一つも否定はしない。
ただ、観音経という、お経から出たものであり、その実体は無いということである。

観音経は、大乗仏典の、法華経の中に入っている。
妙法蓮華経観世音菩薩普門品、かんぜおんふもんぼん、である。
現在使用されている、法華経の漢訳は、名訳である、鳩摩羅什、クマラジュウの訳である。

勿論、別の訳のものもある。
例えば、正法華経とか、添品妙法蓮華経というものである。

この、妙法蓮華経に、帰依するという、南無妙法蓮華経というのが、題目である。
念仏は、阿弥陀に帰依すると、南無阿弥陀仏と、唱える。

一つは、お経に帰依するといい、一つは、観念に帰依するというから、おかしい。

兎に角、鳩摩羅什という人は、文学の天才であった。
内容より、素晴らしい漢訳をした。
読経するには、最高の訳をしたのである。
その人の話を書けば、先に進まないので、省略する。

日蓮は、すべての、宗派を否定し、妙法蓮華経により、救われると、説いた。
非常に排他的で、非寛容である。ただし、内輪には、大変、寛容で、やさしい。

御伽噺のような、法華経を、格調高く訳した、鳩摩羅什の訳に、取り込まれたのである。

その姿は、一神教に似る。
私は、すべての宗教を否定する。しかし、日蓮のように、だから、これによって、救われるというものを、提示しない。
後々に、本当のことを、書く。

さて、私の前に、仏教の様々な仏を、徹底否定した人がいる。
江戸時代の、儒者である、山方播桃、やまがたばんとう、である。
著書の、夢の代、という本に、霊魂の否定、神、仏の否定、更に、仏教批判を展開している。
仏教に、教義なるものは、皆無であるが、彼は、仏教の教義を、徹底否定し、批判した。

日本の生んだ、天才的思想家としての、一人であるといっても、過言ではない。人が知らないだけである。

観音、薬師、地蔵、阿弥陀等々を、坊主の作り事と、断定したのである。
確かに、それは、作り事である。

ただ、日本に、仏教が入ってきた時に、教えより先に、仏像製作が行われた事実がある。つまり、造形の方が先になった。
それを、拝む行為としての、仏教であった。
要するに、像を拝む宗教だった。

教義等々は、後の話である。

実は、観音様というのは、仏教のものではなかった。
西アジアで、拝まれていた神の一つであった。それが、変形して、仏教に取り入れられたものである。

現在、日本で、拝まれている、仏教系の、帝釈天や、弁天様なども、インドの神々である。
混在しているのである。
要するに、適当なものである。

観音様というものは、その像を通して、認識された。
つまり、人間の芸の技である。
・・・のような、美しい観音様、である。
この、何々のように、美しい観音様と、人間の想像の産物である。

それでは、観音経では、観音を、どのように説明するのか。
ただ、一心に観音を念ずれば、すべての問題は解決し、観音の力によって、奇跡が起こるという。念彼観音力、ねんぴかんのんりき、である。

例えば、こうである。
もし是の観世音菩薩の名を持する者あらに、たとい大火に入るとも、火も焼くこと能はず、是の菩薩の威神力によるが故に、もし大水の漂はす所となるも、その名号を称せば即ち浅き所を得ん。
というのである。
火にも、焼かれない。水にも溺れないという。

ところが、人は、観音様を唱えても、火に焼けるし、水にも、溺れるのである。
それに対して、宗教家は、言う。
観音様の、実相は、無想であると。
つまり、人の心の様を言うと。

信心が薄いから、云々という言い方もあるが、少し、知恵がつくと、うまく、逃げるのである。

確かに、観音というものは、人の心の在り様である。

火に焼かれても、水に溺れても、死んでも、無想であることを観ることが、観音を観ることだという。

実に、良い説明である。

とすれば、観音でなくても、いいのである。
何故、観音様を掲げるかといえば、人間は、弱い者だからである。
何かに、縋る、すがりたいという時に、目に見えるものが欲しいのである。

彼ら、宗教家は、何とでも言うことが、出来るというのが、ミソである。

実際、私も、観音経を上げることもある。
その、音が好きだからである。

その名を称するが故に即ち解脱することを得ん。
そのように、書かれている。
書かれているから、事実ではない。
要するに、そう思うことであるというのだ。

思い込みという、心の状態が、信仰というものを、確たるものにする。

一度、信じたものは、嘘と、解っても、捨てきれないというのが、人間の、悲しさである。たとえ、捨てたとしても、別の神様を拝みたくなる。
何かを、拝みたくてしょうがない人も、いるのである。

観音が、心の無相であれば、何も実体が無いということである。
また、観音自体も、無相である。
これは、つまり、大乗の教えの、空から、出るものだ。

空という、人知では、計ることが出来ない、境地、空間をもっての、解説である。何を、どのように、説明しても、成り立つという。

私は、宇宙の外でなければ、空という、状態は、無いと言う。

話を元に戻すと、観音というのは、我が内にあるものである。
我が内にあるものを、観音という、総称にするということである。
それは、観音でなくてもいいということだ。

何でも、いい。

昔の人は、言う。
いわしの頭も、信心から、と。

すると、キリスト教徒は、言う。
何でも、信じれば、いいというものではない。
正しい神のみを、信じることであると。
すると、イスラム教徒は、言う。それが、アッラーの神であると。

一向に、妥協しない、強い信仰というものが、それぞれで、出来上がっている。

私は言う。
そろそろ、そういう時代に、別れを告げるべきである、と。

妄想の観念に、心を捕らわれにしている様は、愚かである。

まず、ここに、気づくことである。
話は、それからである。

神仏は妄想である。3

仏典、大乗仏典というものは、次々と、書き足されていった。
要するに、様々な人の、意見が取り入れられて、しまいに、訳する者が、また、手を入れるという、とんでもないことをしているのである。
経典、果たして、そんなものが、経典と成り得るのか。
成り得ているのが、仏教である。
故に、支離滅裂になる。

しかし、宗教家というのは、本当に、おめでたいというか、抜書きして、勝手な解釈をする。
何とでも、言えるのである。
それが、ミソ。

例えば、禅というもの。
何とでもいえる。
言葉で、人を煙に巻くのである。

だが、これからの時代は、かろうじて、その、禅が、残りそうである。
後は、子供の遊びのようなものであり、時代に、対処出来ない。

禅というのは、言葉遊びの、骨頂である。

至道無難という禅者の歌。
草木も国土もさらに なかりけり
ほとけといふも なおなかりけり

どうであろうか。
つまり、すべての観念は無い。あるのは、仏のみであるという。
すべてが、仏であるというのだ。
絶対否定から、悉皆成仏、つまり、すべてが、仏であるという。

こういうのを、言葉遊びという。

いわばしる 垂水の上の さわらびの 萌えいずる春に なりにけるかも
志貴皇子 万葉集

なかりけり なおなかりけり
それも、観念である。
それでは、志貴皇子の歌は、どうか。
目にした、春先の様を、そのままに、歌う。どちらが、自然か。
これを、古神道という。
自然と共感、共生している。

国土も草木も、仏も無いなどという、浅はかな、歌は、読まないのである。
言葉遊びと、神、自然に遊ぶのとは、違う。
自然は、神であった、日本民族である。
そこに、あたかも、在るかのように、思想という言葉が、入ってきた。それは、文明の進化としては、善し。しかし、それを、信仰という形に、観念に、置き換えたところが、勘違いである。

それを、後押しした、哲学者、西田幾太郎がいる。

宗教的意識においては、我々は心身脱落して、絶対無の意識に合一するのである。そこには真もなければ、偽もなく、善もなければ、悪もない。宗教的価値というのは価値否定の価値である。

というのである。
呆れる。
加えて、無も無いと書けばよかったのに。

死ぬまでの、暇つぶしにはしては、凝っている。

こういうのを、西洋かぶれ、と言う。
西洋哲学の方法を、持っての、言葉遊びである。

それなら、道元に適わない。
道元の言葉は、見事な、実存哲学である。

その、道元も、仏の家に投げ入れて、と、仏の家の観念を持つ。
要するに、心身脱落を言うのであるが、心身を脱落して、どうするのか。

大悟するというのであろう。
天地宇宙と、一体になるのである。

こういうのを、アホ、バカという。
天地宇宙と、一体になり、糞小便、垂れ流して生きるのである。

それを、言うなら、いない方がよいということになる。

こういう、たわけたことに、真剣になる者もいるのである。

人は、生きられるようにしか、生きられない。

大悟する人は、大悟しか、生きようがないのである。
更に、悟るということも、観念である。
自己満足の、一点に尽きる。

ところが、禅では、考案といって、師匠から、師家から、問題を出されて、それに、答えて、悟りありと、認められるというから、また、笑う。

両手を打つ。どちらの手が鳴ったか。
右でも、左でもない。
心が鳴ったのである。

船が通る。
船が動いたのか、海が動いたのか。
心が動いたのである。

アホらし。

蒔くことも、刈ることも、捕ることも、作ることも、せず、言葉遊びである。そして、托鉢というから、さらに笑う。

生きている価値があるのか。
無い。
死ぬべきである。

坊主のところには、金が集る。
その、金を目当てに、また、それを持ち上げる、思想家がいる。
今は、宗教評論家である。

心の軽くなることを書いて、本を売る。
実に、宗教の堕落である。

舒明天皇の歌。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝宿にけらしも
ゆうされば をぐらのやまに なくしかは こよいはなかず いねにけらしも

あるがままを、歌う。
自然と、共感、共生する。
何事も無い。
観念の遊びがない。

道元の歌。
峰の色 谷のひびきも 皆ながら 我が釈迦牟尼の 声と姿と

すべては、釈迦であるという。つまり、仏の姿であるという。
観念にやられたのである。
釈迦という、観念である。

私は、
今夜は鳴かず 寝宿にけらしも
である。

我が釈迦牟尼という、妄想は、無い。

2007年12月12日

もののあわれについて134

読み人知らず

是貞親王の家の歌合せの歌

奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき

奥山で、紅葉を踏み分けて、鳴く鹿の声を聞けば、秋は、実に悲しく思われる。

歌合せは、歌人たちが、左右に分かれて、同じ題で、歌を作り、優劣を競ったものである。
古今時代の歌合せは、まだ、初期の段階であり、平安後期から、鎌倉時代に、最も盛んになった。
次第に、形式も出来上がり、知的遊戯としては、最高級である。
勝ち負けの判定には、誰もが納得する理論が生まれる。歌論である。歌合せによって、評論の精神も、生まれることになる。
そして、次第に、歌を歌うことより、歌を評することに、重きが置かれるという自体になってゆく。
これは、歌の堕落である。

歌は、読むことに意義がある。
当然、理屈を超えて、感動させる歌も多々ある。

奥山の紅葉を分け入るのは、鹿である。
踏み分けて聞く、となれば、その人が、分け入ることになる。
紅葉の中を鳴く鹿を、想像して、歌うのである。

鹿の鳴き声に、秋の悲しさを歌う。
これを、単に、秋は悲しいと、悲しいという、意味のみに捉えては、単純すぎる。
悲しいは、哀しいとも、愛しい、とも、書く。

かなしい秋は、実は、愛しい秋でもある。
つまり、秋をこよなく、慈しむということである。

悲しみを、悲しみに限定すると、もののあわれ、の心が、見えにくくなる。
悲しみには、必ず、愛しい、という、慈しみの心が宿る。

そして、また、愛しいは、一種の執着でもある。
愛という文字は、仏教では、欲望を言う。
現在使用される、愛という言葉の認識とは、違う。

慈しみと置き換えた方が、正しい。

悲しみは、歳月を経ると、慈しみに変容する。
もののあわれ、である。

月をこそ 眺めなれしか 星の夜の 深きあわれを 今宵知りぬる
建礼門院右京太夫は、歌う。

月を眺めてばかりいたが、今夜の星の夜は、何と言うことだろう。あまりの星の光の美しさに、深い、あわれ、を覚えたのである。

悲しみを行き続けた人の、辿りついた、境地である。
悲しみを突き抜けて到達した、心の様が、あわれ、であった。慈しみの心であった。

人生は、悲しみに満ち溢れている。
少しの、問題意識を持てば、生きるということは、悲しみを生きるということである。
何一つ、プラスのイメージで、捉えられるものはない。
生老病死は、人間の定めである。定めは、変えられない。

どんなに、傲慢不遜に生きても、必ず老いて、病になり、死ぬ。

実に、一寸先は闇である。
先を知らないだけである。

幸、不幸の概念ではない。
人生は悲しみなのである。
それを生き抜く時に、あわれ、慈しみの心に目覚める。
もののあわれ、とは、それである。

更に言えば、人生にあるのは、絶望である。
希望は、願望であり、願望は、思い込みである。
思い込みを、輝ける希望と、勘違いして生きるのである。実に、おめでたい。そして、その、おめでたさが、救いである。

先を知らないから、かろうじて、生きられる。
突然、癌を宣告される人のように、人生には、そのようなことに、満ち溢れている。

美辞麗句を並べ立てても、真実は、悲しみなのである。

喜びは、一瞬にして、過ぎ去るが、悲しみは、過ぎ去らない。

秋は悲しき
それは、春も、夏も、冬も悲しいのである。

絶望に気づかない人は、もののあわれ、というものを、知ることなく、無為に人生を観ることになる。

辛うじて、世間は虚仮と看破して生きるしかない。
だから、人生を、旅と見立てて、古人たちは、突き放して観たのである。

生きるということが、あまりに、悲しいことだからである。

幸せになると言われて、壷を買う人を笑えない。
誰もが、それに似たことを、行っている。

はっきり言うが、何一つ、人生を救うものは無い。
毎日、絶望の只中にいるのである。

青春の一時期の、虚無感は、真実であった。それを、辛うじて、何事かで、誤魔化し、ごまかし、知らぬ振りをして生きる。あるいは、信じるという、徹底的思い込みで、生きるのである。

安心立命とは、嘘である。

題知らず

竜田川 もみぢ乱れて 流るめり 渡らば錦 中や絶えなむ

竜田川には、紅葉が乱れて流れている。川の中を渡れば、その紅葉の流れを切ってしまうだろう。

大上段に、人生論を語らない日本人は、ただ、歌を読むのである。

今、目の前にある現実に、対処すること。そこに、生きる極意がある。
紅葉の流れを、せき止めることなく、それを、眺めるという、余裕、優雅な心である。人生には、それ以外に、方法が無い。

人生は、流るめり、なのである。
流れているようだ。めり、は、断定ではない。断定を避けているのである。

実際に流れているにも関わらず、流れいると言わない。断定しない。
それが、曖昧さであり、たゆたう心という。
しかし、それを、日本人は、悪しきものとして、卑下した。

流るめり、として、世界を捉えるのは、日本人のみであり、それこそ、世界の平和に貢献する、ものの考え方である。
この世には、何一つ、断定するものは、無い。

インド思想は、空とか、無という言葉遊びを善しとするが、日本の感性は、断定しない、流るめり、なのである。
観念を作らないのである。

もののあわれ、についての、観念を作れば、それは、嘘になる。
ということは、定義を作るという、西洋哲学の基本は無い。ということは、日本には、思想など無いと、言ってもよい。
語ることは、嘘であると、看破しているのである。

しかし、それでは、先に進まないゆえに、便宜上、歌を読むのである。

思想が無いということで、卑下し、不安になることはない。
嘘の言葉遊びで、人生を台無しにするより、目の前にある人や物を、いかに大切にするかである。
それは、自然に思想を観るからである。
日本の思想は、この日本の自然の中に満ち溢れているのである。

もののあわれについて135

よみ人知らず
題知らず

降る雪は かつぞけぬらし あしひきの 山のたぎつ瀬 音まさるなり

降る雪は、降る先から解けている。山の瀬が激しく流れ、音も激しい。

山の瀬が激しく流れるのは、雪解けの水が流れているからだという。
かつぞぬらし、らし、とは、推定であるが、明確な根拠がある。雪解け水である。

音まさるなり
そのままを歌う。技巧も無い。

この川に もみぢ葉渡る 奥山の 雪げの水ぞ 今まさるらし

この川に、紅葉の葉が流れている。奥山の雪解け水が、今、増している。

これも、技巧無く、素直に歌う。
このように、写実的な歌で、歌心を学ぶとよい。
ありのままを、31文字にする。


わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

君が代の原典である。
和漢朗詠集では、わが君は、が、君が代は、になる。
多くの人の口に上った歌である。自然発生的に、国歌となるべくの歌であった。

君とは、天皇を言わない。天皇は、大君である。
故に、この歌の君は、親しい人、愛する人、恋する人を言う。

あなたは、千代も八千代も、お元気でという意味になる。
それを、さざれ石の、巌となりて、苔のむすまで、と歌う。

ここで、この歌の矛盾を言う。
さざれ石が、巌となることは、無い。不可能である。
巌が、砕けて、さざれ石になることはある。
小石が、大きな石になることは無い。

それでは、何故、そのように歌うのか。
人間が千代も、八千代も、生き続けられることはない。不可能である。しかし、その不可能を願うほどに、相手を思うというのである。

限りある 人の世の道 定めある 時を過ごして 悲しきことを 天山

どんなに立派な人だからといって、千年も生きる人は、いるだろうか。
限りあるから、いいのである。
無常観ではない。
事実である。
その事実を無常観という、感覚、更に、観念に押し込めることは、いかがなことか。

限りある ことといえるは 幸いと 今を生きてや 悔いを残さず 天山

わが君は、最高の恋歌である。
しかし、恋歌と言う時、恋歌の変転を言わなければならない。

恋とは、乞うことである。相手の、魂、たま、を乞うのである。
万葉の恋歌は、魂乞いであった。

それが、古今、新古今と、色好みへと、変容する。
ただし、現在言われる、色好みではない。

色好みは、雅、みやび、という、新しい感覚を伴う。
みやび、とは何か。

もののあわれ、の、もう一つの側面である。もののあわれ、の、一部にある、心境である。
みやび、を分析することである。

平安期は、この雅が、主流になる。
みやび、とは、繊細優美であること。
それを、歌にして追求するようになる。


万葉の、丈夫振りから、みやびへ、至る。
手弱女振り、たおやめぶり、という、心境に変容する。

この、雅が、室町期になると、更に、変容して、侘び寂びという、境地を生む。
茶の湯で、侘び寂びが、完成する。

更に、侘びが、綺麗侘び、寂びが、綺麗寂びと、変容する。
その精神史というものを、もっと、掘り下げてみたいと思う。
いずれ、追々と書くことにする。

しかし、すべて、その底流に流れるもの、それが、もののあわれ、である。

2007年12月13日

バリ島へ

バリ島へ

バリ島は、雨期の時期である。
しかし、雨降らず、兎に角、暑いと聞いていた。
本当に、暑かった。
特に、観光の中心である、クタ、レギャン地区は。暑い。

ウブドゥに行き、朝夕の涼しさに、ホッと一息ついた。

今回のツアーは、コンサートツアーである。
総勢、六名。
12月3日の、朝の便が、二時間遅れで、12時過ぎに、飛び立った。
前日、成田空港内のホテルに、泊まった。
朝、8:30集合であるから、横浜からだと、朝、早すぎると、前日から、泊まることにした。

ソプラノ辻知子、ギタリスト千葉真康、カウンターテナー野村さん夫妻、そして、イダキの野中と、私である。

今回の、旅行記は、コンサートと、バリ島の伝統、宗教に関して、少し、詳しく書くことにする。

3日の夜に、デンパサール空港に到着し、ホテルに向かう。
そして、翌日は、フリータイムで、ゆったりと、過ごした。
5日の、朝、10時に、ウブドゥに向かう。

途中、ゴアガジャという、洞窟、ウブドゥの段々畑を見て回り、ホテルに向かった。
12年前に、ゴアガジャに行った私は、あまりの、観光地化された様に、愕然とした。
すべて、整然と、されて、あの、野ざらしのような雰囲気はなく、少し、寂しい気持ちがした。それに、入館料も取られた。トイレも、有料になり、ガイドによると、また、値上がりするという。
1000ルピア、約、12円が、2000ルピアになるのだ。

ホテルに向かう。
コテージになっているホテルである。
一棟、一棟の部屋で、家庭的な雰囲気のホテルであり、皆、大層、気に入った。

到着すると、すぐに、テラハウスの共同オーナーである、クミちゃんが、来た。
すでに、バリ島に来ていた、ヒロ君、クミちゃんの叔父さんにあたる、マディさん、そして、クミちゃんの、旦那の弟、車の運転をしてくれる、親戚の叔父さんと、総勢5名である。

今夜の、コンサートの打ち合わせをした。

テラハウスにて、開催する。
その前に、マディさんの家で夕食を、頂くことになった。
有り難い。

観光旅行では、民家で、食事を頂くことなどないから、皆、喜んだ。
私と、野中は、四月にも、マディさんの家で、食事をしている。

バリ島では、開演時間が、夜7:30が普通であるということから、私たちも、それに習った。

6時に、クミちゃんの家に到着して、家族の皆さんに、挨拶する。
お父さん、お母さん、お兄さんと、お嫁さん、お祖父さん、そして、家のサンガである。
家の敷地の中に、サンガの一角がある。
日本で言えば、神棚や、仏壇の部屋ということになる。
そこで、皆、祈りの挨拶をする。

そして、早速、建てている最中の、テラハウスに移動した。
クミちゃんの家の、隣であるから、家を抜けて、すぐである。

何と、屋根の骨格が、出来上がって、二階には、屋根の瓦が、積み上げてある。これが出来ると、いよいよ、一階の壁を作ることになる。
進み具合は、遅いが、着々と進んでいる。
作業は、皆、近所の人々である。のんびりと、進んでいる訳である。

一階にホールという計画を、変更して、二階を、多目的ホールにすることにして、壁無しの、オープン作りである。
バリ風の、会堂の作り方だ。
一階には、部屋が6つ出来る。それが、ゲストハウスとなる。

本日のコンサートは、一階を使用する。
すでに、舞台のような場所が、用意されていた。といっても、後ろに、ビニールシートがかけられて、小さな電球の、縄で、飾られている。
床の周囲には、蝋燭が、置かれていた。
バナナの葉で、包まれた蝋燭である。
夜の闇が、楽しみである。

床には、バナナの皮の、ゴザが敷かれて、家の外には、イスが用意されている。
オープンで、周囲は、森であるから、何とも、バリ島風の、舞台である。

食事の前に、リハーサルをすることにした。

私も含めて、歌い手は、声の響きが、気になった。
ところが、辻知子が、歌い出すと、風が響くのである。

声楽家という歌い手は、ホールという閉じられた場所で歌うということが、当たり前になっている。
野外で、歌うということは、考えないだろうし、考えられないのである。しかし、特別に、張り上げることなく、声が響くのである。

次の、カウンターテナー野村さんも、然り。
そして、私の声も、然り。

つまり、出来ないということを想定していない、故の、効果である。

どこでも、歌えるという、藤岡宣男の精神が、そのまま、再現されたのである。
藤岡宣男も、どんな場所でも歌うという、域であった。

何度も言うが、張り上げない歌い方である。
静かに、語りかけて歌っても、発声により、響くのである。

何故、小鳥の鳴き声が、響くのかということを、考えると、よく解る。

発声の、技巧が、どうのこうのと言う者は、まず、無理である。
歌の心を伝えたいと、思う者には、オープンであるということが、マイナスにならないのである。要するに、それを、プロと言う。

今回の、伴奏は、ギターである。
千葉の、ギターも、響いた。

アカペラ半分、伴奏半分であり、ギターソロもある。

リハーサルを終えて、客によって、響きが、吸われることもないのであると、思うと、このコンサートは、大きな、チャンスと、確信であった。
新しい、コンサートの形である。

そして、何より、虫の音と、鳥の声と、歌の共演である。
蛙の鳴き声も、鶏の鳴き声もある。
自然のオーケストラの中での、歌となる。

自然の贅沢なホールで、歌うのである。

リハーサルをしていると、自然に人が集ってくるというのも、面白い。
子供たちも、やってきて、見ている。
本番では、子供たちが、噂を流したのか、大勢やってきた。

長期滞在の日本人にも、情報が流れて、来てくれたのが、嬉しかった。

リハーサルを終えて、マディさんの家に行く。
その頃から、お客が、集い始めた。
何とも、適当な雰囲気がいい。

待つことが、苦痛ではない、自然が在る。
いつ、始めても、いいような雰囲気でもある。

厳密さを求める日本人の、良さも、いいが、適当な曖昧さも良い。
コンサートを楽しむということは、そこに、来ること、去ることも、楽しむことなのである。

実は、その秘密は、バリ島の伝統、宗教性にもある。
厳密ではない。
何となくという、曖昧さの中に在る、日本語にすると、たゆたう、心である。
これが、私の古神道と、バリ島の宗教感覚の、共通性を思わせた。

2007年12月14日

バリ島へ2

食事は、自然に、大勢になった。
マディさんの家の、オープンな居間には、10名ほどが集った。
丁度、日本から来ていた、クミちゃんの、友人も、一緒になった。私たちのコンサートを聴きに来たというから、驚く。
バリ島で、ヨガの講習に来たそうである。何と、私たちと、同じ飛行機に乗っていた。

食事を終えて、バリコーヒーを飲み、開演時間の30分前に、テラハウスに行くと、すでに、お客さんが集っていた。子供たちもいる。近所の子供たちである。

私は、待たせるのも悪いと、野中に、イダキ演奏をしてもらった。
前座である。
どんどんと、人が増える。
今回は、クゥッ村の人を招いて、テラハウスのお披露目という意味のコンサートだっだが、日本人も、多く来た。

開演前だが、ギターソロ演奏も、開始した。

蝋燭の光が、また、何とも、風情がある。
舞台には、一つの裸電球である。そして、舞台のし切りに、小さな電球の縄である。
日本の田舎のお祭りという感じである。

いよいよ、開演時間になり、トップは、辻知子の、歌である。
バリ島の一角で、日本のコンサートである。不思議な感覚だった。

プログラムは、臨機応変にしようというアイディアで、進んだ。
通訳無しで、私は日本語で、進めた。

次に、カウンターテナーの野村さんの、アカペラ二曲である。
男の、高い声に驚いたのか、シーンと聴いている。

野村さんは、子供たちを意識してか、プログラムにはない、聞き覚えのある、歌を歌った。すると、子供たちが、小さな声で、反応した。

その頃になると、更に、お客さんが増えた。
用意していたイスが、一杯になる。
日本人の高齢の方も来た。
ハウスに、敷いたバナナの葉のゴザにも、人が一杯になった。特に、子供たちが、後ろに一杯になる。

私が、ギター伴奏で、二曲歌う。
虫の音をバックして、ギター伴奏である。
ところが、声が響くから驚く。
自分でも、その響きを、聴くことが出来た。

そして、再度、野中のイダキソロ、ギターソロと、続く。
ギターソロの、スペイン民謡になると、自然手拍子が入る。
矢張り、リズムと、テンポは、世界共通である。

闇が深くなると、蝋燭の光が、強くなる。

間合いに、子供たちの話し声が入り、何とも、楽しい。

再び、辻知子が、今度は、アカペラで、故郷、さくらを歌う。
バリ島で聴く、故郷と、さくらさくらは、また、格別である。
その、単純なメロディーは、バリ島の人の心も、動かすようだ。

日本人のお客さんは、じっと舞台を凝視している。
長期滞在の人は、懐かしい気持ちなのだろうと、察した。

また、野村さんが、ミュージカル曲を歌う。
英語の歌詞は、バリ島の人も理解する。

学校では、小学生から、英語か、日本語を選んで学ぶのである。
20代の人は、ほとんど英語を理解する。
それは、20年ほど前から、アメリカ人の女性が、無料で、ウブドゥの子供たちに、英語を教えたせいもある。
彼女は、今は高齢になったが、ウブドゥに住み続けて、村の人の世話を受けて生活している。

バリ島には、日本語学校も、多く出来たが、そこに行ける人は、お金のある人である。私は、テラハウスで、無料日本語講座も開催する予定である。
日本語を覚えると、仕事もある。収入も多くなるのである。
貧しい子供は、学校に行けない子もいるという。

例えば、マディさんの収入は、奥さんが働く、500,000ルピアであるが、教育費に、400,000ルピアが飛ぶ。
クゥッ村の男は、皆、絵描きである。そして、田んぼなどの、農作業をする。
絵は、売れなければお金にならない。
いつ、売れるか、解らない。
米は、自分で作るので、食べることは出来るが、それ以上の生活は、お金が必要である。
故に、奥さんが働く。

ちなみに、500,000ルピアは、約、6,000円である。
平均的収入は、日本円で、一万円程度である。
それでは、生活が、出来ない故に、チップで、補う。
私は、チップは、貰った人のものだと、思っていたが、違った。
同じ職場の人は、チップを皆で出して、それを、分け合うという。相互扶助である。

それで、驚くことは、10年前から、給料が上がっていないということである。しかし、物価は、二倍、三倍、それ以上になっているという。
ここに、大きな問題がある。
つまり、搾取である。
誰か。
経営者は、すべて、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、中国、そして、日本人である。

安い労働力を使い、皆、ぼろ儲けをしている。
労働組合も無い。
結果的に、これは、政治の問題である。
しかし、これを書くと、終らなくなるので、後で、書くことにする。

いよいよ、コンサートも佳境である。
ギターソロで、再び盛り上げて、私が、万葉集の朗詠をした。
これは、クミちゃんが、日本人の人に、万葉集の歌を歌うといったというので、取り入れた。
二首を朗詠した。
持統天皇と、大伴家持の歌である。

それが、バリ島の夜に、ぴったりと合った。
虫の音の響きに、唱和した。

そして、最後に、バリ人も知るという、日本の歌である。
色々あったが、タイのチェンマイでも歌った、昴を歌う。

日本人歌手の歌を知っているバリ人は、多い。それも、日本語で歌うから、驚く。
長渕の乾杯を歌った、27歳の、ビーチを仕事場にしているガイドには、驚いた。
カラオケで、覚えるという。
日本では、流行しない歌も、バリ島では、流行っていたから、更に、驚いた。

コンサートが終ると、日本人の方が、挨拶に来てくれた。
バリ人も、名残惜しく、中々腰を上げない。
子供たちも、残っていた。

夜遅いと心配したが、クミちゃん曰く、眠くなったら、帰るから、と。
用意していたお菓子を食べて、子供たちが、輪になっている。

私も、そこに入り、一人一人の名前を聞いた。
誰かが、子供たちに、バリの歌を聴かせてと、言う。
恥ずかしがっていたが、二人の子供が、大きな栗の木の下でと、日本語で、歌うから、驚く。
学校で、習うという。
まだ、小学生である。
その子供たちは、翌日の、クゥッ村の集会所の、ガムラン、バリ舞踊の公演にも来ていた。外国人は、有料だが、バリ人は、無料である。

子供たちは、自然に伝統文化に触れて、やりたい子供は、見て覚えるという。
お金は必要ない。
誰もが、出来るのである。

入場料は、皆、村の資金になり、その伝統文化のために、利用する。
日本のように、家元などいない。団長がいて、取り仕切るが、皆、名誉職である。
それで、生活を立てることはない。
舞踊家はいるが、職業ではない。
それは、伝統なのである。
ただ、舞踊のみで、生活を立てる人も出ているようである。

2007年12月15日

バリ島へ3

6日の朝である。
ウブドゥのコテージの朝は、心地よい。
何より、小鳥の声に目覚める。
すぐに、通りに出るが、森の中である。

朝遅い、野中も起き出して、すぐにプールに入った。
すると、辻知子も、やってきて、プールに入る。

これは、良い気分転換である。

私たちの他に、三組の欧米人、あるいは、オーストリラ人がいた。
皆、目礼する。
中には、パッピーデーと声を掛ける女性もいた。

本日は、ウブドゥ、クゥッ村の、一番大きな寺院の集会所での、コンサートである。
ガムランと、バリ舞踊との、コラボレーションである。

その前に、朝、11時に、10年ほど、バリ島ウブドゥに住み、日本人の学童期前の子供たちに、日本語及び、日本文化の補修授業をしている、飯島さんの家にお邪魔して、色々とお話を伺うことになっている。

10:30になると、クミちゃんが、大勢で、迎えに来た。
車の手配も何もかも、クミちゃんがやってくれる。
皆、親戚の人をお願いするので、最低のチップで、事が済む。ありがたい。

飯島さんの家は、ネカ美術館近くにあり、家の前が田んぼである。

私たちが行くと、居間には、食事の支度がしてあった。
何と、日本食である。
それも、赤飯、煮物、味噌汁、サラダ、煮豆である。

茶碗と、お椀を見て、私たちは、声を上げた。
日本の食卓風景であるから、新鮮だった。

皆で、お話を伺うというだけのはずだったが、食事の持て成しである。

飯島さんは、挨拶もそこそこに、ビール、そして、熱燗の酒を出してきた。
あまりの、歓迎に、皆、絶句である。

昼間から酒を飲まない私も、その好意に、一口、二口と、口をつけた。
皆も、同じである。

それから、赤飯、味噌汁をいただいた。
それが、旨い。すべて、バリ島で、手に入るという。
味噌汁は、ワカメと、豆腐である。
バリ島の豆腐は、何度か煮ると、良い味になるらしい。

また、煮物が、絶品で、唸った。
にんじん、いも、大根、シイタケである。
唐辛子の辛さが、旨い。
醤油の味には、ホッとした。

味噌と、醤油さえあれば、日本食が出来る。
飯島さん曰く、塩は、バリ島の塩が一番であると。
昔ながらに、浜辺で作るという。
後で、千葉君は、お土産に、バリ島の塩を沢山買っていた。

食事が終ると、飯島さんが、話し始めた。
クミちゃんは、飯島トークという。どんどんと、話が進んでゆくのである。

その多くは、バリ島、インドネシア人の、マイナス面である。
その問題意識に、私たちは、身を乗り出して聞いていた。

実は、私たちが、バリ島に来た日から、環境サミットが、行われていたのである。
明日、領事館に出向くはずだったが、思わぬ事態に、全員がサミットの手伝いに出て、会うことが出来ないということになった。

飯島さんは、領事館から、依頼されて、講師を務めている関係から、すべての領事と、親しい。
是非、私を領事たちに、合わせたかったようである。

兎も角、飯島さんの話が続く。
その内容を書くことは、難しい。

ただ、言えることは、政治と、政治家の問題である。
多くの話の中で、非常に参考になることは、政治と、政治家の話だった。
民族性の話は、誤解が多くなるので、別の機会に書く。

インドネシアは、島国である。二万の島が、連なるのである。
バリ島は、その一つ。
中でも、異色なるが、バリ島だけが、バリヒンドゥーなのである。
インドネシアは、イスラムの国である。

簡単に説明する。
インドネシアは、建国当初、宗教、アガマという、に、公認されたのは、イスラム、カトリック、プロテスタントだけだった。
つまり、唯一神を持つ宗教、一神教のみを、アガマとして、公認したのである。

インドネシア憲法前文に、建国五原則があり、その第一条項が、唯一至高の神という概念がある。一神教の信仰を、国家理念としたのである。
唯一神を持ち、教義と、組織が確立している団体を、アガマとして認めたのである。

その中で、バリ島の、ヒンドゥーは、公認されなかった。
多神教と見なされたのである。
バリヒンドゥーである。
実は、ここに、大きな問題がある。

バリ島には、ヒンドゥーの前に、バリ島の土着の信仰形態がある。
その前に、ヒンドゥーが、乗った。
ただし、分析をよくする学者は、そこまでは、立ち入らないようである。
あくまで、ヒンドゥーを主にして、バリ島の信仰を解釈、解説する。

それは、第二次世界大戦後の、建国からの、宗教公認を目ざした、バリ島のエリートたちの集団である、パリサドという団体を主にして、分析するからである。

現在見る、バリ島の信仰は、それからのものであり、新しいと解釈する。
つまり、伝統宗教ではないと、分析する研究家もいる。
それは、それとして、理はある。
つまり、国に、公認されるためには、一神教の姿にしなければならなく、教義と、組織も、作らなければならなかったからだ。

中を省略して、言うと、結果、バリ島のヒンドゥーの神を、イダ・サン・ヤン・ウィ.ディ・ワソという名前にしたのである。

初代大統領スカルノの母親が、バリ人であったこともあり、バリ島の人々の陳情が成功し、バリ島のヒンドゥー教が、公認されたのである。

その際に、仏教も、公認された。
そして、1990年代には、ワヒド大統領によって、儒教も公認された。
現在、公認された宗教は、6つになる。

1950年代に、公認された、バリヒンドゥーは、一部の人によって、なされたものであり、一般の人々には、浸透しなかった。
よって、混乱するようになるのである。
つまり、一般の人は、今でも、どうするべきかを、色々と模索しているのである。
ということは、今まで行ってきたことを続けることであり、新しい方法を学ぶことでもあるということだ。

バリ島の総本山である、アグン山にある、ブザキ寺院では、パリサドを中心に、今でも、改革を継続している段階である。

ゆえに、ある研究家は、バリヒンドゥーを伝統宗教とは、言えないとまで言う。
何故なら、バリ島の宗教は、俗信としてではなく、国の宗教の公認を受けた新しい宗教であると、認識するのである。

しかし、ここで、総まとめのように、バリヒンドゥーをまとめることは、出来ない。
それを、アガマという普遍的な宗教概念としていると共に、それぞれの、風習、習慣であるところの、行為行動を、アダット、つまり、土着のものである部分もあると認識するのである。

だが、私は、この、アダット、習慣、風習にあるものこそ、バリ島の信仰の本質であると言う。

習慣であり、宗教の本質ではないと断定する、研究家は、宗教というものの定義を、欧米型の、宗教概念で、解釈するからである。
また、インドネシアという国家の宗教概念で、解釈しようとするのである。
それは、それで、認めるが、私は、違う。

風習と、習慣こそ、宗教的行為であること、日本の神道を見れば、解る。

ここで、一人の信仰篤い、バリニーズの話を聞く。
バリ島の神の名前は、宇宙である、サンニャンツンガであるという。
宇宙が神なのである。
そして、その神の、具体的活動の象徴は、ブダマソリア、つまり、太陽であるという。
ソリアとは、太陽のことである。私には、ソリャと聞こえる。
SORIYAである。
その彼は、サンニャンツンガの神の姿を絵に描いてくれた。

バリ島の土着の信仰形態は、宗教ではない。
宗教的行為にあるのだ。
それが、私が言う、神道と、同じところから、発していると言う。

私が、太陽をアマテラスというと、彼は、大きく頷いた。そして、同じだと言う。

ここで、神社神道と、混乱するといけないので、私の神道を、古神道と言うことにする。

古神道も、バリ島の信仰と同じく、教祖や、開祖無く、教義も無い。
風習と、習慣であり、それは、伝統といえるものだ。

それを、宗教ではないと言えば、言える。

バリ島に、ヒンドゥーが来る前は、自然のすべてのものが、神であり、風の神や、水の神や、火の神だった。それで、何も問題がなかった。
しかし、ヒンドゥーが入ると、神の名前が輸入されて、ヴィシュムという神の名や、シバ、ガーネシア、サラサワティーという神の名が、付けられた。

コカコーラーが入ってきた感覚で良い。
飲み物に、皆、名前を付けるという感覚でいい。

自然を神と、観たのが、バリ島の人々だったということを、私は、言う。

サンニャンツンガという宇宙である神に続くのは、火の神と、水の神である。
火の神の大元は、太陽あり、そして、命の、水である。

すべての生命の根源を神として、認めた信仰である。
それが、所作、行為になる。
それが、バリ島の伝統であり、宗教という概念ではない。

古神道も、バリ島の伝統信仰も、共に、宗教学ではなく、文化人類学によって、研究されることを、期待する。

バリ島の人々も、行為を学び続けていると、いう。
つまり、宗教としての、バリヒンドゥーというものを、である。

バリ島の人も、タイの人と同じように、毎朝、椰子の葉で編んだ籠に、供え物をして、土に上に置く。
クミちゃんも、毎朝、50ほどの籠を作り、家の周囲に、勘で、置いて歩くという。

タイでは、ピーという、精霊であり、バリでも、矢張り、精霊を言う。

天と地の霊に対する所作である。

天に昇った霊に対しては、サンガにより、礼拝し、地に下がった霊に対しては、土に、供え物を置く。

今は、ほとんど見ないが、昔、日本の家では、竈の神、トイレの神などに対して、注連縄を張り、お祭りした。それに、似る。

つまり、それは、全ての場所に、霊的空間を認めたということである。
それは、霊感のなせる技である。

自然発生的に、始まったものであると、いえる。

バリ島の信仰を、一神教にするために、唯一の神の、働きとしての、それぞれの神という、教義を立てた。
実は、多神教と言うものも、欧米の宗教学による。
日本の神道系の、宗教も、一は多であり、多は、一であるという、理屈を言う。

実は、一でも、多でもない。
それらを、超越しているのである。
超越とは、次元の違いであるということだ。

一とか、多というのは、三次元的考察である。

キリスト教、イスラム教などの、一神教では、人を神の子というが、決して、人は、神に成らない。
しかし、仏陀の教えは、人は、仏になるものである。

次元を、峻厳して、区分ける一神教であり、次元を超える仏陀の仏である。

霊的感覚から言えば、次元を超える、仏の方が正しい。

神と隔絶するという、一神教は、滅びるのである。

古神道では、次元を超える。故に、人は、命、みこと、となるのである。
そして、画期的なことである、修行という、意識は無い。
生まれて生きること、それをもって、人は命、みこと、になるという。

一体、修行というものは、何か。
実に、贅沢な生き方である。
カルマの、清浄なることを願い、修行するというのである。
転生により、発生した、カルマを、解消するという、考え方は、インド魔界から、発した。
勿論、仏陀も、それである。
そして、転生から抜けて、二度と、この世に生まれないことを、善とする。

輪廻から、抜け出ることを、願う行為を、修行という。
つまり、輪廻を抜けた次元に、存在することを、最終目的にするということである。
それが、インドから出た、考え方である。
仏陀は、それを、完成させ、永遠の、仏となったという。
それが、本当なら、仏陀の生まれ変わりはいないということになる。

ここでは、結論を避ける。

2007年12月17日

バリ島へ4

一時間半ほど、飯島さんのお話を伺った。
結局、時刻は、一時を過ぎて、私たちは、お暇した。

私には、次に来る時は、一ヶ月ほどの予定で、来て欲しいと言う。
そうすると、領事館の方でも、それではと、色々と、企画を持ちかけてくるという。
ただ、一ヶ月の滞在となると、中々、難しい。
日本で、赤字コンサートを続ける意味と、意義があるからである。

今、コンサート活動を中止するのは、今までのコンサートの積み重ねを、やや捨てるということになる。
続けることが、何より、現実なのであり、それは、成功なのである。

藤岡宣男のファンの方は、ほとんど、コンサートに来ることはない。藤岡が、いないからであり、まだ、藤岡の歌が聴けないという人もいる。
それはそれで、何の問題も無い。

それでは、何故、続けるのか。
私の性格である。

止めるのは、今すぐにでも、止められる。
だから、止めない。

釣り糸を海に垂らしていなければ、魚は、繋らない。
釣り人は、海を見つめて、何時来るか知れない、魚を待つ。
人生で、待つということが、最高の知的行為であることを、知る人は少ない。

待つ行為こそが、人間の行為なのである。
人生は、また、待つことに、耐えることなのでもある。

さて、私たちは、一度、ホテルに戻った。
そして、休憩することにした。
コンサートまで、休むことにしたのである。
それはまた、飯島さんの、お話が、内容濃く、消化するのに、時間が必要だったこともある。

バリ島の人々の批判も多く聞いた。
それは、ある種、バリ島に旅に来て、楽しんでいた者の気持ちに、水を掛けるようなものでもあった。しかし、それで、バリ島を嫌うということではない。
問題意識である。

文明国の、情報や、物を、そのまま受け入れて、考えることなく、取り入れている様は、ある種、愚かであるが、それを、日本人は、笑えない。同じように、アメリカを取り入れて、このような、国になったのである。

バリ島では、米が三度採れる。三耗作である。
ところが、農薬を撒き散らしているという。
農薬漬けの、米が出来る。
まして、農薬の、散布の分量を知らないというから、恐ろしい。
これは、たった一つの、例である。
以下省略する。

ここで、一つ言う。
日本の旅行会社の、パンフレットのバリ島を見ると、そこには、神々の島、自然豊かな云々と、謳う。

バリ島が、神々の島であるというのは、否定しないが、それならば、日本は、更に、神々の島である。

バリ島には、神もいるが、インド魔界の、神もどきも多い。それが、おおよそ、七割である。
日本にも、インド系の神々が渡り、拝まれているが、三割程度である。
どちらが、神々が多いのかは、一目瞭然である。

神々の島は、日本のことである。

バリ島の、自然は、破壊されて、今に、見る影もなくなる恐れあり。
ゴミ処理がなされていないので、至る所、大変な状態になっている。
精々、一週間程度の滞在では、そんなところを、見る事も無い。

ジゴロに、騙されて、妊娠し、子供を産んで、バリ島に住む日本人女性が、親の資金を得て、店を出して、少しばかり、成功する。
ジゴロにやられる程度の、頭である。
すぐに、その気になり、召使を雇う。
にわか、金持ちになり、日本語や、日本の文化も知らず、バリ島で、その気になって暮らす。良い結果が、現れる訳が無い。
子供は、バイリンガルだが、母語を知らないから、精神的流浪をすることになる。
そこに、何の問題意識も無い。

こみういう、アホな日本人が、バリ島の伝統を、破壊するのは、目に見える。
少しばかりの、金があることが、仇になるのである。

インドは、ヒマラヤ山脈の上空の霊界の支配にある。
そこから、出るモノは、神もどきであり、魔界関与が、凄まじい。
インドを魔界の地というのは、訳がある。
カースト制という、仏陀でさえも、それを、阻止することが出来ず、逆に、仏陀も、取り込まれた程である。
仏陀の平等の思想は、今は、皆無である。

政治が、低いカーストの、才能ある若者を引き上げるべくの、政策を打ち出すと、高位のカーストが、反対運動をするという、魔である。

バリ島にも、カースト制がある。

インドの地には、仏陀の思想は無い。
日本の僧侶が、仏教を打ち立てて、復興しようとしているが、仏教徒は、カースト制に、含まれないほど、地位が低いのである。
南インドの仏教徒は、最低最悪の生活を強いられている。

ヒンドゥーの神々は、魔神である。
到底、真っ当な神経で、対処できる相手ではない。

あの、地下鉄でテロを起こした、新興宗教も、シバ神を主に、祭っていた。
インド魔界は、ロシアにまでも、広がり、その新興宗教も、ロシアにて、大きな支部に発展していたのである。

ただし、バリ島の人々、バリニーズたちは、救いがある。
それは、キリスト教、イスラム教、その他諸々の、布教する宗教観を持たないからだ。

ぎりぎりのところまで、観光客に、聖域に入ることを許し、しかし、信仰を強制しないのである。
日本の神道と同じである。
決して、人に信仰を強制しない。

バリヒンドゥーに、入信するには、こちらから、お願いしなければならない。
そして、それは、簡単である。
本日から、入信しますと言えば、聖域に、入ることが出来る。

バリ人の、信仰の篤さが、理解できる。
人に、教えを説くほど、弱いのである。
人に、教えを説いていなければならないほど、信仰が、不安定なのである。

しかし、バリニーズは、確固たる信仰があるゆえに、教えを説くことはない。
こちらが、尋ねて、はじめて、口を開くのである。

お解りであろうか。
信仰とは、極めて個人的情緒である。
犯しては、いけない、心の世界である。

信者を獲得するための、行為は、単に、その信仰に不安だからである。だから、大勢の人を集めるのである。
そして、金を集める。兎に角、集めることで、安心する。

多ければ多いほど、信仰に安心するという、信仰の薄さと、堕落である。

信仰は、我が内にあり、一人一人に、神がいるということを、知る行為である。
つまり、一人一宗一派になるのである。
百人がいれば、百の神があると、看破するのが、信仰である。

私は、野中と、ホテルの部屋で、徹底議論していた。
野中は、早稲田の東洋哲学科である。般若経を学んでいた。
議論し、問い詰めていた。

勿論、早稲田大学での、東洋哲学、さらに、宗教であるから、程度が知れる。
真っ当な学者など、一人もいない。職業学者が、精々である。
信仰を知らず、宗教を講義するというから、仰天する。

ましてや、霊感が無いのであるから、何も知らないのと、同じである。

更に、日本の宗教というものがあればの話だが、欧米の宗教学を持って、分析しているのであれば、終っている。
西洋の神学は、ギリシャ哲学の亜流である。
それを、本流として、すべての学問が始まっている。
元が、亜流である。そこから出たもので、真っ当なものなのない。
宗教学も然り。

野中は、結局、神道に、感動して、日本古来の信仰に、目覚めた。
ただ今、私とは、別な角度で、日本の伝統信仰を、追及している。

疲れたので、私は少しベッドで、休むことにした。

コンサートで、歌い、踊るのである。
その前に、疲れては、台無しである。

2007年12月18日

バリ島へ 5

公演会場は、ウブドゥ、クッゥ村の一番大きい寺院の、集会所である。
開演の、一時間前に入るようにと言われた。

少し遅れて、私たちは、到着した。
すでに、ウブドゥのガムラン楽団の人々、舞踊の人々が、集っていた。

私たちは、丁度、プログラムの真ん中に出ることになっていた。

すぐに、浴衣から、着物に着替える。
絽のピンクの着物を着た。
家から踊りの化粧をしてきた、踊り子さんたちが、行き来する。

四人の女の子たちの、衣装が可愛い。
頭に、ウサギの耳をつけている。
彼女たちは、出番が来るまで、踊りの振り付けを練習していた。
楽屋での、その踊りの上手なことといったら、なかった。
バリ舞踊の、基本の所作が、しっかりと出来上がっている。

私と、千葉君は、舞台の出口の横のイスに腰掛けて待つように、言われた。

開演前に、司祭さんが、皆を、清める。

つまり、その芸能活動、音楽、舞踊を、神への供え物として、考えるのだ。

お客の入りは、関係ないのである。
相手は、神様である。

我が身が、供物になるという、感覚である。

それは、日本の神楽に似る。

司祭さんから、聖水をかけられ、三度、その水を手のひらで受けて、飲む。最後にまた、聖水で、清められて、開演である。

ガムランの音が、響き渡る。

出番の女性たちは、その前まで、合掌している。

出口は、舞台の真ん中にある。
神の座から、出るというのだ。

神に捧げると、共に、神に成るのである。
これを、説明するには、多くの言葉が必要である。
今は、その事実だけを言う。

私たちの、出番は、五番目である。

長い時間を、待つ。
女の子たちの出番を見ていると、矢張り、四人が、合掌して待つ。

初めての体験である。
他流試合のような、感覚になる。
そして、考えた。
このような、企画を考えたことを、少し後悔する。
この、バリ島の伝統と、信仰の舞台に、上がるということは、大変なことであると、改めて、感じた。
少し、申し訳ない気分である。

快く、私たちの、時間を与えてくれた、ウブドゥの人々に、心から感謝した。

これは、歌舞伎の中に、バレーの踊りや、オペラが入るようなものである。
そんなことは、考えられない。
それが、出来るということ、ただ、感嘆するほか無い。

出番の前に、私も、合掌して、待った。

千葉君のイスと、譜面台が出されて、私たちは、舞台の真ん中から、出た。

強い光に、客席は、見えない。

私は、言った。
ジャパニーズオールドソング、浮波の港、惜別の歌、そして、オリジナルジャパニーズダンスを、スペイン民謡にて、踊ると。

言う私も、驚くのである。

両側に、構える、ガムランの皆様に、礼をして、始めた。

精一杯歌った。そして、踊った。
それ以外のことは、考えない。
ただ、ひたすら、歌い、踊った。

踊りの途中から、汗が噴出した。

踊りつつ、舞台から抜けた。

拍手が起こる。

楽屋に戻ると、一人の老婦がやってきて、何か言う。
その、老婦は、バリ舞踊の先生だった。

私の踊りを、ずっと、観ていたという。
素晴らしい、素晴らしいと、言ったと聞いた。

ただ、日本舞踊を始めて見たようで、どこの舞踊になるのかと、クミちゃんに、尋ねていたという。
英語が、通じないのだった。
純粋バリ人である。

最後に、ガムランの団長が、私の前に来た。
紹介されて、始めて、団長のいることを知る。

私の汗に驚いていた。
何かを言うが、バリ語であるから、解らない。勿論、インドネシア語でも、解らない。

兎に角、終ったのである。

最後の舞台を見るために、急いで浴衣に着替えて、舞台の後ろに向かった。
最後の舞台は、何と、日本女性である。
バリ舞踊をマスターしての、参加だった。
そして、本日の唯一の、男性舞踊家との、共演である。

男性は、扇子を用いた。
実は、この扇子を用いたのは、日本舞踊の影響からだった。
特殊な、扱いではないが、実に見事な、扇子捌きである。

フィナーレは、女の子たちが、出てきて、客席に降り、客の一人一人の耳のあたりに、花を挿して行く。
それがまた、可愛らしい。

女の子たちが、舞台に戻ると、男性舞踊家が、私たちを舞台に招いた。
そして、何か挨拶をする。
内容は、解らない。

私たちは、一列に並んだ。
そして、写真撮影である。

日本人、欧米人の客、そして、村の人々、昨日の子供たちの、顔もあった。

バリ人は、私の前に来て、何かを言う。
私は、黙って、それを聞いた。

後で、聞いた話である。
私の歌のような、不安定な音程で、歌う歌を、バリ人は、上手だと、認めるという。つまり、彼らは、絶対音感ではなく、言えば、移動音感である。
子音が、主であり、母音の強い日本語では、特に、音程の曖昧さを、好むのである。
それは、音の幅が、あれば、あるほど、勝手に解釈し、自分のいいように、聴くのである。
音程が、確かな歌は、響かないのである。

良い悪いではなく、それが、彼らの伝統の音楽的感覚である。

私の、万葉集の朗詠が、一番、彼らの音感に、ぴったりしていたようである。

これは、新しい発見である。

修正とお詫び

訂正と、お詫びします。

遥かなる慰霊 タイへ

チェンマイの慧燈財団、事務局長小西さんの、奥様を、アカ族出身と書きました。
これは、誤りです。
カレン族です、
カレン族には、赤カレン族、白カレン族がいます。
ミャンマーで、独立運動をしているのが、赤カレン族です。
白カレン族は、タイに多く、平和的といわれています。

ここに、訂正して、お詫びします。

バリ島へ6

舞台を終えて、テラハウスと、クミちゃんの家に戻った。
そこで、バリコーヒーを頂く。

バリコーヒーは、コピと言う。
コーヒーの挽いたままを入れて、粉が底に落ち着いてから、飲む。
最初は、粉っぽく感じられたが、これが、病み付きになる。しかし、私は、それを買って、日本では飲まないことにしていた。バリ島で飲むからいいのである。

手伝いの人や、お客さんの流れて来た人など、大勢が、中庭で、話した。
日本語、バリ語、インドネシア語、そして、英語である。

何を話したのか、忘れた。

私は、舞台が終わり、放心の様である。

終った後の、溜息が、心地よい。

コーヒーを飲み終わり、そろそろと、言うと、車の運転をしてくれる、叔父さんが、オッケーと、私たちを招く。

帰りに、買い物をしたいと言う。
水を買うためである。

大きなスーパーに連れていってくれるという。
早速、皆さんに、お別れして、車に乗り込んだ。

大きなスーパーだった。
遅い時間だったので、お客がいない。

そこで、私は、水と、ビンタンビールの缶ビールを三つ買った。

他の皆は、なにやら、多くの買い物をしている。
聞けば、お土産である。
スーパーで買うと、安い。その手が、あったと、感心した。

買い物を終えて、ホテルに向かう。

私は、部屋に入り、すぐに汗だくになった体を、シャワーで流した。
皆は、それぞれ部屋に入った。
疲れたであろうから、私は、千葉君だけを部屋に呼んで、缶ビールを飲んだ。

野中と、三人で、色々なことを、話し合った。

これからの活動については、勿論のこと、バリ島の文化と、日本の文化について、その相違点等々。そして、政治の問題などである。

石油高は、バリ島も、そうである。
飛行機の、燃料チャージが、また、上がる。
国際社会の状態が、石油を上げているだけではない。様々な問題が、それに、絡まっている。
一面的な、問題ではない。

飯島さんから、聞いた話も、三人で、思い出していた。

インドネシアの政治家の、汚職も、甚だしいほどのものがある。
日本政府も、円借款をしている国が、どのように、それを使用しているのか、調査するとのこと。早急に、行うべきである。
インドネシアには、毎年、日本から、一千億円近い、支援を受けている。

初代大統領スカルノ、そして、二代スハルトと、国民は、多く期待したが、結局は、国民を後回しにして、自分たちの資産を築いた。
ただし、初代スカルノは、まだ、英雄である。
新しい大統領が誕生するたびに、国民は、期待したが、結局、何も変わらないということが、解ったのである。

バリ島一つを上げても、一般の人々は、搾取され続けているのである。

12年前に、バリ島に行った時に、聞いた給料と、現在の給料が変わらないのである。
しかし、物価は、何倍にも上がった。

民主主義、共産、社会主義等々の、イデオロギーに関わらず、政治家や、支配者層は、我が身の懐を溢れさせるために、行動する。
人間の性であろう。

政治家は、どこの国の政治家も、同じである。
心底、国民のために、と、行為行動する政治家は、皆無に近いのである。

日本は、官僚にいいようにされ、税金をふんだんに、無駄に使わせて、更に、税金を上げるというのだから、空いた口が、何とかである。
政治家は、官僚より、更に、税金を無駄に、いや、自分のために使うのであろう。そして、そういう、政治家が、強いのである。皆、それらに、従う。
簡単に言うと、そういうことである。

社会保険庁、そのバックの厚生労働省、そして、防衛庁の様を見れば、日本が、完全に欠陥国家であることが、判明した。
さらに、与党も野党も、何がなにやら、解らないのである。

もし、野党が与党になっても、自分たちが言うことを、言われるだけである。
それを、国民は、黙って見ているという、国民欠陥国家でもある。

これで、選挙の投票など、したくなくなるという図である。

何か、根本のところで、歪んでいるのである。
そのためには、革命が必要である。
革命といえば、共産主義であるが、結果、その正体は、民主主義より、悪いものだったという。

自衛隊が、国会を占領して、暫定政府を作り、新たなる国造りをするというのは、考えられない。

今の日本は、日本人の良さが、すべて裏目に出いるのである。それを書けば、長くなるので、別の機会に書く。

バリ島の話である。

このまま行くと、バリ島は、観光客の、糞尿で溢れる島になる。
実際、糞尿処理は、無いのである。
大型のホテルは、自分のところで、処理する装置を付けているが、数少ない。

ある地区では、ナマズの養殖の食料に、糞尿を使用しているという。
これ以上になれば、神々の島は、糞、小便の島になる。

また、河川の汚染は、甚だしい。
観光客が捨てた、ゴミで、もう、川に入ることが出来ないところもある。

この、ゴミ処理も、何の打つ手が無い。
ゴミは、自然に帰ると思うバリ人に、教えて説くしかない。
一部、 焼却施設を持つ、個人的に、活動している方もいるというが、間に合わないだろう。

こういう問題は、矢張り、政治家の仕事である。
インドネシアの政治システムを知らないゆえに、多くを書くことが出来