紀貫之
春立ちける日よめる
袖ひぢて むすびし水の 凍れるを 春立つけふの 風や解くらむ
袖ひぢて、は、袖ひづからなる。
袖が濡れてという意味になる。
袖が濡れて、掬った水が、凍っていたのが、春の風で、解かしているだろう。
紀貫之は、土佐日記などでも、有名な文学者、作家である。
この時代を、代表する歌人の一人であるといえる。
彼の歌を読めば、如何に、万葉の時代の歌と、違うのかが、解る。
それを、比べる、相違を見ることは、良いが、紀貫之の歌を、断定することは、出来ない。好みの問題になる。
非常に技巧的になってきているのである。
正岡子規は、紀貫之の歌を下手な歌だと、判断し、万葉集と、万葉振りを歌う、実朝を、全面的に、支持した。
それも、一つの方法である。
上記の歌も、非常に理屈の、筋の通った、歌であるが、如何せん、想像の歌である。
目の前に、その風景を見ていないのである。
立春の日の状態を、想像して歌うのである。
これは、新古今へも、受け継がれる。
新古今は、益々と、歌の世界を、複雑にして、更に、深みへと、向かおうとするのである。
雪の降りけるをよめる
かすみ立ち 木の芽も春の 雪降れば 花なき里も 花ぞ散りける
春の雪の歌である。
木の芽が出る春のような、雪が降るというのだ。
雪が降るのを、花が散ると、見立てる。見立ての歌という。
かすみ立ち 木の芽も春の
これは、直接的に、歌の内容に関係ないのである。が、春の趣を醸し出す。それで、雪を春の花のようだと、歌う。
万葉時代には、無い感覚である。
春という言葉を出すための、序詞である、かすみ立ち木の芽も、である。そして、更に、芽が出るという、動詞、はる、という言葉と、懸かり詞になっている。要するに、懸詞である。
一つで、二つの働きを持つということである。
この歌を、朗詠すると、
かすみ立ち木の芽も春の雪降れば 花なき里も花ぞ散りける
となる。
三句切れである。
しかし、二句で、切れるともいう。
春、はる、が、上と下に、懸かるのである。
こうして、分析してゆくと、歌の心が、削がれる。
単純に、歌を楽しみたいと思うが、ここまで、手が込んでくると、正岡子規のように、断定したくなるのである。
だが、貫之の、業績は、後々に、出てくる。
日本の文学に貢献したことは、否めない。
言葉を、パズルのように、弄ぶようである。
しかし、今しばらく、貫之の歌を読む。
歌奉れと仰せられし時、よめて奉れる
春日野の 若菜摘みにや しろたえの 袖ふりはへて 人のゆくらむ
仰せられ、とは、最高の尊敬語である。
歌を献上せよと、天皇が、仰せられた、のである。
ここでも、袖ふりはへて、の、ふり、の部分が重なるのである。
動詞、振り、と、副詞、ふりはへて、が、懸詞になるのである。
白い着物の袖を振り、春日野の若菜を摘みに行くのであろう、人々は。
人は、女性である。
朗詠する。
春日野の 若菜摘みにや しろたえの 袖ふりはへて 人のゆくらむ
すべてが、区切れるのである。
実際は、しろたえの袖ふりはへて人のゆくらむ、となっているのだが、朗詠すると、区切れる。
それでは、このようにして、歌を作る、読むということに、どんな意味、意義を、見出していたのかということだ。
もののあわれ、というものの、姿が、どのようにして、あったのかということだ。
それ以前に、彼らは、漢詩をよく、読んでいたということである。
和歌よりも、漢詩の、歌集の方が早く出来ているという事実である。
それが、和歌を逆に、盛り立てることになったという、ことである。
大和心への、目覚めである。
つまり、新しい姿で、もののあわれ、というものを、見つめたい、見つめるべきであると、感じていたのである。
それを、もののあわれ、とは、言わない。
だが、底辺に流れていたものは、もののあわれ、というものである。
大和心にあるものの、本体を、模索していたのである。
勿論、歌の完成度を高めるための、精一杯の努力をしていた。
時代の、姿である。
ここにも、もののあわれ、というものの、姿がある。
春立つけふの風や解くらむ
花なき里も花ぞ散りける
しろたえの袖ふりはへて人のゆくらむ
その底に流れるものは、もののあわれ、である。