法華経が、悪魔の好む経典である。地獄行きの経典であると、書いてから、私の知り合いから、我が家は、日蓮宗ですとの、話を、多く聞いた。
驚きと、感嘆である。
もし、法華経が、悪魔の好む経典なら、それが、本当なら、先祖たちは、救われない。地獄に落ちいてるのかと、思うらしい。
全く、心配は、いらない。
霊界には、天国も、極楽も、地獄も無い。
あるのは、次元のレベルである。
私も、法華経を唱える。
訳が、見事だからだ。
実に、漢文として、面白い。
あれ程、見事に、漢文に訳すと言う才能は、驚嘆に値する。
方便品第十六の、最初の文句は、自我得仏来である。
じがとくぶつらい、である。
仏が、私に来ると共に、私が、仏を得る。漢字の意味を、探っても、面白いのである。しかし、漢字の意味ではない。内容は、漢字で、探れば、誤る。
ところが、漢字の意味で、解釈する僧、多数いるから、驚く。
日本書記における、仏教伝来は、欽明天皇の時代である。
百済が、初めて朝廷に、仏像を献上したとある。
538年頃である。
その時、天皇は、それを礼拝するべきか、どうかと、皆に、問う。
蘇我馬子の父、蘇我稲目が賛成であり、物部尾輿が反対し、争ったとある。
結果、仏教は、争いの種を、大和にもたらすのである。
物部と、中臣は、まさに今、改めて蕃神 となりのくにのかみ を拝むこと、おそらくは、国神 くにつかみ の怒りを致したまはむことを、と、言うのである。
仏のこと、蕃神 となりのくにのかみ という意識しかなかったのである。
しかし、これから、仏の教えを受け入れる、拒否するということでの、壮絶な戦いが、はじまる。
蘇我馬子と、その三代が、政権搾取と共に、崇仏派として、物部を主とする、否定派と、戦うのである。
結果、大化の改新によって、一応の決着は着く。が、仏教は、伝来以来、加持祈祷という、病に関する、絶大な力を誇り、古代の人の心をつかむ。
病に関しては、無力であった時代である。
仏教は、医師と、薬の、知識を伴ったことが、大きな影響を与えた。
それまでは、神道という言葉さえなく、神ながら、という、おのづからのままに、という、行為であった。
つまり、思想体系も無く、論理的構造の無いという、行為のみの、先祖から伝えられたものであった。
無体系は、そのまま、抱擁のある、ものである。
そこに、病治癒としての、仏教は、自然に入り込むことが出来た。
仏教自体にも、根本の教えは、慈悲であるから、融合することの、ものが、あった。
一神教のように、排他的、非寛容ではない。
ただし、蘇我家のように、政治利用しようとする時に、争いが起こる。
実は、古代史の中でも、蘇我馬子による、崇仏派の争いは、最大である。
宗教戦争は、戦争の最も大なるものである。
仏教伝来の歴史は、流血の歴史でもある。
現代においても、神道の、思想体系は、無いと言ってもよい。もし、それを、あるとして、神道を語る者がいれば、それは、神道ではない。
神道は、語らないものだからだ。
それを、言挙げせず、という。
また、神道を、学ぶのに、古事記等の、歴史書、特に、神話の部分をもって、神学のように、扱っても、詮無いことなのだ。
神道系の宗教、及び、霊能的行為をする者、それは、その者によるものであり、それが、真実、ではない。
何かを限定すれば、それは、神道ではなく、単なる、一つの宗教になる。
故に、神道、古神道として、何かの思想体系を持てば、それは、嘘であるということだ。
唯神 神ながら かんながら という道は、多神教、汎神論などというものでもない。
要するに、宗教体系にあるものではないということである。
神々は、先祖であり、自然現象の神格化である。
本居宣長は、道々しき意 こころ も語 ことばも見えず、という。
実は、神道ですら無いのである。
在りて在る如く なのである。
百済から、最初に仏像が、もたらされたということが、象徴的である。
拝む対象を、像として、造るという行為は、日本の伝統には無い。
行為のみである。
そして、言霊の宣言のみである。
あえて言うならば、三種の神器があることである。
玉と、鏡と、剣である。
兎も角、日本古代史、最大の戦争、同族間の争いを、誘発したということが、問題である。
それは、宗教の、最大のテーマである。
何故、争うのか。
その後の、日本は、神と仏との融合をして、長きに渡る歴史を持つ。
神仏混合というが、それは、神道は、宗教ではないと言うことが、ポイントである。
そして、仏の教えにある、寛容性である。
勿論、戦争は大罪である。殺生という、殺しを、最も、戒めた教えである。
これは、私の霊学であるが、仏陀は、日本民族と同一の部族であったということである。
それについては、日本の歴史についてで書くことにする。
日本の王朝の歴史は、9,000年程の歴史を有する。
列島が、分断される前に、一度、日本から、大陸へ、旅をして、王朝を立てている。
その、王朝が、再び、故郷帰りで、富士王朝を建てたのである。
大陸から、列島が、切り離されたのが、1万2千年前である。
つまり、日本の歴史は、それ以前からあると、考えられるのである。
仏教からの、最大の影響は、思索であった。
人生を見つめる、手立てとしての、思索を与えたのである。
勿論、中国を通してのものであるから、中国思想に、大きく拠るものである。
しかし、それは、仏教の断面である。
奈良の仏教により、より深く、仏教を知ることになる。
だが、平安時代初期、最澄と空海によって、仏教から離れ、密教へと、変化してゆく。つまり、仏教から、大きく離れた新宗教であり、更に、鎌倉時代になると、鎌倉仏教と言われる、新興宗教が、生まれる。
それらは、仏教とは言えないのである。
仏典をダシにした、思想であり、文学という芸術活動である。
天竺が、日本から遠いように、仏陀の教えから、遠く離れて、名のみ、仏教と言われるが、全く、別物として、考えるべきである。
今は、それすらも、無く、形式に堕し、教義も、空虚であり、実体は、何も無い。
実に、神道化しているのであるが、それに、僧侶たちは、気づくことも無い。
ここで言う、神道化しているというのは、ある種の、体系的神道であり、唯神、神ながらの道ではない。
先にも言うように、体系化する神道とは、神道ではない。
日本の伝統行為には、名は無いのである。
在りて在るように、なのである。
例えで言えば、花が咲くように、である。
花は、咲くのである。咲くものを、花と言う。
日本の伝統行為とは、そういうものである