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2008年02月 アーカイブ

2008年02月01日

トラック諸島慰霊6

岸に着く頃、私の念仏も、終わっていた。

男は、大仕事をしたような、顔付きをしていた。
ただ、私が握手を求めると、私と目を合わせないのである。
あまりに、驚きの行動だったのかもしれない。野中とは、言葉を交わしていた。

何ともいえぬ、疲労感を覚えた。
少し、放心したのかもしれない。

漁師たちが、皆、声を掛けてくれる。
何となく、頷き合うから、面白い。

昨日の約束通りに、ツゥジィーさんの店に向かう。
時間は、正午前だ。約、一時間の間である。

ツゥジィーさんの店に向かう途中、男の子が、声を掛けてきた。
日本人ですかと、英語で言う。
そうだというと、嬉しそうに笑った。
年は、16歳で、高校生である。
私と野中と、交互に話をした。私は、片言の英語で、会話した。結構、うまく話が進む。
将来の希望を訊くと、政治家と言うから、驚いた。
その訳は、後で、解ることになる。
彼は、暫く、私たちと、歩きつつ、話をした。一緒に、何か食べようかと誘うと、バスが来るからと、別れた。

ツゥジィーさんの店に行くと、店員が、出ていた。
私たちを見ると、笑顔で、迎える。
ツゥジィーさんは、まだ、来ていなかった。

昨日と、同じ部屋に通された。
お客は、私たちしか、いない。

私は、ポークカレーを、野中は、チキンカレーを注文した。
そして、アイスティーである。
これは、何倍飲んでもいいということで、ツゥジィーさんが、勧めてくれた。

半分ほど食べていると、ツゥジィーさんが、やって来た。
今度は、すぐに、椅子に腰掛けた。
マアマに、私たちのことを、話したと言う。
すると、色々な話を、ツゥジィーさんにしたという。

日本の軍人は、素晴らしかったという。
ある、艦船は、沈没することが解って、皆で、船と共に、見事に死んだという。
その船を、ダイバーが見に行くと、船長室では、皆、椅子に座ったままに、死んでいた。
そんな話を、多く聞いた。

日本が戦争に負けた時、自分たちが、負けたように思ったらしい。

1945年に、太平洋戦争が終結すると、アメリカの占領が始まる。
二年後の、1947年には、国連の太平洋信託統治領として、本格的にアメリカの統治政策が、始まった。

島の至るところが、攻撃されて、穴ぼこだらけであった。
何もかもを、失ったのである。
後で、書くが、文明から、逆行するような、生活の様になる。

日本の統治時代に出来た街は、破壊されて、皆、散り散りになった。
夏島の人々は、現在のモエン島、春島にやって来た。
今の夏島は、原始生活のようであるという。勿論、モエン島の大多数の人の生活も、そうである。

1965年、ミクロネシア議会発足。太平洋信託統治地域に関する日米協定終結。ミクロネシア協定である。
1969年、信託統治終了後の政治的地位に関し、アメリカとの、交渉が始まり、その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、現在のミクロネシア連邦が、それぞれ別個に、アメリカと交渉することになる。

現在の、ミクロネシアは、四州に分かれている。
チューク、ポンペイ、ヤップ、コスラエ、総称して、カロリン諸島である。
首都は、ポンペイの、バリキール。

1978年、四州で連邦を構成する憲法草案が住民投票で、承認される。
翌年、憲法施行。自治政府が発足し、初代大統領に、日系のトシオ・ナカヤマ氏が、就任する。
この、ナカヤマの、姓が、実に多いことに、驚く。

日本もアメリカの下にあるが、ミクロネシアも、同じく、アメリカの下にある。
国防を見ると、米・ミクロネシア自由連合盟約により、ミクロネシアの安全保障、国防上の権限は、アメリカが持つ。
市民が、アメリカ軍の兵士に採用されている。
2003年のイラク戦争では、ミクロネシア出身の兵士も参加した。
ただし、米軍の軍事基地は無い。

2005年の一人当たりの、GNPは、2,300ドルであるが、今は、もっと少ない。
仕事が無い。全くの無収入が、島民の大半である。
すべて、仕事は、出稼ぎになる。

そこで、どうして、生活出来るのかといえば、島にある物を、食べて、暮らしを立てているのである。
山に住めば、野生の物で、十分に食べられるという。
翌日、私は、それを、この目で、見ることになる。

国内の生産性は、実に低く、生活必需品の多くを、輸入に頼る。
貿易収支は、恒常的に、赤字である。
連邦政府歳入の約七割は、アメリカとの、自由連合盟約による、財政支援である。
そして、日本である。2005年までの、日本からの無償支援額は、144,11億円である。また、技術協力では、61,28億円を、日本が支援している。

国際航空の、建物、道路が、日本の支援で成ったという。
その時、日本の企業が来て、島人を、雇用し、大変喜ばれたという。

兎に角、貧しいのである。
しかし、不幸ではない。環境破壊の無い、自然の中で、自然の物を食べて暮らしているという、贅沢さである。
一見すると、勘違いするが、貧しさが、不幸ではないという、証を見るのである。

さて、ツゥジィーさんとの、会話は、実に楽しいものだった。

一つ、面白いと、思ったことは、日本の神社を、神様というのである。
今は、キリスト教徒だが、神様といえば、神社のことを言う。
それでは、キリスト教の神様を、何と呼ぶか。イエズス様である。
プロテスタントでは、ジェイズスという。

天皇陛下を、どう思うかと、訊きたかったが、今更なので、止めた。

カレーの量が多かったせいもあり、突然の、眠気が襲う。
私は、ホテルに戻り、すぐに、ベッドに寝た。

野中は、出掛けて行った。
これで、また、色々な情報を仕入れてくるのである。

トラック諸島慰霊の旅7

ベッドに寝て、暫く、放心していた。
うとうとしたが、眠ることは、なかった。

不思議な感覚である。
今まで、どこに旅しても、感じなかったことである。

追悼慰霊は、目的を達することが出来て、良かったが、私の方に、何か、問題がある。
私の満足感であると、客観的には、言える。

実は、慰霊の際に、嫌な気分、変な気を、全く感じなかったのだ。
逆に、私が、清め祓いされているような感じだ。

そして、部屋に戻った私の、心境である。
世の中、つまり、世界のこと、日常のこと、私の属する社会のこと。それらが、どうでもいいことに、思えた。
そして、それが、実に、明確なのである。

このまま、日本に戻らなくても、いい気持ちなのである。
これは、つまり、一つの、死である。
死の感覚である。

戦争で無くなった方は、すでに、清められている。
納得して、死んだ。その時、納得出来ずとも、今は、納得している。
何故か。
日本兵の幽霊が出るという、噂も無いという。
自然である。
自然が、彼らの霊を、清め祓ったのである。

美しい珊瑚の海と、朝風夕風の清らかさ。潮の流れによる、清め祓いである。

清め祓いの私の方が、清められ、祓われていた。

膨大な数の方が亡くなっていれば、海難事故が起きる。しかし、世界中からダイバーが来て、海に潜っても、何も無い。安全である。
要するに、気が、いいのである。
数知れない、遺骨があっても、である。

日本の寺や、それに属する、納骨堂に入っても、その気が、乱れ、濁るのであるが、それが、全く無いのである。

他の慰霊する、土地とは、違う。

改めて、私は、日本の伝統にある、自然と共生、共感する、古神道の、考え方を、得心した。
死は、隠れることなのである。
消滅することではない。

ここで、少し霊というものについて、説明が必要である。
古神道では、四位一体なのである。つまり、一霊には、四つの、魂がある。
三位一体という、キリスト教の教義は、無い。神学という、言葉遊びの世界で、成り立ったものであり、父と子と聖霊とという、一体は、こじ付けである。

和、荒、奇、幸、の、四つの、魂により、霊というものがある。
数霊、かずたま、というものが、言霊を支える重要なものである。
それが、四である。
偶数であるということは、分離するということである。
奇数は、分離しない。偏るのである。
中国思想も、三という、数を、完成の数であり、安定の数とするが、違う。

さて、四つの、魂の、荒魂、あらみたま、が、最後に、この世に残る。
昔の人は、49日は、あらみたま、なので、と、慎重に過ごした。それは、仏教ではなく、日本の伝統の考え方である。

荒魂が、活動すれば、幽霊にもなる。不思議な力も、現す。
それが、無いのである。

そして、私が感じた、死という感覚である。
追悼慰霊をした、私は、彼らに、死という感覚を、教えられていた。

簡単に言えば、私が、この海に来て、私の属する社会生活すべてを、捨てても、いいと思う。どうでもよくなる。その感覚に、死というものが、似ているということ。
最終の自己完結なのである。

これで、よろしいという、思い。
つまり、完結したのである。

彼らの、御霊が、そのようであるということ。

それには、どれ程、多くの人の、祈りがあったか、知れないのである。
彼らの、親兄弟から、親族、友人、知人と、彼らに対する篤い思いは、距離を超えて、きた。その、祈りに、彼らは、満足した。更に、自分の死をも満足した。

国のために、死んだ、という、明確な意味意識である。
大義というものが、如何に、必要かということだ。

だから、テロ行為も、終わらない。
大義があるからだ。
明確な、死ぬことの、意味意識があるからだ。
勿論、テロ行為のそれは、誤りである。だが、大義という、意味では、同じである。

私は、とんでもない、感覚に、立ち往生した。

本当に、このまま、死んでも、良いと、思った。

一霊四魂、ということを、観念として、理解してもよい。
私は、それを、説明する必要を、感じないからだ。
知らなくていいのである。

死ねば、解る。

ここでは、総称して、霊という。

一般に、言われる霊というものは、幽体の霊のことで、肉体に似た姿であるから、幽霊というのである。
そんなものは、即座に脱ぎ捨てて、霊になったのである。

それは、覚悟の問題である。
未練なく、死を受け入れたのであるから、当然、即座に霊になる。
見事である。

若くして命を捧げた彼らの、救いは、国のために死ぬという、一点にあった。それは、国という言葉で、彼らの思いを、総称したのである。

太平洋戦争で、最も、意識したものは、国である。
日本史上、初めての体験である。
国とは、何か。

我らの部落でも、我らの町でもない。
国というものである。

その、国というイメージの、幻想を、天皇という存在が、支えていた。
軍国主義というが、それは、一部の人のことである。
多くの兵士に、軍国主義などない。

軍部が、教育した、国家神道、そして、天皇陛下の、現人神などは、吹けば飛ぶようなものであった。

父や母に、続く、先祖、そして、長い年月の先祖の歴史に、天皇という存在を、置いたのである。
皆、天皇を、天子様として、奉じていた。
そして、国という意識、幻想を作り上げていた。

この戦争で、その国という意識が、明確になった。
国とは、私のことであったという。

世界では、類を見ない、国家幻想を作り上げていた日本という国を、改めて、意識したのである。

軍というものは、暴力であった。
暴力の何ものでもない、存在である。
それにも、耐えられたのは、国が、私だったからだ。

その私には、父や母、兄弟や、友人、愛する人、すべてが、含まれていたのである。

そして、彼らは、死んだ。

朝風、夕風を受けて、美しい珊瑚礁の海で、清められ、祓われて、先祖に続く者として、上昇した。

そして、追悼慰霊に来た私に、死という感覚を教えた。

死者は、言葉にしない。
ただ、伝えるだけである。

遺骨は、一つの物となった。
自然の中に、同化して、何事も無い。
それで、善し、なのだ。

今回、私は、日本人の慰霊のみを、行為した。
多くのアメリカ人も亡くなっている。
共に、国のために、戦った。
大義のために、戦った。
同士である。

憎みあう必要の無い者同士が、国のために、戦った。
平和であれば、友人にも、なれよう。
皆々、演じて生きた。

死を前にした時、人間は、真実を知る。

以下省略。

2008年02月02日

トラック諸島慰霊の旅8

野中が、戻って来た。
島の外れまで、歩いて行ったと言う。
これで、多くの出会いがあった。

一人の男の子が、ガイド役になり、もう一つのホテルのビーチで、泳いで、叱られたらしい。プライベートビーチだった。

明日、一緒に行こうと、野中が、私を誘う。
私は、ゆっくりするつもりだったが、野中の話を聞いて、行くことにした。

村人たちが、集って、木の実を煮て、それを、餅のように捏ねたものを、ご馳走になったという。
村の人の家も、見せて貰ったと、感激していた。
そして、ガイド役の男の子が、Tシャツが欲しいらしいので、今着ているものを、明日、上げるという。
私も、一枚、Tシャツを用意していたので、それも、明日、上げることにした。

ただ、男の子は、ガイド料として、二ドルを要求したという。
野中は、彼に、二ドルを払った。
それを、聞いて、私は、急に、そのことに興味を持った。
ガイドをして、二ドルを貰うということである。

明日は、ホテルを、夜の11時に出る。それまで、十分に時間はある。

さて、今夜の食事を、どうしようかと思った。
いつもなら、必ず、どこかのスーパーに行く。ここでも、買い物をして、それを食べたいと思った。
野中に言うと、それでいいと言う。

六時前である。
外は、すでに、暗くなっている。
私たちは、近くのスーパーに、歩いた。

ところが、すでに、閉店である。早い。それでは、買い物をする場所はない。と、横を見ると、粗雑な板に、パンやバナナを乗せて売る店がある。
そこしか、買い物が出来ないと思い、近づいた。

男がいた。
パンは、二種類である。私は、二種類を買った。そして、量が多いが、小さなバナナである。日本から持ってきた、笹かまぼこがあるので、それで、夕食にすることにした。

水と、パンとバナナ、笹かまぼこで、十分になった。それでも、パンもバナナも、大量に余った。
あまり書きたくないことだが、食べ物が、不味い。
贅沢を言うのではない。すべて、アメリカンになっていて、肉料理ばかりなのである。そして、その肉の、質が悪い。そのために、味付けをしているのである。
胸が悪くなるような、料理が多い。
前日の夜も、量は多いが、肉料理で、油が多く、うんざりしたのである。そして、パンである。パンは、悪くは無いが、パンをニンニクの油で、焼いているのである。ガーリックトーストならいいが、やわらかいパンに、たっぶりと、油で焼いている。
胸焼けする。
兎に角、こってり料理なのである。

さて、後は、寝るだけである。
何も、することがない。今回は、本も持ってこなかった。
テレビも見ない。

エアコンの室外機の音と、潮騒を聞いた。

実に、不思議な日だった。
目的の追悼慰霊は、一時間で済んだのだが、それは、時間の問題ではなかった。質の問題だった。その質は、あまりに、重く、厚い。

ホテル前の通りは、真っ暗である。
私は、九時頃に、ベッドに着いた。そのまま、眠った。

帰国の日の朝、というか、帰国の飛行機は、深夜便であるから、翌日になるが、ホテルを出るのは、夜の11時である。

七時まで、寝ていた。信じられない程、長く寝た。

野中と、レストランに出て、コーヒーを飲んだ。
腹が空かない。昨日のパンもあり、何も注文しなかった。

コーヒーと、水を飲み続けた。
水は、水道水ではない。飲み水として、別に分けられてある。
部屋にも、大きな、水のタンクが置いてある。
ミネラルウォーターを買ったが、インドネシアのものだった。
1,5リットルで、一ドルである。

水道水は、色がついている。
シャワー以外は、使用出来ない。

一時間ほど、レストランで過ごした。

部屋に戻り、出掛ける準備をする。
食べ物を、すべて持った。昼に、食べようと思う。

島の先までは、歩くと、30分以上はかかるというので、タクシーに乗ることにした。しかし、そのタクシーは、中々来ない。
歩きつつ、通る車に手を上げる。
タクシーと、そうではない車を、見分けられないのだ。
タクシーは、運転席の前のフロントに、タクシーと、手書きで書いてある。

一台の車が、止まった。
タクシーではないが、乗っていいと言う。
後部座席に、二人の母娘が乗っていた。
私は、その母娘の後ろに乗った。
途中で、母娘が降りた。

野中と運転の男が英語で、まくし立てるように、話をする。
そこで、印象に残ったことがある。
道路である。
何故、道路の舗装がなされないのかということである。
結局、政治家が、支援金を、自分たちの、いいように使うからだという。
そこで、あの高校生の、男の子の、政治家になりたいという言葉が、思い出された。

どこの国でも、支援される国の政治家、いや、支援する国の政治家も、結局は、自分たちの、都合の良いように、支援金を使うのである。
勿論、学校教育は、無料であり、子供たちの医療費も無料である。
だが、多くの支援金は、有耶無耶になること、多々あり。

政治家になれば、お金を得られるということになる。

主要産業としては、農業の、ココナツ、タロイモ、バナナ等。そして、水産業であるが、全くなっていない。
漁師が、魚を捕らないのである。水産業も何も無い。

一時期、ココナツオイルの、工場があったというが、閉鎖されている。

日本との、貿易額を見ても、2005年では、輸出が190万ドル、輸入が899万ドルである。あまりにも、歴然としている。
地場産業を作らないのである。
収入を得るためには、海外に出稼ぎに出るしかないのである。

ただ、言えることは、環境破壊が無いということである。
それだけは、見事である。しかし、これからの、島の人の生活を考えると、何かの手立ては、必要である。

車は、島の先端の、ホテルに入った。
私たちは、車を降りて、写真を撮るために、浜に出た。
向こうに、夏島が見える。右手には、竹島である。
白い砂が、眩しく輝く。

ホテルの従業員が、声を掛けて来た。日系人である。
日本人が、懐かしいらしい。
皆で、写真を撮る。

車に戻り、昨日、野中が行った村に、行くことにした。
デコボコの道を、ゆっくりと、車が走る。
暫く、逆戻りすると、村に着いた。

そこで、男が、教会のミサに出るということで、車を返すことにした。
料金である。通常のタクシーは、50セントであるが、彼は、10ドルと言う。
野中が、交渉する。10ドルは、高いと。
すると、5ドルになった。それでも、高い。しかし、私は、もういいと思い、5ドルを出した。
男の言い分は、ガソリンが高いと言うのだ。
収入の無い人には、出来る限りお金が欲しいと思うのは、当然である。
5ドルは、大金である。
10ドルから、半額になるのも、おかしいが、タクシーではなく、好意で、乗せてくれたと思い、支払った。

収入の無い、島の人の、買い物は、一ドル以内である。セント単位の買い物である。
しかし、それも、ままならないのである。
だが、その貧困を、支援する理由にすることは、無い。
それが、島の経済システムである。
支援は、それを、破壊しないようにしなければならない。
つまり、持てる者と、持たない者との、差を作ってはならないのだ。

何でもかんでも、金を出せば良いということではない、ということだ。
島の人の、自立を促し、島の人の生活を、破壊しない、支援である。
実に、慎重にならざるを得ない。

トラック諸島慰霊の旅9

見渡すと、バラック小屋が多い。
手作りの小屋である。

野中の後を、歩いた。
昨日来たと言う、村に向かっている。

まず、昨日ご馳走してくれた、村の主の家に行く。
丁度、主人が寝ていた。
声を掛けると、家族皆が、出てきた。
野中が、お礼を言い、プレゼントを持ってきたと言うと、食べ物かと、問う。
私たちは、タバコを五箱買っていた。
現地のタバコである。
それでも、喜んで、受け取ってくれた。
息子と思える男の子から、小さな子まで出て来たので、写真を撮る。

再び、道路に出て、先を歩いた。
ガイド役をしてくれた子の家に向かった。
ところが、野中の記憶が、曖昧で、立ち止まった。

その時、声を掛けられた。
コーヒー、コーヒーと言う男がいる。
野中は、声を上げた。昨日逢った男だった。

私たちは、コーヒーを頼んだ。
一杯、25セントである。集った人にも、ご馳走することになり、四つ、注文した。
男は、そこに、腰掛けてくれと言う。
手作りの、棒で出来た、椅子である。
横には、子供が、裸で寝ていた。

どんどんと、人が集まってくる。子供たちも来た。

私は、パンを食べようと、袋から取り出すと、野中が、まず、こちらが食べてから、皆に渡すといいと言う。
そのようにした。すると、渡した者が、他の者に、分け与えるのである。
子供にも、渡す。すると、その子は、他の子に、半分、分け与える。
それが、自然なのである。
こんな、風景は、見たことがない。

私は、すべてのパンを、皆に与えた。それが、次々と、人から人へと、渡るのである。
こういう、礼儀は、自然に出来上がったものなのだろう。

その内に、ガイド役の子が来た。ジュニオという、名だった。
13歳で、小学校の七年生である。日本だと、中学一年生である。
だが、日本の子供より、小さい。日本の10歳程度の子供のようだ。

野中が、ジュニオに、Tシャツを渡す。
ウァーと、声を上げて喜んだ。
さらに、私のものも、渡す。
ジュニオは、二枚のTシャツを、両肩に掛けた。

その間にも、子供たちが、大勢、集ってきた。

コーヒーを飲み、主人と、話をした。
その中で、私は、子供服などは、どうしているのかと、訊いた。
無いという。
確かに、小さな子は、裸だった。
お金が無いので、皆、出稼ぎに行っている家族や親戚から、送ってくるのである。

着の身着のままである。

私は、次に来る時、子供服を持ってくると言うと、近くにいた、大人が、皆、お礼の言葉を言う。それが、本当に、心ある言葉なのである。
意味がよく解らないが、何を言うのかは、理解した。

主人が、村を案内すると言う。
そこで、私たちは、お願いした。
しかし、それがまた、大変なことになるのだ。

山の中を行く。道無き道を行くといった、感じである。
子供たちも、着いて来た。
彼らには、当たり前だが、私には、山道である。
すぐに、汗だくになった。何度も、着物の、袖で、汗を拭いた。そして、また、汗が出る。

遂に、山の上まで来た。
そこにも、家があるという、驚き。
そして、山の上の風である。その、心地の良さは、格別だった。
その家の、おばあさんが、木の元に、ゴザを敷いて、寝ていた。

私たちが行くと、起き上がり、笑顔で挨拶する。
すぐに、日本人だと、解ったのは、私の着物である。

歓迎に、小さなミカン、日本で言うと、カボスに似たものを、出してくれた。
それは、酢のように、すっぱい。
皆で、それを、食べた。
その家の子も、出て来た。

暫くすると、その家の子が、主人に何か言う。
向こうに、日本軍の大砲があるというのだ。それを、私たちに見せたいと言う。

野中が、着物で、行けるかと、訊くと、大丈夫だと言う。しかし、付いて行くと、そこは、ジャングルである。
引き返すことも出来ず、私は、皆に付いて行った。

だが、主人も、子供たちも、兎に角、親切である。
足場の悪いところを、整えて、私を歩かせる。手を取る子もいる。

漸く、日本軍の要塞を発見し、大砲を見た。

その付近には、大きな穴が多くあった。攻撃された跡だと言う。

肩で、息をしつつ、写真を撮った。
そして、そこからの眺めである。絶景だった。

子供たちには、山が、庭のようなものである。
その有様にも、感動した。

大砲に上がる子供たちである。
誘われたが、私は、上がらなかった。
下から、見上げるだけである。
戦争当時の様を、想像した。
ここで、毎日、敵を発見しては、攻撃していたのであろう。
山の上に、要塞を築き、大砲を設置しての、苦労を思った。

そして、戦争とは、何と無益なことかと、溜息をついた。

また、誰も日本人が、こんな所まで来て、見ることは、ないだろうと思えた。
貴重な資料である。

暫くして、戻ることにした。
子供たちの身に軽さは、脅威であった。
しかし、私を先に先にと、歩かせる。
必ず先導する子がいる。

最初の山の上に戻った。

私は、子供たちの人数を訊いた。
七名である。
一人、二ドルを渡すことにした。
一人の子に、それを渡すと、その子は、満面の笑みを浮かべた。
感謝の気持ちである。
そして、主人には、案内のお礼として、20ドルを渡した。

少し休み、下山することにする。
主人が、折角なので、私の家族に会ってくれと言う。
私は、オッケーと、答えた。

主人の家は、山の中腹にある。
奥さんが、赤ん坊を抱き、二人の娘がいた。
一間の小屋で生活している。
どんな風に寝ているのか、想像がつかないのである。

実に、貴重な体験をして、私たちは、皆と、別れた。

ジュニオだけは、ホテルまで、着いて来ると言うので、三人でホテルへの道を歩いた。

2008年02月03日

トラック諸島慰霊の旅10

人の死を悼む歌を詠む歌を、挽歌という。
そして、歌は、鬼神をも、泣かせるという。

ランダムに、私の、歌詠みを。

愛国の 水盃に うれいあり 若き命を かけしその意を

追悼の 思いに満ちて 宣る我は 清め祓いに 清められたり

トラックの 海は静かに 凪るとも 散華のみこと 言の葉ゆれる


いかばかり 苦悩に満ちて 行く兵士 これも愛国 これもわが身と

鬼神をも 泣かしめるかな 歌詠みの 歌も残さず 散る命なり


はるばると かけつけ祈る 我に言え その悲しみの その切なさの


今もなお 母が待つくに 我のくに 帰り戻りて 泣くものぞかし

我を待つ 恋うる心の 思い人 胸に抱きて ここに逝くなり


平らけく 安らけくかな 南洋の 海静かにて ただそのままに

忘れては また立ち返り 振り返り 水底深く 残る思いを

しかしまた すでになきなり その思い 風吹くままに 波立つままに


大伴の 歌いし賛歌 海ゆかば 空にもかかる 雲の一筋


我もまた 国の御親の 元にゆく ゆくべき国の そり胸の内

いにしえも 死を前にして 人は立つ 今も我もは 振り返らずに

この時ぞ 敵も味方も なかりけり 運命(さだめ)のゆえの ことと知れり


追悼の思い

恥ずかしく 情け無きかな わが祈り 身を切る思い 至らぬゆえに

ありがとう ただありがとう 皆様の 命のお蔭で 生き残る我

潮も泣く 山も泣くなり 過ぎし日の 戦の跡の うつつの跡の


深き海 我知らずその 深き海 深き思いを 知ることもなし

父母の 思いは篤く 胸に抱く 骨無き子らの 悲しみを抱く

大君の 野辺に 死なまし 国のため 教えを受けて 悔やむことなし


最後に

忘れずに 語り伝えよ この事実 問わずして逝く もののふの雄

紺碧の 空と海との 間には 果てない遥か 悲しみの淵


歌の良し悪しではない。
歌を詠まずに、いられないのだ。

トラック諸島慰霊の旅11

ジュニオを連れて、ホテルに戻り、着替えて、ツゥジィーさんの店に向かった。

ツゥジィーさんが、出迎えた。
ジュニオに対しても、別段不思議な顔は、しない。
通常、島の人は、入らない店である。

二人は、顔馴染みである。島の人は、ほとんど、知り合いである。
注文した、ハンバーグがくるまで、ツゥジィーさんと、ジュニオが、現地語で、話している。
内容は、解らない。

ツゥジィーさんが、英語で、言った。
先日、亡くなった、17歳の男の子がいた。
声が出なくなり、食べ物が、喉を通らない。島の病院、グアムの病院、ハワイの病院に行ったが、原因不明で、戻って来て、亡くなった。

彼女は、ブラックマジックにかかったのだと言う。それを、二人で、話していたのだ。

ブラックマジックは、誰でも、かけられる。そして、誰でも、それを、解くことが出来るという。
草木の新芽を使い、それを、煎じて作るらしい。

その17歳の男の子の、親が、熱心なクリスチャンであった。
それで、島の方法を、申し出た人が、多くいたが、断り、死んでしまったのだという。
ブラックマジックも、その解き方も、悪魔のものだというのだ。
だが、母親は、彼を葬る時に、アイムソーリィと、何度も泣いたという。

ツゥジィーさんは、ブラックマジックは、必ず解けるという。

ツゥジィーさんが、一度部屋を出ると、ジュリオが、ブラックマジックの掛けるのを、見たいことがあると言う。そして、私たちに、それを、再現してくれた。
人が寝ている時に、それを、行うという。そして、舌をレロレロレロと、口から出し入れし、呪文のように、アワアワアワアワと、と唱えるという。

その、ジュリオの表情が、おかしくて、私は笑いそうになったが、我慢した。
それをする、ジュリオ自身が、白目を剥くのだ。

野中は、風土病だという。
だから、島の草木の新芽を使って、直すのだという、意見である。

私は、それもありであり、もう一つは、島にある、元の信仰形態を知りたかった。
しかし、ツゥジィーさんも、ジュリオも、それを、知らないという。

バリ島のように、元からある、神様である。その名前だけでも、残っているはずだが、矢張り、キリスト教の支配に入り、それが、霧散してしまったのだろう。

1500年代の、スペイン統治の前には、何らかの、土着の信仰形態が、あったはずである。

二人は、ブラックマジックを解けば、彼は、死ななかったという、意見であった。

ツゥジィーさんの、母親なら、土着の信仰を知っているかもしれないと、私は、帰国して、思った。次に、行った時に、それを、聞きたいと思う。

ジュリオは、ハンバーガーを、自然に食べた。
いつも、食べているように、食べた。普段は、決して、食べられないものであるが、不自然さは、なかった。

野中が、ジュリオに、手紙を出したいが、ジュリオの所は、住所がないと、ツゥジィーさんに言うと、それなら、私の所に、送ってくれれば、届けてあげるという。
そこで、ツゥジィーさんの、住所を知ることになる。

島の大半の人には、住所が無いのである。
不思議だ。
それでも、郵便物は、届くという。
知り合いの手から、親戚の手からと、渡り、本人に届くようである。
カルチャーショックである。

いかに、島の人たちが、親しい関係を、築いているかということである。

さて、私は、ブラックマジックについては、バリ島のものも、興味があり、ただ今、調査中である。
例えば、日本人でも、それにかかる人もいるが、かからない人の方が多い。つまり、バリ島の人にのみ、通用する、ある種の、霊的作用であろうと思う。
ホワイトマジックという、それを、解く方法もある。

それが、例えば、祝詞の清め祓いで、解けるかということも、興味がある。
しかし、これについては、省略する。

四人で、歓談していると、時間が、あっという間に、過ぎた。
島が、夕暮れ近くになるので、私たちは、立ち上がった。

今度こそ、本当に、ツゥジィーさんとも、お別れである。
前回、ツゥジィーさんに、また、島に来るかと、問われて、私は、返事が出来ず、曖昧にしていたが、この時、私は、ツゥジィーさんに、来年、また、来ることを、約束した。

慰霊に訪れる日本人が、今は、激減しているのである。
もう、高齢になり、来る人が少ない。
ほとんど、ダイバーのみである。

スィユゥアーゲン、という、ツゥジィーさんの顔が、晴れやかだった。
通りすがりの旅人ではなくなったのである。
知り合いになったのである。

店を出ると、丁度、タクシーが来たので、それに乗り込む。
ホテルで、私と野中が降り、そのまま、ジュリオを村に返した。
運転手には、一ドル50セントを渡した。
通常の三倍の、料金である。

ジュリオとも、これで、最後である。
またねー、という、日本語が通じたようである。

部屋に戻って、私たちは、一息ついた。

随分と、内容の濃い時間だった。

野中が、フロントの女の子と、話に出たので、私は、一人になった。
フロントの女の子も、日系三世である。中村といった。
時給一ドルで、働いている。
信じられない、安さである。

私は、帰り支度を始めた。
夜の11時に、ホテルを出るのである。
深夜便である。
また、グアムで、手荷物検査を受けると、思うと、憂鬱になる。
グアム到着は、朝の三時半頃であり、最も、眠気の強い時間である。

今度は、冷静に、検査官の言う通りに対処しようと思う。
神妙になっている、自分に、笑った。

野中が、戻ってきた。
そして、カメラがないと言う。
ジュニオが、持っているか、ツゥジィーさんの、店に忘れたかである。
ジュニオなら、返しに来ると、思った。

暫くすると、フロントからの電話である。
ジュリオが、やって来た。
野中が、出た。
数名の子供たちを、引き連れている。
私は、野中に、ここに、皆を、呼んだら、いいと言うが、野中は、部屋を、見せない方がいいと言う。
私も、外に出ることにした。

一ドル紙幣を一枚持って、出た。
ジュリアに渡すためである。
今回で、ジュリオは、10ドル程の、収穫を得た。
彼は、父親が車椅子の生活で、必死で、家計を支えようとしている。
それが、痛いほど解る。

子供たちを見送り、私が先に部屋に戻る。
野中が、戻って来て言う。
ジュリオが、二ドル欲しいと言ったらしい。また、カメラも、最初は、解らないと言ったと。それじゃあ、あの店に、取りに行くと言うと、ズボンのポケットから、カメラを取り出して、ここにあったと言った。
本当は、カメラが欲しかったのだと、野中は言う。
そして、子供たちにも、行けば、二ドル貰えると言って、連れて来た様である。

野中に、みんなに、二ドルくれと、いったらしい。
野中は、お金は、木村が持っている。自分には無いと言ったと、言う。
野中が言う。
金があると、見ると、こういうことになる、と。
確かに、ある人から、貰うというのは、彼らには、当たり前のことである。
私は、それで、気分を悪くすることはなかった。
結果的に、カメラが、戻り、良かったのだ。

夜の九時である。
私たちは、ホテルのレストランに入り、最後の食事をした。

ビーフのミンチを、チーズで、くるんでいるような、実に、後味の悪いものだった。
本日の、お勧め、ディナーである。
一人、約10ドル。
飲み物は、水にした。

部屋に戻る。
野中が、急いで、帰り支度をする。

野中が、荷物を持って、部屋を出た。
フロントの女の子と、話すためである。

私は、時間まで、部屋にいた。

私が、一階に下りると、いよいよ、迎えの車が来た。
旅行会社に委託されている、現地の旅行会社の方である。
現地生活、20年という女性だった。その、旦那さんは、30年の現地生活であった。

彼女から、車の中で、島のことを、聞いた。
私が、感じたことを、確認するようだった。

そして、産経新聞の記事のことにも、触れた。
取材を受けたのだと言う。
それは、産経新聞の記者ではなく、JOCAの人だと言う。
独立行政法人である。青年海外協力隊などを、出している団体である。

産経新聞は、その文章を元に、記事を書いた。
つまり、記者は、取材に来ていない。
そして、それは、非常に偏狭なものだった。
そのように、書くことも出来るが、状況を誤って、理解しているというものだった。

どうしても、遺骨を、見世物にしているという、発想なのである。
確かに、遺骨は、見ることが出来るが、そこまで、見るということは、前にも書いたが、ダイビングでも、相当の経験者である。
それで、果たして、見世物にしていると、言えるのかということである。

遺骨の多くある場所を知る、案内人もいる。
そして、それは、案内するという、仕事であるから、お金を得る。見世物にして、チップを取るという感覚ではなく、それが、仕事なのである。

それを、チップを得て、遺骨を見せるという表現にも出来るということだ。

微妙な、表現の違いである。
ただ、基本的に、そのようなことは、無いと、彼女は言う。
私も、ダンピングショップの人から、聞いた話では、微妙に、ニュアンスが違うと、感じた。

だが、産経新聞の記者は、見世物にされているという、前提の元に、記事を書いたといえる。微妙な、ニュアンスの違いであるが、私は、それは、行き過ぎた書き方であると、判断した。

慰霊を終えた私には、更に、遺骨の、問題ではなくなっていた。
遺骨は、抜け殻である。
その、霊、魂は、すでに、次元を異にしている。

彼らも、後は野となれ山となれ、なのである。

出国審査を終えて、搭乗ロビーに出た。
再び、この島に来ると、信じた。また、やるべきことが、一つ増えたのである。

神仏は妄想である。28

神仏は妄想である、という、エッセイを書いている。

それは、神仏であり、宗教家、及び、信徒の批判ではない。
純粋、神仏というものの、思想的批判である。

多くの宗教家、それらは、特に、潜めて、素晴らしい行為行動を行っていることを、知っている。

宗教に、救いはあるか、未来は、あるかといえば、彼らの行為行動により、あると、言える。

それは、人間主義、人間愛に、元ずく、行為行動であり、言論ではない。

行為により、宗教には、救いがある。

宗教家が、実践家として、活動をした事実は、歴史を見れば、よく解る。

私も、多くの宗教家の、人間愛に満ちた、人道的行為行動を見てきた。今も、見ている。

ただし、問題は、その行為行動にあるものである。
人間愛に元ずく、行動には、それ以上のものがない。
例えば、布教、宣教、折伏等々である。

キリスト教徒は、福音宣教といい、善行を行うとしたなら、誤りである。行為自体が、すでに、それであるから、それ以上の言葉は、必要ではない。

それを、行うこと、それで、よい。
人を助けて、それでは、この教えを、信じなさいと、言えば、その行為は、嘘になる。結局、宗教入信のための、手段としての、行為である。
行為は、目的であるはずだ。

この時代であるから、特に、それは、必要なことである。

宗教の役割が、これほど、大きな時代はない。

ある僧侶が、自殺防止のために、手紙相談を始めたという。
実に、真っ当な、宗教家としての、活動である。

私が、追悼慰霊に行く、タイ・チェンマイから北部タイにかけての、戦争犠牲者遺骨収集と、その、追悼慰霊碑を建立したのは、佐賀県の、浄土真宗の僧侶たちである。
そこで、私は、古神道による、追悼慰霊を行った。
浄土真宗の方法でとは、言わない。

宗教に救いがあるというのは、その行為行動にある。

そして、宗教家、宗教団体だから、出来る行為行動である。

真実、教えが、正しいものならば、行為行動以外に無い。

そして、宗教の、行為行動する、範囲は、他のものが、手出し出来ないところのものである。

日本の社会でも、それらの活動が期待される、場面は、多くある。

会員数の多さから、商売をしている団体も多い。
他の分野が行うことを、平気でするのである。
一々例は、上げない。

善行を持って、会員獲得のために、行為するのであれば、すでに、邪である。魔である。
その勢力、拡大のために、する善行というものは、単なる、偽善になる。

宗教に、フィティフィティは、無い。

与えることによって、与えられているからである。
もし、本当に彼らが、神や仏を、信じているならば、すでに、与えられているのである。
それ以上に、何が必要か。

孤立無援で、行為行動出来る力を持つのが、宗教である。

日本で最初に、唐に渡り、玄奘三蔵法師の、弟子になった、道昭は、矢張り、福祉事業を行っている。
師匠の玄奘は、膨大な、仏典の翻訳に、後の生涯をかけた。
何かに、奉仕することによって、その信仰の、証とする。

その、玄奘の、思いは、億万の衆生を救うという、命題だった。
晩年は、天竺行きの、高山病から、肺を病む。
しかし、最後の最後まで、翻訳をし、成し遂げた。

衆生の、救いは、彼の仏典翻訳という、大業に、結実した。

今、日本で、学ばれている、仏典の多くは、彼が翻訳したものである。

道昭は、玄奘の、法相宗を持って、日本の仏教に寄与した。

当時の時代が、要求していたものを、提供した。

そして、現代である。
宗教というものの、本質が、問われている。

教派を、超えて、行為行動をという、動きも、10年以上前から、はじまっている。
教派を、超えることは、実に簡単である。
共に、神や仏という幻想の、ものを、掲げているのであるから、教派を、超えられる。

宗派の、共同幻想である。
なんとなれば、この世のもの、移り行くものである。
宗派の、教えも、移り行くものである。

天動説から、地動説に、変更を余儀なくされたのである、カトリックは。
真実が、明らかにされれば、当然、それを、受け入れる。
宗教の寛容さである。

無知を、そのままに、神に託すことではない。

宝くじに、二度当たった、僧侶は、すべてを、寄付した。当然である。必要ないからだ。
彼には、仏の教えという、黄金の教えを持っている。金は、手段である。
勿論、金を目的とする、宗教団体は、数多い。

キリストは、汝の隣人を愛せよと、宣教した。
しかし、狭義の、隣人愛であった。
それを、広義の隣人愛にまで、広げて活動することで、キリストの教えを、更に、推し進める。

私の、友人、そして、その、指導司祭は、日本にて、アジア人の留学生の、支援をしている。様々な宗教を持つ人々を、分け隔てなく、支援する。
キリストの、隣人愛を、拡大した、行為行動である。

宗教の強さは、そこにある。

神仏は、妄想であるという、エッセイを通して、私は、宗教的行為にある、もの、そして、宗派を超えるもの、そして、教えを、変容させるものを、観るものである。

万教一致を唱える、生長の家という、宗教がある。
実に、正しい。
だが、その、団体が、何を行っているのかで、その、裏づけがある。

すべての、宗教を認めるという。
そして、どんな宗教に入信していても、生長の家の、聖典を唱えることが、出来るというものだ。
だが、教祖が信仰していた元の宗教のことは言わない。イスラムについても、言わない。

しかし、それさえも、言わず、他を受け入れる、古神道、民族宗教は、数多い。
伊勢神宮は、誰もを、受け入れる。
日本の神社は、誰もを、受け入れる。
バリ島、バリヒンドゥーも、然り。
他の、民族宗教も、然り。

タイ・チェンライの寺院に行った時、僧侶に、こちらの、お祈りの言葉を教えてくださいと、言うと、無いという。
私は、日本では、波阿弥陀仏や、南無法蓮華教という、マントラがあるというと、それで、いいという。

要するに、仏は、無限大の存在である。
祝詞を唱えた。
それで、善し。

無節操であることは、無限定であること。
寛容な宗教、伝統宗教は、皆、そうして、他宗教の者を、受け入れる。

御祭りする、神や仏は、人の心を頂くのである。
規則、作法は、それぞれに、任せるのである。

伝統宗教の場に行き、不快な思いをすることは、なかった。

私は、宗教に期待する。
そして、救いを観る。
更に、平和を、もたらせば、神や仏も、その、妄想は、共同幻想として、実に、有意義なものである。

そう、そのうちに、死ぬのである。
人間には、死という、救いが、確実にある。

2008年02月04日

神仏は妄想である。29

有神論者は、神が宇宙をセッティングしたときに、宇宙の基本定数を精妙に調整し、それぞれが生命を生み出せるゴルディロックス帯のなかに収まるようにしたのだと言う。まるで、神はひねることのできる六つのノブをもっていて、それぞれがゴルディロックス値になるように慎重に調整したかのようである。しかし、有神論者の答えがひどく満足のいかないものであるのはいつも通りだ。なぜなら、彼らが神の存在を説明しないままでおくからである。六つの値について計算することができる神というものは、少なくとも、精妙に調整された数字の組合せそのもの同様にありえないものだろうし、ということは、きわめてありえないというレベルの話になるーーーそして、その「きわめてありえない」存在というのが、私たちがこれまで延々とつづけてきた議論の出発点であった。したがってここから、有神論者の答えは、目の前の問題を解決するため、いささかの前進ももたらさなかったという結論が導かれる。それを退ける以外の代案が私には思いつかないが、同時に、多くの人間がこの問題を理解せず、「神がノブをひねっている」という論証に心底から満足しているように見えることに驚嘆している。

神は妄想である。第四章、ほとんど確実に神が存在しない理由、より。
リチャード・ドーキンス

要するに、信じる者は、確実に、自己洗脳して、信じ込むという、愚劣に陥るということである。
そして、安心する。
実に、愚かな、安心である。
信じるという、安易なムードに、自分を乗せるのである。それは、実に、心地よいのだろう。すべて、思考を捨てるのである。
そして、信じるという行為に、酔う。
酔い知れる。
神という妄想に、委ねて、人生を流すのである。それを、また、善しとするから、おめでたい。

ある日の決闘に出かける、宮本武蔵は、祠の前を通る。
その時、その祠の神に、勝負の祈りをの、誘惑を覚える。
そして、自分を叱咤した。
俺は、この勝負を、この祠の神に、祈ろうとしている。何という、馬鹿馬鹿しいことだ。闘うのは、この俺である。在るか無きかの神に、祈る俺は、剣の道に遠い、と。
武蔵は、そのまま、そこを、通り過ぎる。

五輪書を書いた武蔵は、観世音菩薩を、奉じて云々という、解説者がいるが、武蔵のことを、知らない。
武蔵が、観音様を奉じたのは、見る目と、観の目を、見抜いたゆえの、観世音菩薩であった。観音に、観の目を、あてただけである。
合理主義の武蔵が、拝む対象の観音様を、奉じる訳が無い。
方便である。
書いたものを、そのまま、信じるという、アホな真似をするのであるから、呆れる。

さて、有神論者は、特別の考えなど無い。
信じていれば、事足りる。

本当の意味で法外である「神がいる」という仮説と、見かけ上法外なように見える多宇宙仮説のあいだの決定的な相違は、統計学的なありえなさの相違である。多宇宙は、いかに法外なものに思えようとも、単純である。しかし神は、あるいはどんな知的で、意思決定し、計算する作用者であれ、それによって説明される事柄とまさに同じ統計学的な意味で、高度にありえないものだと言わざるをえない。多宇宙は、そこにかかわる宇宙の数という点だけからすれば法外なように見えるかもしれない。しかし、そうした宇宙の一つ一つは、その基本において単純であり、高度にありえないものを何一つ仮定してはいないのである。しかし、神仮説で想定される知性については、事情はまさに正反対だとしか言いようがない。

ドーキンスは神学者に言う。
私たちの求める第一原因は、自力で自らを高め、最終的に世界を現在のような複雑な存在まで上昇させる一種のクレーンの単純な基礎であったにちがいない。

神学者たちは、繰り返し言ったという。
「何かがないことにではなく、何かが存在することに対し、その理由がなければならないのだ」
そして、それに神という名を与えてもいいのではないか、と。

実に、面白いやり取りをしている。
どうでも、いいことに、互いにムキになるところが、いい。

世の中は、神も仏も、どうでもいいと、思う者が、多数である。
それは、イスラム圏、キリスト教圏、ユダヤ教権、仏教圏、等々である。
誰も、真実、それほど、神や仏に必死になってはない。
知能レベルの低い者が、真剣になるのである。

例えば、死期迫る者が、突然のように、洗礼を受ける。親鸞に帰依する。密教に入信する、という、程度である。
それは、麻酔代わりである。

実に、愚かなことである。

人間が霊的存在であると、知れば、そんなことをする必要は無い。

死後の世界の未知に、不安になるだけである。
死後、霊になると、知らないのだ。

さて、ドーキンスの、論舌は続く。果てしなく、続く。科学者の頭は、実に良い。
分厚い本である。神は妄想である。

私は、第一章に戻り、これから、キリスト教の聖書について、ドーキンスの言葉と、共に、徹底的に、検証し、大嘘であることを書く。

ちなみに、私は、カトリックの洗礼を受けている。
少年の頃から、勉強をせずに、神学、キリスト教を、学んだ。そして、準じて、宗教である。勿論、キリスト教の側からの、宗教であるから、実に、偏ったものである。

私の、主イエスは、何も変わることなくある。
しかし、神という、キリスト教が教える存在については、別物である。
また、主イエスに関しても、新約聖書というものが、どのようなものであるかを、知ることによって、実に、冷静に対処できるものである。

熱心な、クリスチャンほど、罪深い者はない。
余程、前世の因縁が悪いのだろう。
そのせいか、熱心なクリスチャンほど、冷酷無残である。
または、確実に、愚かである。
その証拠に、知らないはずの、聖書を人に説くのである。

教会が、教える神というものは、教会の神であり、それこそ、妄想である。
そして、キリスト教の霊性というもの、すべては、魔界から発するものである。
悪魔より、怖い魔界である。

2008年02月15日

もののあわれについて164

御覧じて、げにいとはしうもとおぼせど、かかる御歩さらにせさせたまわず、北の方も、例の人の仲のやうにこそおはしまさねど、夜ごとに出でむもあやしとおぼしめすべし。「故宮のはてまでそしられさせたまひしも、これによりてぞかし」とおぼしつつむも、ねんごろにおぼはされぬなめりかし。暗きほどにぞ御返りある。

ひたぶるに 待つとも言はば やすらはで 行くべきものを 君が家路に

おろそかにやと思ふこそ苦しけれ」とあるを、「なにか、ここには、

かかれども おぼつかなくも 思ほえず これも昔の えにこそあるらめ

と思ひたまふれど、なぐさめずはつけ」と聞こえたり。おはしまさむとおぼしめど、うひうひしうのみおぼされて、日ごろになりぬ。

それを、御覧になって、宮様は、可愛そうに思われました。
しかし、夜歩きは、しませんでした。
それに、北の方(妻)も、世の常の睦まじい夫婦仲のようではなかったが、毎晩出かけるのでは、不審に、思われるでしょう。
亡き兄宮が、最後まで、兎に角言われ、噂されたのは、この女であったと思われ、慎まれるのであったが、それは、女のことを、ねんごろに、思い召していなかったからでしょう。

暗くなった頃に、お返事がありました。

ひたぶるに まつともいはば やすらはで ゆくべきものを きみがいえじに
あなたが、ひたすら待つというのならば、何をおいても、ためらわずに、あなたの家に向かって行きます。

私の思いを、いかげんなものだと、思っていられるかと思うと、心苦しいものです。と、書かれてあった。
それを見て、女は、いいえ、私のほうは、

かかれども おぼつかなくも 思ほへず これもむかしの えにこそあるらめ
お越しいただけない、という、おぼつかない状態ですが、心細く思われません。
これも、亡き兄宮様との、ご縁で結ばれているからで、ございましょう。

と言う、女の気持ちの底に、亡き宮との、宿縁に結ばれている私は、慰めの言葉を、かけていただかなければ、耐えられそうにありません。
と、打ったえる気持ちを、歌にしました。

宮は、出かけようと思ったが、心重く、そのまま、日が経過した。

女は、宮の気持ちを信じかねる思いあり、冷淡になると、逆に、宮は、積極的に、女に近づこうとするという、男女の駆け引きの様あり。

かかれども おぼつかなくも 思ほへず これも昔の えにこそあるらめ

これも昔の えにこそあるらめ
つまり、宿縁によるものだと歌う。
仏教の、思想が、浸透している、証拠である。

縁とは、えにし、であった。
縁にこそあるらめ
恋も、縁に支えられてある。
縁なくば、恋は、叶わぬ。
叶わぬ恋をすることほど、哀しいことはない。
縁が無いものを、どうすることもできない。

女は宮と、一度、契っている。
これは、縁有り、とみる。
縁があるから、交わることが、出来た。それでは、この先の、関係を、如何にするのか、進めるのか。

恋愛とは、何か。
交わることは、出来た。それから、何を持っての、付き合いになるのか。

現代は、セックスフレンドという存在がいる。
セックスのみの、関係で、善しとする。
しかし、恋愛は、セックスに尽きる。
セックスが、目的であるから、それを、成就させれば、後はない。ただ、次々と、体の関係を、持つのみ。

ある27歳の、女性が、五年ほどの付き合いのある、男に尋ねた。
私たちは、付き合っているよね、と。
すると、男は、言った。別に、付き合っているという、気持ちはない、と。
女は、驚いた。
五年も、セックスを繰り返しているのである。いずれは、結婚するのだろうと、思っていた。
しかし、男の意識には、それが、なかった。
だが、哀しいことに、女の体は、男の体に、慣らされて、しまっていた。

結婚しない、セックスの関係に、女は、絶望を感じた。
それでは、どうするか。
別れる。
しかし、体が、もう、後戻りできないようになっている。

ある女は、妊娠して、男に告げた。
すると、男は、簡単に、堕してくれと、言う。
君と、結婚するつもりは、ないと。
女は、混乱する。
今までの、付き合いと、体の重ねた日々は、なんだったのか。

今度は、男の方をみる。
長年の付き合いの女に、別の男がいると、知る。
問い詰めると、素直に、認めた。
どういうつもりだと言うと、女は、あなたも、楽しんでいるでしょう。今更、どういうつもりも無い。私こそ、どういうつもりで、付き合っていたのかと、聞きたいと。

恋愛の目的を、明確にしていない、恋愛である。が、恋愛とは、そういうものである。

恋愛の目的は、恋愛することである。

そして、実のところ、恋愛とは、乱交という無意識の意識に、支えられてある。

そして、また、それは、性格である。
恋愛も、性格による。

人は、生きられるようにしか、生きられない。

好き者といわれても、好きなものは、好きなのである。
セックス好きなのである。

兎に角、多くの者と、交わりたい。
今では、男女問わず、交わる者がいる。
進化したのだろう。

性を楽しむことは、生を楽しむことでもある。
性を楽しむ者同士が、恋愛をすれば、いい。

結婚は、次元が違う。

恋愛が、結婚に行き着くと、考える方が間違っている。
恋愛と、結婚は、別もの。別次元のものである。

当時は、男が、女の元に、通う形の恋愛である。
女は待つ。男が行く。

男は、多くの女の元に通ってもいい。
乱交である。

人間に大差は、無い。
昔の男と、今の男が、何か違いがあるか。同じである。
そして、女も、同じである。

結婚とは、国家が認めた、男女の契約である。
恋愛は、個人的、行為である。
誰も、その、良し悪しを、判断するものを、持たない。

恋愛こそ、百人百様の様がある。当然である。
この、恋愛の様にあるものから、もののあわれ、という心的状態を、得た日本人である。

恋に生き、恋に死す、からいい。
結婚は、相互扶助の、関係である。そのまま、福祉である。

皆々、恋愛は、これも昔のえにこそあるらめ、なのである。
それ以外に、何があるのか。
昔の縁ゆえの、関係である。

何故、北海道の男と、九州の女が、恋愛するのか。
遠く離れた土地の相手と、何故、恋に落ちるのか。
偶然にしては、出来すぎている。
当然、縁、えにし、があった。それは、昔のえにこそあるらめ、なのである。

男と、女が、相対する時、そこには、膨大な男と、女の縁がある。
それが、解れば、人生の秘密を知ることになる。


2008年02月16日

もののあわれについて165

晦日の日、女

ほととぎす 世にかくれたる 忍び音を いつかは聞かむ 今日も過ぎなば

と聞こえさせたれど、人々あまたさぶらひけるはどにて、え御覧ぜさせず。つとめて、もて参りたれば見たまひて


忍び音は 苦しきものを ほととぎす こだかき声を 今日よりは聞け

とて、二三日ありて、忍びてわたらせたまへり。女は、ものへ参いらむとて精進(さうじ)したるうちに、いと間遠なるもこころなきなめりと思へば、ことにものなど聞こえで、仏にことづけたてまつりて明かしつ。つとめて、宮「めづらかにて明かしつる」などのたまはせて、


いさやまだ かかる道をば 知らぬかな あひてもあはで 明かすものとは

あさましく」とあり。さぞあさましさやうにおぼしつらむといとほしくて、


よとともに もの思ふ人は 夜とても うちとけて目の あふ時もなし

めづらかに思うたまへず」と聞こえつ。

四月三十日、女は、宮に一首をおくりました。
ほととぎす よにかくれたる しのびねを いつかはきかむ きょうもすぎなば

ほととぎすの、ひそかな忍び音を、いつ聞くことが、できるのでしょう。
四月の果ての日も、過ぎてしまいます。
と、申し上げましたけれど、宮の元には、人々が参上して、それを、御覧になれませんでした。

翌朝、参上して、お歌を見せますと、御覧になり、
しのびねは くるしきものを ほととぎす こだかきこえを きょうよりはきけ

忍び音を出さなければならない、ほととずきは、苦しいのです。
高々と呼ぶ声を、今日からは、お聞きください。
人目を、忍ばすに、訪ねましょう。

と、お返しになりました。
二三日たってからも、忍んで来られました。
女は、寺詣でをしようと精進しているうちに、宮のお出でが、遠のいていますのは、愛情が薄くなったしるしであると、思いました。
とくに、お話もせずに、仏道のことにかこつけて、一夜を、明かしました。

翌朝、お帰りになられた宮から、「随分と、変わった夜を過ごしました」と、書かれて、届きました。

いさやまだ かかるみちをば しらぬかな あひてもあはで あかすものとは

いやはや、このような、恋の道が、あるとは、知りませんでした。
お会いしても、共寝もせずに、夜を明かしてしまうとは。

あきれました」と仰せでした。

さぞ、あきられておいでと、気の毒に思い

よしとともに ものおもふひとは よるとても うちとけてめの あふときもなし

夜がくると、物思いする私は、くつろぐ気持ちで、目を合わせて、眠ることなど、決してございません。

私にとっては、珍しくありません」と、申し上げました。

現代とは、時間の感覚が、違うということが、よく、解る。
時間というものに、対する、感覚が違うということは、物に感じる心得も、違うということである。

現在のように、時間というものが、区切られていないということである。
流れる時間感覚である。

現在、時間が流れていると、感じる感覚とも、違う。

よとともに もの思ふ人は
夜と、共に、つまり、夜に物思う者を言う。
夜は、物思う時なのだ。
夜の闇の中で、人は、じっと、人生の秘密を、見つめるのである。
闇を忘れた、現代人に、それを、理解してもらうのは、大変なことである。

夜とても うちとけて目の あふ時もなし

よとともに、を、更に、夜とても、と、夜を、繰り返している。
物思いする者は、くつろいで、目を合わせて、眠ることなど、できない。

ただ、単に、和泉式部は、色情狂いではない、ということだ。
この時代にあって、時代精神を生きているといえる。

時代精神とは、その時代に、求められる生き方である。
和泉式部は、平安期の、理想的女性を、演じたといえる。
男狂いと言われて、善しとする。

色好みから、儚さを、感得し、さらに、その底に流れる、もののあわれ、というものを、見つめるのである。
源氏物語は、まさに、それである。

何度も言うが、色好みは、セックス好みではない。
性というものを、全人的に理解することである。
性にまつわる、諸々を、含めた意味での、色好みである。

その、やり取りにある、所作に、もののあわれ、を、源氏物語は、語るのである。
本居宣長は、それを観た。
私は、源氏物語における、自然、季節描写から、それを、観る。

日本の、風土、季節感覚を抜きに、もののあわれ、というものを、理解出来ないからだ。

もののあわれについて166

またの日、宮「今日やものへ参りたまふ。さていつか帰りたまふべからむ。いかにしておぼつかなからむ」とあれば、


をりすぎて さてこそやめ さみだれて 今宵あやめの 根をやかけまし

とこそ思ひたまふべかりぬべけれ」と聞こえて、参りて、三日ばかりありて帰りたれば、宮より「いとおぼつかなくなりにければ、参りてと思ひたまふるを、いと心憂かりしにこそ、ものうくはづかしうおぼえて、いとおろかなるにこそなりぬべけれど、日ごろは、


すぐすをも 忘れやすると 程ふれば いと恋しさに 今日はまけなむ

あさからぬ心のほどを、さりとも」とある。御返り、


まくるとも 見えぬものから 玉かづら とふひとすぢも たえまがちにて

と聞こえたり。

次の日、宮様から、「今日は、お寺参りをしますか、そして、いつお帰りになりますか。どのように、常より、待ち遠しく、思われることでしょう」と、書かれてあります。

をりすぎて さてもこそやめ さみだれて こよいあやめの ねをやかけまし
時期が、通り過ぎてしまえば、そのまま五月雨も、止みます。悲しみも、止むでしょう。

ですから、今宵は、亡き宮様を、偲ぶ涙で、袖を濡らすことになります。
この気持ちは、お解りくださいますね。
と、申し上げて、寺から三日ほどして、戻り帰りますと、宮様から「大変、待ち遠しくなりましたので、お訪ねしたい。でも、以前、思い満たされぬ夜があったので、気後れします。こう申しますと、ひどく冷たいことだと、思われるでしょうが、近頃は

すぐすをも わすれやすると ほどふれば いとこいしさに きょうはまけなぬ
日を過ごせば、あなたを、忘れられると、思っていましたが、日を経るにつれて、恋しさが、増します。今日は、それに、負けて、お訪ねしましょう。

尋常ではない、心の程を、お解りくださるでしょう。

とありました。
お返し

まくるとも みえぬものから たまかづら とふひとすぢも たえまがちにて
恋しさに、負けて、訪ねてくださるとは、思われません。お手紙を、下さることさえ、絶えがちなのに。
と、申し上げました。

恋の駆け引きである。

まくるとも
恋の気持ちに負けて、である。
みえぬものから
そんな、気持ちには、見えません。
とふひとすぢも
文を書いてくれません。
たえまがちにて
絶えがち、なのに。

火に油を注ぐ、女の言葉である。
いや、まだ、そんなに、私を恋しく思っているのではないのでしょう。と、わざわざ、拗ねている。

前夜に、一度、共寝をせずに、語り合っていたことを、宮は、思い叶わぬという。つまり、セックスが、出来なかったという。
また、そんな風なら、と、言うのである。

会う度に、セックスをするという、単純な付き合いをしたいのではない。
恋のやり取り、駆け引きが、楽しい。嬉しい。
その、間、にある、物思いに、女は、賭ける。

その、間、とは、あわれ、である。
当時は、儚さ、ともいう。

恋愛の、間にある、儚さを、見つめるのである。

優雅である。

恋心に、彩られる様を、表現して、雅と、なる。
平安期の、雅は、その底に、恋心がある。

雅の色彩は、恋心を、現すのである。
絵巻とは、それである。

恋は、絵巻なのである。

アメリカの、日本文化研究の、ドナルド・キーン氏は、戦争時に、英訳の源氏物語を読み、驚愕したという。
戦争の無い、優雅な世界というものがあると、感動したのである。
恋に生き、恋に死ぬ物語は、平和の象徴となった。

以後、キーン氏は、日本軍の捕虜から、日本について、多く知ることになる。
日本文化に流れる、平和の思想である。

それが、恋であった。

すぐすをも 忘れやすると 程ふれば いと恋しさに 今日はまけなむ
時を経れば、忘れると、思ったが、逆に、恋しさが募る。それに、今日は負けて、会いに行く。

恋とは、そういうものである。
今も昔も、変わらずに、人の心は、恋に生き、恋に死すのである。

恋人は、いと恋しさに 今日はまけなむ、と、恋人の元に行く。
何が恋しいのか。

孤独を埋めるようなものは、我以外に無いと、思いつつ、それでも、恋に、賭けるという、人間の悲しさである。それを、儚いと、観た。
これは、知性である。そして、感性を拓くのである。
いざ、恋に生きめやも、である。

2008年02月17日

神仏は妄想である。30

宗教とは、別だが、霊感、霊能というものに、ついて言う。

まず、大半が、嘘である。それは、主観である。客観性を持たない。つまり、信じることしか、出来ない。
また、それは、魔界や、悪魔から、出るもの多い。
悪魔とは、一種の妄想である。

霊感があるというのは、特殊な、感覚があるというもので、風雅を、感じるというのと、似ている。それ以上ではない。

例えば、当たる霊感としても、それが、どこからのものかが、問題である。

何によって、その霊感を得ているのか。
大半が、浮遊する霊や、怪物の霊、つまり、人間もどきである。
あるいは、少しばかり、霊界で、進化した、動物の霊である。勿論、その後に、人の霊が、憑く。

インドの聖者といわれる者に、ロクな者がいないのは、インドの地は、魔界関与が、凄まじいからだ。

フリーセックス主義の、世界の和尚と言われる者、どうしようもない者である。
言葉の綾に、皆々、騙される。
サイハバも、そのトリックを暴かれた。彼は、別次元の霊界の者であるから、奇跡めいたことは、起こすことが出来る。だから、何だというのか。

霊感があるというのは、自己顕示欲が、旺盛であると、思えばよい。
何も、とりえが無い者、よく、霊感があると言う。

霊能は、特異体質である。
霊媒体質とも、言う。女性に多い。
霊が懸りやすいのである。

トランス状態というが、脳の中で、一種の麻薬に似た物質を出している。そういう、体質である。

大半が、思い込みである。

虚言とも言う。
本人は、思い込む。
妄想症とも、言う。病気である。

霊性という言葉を使う宗教もあるが、宗教の霊性は、危ない。
観念の神や仏の霊性であるから、その実が、知れる。

大半が、精神の狂いである。
少し、狂っても、社会生活は、出来る。

ある、カトリック信者の女が、霊感があり、霊性が、云々と言うのを、聞いたが、単なる、自己陶酔、自己催眠であった。
勿論、そういう者、精神不安定になる。
祈っていると、突然、涙が出るの、未来を見るのと、ヒステリーである。

伝統宗教には、必ず、霊性の教育がある。しかし、誰一人、真っ当な霊性を持つか、否かは、解らない。

甚だしいのは、共同幻想、共同妄想、共同催眠に、陥る。

見える、聞こえる、話す。すべて、主観である。
確認の、しようがない。

何かを、当てられたから、信じるというのは、実に、愚かなことである。
人生の大半の問題は、あてずっぽうに言っても、当たること、多々あり。

最新の心理学では、相手のことを、すべて知っていると、思い込ませるテクニックがあることを、突き止めている。

霊感では、なく、それは、やまかん、である。
霊能ではなく、それは、自己顕示欲のヒステリーである。

勿論、騙されたい人が多くいる。需要があると、当然、供給がある。

女に多いが、嘘を話しているうちに、それが、現実になってくるという。まさに、病気である。
それを、信じてしまうと、ほとんど、生き地獄になる。

知能レベルが低いと、特に、そういう、自己顕示欲にある、霊感に、陥る。寂しい病である。
そういう、小さな教祖が、日本には、数多くいる。

自分が描き出した、神や仏を見て、何が憑いたというから、気の毒である。
憑いたのではなく、描き出したのである。
寂しいゆえに、である。

更に、支配欲が、加わると、最低最悪になる。
そこに、集う者、支配されて、生活自体が、滅茶苦茶になる。
そういう人を、多くみた。

前世というものは、あるにはあるが、ハイ、誰々ですと、言えない。
その一部の魂を、受け継いでいる場合、多々あり。
つまり、次元が違うのであり、誰々ですと、簡単に言えるものではない。

キリストの生まれ変わりなどと、聞くと、愕然とする。
有り得ないことである。

そして、前世を知って、どうするのかということだ。
そんなものは、終わったことであり、未来に関わりが無い。
結果、この人生は、今、目の前にいる、私しかないのである。

先祖の因縁で、云々というのも、誤りである。
肉体先祖が受けている、苦しみを受けるという、説もあるが、それは、妄想である。
霊界にいる、先祖が、救いを求めている。
それは、自業自得であり、子孫にかかっているとしたら、更に、罪を作ることになる。確かに、先祖が、子孫に、求めることがある。血縁による、関係である。
先祖の行為によって、他の霊に祟られている人もいる。

およそ、三代、四代前の先祖が多い。
この世の未練に、囚われている。それを、子孫に投影する。
よって、先祖供養という、商売が成り立つ。
実は、先祖に供養されていることが、多い。
先祖は、崇敬するものである。

障る霊より、援軍する霊の方が多いのである。
それを、知らない。
障る霊のみを、取り上げて、除霊だの、供養だのを、行う。

この迷いは、如何ともし難い。

あの、仏陀でさえ、霊界のことに関しては、言葉を発していない。
キリストに、至っては、死者は、死者に任せよ、私に従いなさいと、言うのである。

この、次元では、あずかり知らぬことである。

先祖供養で、幸せになりました。目でした目出度し。
そういう者が死ぬと、今度は、子孫に、それを、求めるという、無知であるから、ホント、救いようがない。
親がアホなら、子もアホということである。

更に言う。
先祖供養とは、アフリカの、人類発生の頃からの、先祖を言うのか。

私の知り合いに、関が原の合戦の頃からの、家系図がある人がいる。
それ以前は、知らない。
他人に見せるべからずという、家系図を見て、先祖というのは、この程度の年代を言うのかと、感慨深くした。

ホント、ご苦労さんです。

実は、親を大切に、親に感謝するということで、先祖供養は、終わっている。
それを、続けていれば、問題ないのである。
子が親に、子が親にである。

親を、放って、先祖供養ですか。
信じられません。
以下省略。

2008年02月18日

神仏は妄想である。31

世の中には、特定の宗教の強い影響のもとで育てられたが、居心地の悪さを感じていたり、その宗教を信じることができなかったり、あるいはその宗教の名によっておこなわれる悪徳に心を悩ませたりしている人間がたくさんいるのではないかと私は疑っているーーいやむしろ、確信している。

リチャード・ドーキンス 神は妄想である。はじめに、より。

そういう人のために、この本を書いたという。

アメリカ。世界で、これほど、戦争の好きな国は無い。また、世界で、一番、戦争を起こしている国である。
それが、どうであろう。

今日のアメリカにおける無神論者の社会的地位は、50年前の同性愛者の立場とほとんど同じである。ゲイ・プライド運動のあと、いまでは、同性愛者が選挙で公職に選ばれることは、けっして簡単というほどではないが、可能である。1999年におこなわれたギャラップ調査では、アメリカ人に対して、その他の点では十分な資格をもつ次のような人物に投票するかどうかが質問された。女性99パーセントは投票する、ローマカトリック教徒94パーセント、ユダヤ人92パーセント、黒人92パーセント、モルモン教徒79パーセント、同性愛者79パーセント、無神論者49パーセントという結果だった。明らかに、道ははるかに遠い。しかし無神論者の数は、多くの人が気づいているよりも、もっとはるかに多く、とくに高い教育を受けたエリートのあいだに多い。この点については、すでに19世紀からそうだったのであり、だからこそジョン・スチュワート・ミルが実際、こう述べているのだ。「世界にもっとも輝かしい光彩を添えている人々のうちの、英知と徳という通俗的な評価においてさえももっとも傑出した人々のうちの、どれほど大きな比率が、宗教への完璧な懐疑論者であるかを知れば、世間は驚愕するだろう」

欧米諸国、アラブ諸国は、宗教の国々である。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。
しかし、どれ程、多くの人が、それに対して、懐疑的であるかは、語られない。

甚だしい、苦痛を感じている、真っ当な人々が、無神論であると、カミングアウトすることは、不可能に近い。
イスラム圏では、死刑に相当する場合もある。

これを、無明と、言わず、何というのか。
更に、イスラム圏では、他の宗教に改宗すると、死刑に相当するという、驚きである。

妄想の神に対する、不敬が、最も重い罪とされる。
信じられないのである。

そして、もっと、驚くべきことは、それらが、簡単に戦争をするという、事実である。
それも、神の名において、である。

宗教と、共産主義が、殺した人の数は、星の数にもなる。

ホント、糞でも、食らえ、である。

対立するように、見えるものが、実際は、同じ、土俵にいるという、驚き。

私は、人類のために、宗教と、共産主義を、大罪と、定める。

これ程、愚かしく、哀れであるものは、見ることもない。
そして、これらは、すべて、無知からくるのである。
無知蒙昧という。

どんなに、議論をしても、無い物を、在ると言うのであるから、議論にならない。

人類は、宗教的であったゆえに、こうして、続けてきたのであり、宗教によってではない。宗教的というのは、自然との、共生、共感の考え方である。
宗教から、発した思想も哲学も、何も解決していないのである。
言えば、迷いを与えるものである。

無知の、ゆらぎに、付け込んでの、神だの仏だのという、妄想は、人間を救うことなく、人間を、無明の、只中に貶めた。

無明とは、仏教用語である。仏の知恵を言うが、それこそ、無知なのである。仏の知恵などない。ある訳が無い。
在ると信じて、お勉強して、多くの言葉を覚えて、迷うのが、関の山である。

仏教の教義など、支離滅裂である。
一つの言葉を取り出しても、何の根拠も無いという、仰天である。

それなのに、無知な人々は、真実の科学の知識や知恵を、宗教だと言う、アホらしさである。つまり、知能レベルが、低すぎるのである。

科学は、全体の、ほんの、少しを知った程度である。しかし、宗教の妄想とは、違う。実際に在るものを、見ている。しかし、宗教は、妄想なのである。

あれかし、と、願う心に、神や仏が、宿るのである。

マイクロソフト・ワードについている辞書は、delusion を「矛盾する強力な証拠があるにもかかわらず誤った信念をずっともちつづけること。とくに精神障害の一症候群として」と定義している。

禅とオートバイ修理技術の、著者であるロバート・M・バーングが、「ある一人の人物が妄想にとりつかれているときは、精神異常と呼ばれる。多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる」と述べているが、私はこちらを採りたい気持ちがする。

以上、そのようである。
私も、そう思う。

このエッセイでは、日本の伝統、古神道に行き着くべくの、エッセイである。
それは、宗教ではなく、実に、宗教的である。
日本には、宗教という、概念が無い。それは、つまり、日本には、宗教が無いということである。

欧米の宗教学を持って、宗教を論じるのは、かまわないが、日本の伝統を、その枠で、語ることは、出来ないということを、言うための、エッセイを書いている。

お解りか。

日本人には、宗教は、必要無いのである。
しかし、何故、こう多くの宗教が成り立っているのか。
日本の、宗教団体は、商売だからである。
故に、十分、成り立つ意味がある。

お解りか。
商売である。
宗教法人とは、株式会社と、同じように、経営の形態なのである。

お解りか。
アホ、ども。