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2008年02月 アーカイブ

2008年02月01日

トラック諸島慰霊6

岸に着く頃、私の念仏も、終わっていた。

男は、大仕事をしたような、顔付きをしていた。
ただ、私が握手を求めると、私と目を合わせないのである。
あまりに、驚きの行動だったのかもしれない。野中とは、言葉を交わしていた。

何ともいえぬ、疲労感を覚えた。
少し、放心したのかもしれない。

漁師たちが、皆、声を掛けてくれる。
何となく、頷き合うから、面白い。

昨日の約束通りに、ツゥジィーさんの店に向かう。
時間は、正午前だ。約、一時間の間である。

ツゥジィーさんの店に向かう途中、男の子が、声を掛けてきた。
日本人ですかと、英語で言う。
そうだというと、嬉しそうに笑った。
年は、16歳で、高校生である。
私と野中と、交互に話をした。私は、片言の英語で、会話した。結構、うまく話が進む。
将来の希望を訊くと、政治家と言うから、驚いた。
その訳は、後で、解ることになる。
彼は、暫く、私たちと、歩きつつ、話をした。一緒に、何か食べようかと誘うと、バスが来るからと、別れた。

ツゥジィーさんの店に行くと、店員が、出ていた。
私たちを見ると、笑顔で、迎える。
ツゥジィーさんは、まだ、来ていなかった。

昨日と、同じ部屋に通された。
お客は、私たちしか、いない。

私は、ポークカレーを、野中は、チキンカレーを注文した。
そして、アイスティーである。
これは、何倍飲んでもいいということで、ツゥジィーさんが、勧めてくれた。

半分ほど食べていると、ツゥジィーさんが、やって来た。
今度は、すぐに、椅子に腰掛けた。
マアマに、私たちのことを、話したと言う。
すると、色々な話を、ツゥジィーさんにしたという。

日本の軍人は、素晴らしかったという。
ある、艦船は、沈没することが解って、皆で、船と共に、見事に死んだという。
その船を、ダイバーが見に行くと、船長室では、皆、椅子に座ったままに、死んでいた。
そんな話を、多く聞いた。

日本が戦争に負けた時、自分たちが、負けたように思ったらしい。

1945年に、太平洋戦争が終結すると、アメリカの占領が始まる。
二年後の、1947年には、国連の太平洋信託統治領として、本格的にアメリカの統治政策が、始まった。

島の至るところが、攻撃されて、穴ぼこだらけであった。
何もかもを、失ったのである。
後で、書くが、文明から、逆行するような、生活の様になる。

日本の統治時代に出来た街は、破壊されて、皆、散り散りになった。
夏島の人々は、現在のモエン島、春島にやって来た。
今の夏島は、原始生活のようであるという。勿論、モエン島の大多数の人の生活も、そうである。

1965年、ミクロネシア議会発足。太平洋信託統治地域に関する日米協定終結。ミクロネシア協定である。
1969年、信託統治終了後の政治的地位に関し、アメリカとの、交渉が始まり、その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、現在のミクロネシア連邦が、それぞれ別個に、アメリカと交渉することになる。

現在の、ミクロネシアは、四州に分かれている。
チューク、ポンペイ、ヤップ、コスラエ、総称して、カロリン諸島である。
首都は、ポンペイの、バリキール。

1978年、四州で連邦を構成する憲法草案が住民投票で、承認される。
翌年、憲法施行。自治政府が発足し、初代大統領に、日系のトシオ・ナカヤマ氏が、就任する。
この、ナカヤマの、姓が、実に多いことに、驚く。

日本もアメリカの下にあるが、ミクロネシアも、同じく、アメリカの下にある。
国防を見ると、米・ミクロネシア自由連合盟約により、ミクロネシアの安全保障、国防上の権限は、アメリカが持つ。
市民が、アメリカ軍の兵士に採用されている。
2003年のイラク戦争では、ミクロネシア出身の兵士も参加した。
ただし、米軍の軍事基地は無い。

2005年の一人当たりの、GNPは、2,300ドルであるが、今は、もっと少ない。
仕事が無い。全くの無収入が、島民の大半である。
すべて、仕事は、出稼ぎになる。

そこで、どうして、生活出来るのかといえば、島にある物を、食べて、暮らしを立てているのである。
山に住めば、野生の物で、十分に食べられるという。
翌日、私は、それを、この目で、見ることになる。

国内の生産性は、実に低く、生活必需品の多くを、輸入に頼る。
貿易収支は、恒常的に、赤字である。
連邦政府歳入の約七割は、アメリカとの、自由連合盟約による、財政支援である。
そして、日本である。2005年までの、日本からの無償支援額は、144,11億円である。また、技術協力では、61,28億円を、日本が支援している。

国際航空の、建物、道路が、日本の支援で成ったという。
その時、日本の企業が来て、島人を、雇用し、大変喜ばれたという。

兎に角、貧しいのである。
しかし、不幸ではない。環境破壊の無い、自然の中で、自然の物を食べて暮らしているという、贅沢さである。
一見すると、勘違いするが、貧しさが、不幸ではないという、証を見るのである。

さて、ツゥジィーさんとの、会話は、実に楽しいものだった。

一つ、面白いと、思ったことは、日本の神社を、神様というのである。
今は、キリスト教徒だが、神様といえば、神社のことを言う。
それでは、キリスト教の神様を、何と呼ぶか。イエズス様である。
プロテスタントでは、ジェイズスという。

天皇陛下を、どう思うかと、訊きたかったが、今更なので、止めた。

カレーの量が多かったせいもあり、突然の、眠気が襲う。
私は、ホテルに戻り、すぐに、ベッドに寝た。

野中は、出掛けて行った。
これで、また、色々な情報を仕入れてくるのである。

トラック諸島慰霊の旅7

ベッドに寝て、暫く、放心していた。
うとうとしたが、眠ることは、なかった。

不思議な感覚である。
今まで、どこに旅しても、感じなかったことである。

追悼慰霊は、目的を達することが出来て、良かったが、私の方に、何か、問題がある。
私の満足感であると、客観的には、言える。

実は、慰霊の際に、嫌な気分、変な気を、全く感じなかったのだ。
逆に、私が、清め祓いされているような感じだ。

そして、部屋に戻った私の、心境である。
世の中、つまり、世界のこと、日常のこと、私の属する社会のこと。それらが、どうでもいいことに、思えた。
そして、それが、実に、明確なのである。

このまま、日本に戻らなくても、いい気持ちなのである。
これは、つまり、一つの、死である。
死の感覚である。

戦争で無くなった方は、すでに、清められている。
納得して、死んだ。その時、納得出来ずとも、今は、納得している。
何故か。
日本兵の幽霊が出るという、噂も無いという。
自然である。
自然が、彼らの霊を、清め祓ったのである。

美しい珊瑚の海と、朝風夕風の清らかさ。潮の流れによる、清め祓いである。

清め祓いの私の方が、清められ、祓われていた。

膨大な数の方が亡くなっていれば、海難事故が起きる。しかし、世界中からダイバーが来て、海に潜っても、何も無い。安全である。
要するに、気が、いいのである。
数知れない、遺骨があっても、である。

日本の寺や、それに属する、納骨堂に入っても、その気が、乱れ、濁るのであるが、それが、全く無いのである。

他の慰霊する、土地とは、違う。

改めて、私は、日本の伝統にある、自然と共生、共感する、古神道の、考え方を、得心した。
死は、隠れることなのである。
消滅することではない。

ここで、少し霊というものについて、説明が必要である。
古神道では、四位一体なのである。つまり、一霊には、四つの、魂がある。
三位一体という、キリスト教の教義は、無い。神学という、言葉遊びの世界で、成り立ったものであり、父と子と聖霊とという、一体は、こじ付けである。

和、荒、奇、幸、の、四つの、魂により、霊というものがある。
数霊、かずたま、というものが、言霊を支える重要なものである。
それが、四である。
偶数であるということは、分離するということである。
奇数は、分離しない。偏るのである。
中国思想も、三という、数を、完成の数であり、安定の数とするが、違う。

さて、四つの、魂の、荒魂、あらみたま、が、最後に、この世に残る。
昔の人は、49日は、あらみたま、なので、と、慎重に過ごした。それは、仏教ではなく、日本の伝統の考え方である。

荒魂が、活動すれば、幽霊にもなる。不思議な力も、現す。
それが、無いのである。

そして、私が感じた、死という感覚である。
追悼慰霊をした、私は、彼らに、死という感覚を、教えられていた。

簡単に言えば、私が、この海に来て、私の属する社会生活すべてを、捨てても、いいと思う。どうでもよくなる。その感覚に、死というものが、似ているということ。
最終の自己完結なのである。

これで、よろしいという、思い。
つまり、完結したのである。

彼らの、御霊が、そのようであるということ。

それには、どれ程、多くの人の、祈りがあったか、知れないのである。
彼らの、親兄弟から、親族、友人、知人と、彼らに対する篤い思いは、距離を超えて、きた。その、祈りに、彼らは、満足した。更に、自分の死をも満足した。

国のために、死んだ、という、明確な意味意識である。
大義というものが、如何に、必要かということだ。

だから、テロ行為も、終わらない。
大義があるからだ。
明確な、死ぬことの、意味意識があるからだ。
勿論、テロ行為のそれは、誤りである。だが、大義という、意味では、同じである。

私は、とんでもない、感覚に、立ち往生した。

本当に、このまま、死んでも、良いと、思った。

一霊四魂、ということを、観念として、理解してもよい。
私は、それを、説明する必要を、感じないからだ。
知らなくていいのである。

死ねば、解る。

ここでは、総称して、霊という。

一般に、言われる霊というものは、幽体の霊のことで、肉体に似た姿であるから、幽霊というのである。
そんなものは、即座に脱ぎ捨てて、霊になったのである。

それは、覚悟の問題である。
未練なく、死を受け入れたのであるから、当然、即座に霊になる。
見事である。

若くして命を捧げた彼らの、救いは、国のために死ぬという、一点にあった。それは、国という言葉で、彼らの思いを、総称したのである。

太平洋戦争で、最も、意識したものは、国である。
日本史上、初めての体験である。
国とは、何か。

我らの部落でも、我らの町でもない。
国というものである。

その、国というイメージの、幻想を、天皇という存在が、支えていた。
軍国主義というが、それは、一部の人のことである。
多くの兵士に、軍国主義などない。

軍部が、教育した、国家神道、そして、天皇陛下の、現人神などは、吹けば飛ぶようなものであった。

父や母に、続く、先祖、そして、長い年月の先祖の歴史に、天皇という存在を、置いたのである。
皆、天皇を、天子様として、奉じていた。
そして、国という意識、幻想を作り上げていた。

この戦争で、その国という意識が、明確になった。
国とは、私のことであったという。

世界では、類を見ない、国家幻想を作り上げていた日本という国を、改めて、意識したのである。

軍というものは、暴力であった。
暴力の何ものでもない、存在である。
それにも、耐えられたのは、国が、私だったからだ。

その私には、父や母、兄弟や、友人、愛する人、すべてが、含まれていたのである。

そして、彼らは、死んだ。

朝風、夕風を受けて、美しい珊瑚礁の海で、清められ、祓われて、先祖に続く者として、上昇した。

そして、追悼慰霊に来た私に、死という感覚を教えた。

死者は、言葉にしない。
ただ、伝えるだけである。

遺骨は、一つの物となった。
自然の中に、同化して、何事も無い。
それで、善し、なのだ。

今回、私は、日本人の慰霊のみを、行為した。
多くのアメリカ人も亡くなっている。
共に、国のために、戦った。
大義のために、戦った。
同士である。

憎みあう必要の無い者同士が、国のために、戦った。
平和であれば、友人にも、なれよう。
皆々、演じて生きた。

死を前にした時、人間は、真実を知る。

以下省略。

2008年02月02日

トラック諸島慰霊の旅8

野中が、戻って来た。
島の外れまで、歩いて行ったと言う。
これで、多くの出会いがあった。

一人の男の子が、ガイド役になり、もう一つのホテルのビーチで、泳いで、叱られたらしい。プライベートビーチだった。

明日、一緒に行こうと、野中が、私を誘う。
私は、ゆっくりするつもりだったが、野中の話を聞いて、行くことにした。

村人たちが、集って、木の実を煮て、それを、餅のように捏ねたものを、ご馳走になったという。
村の人の家も、見せて貰ったと、感激していた。
そして、ガイド役の男の子が、Tシャツが欲しいらしいので、今着ているものを、明日、上げるという。
私も、一枚、Tシャツを用意していたので、それも、明日、上げることにした。

ただ、男の子は、ガイド料として、二ドルを要求したという。
野中は、彼に、二ドルを払った。
それを、聞いて、私は、急に、そのことに興味を持った。
ガイドをして、二ドルを貰うということである。

明日は、ホテルを、夜の11時に出る。それまで、十分に時間はある。

さて、今夜の食事を、どうしようかと思った。
いつもなら、必ず、どこかのスーパーに行く。ここでも、買い物をして、それを食べたいと思った。
野中に言うと、それでいいと言う。

六時前である。
外は、すでに、暗くなっている。
私たちは、近くのスーパーに、歩いた。

ところが、すでに、閉店である。早い。それでは、買い物をする場所はない。と、横を見ると、粗雑な板に、パンやバナナを乗せて売る店がある。
そこしか、買い物が出来ないと思い、近づいた。

男がいた。
パンは、二種類である。私は、二種類を買った。そして、量が多いが、小さなバナナである。日本から持ってきた、笹かまぼこがあるので、それで、夕食にすることにした。

水と、パンとバナナ、笹かまぼこで、十分になった。それでも、パンもバナナも、大量に余った。
あまり書きたくないことだが、食べ物が、不味い。
贅沢を言うのではない。すべて、アメリカンになっていて、肉料理ばかりなのである。そして、その肉の、質が悪い。そのために、味付けをしているのである。
胸が悪くなるような、料理が多い。
前日の夜も、量は多いが、肉料理で、油が多く、うんざりしたのである。そして、パンである。パンは、悪くは無いが、パンをニンニクの油で、焼いているのである。ガーリックトーストならいいが、やわらかいパンに、たっぶりと、油で焼いている。
胸焼けする。
兎に角、こってり料理なのである。

さて、後は、寝るだけである。
何も、することがない。今回は、本も持ってこなかった。
テレビも見ない。

エアコンの室外機の音と、潮騒を聞いた。

実に、不思議な日だった。
目的の追悼慰霊は、一時間で済んだのだが、それは、時間の問題ではなかった。質の問題だった。その質は、あまりに、重く、厚い。

ホテル前の通りは、真っ暗である。
私は、九時頃に、ベッドに着いた。そのまま、眠った。

帰国の日の朝、というか、帰国の飛行機は、深夜便であるから、翌日になるが、ホテルを出るのは、夜の11時である。

七時まで、寝ていた。信じられない程、長く寝た。

野中と、レストランに出て、コーヒーを飲んだ。
腹が空かない。昨日のパンもあり、何も注文しなかった。

コーヒーと、水を飲み続けた。
水は、水道水ではない。飲み水として、別に分けられてある。
部屋にも、大きな、水のタンクが置いてある。
ミネラルウォーターを買ったが、インドネシアのものだった。
1,5リットルで、一ドルである。

水道水は、色がついている。
シャワー以外は、使用出来ない。

一時間ほど、レストランで過ごした。

部屋に戻り、出掛ける準備をする。
食べ物を、すべて持った。昼に、食べようと思う。

島の先までは、歩くと、30分以上はかかるというので、タクシーに乗ることにした。しかし、そのタクシーは、中々来ない。
歩きつつ、通る車に手を上げる。
タクシーと、そうではない車を、見分けられないのだ。
タクシーは、運転席の前のフロントに、タクシーと、手書きで書いてある。

一台の車が、止まった。
タクシーではないが、乗っていいと言う。
後部座席に、二人の母娘が乗っていた。
私は、その母娘の後ろに乗った。
途中で、母娘が降りた。

野中と運転の男が英語で、まくし立てるように、話をする。
そこで、印象に残ったことがある。
道路である。
何故、道路の舗装がなされないのかということである。
結局、政治家が、支援金を、自分たちの、いいように使うからだという。
そこで、あの高校生の、男の子の、政治家になりたいという言葉が、思い出された。

どこの国でも、支援される国の政治家、いや、支援する国の政治家も、結局は、自分たちの、都合の良いように、支援金を使うのである。
勿論、学校教育は、無料であり、子供たちの医療費も無料である。
だが、多くの支援金は、有耶無耶になること、多々あり。

政治家になれば、お金を得られるということになる。

主要産業としては、農業の、ココナツ、タロイモ、バナナ等。そして、水産業であるが、全くなっていない。
漁師が、魚を捕らないのである。水産業も何も無い。

一時期、ココナツオイルの、工場があったというが、閉鎖されている。

日本との、貿易額を見ても、2005年では、輸出が190万ドル、輸入が899万ドルである。あまりにも、歴然としている。
地場産業を作らないのである。
収入を得るためには、海外に出稼ぎに出るしかないのである。

ただ、言えることは、環境破壊が無いということである。
それだけは、見事である。しかし、これからの、島の人の生活を考えると、何かの手立ては、必要である。

車は、島の先端の、ホテルに入った。
私たちは、車を降りて、写真を撮るために、浜に出た。
向こうに、夏島が見える。右手には、竹島である。
白い砂が、眩しく輝く。

ホテルの従業員が、声を掛けて来た。日系人である。
日本人が、懐かしいらしい。
皆で、写真を撮る。

車に戻り、昨日、野中が行った村に、行くことにした。
デコボコの道を、ゆっくりと、車が走る。
暫く、逆戻りすると、村に着いた。

そこで、男が、教会のミサに出るということで、車を返すことにした。
料金である。通常のタクシーは、50セントであるが、彼は、10ドルと言う。
野中が、交渉する。10ドルは、高いと。
すると、5ドルになった。それでも、高い。しかし、私は、もういいと思い、5ドルを出した。
男の言い分は、ガソリンが高いと言うのだ。
収入の無い人には、出来る限りお金が欲しいと思うのは、当然である。
5ドルは、大金である。
10ドルから、半額になるのも、おかしいが、タクシーではなく、好意で、乗せてくれたと思い、支払った。

収入の無い、島の人の、買い物は、一ドル以内である。セント単位の買い物である。
しかし、それも、ままならないのである。
だが、その貧困を、支援する理由にすることは、無い。
それが、島の経済システムである。
支援は、それを、破壊しないようにしなければならない。
つまり、持てる者と、持たない者との、差を作ってはならないのだ。

何でもかんでも、金を出せば良いということではない、ということだ。
島の人の、自立を促し、島の人の生活を、破壊しない、支援である。
実に、慎重にならざるを得ない。

トラック諸島慰霊の旅9

見渡すと、バラック小屋が多い。
手作りの小屋である。

野中の後を、歩いた。
昨日来たと言う、村に向かっている。

まず、昨日ご馳走してくれた、村の主の家に行く。
丁度、主人が寝ていた。
声を掛けると、家族皆が、出てきた。
野中が、お礼を言い、プレゼントを持ってきたと言うと、食べ物かと、問う。
私たちは、タバコを五箱買っていた。
現地のタバコである。
それでも、喜んで、受け取ってくれた。
息子と思える男の子から、小さな子まで出て来たので、写真を撮る。

再び、道路に出て、先を歩いた。
ガイド役をしてくれた子の家に向かった。
ところが、野中の記憶が、曖昧で、立ち止まった。

その時、声を掛けられた。
コーヒー、コーヒーと言う男がいる。
野中は、声を上げた。昨日逢った男だった。

私たちは、コーヒーを頼んだ。
一杯、25セントである。集った人にも、ご馳走することになり、四つ、注文した。
男は、そこに、腰掛けてくれと言う。
手作りの、棒で出来た、椅子である。
横には、子供が、裸で寝ていた。

どんどんと、人が集まってくる。子供たちも来た。

私は、パンを食べようと、袋から取り出すと、野中が、まず、こちらが食べてから、皆に渡すといいと言う。
そのようにした。すると、渡した者が、他の者に、分け与えるのである。
子供にも、渡す。すると、その子は、他の子に、半分、分け与える。
それが、自然なのである。
こんな、風景は、見たことがない。

私は、すべてのパンを、皆に与えた。それが、次々と、人から人へと、渡るのである。
こういう、礼儀は、自然に出来上がったものなのだろう。

その内に、ガイド役の子が来た。ジュニオという、名だった。
13歳で、小学校の七年生である。日本だと、中学一年生である。
だが、日本の子供より、小さい。日本の10歳程度の子供のようだ。

野中が、ジュニオに、Tシャツを渡す。
ウァーと、声を上げて喜んだ。
さらに、私のものも、渡す。
ジュニオは、二枚のTシャツを、両肩に掛けた。

その間にも、子供たちが、大勢、集ってきた。

コーヒーを飲み、主人と、話をした。
その中で、私は、子供服などは、どうしているのかと、訊いた。
無いという。
確かに、小さな子は、裸だった。
お金が無いので、皆、出稼ぎに行っている家族や親戚から、送ってくるのである。

着の身着のままである。

私は、次に来る時、子供服を持ってくると言うと、近くにいた、大人が、皆、お礼の言葉を言う。それが、本当に、心ある言葉なのである。
意味がよく解らないが、何を言うのかは、理解した。

主人が、村を案内すると言う。
そこで、私たちは、お願いした。
しかし、それがまた、大変なことになるのだ。

山の中を行く。道無き道を行くといった、感じである。
子供たちも、着いて来た。
彼らには、当たり前だが、私には、山道である。
すぐに、汗だくになった。何度も、着物の、袖で、汗を拭いた。そして、また、汗が出る。

遂に、山の上まで来た。
そこにも、家があるという、驚き。
そして、山の上の風である。その、心地の良さは、格別だった。
その家の、おばあさんが、木の元に、ゴザを敷いて、寝ていた。

私たちが行くと、起き上がり、笑顔で挨拶する。
すぐに、日本人だと、解ったのは、私の着物である。

歓迎に、小さなミカン、日本で言うと、カボスに似たものを、出してくれた。
それは、酢のように、すっぱい。
皆で、それを、食べた。
その家の子も、出て来た。

暫くすると、その家の子が、主人に何か言う。
向こうに、日本軍の大砲があるというのだ。それを、私たちに見せたいと言う。

野中が、着物で、行けるかと、訊くと、大丈夫だと言う。しかし、付いて行くと、そこは、ジャングルである。
引き返すことも出来ず、私は、皆に付いて行った。

だが、主人も、子供たちも、兎に角、親切である。
足場の悪いところを、整えて、私を歩かせる。手を取る子もいる。

漸く、日本軍の要塞を発見し、大砲を見た。

その付近には、大きな穴が多くあった。攻撃された跡だと言う。

肩で、息をしつつ、写真を撮った。
そして、そこからの眺めである。絶景だった。

子供たちには、山が、庭のようなものである。
その有様にも、感動した。

大砲に上がる子供たちである。
誘われたが、私は、上がらなかった。
下から、見上げるだけである。
戦争当時の様を、想像した。
ここで、毎日、敵を発見しては、攻撃していたのであろう。
山の上に、要塞を築き、大砲を設置しての、苦労を思った。

そして、戦争とは、何と無益なことかと、溜息をついた。

また、誰も日本人が、こんな所まで来て、見ることは、ないだろうと思えた。
貴重な資料である。

暫くして、戻ることにした。
子供たちの身に軽さは、脅威であった。
しかし、私を先に先にと、歩かせる。
必ず先導する子がいる。

最初の山の上に戻った。

私は、子供たちの人数を訊いた。
七名である。
一人、二ドルを渡すことにした。
一人の子に、それを渡すと、その子は、満面の笑みを浮かべた。
感謝の気持ちである。
そして、主人には、案内のお礼として、20ドルを渡した。

少し休み、下山することにする。
主人が、折角なので、私の家族に会ってくれと言う。
私は、オッケーと、答えた。

主人の家は、山の中腹にある。
奥さんが、赤ん坊を抱き、二人の娘がいた。
一間の小屋で生活している。
どんな風に寝ているのか、想像がつかないのである。

実に、貴重な体験をして、私たちは、皆と、別れた。

ジュニオだけは、ホテルまで、着いて来ると言うので、三人でホテルへの道を歩いた。

2008年02月03日

トラック諸島慰霊の旅10

人の死を悼む歌を詠む歌を、挽歌という。
そして、歌は、鬼神をも、泣かせるという。

ランダムに、私の、歌詠みを。

愛国の 水盃に うれいあり 若き命を かけしその意を

追悼の 思いに満ちて 宣る我は 清め祓いに 清められたり

トラックの 海は静かに 凪るとも 散華のみこと 言の葉ゆれる


いかばかり 苦悩に満ちて 行く兵士 これも愛国 これもわが身と

鬼神をも 泣かしめるかな 歌詠みの 歌も残さず 散る命なり


はるばると かけつけ祈る 我に言え その悲しみの その切なさの


今もなお 母が待つくに 我のくに 帰り戻りて 泣くものぞかし

我を待つ 恋うる心の 思い人 胸に抱きて ここに逝くなり


平らけく 安らけくかな 南洋の 海静かにて ただそのままに

忘れては また立ち返り 振り返り 水底深く 残る思いを

しかしまた すでになきなり その思い 風吹くままに 波立つままに


大伴の 歌いし賛歌 海ゆかば 空にもかかる 雲の一筋


我もまた 国の御親の 元にゆく ゆくべき国の そり胸の内

いにしえも 死を前にして 人は立つ 今も我もは 振り返らずに

この時ぞ 敵も味方も なかりけり 運命(さだめ)のゆえの ことと知れり


追悼の思い

恥ずかしく 情け無きかな わが祈り 身を切る思い 至らぬゆえに

ありがとう ただありがとう 皆様の 命のお蔭で 生き残る我

潮も泣く 山も泣くなり 過ぎし日の 戦の跡の うつつの跡の


深き海 我知らずその 深き海 深き思いを 知ることもなし

父母の 思いは篤く 胸に抱く 骨無き子らの 悲しみを抱く

大君の 野辺に 死なまし 国のため 教えを受けて 悔やむことなし


最後に

忘れずに 語り伝えよ この事実 問わずして逝く もののふの雄

紺碧の 空と海との 間には 果てない遥か 悲しみの淵


歌の良し悪しではない。
歌を詠まずに、いられないのだ。

トラック諸島慰霊の旅11

ジュニオを連れて、ホテルに戻り、着替えて、ツゥジィーさんの店に向かった。

ツゥジィーさんが、出迎えた。
ジュニオに対しても、別段不思議な顔は、しない。
通常、島の人は、入らない店である。

二人は、顔馴染みである。島の人は、ほとんど、知り合いである。
注文した、ハンバーグがくるまで、ツゥジィーさんと、ジュニオが、現地語で、話している。
内容は、解らない。

ツゥジィーさんが、英語で、言った。
先日、亡くなった、17歳の男の子がいた。
声が出なくなり、食べ物が、喉を通らない。島の病院、グアムの病院、ハワイの病院に行ったが、原因不明で、戻って来て、亡くなった。

彼女は、ブラックマジックにかかったのだと言う。それを、二人で、話していたのだ。

ブラックマジックは、誰でも、かけられる。そして、誰でも、それを、解くことが出来るという。
草木の新芽を使い、それを、煎じて作るらしい。

その17歳の男の子の、親が、熱心なクリスチャンであった。
それで、島の方法を、申し出た人が、多くいたが、断り、死んでしまったのだという。
ブラックマジックも、その解き方も、悪魔のものだというのだ。
だが、母親は、彼を葬る時に、アイムソーリィと、何度も泣いたという。

ツゥジィーさんは、ブラックマジックは、必ず解けるという。

ツゥジィーさんが、一度部屋を出ると、ジュリオが、ブラックマジックの掛けるのを、見たいことがあると言う。そして、私たちに、それを、再現してくれた。
人が寝ている時に、それを、行うという。そして、舌をレロレロレロと、口から出し入れし、呪文のように、アワアワアワアワと、と唱えるという。

その、ジュリオの表情が、おかしくて、私は笑いそうになったが、我慢した。
それをする、ジュリオ自身が、白目を剥くのだ。

野中は、風土病だという。
だから、島の草木の新芽を使って、直すのだという、意見である。

私は、それもありであり、もう一つは、島にある、元の信仰形態を知りたかった。
しかし、ツゥジィーさんも、ジュリオも、それを、知らないという。

バリ島のように、元からある、神様である。その名前だけでも、残っているはずだが、矢張り、キリスト教の支配に入り、それが、霧散してしまったのだろう。

1500年代の、スペイン統治の前には、何らかの、土着の信仰形態が、あったはずである。

二人は、ブラックマジックを解けば、彼は、死ななかったという、意見であった。

ツゥジィーさんの、母親なら、土着の信仰を知っているかもしれないと、私は、帰国して、思った。次に、行った時に、それを、聞きたいと思う。

ジュリオは、ハンバーガーを、自然に食べた。
いつも、食べているように、食べた。普段は、決して、食べられないものであるが、不自然さは、なかった。

野中が、ジュリオに、手紙を出したいが、ジュリオの所は、住所がないと、ツゥジィーさんに言うと、それなら、私の所に、送ってくれれば、届けてあげるという。
そこで、ツゥジィーさんの、住所を知ることになる。

島の大半の人には、住所が無いのである。
不思議だ。
それでも、郵便物は、届くという。
知り合いの手から、親戚の手からと、渡り、本人に届くようである。
カルチャーショックである。

いかに、島の人たちが、親しい関係を、築いているかということである。

さて、私は、ブラックマジックについては、バリ島のものも、興味があり、ただ今、調査中である。
例えば、日本人でも、それにかかる人もいるが、かからない人の方が多い。つまり、バリ島の人にのみ、通用する、ある種の、霊的作用であろうと思う。
ホワイトマジックという、それを、解く方法もある。

それが、例えば、祝詞の清め祓いで、解けるかということも、興味がある。
しかし、これについては、省略する。

四人で、歓談していると、時間が、あっという間に、過ぎた。
島が、夕暮れ近くになるので、私たちは、立ち上がった。

今度こそ、本当に、ツゥジィーさんとも、お別れである。
前回、ツゥジィーさんに、また、島に来るかと、問われて、私は、返事が出来ず、曖昧にしていたが、この時、私は、ツゥジィーさんに、来年、また、来ることを、約束した。

慰霊に訪れる日本人が、今は、激減しているのである。
もう、高齢になり、来る人が少ない。
ほとんど、ダイバーのみである。

スィユゥアーゲン、という、ツゥジィーさんの顔が、晴れやかだった。
通りすがりの旅人ではなくなったのである。
知り合いになったのである。

店を出ると、丁度、タクシーが来たので、それに乗り込む。
ホテルで、私と野中が降り、そのまま、ジュリオを村に返した。
運転手には、一ドル50セントを渡した。
通常の三倍の、料金である。

ジュリオとも、これで、最後である。
またねー、という、日本語が通じたようである。

部屋に戻って、私たちは、一息ついた。

随分と、内容の濃い時間だった。

野中が、フロントの女の子と、話に出たので、私は、一人になった。
フロントの女の子も、日系三世である。中村といった。
時給一ドルで、働いている。
信じられない、安さである。

私は、帰り支度を始めた。
夜の11時に、ホテルを出るのである。
深夜便である。
また、グアムで、手荷物検査を受けると、思うと、憂鬱になる。
グアム到着は、朝の三時半頃であり、最も、眠気の強い時間である。

今度は、冷静に、検査官の言う通りに対処しようと思う。
神妙になっている、自分に、笑った。

野中が、戻ってきた。
そして、カメラがないと言う。
ジュニオが、持っているか、ツゥジィーさんの、店に忘れたかである。
ジュニオなら、返しに来ると、思った。

暫くすると、フロントからの電話である。
ジュリオが、やって来た。
野中が、出た。
数名の子供たちを、引き連れている。
私は、野中に、ここに、皆を、呼んだら、いいと言うが、野中は、部屋を、見せない方がいいと言う。
私も、外に出ることにした。

一ドル紙幣を一枚持って、出た。
ジュリアに渡すためである。
今回で、ジュリオは、10ドル程の、収穫を得た。
彼は、父親が車椅子の生活で、必死で、家計を支えようとしている。
それが、痛いほど解る。

子供たちを見送り、私が先に部屋に戻る。
野中が、戻って来て言う。
ジュリオが、二ドル欲しいと言ったらしい。また、カメラも、最初は、解らないと言ったと。それじゃあ、あの店に、取りに行くと言うと、ズボンのポケットから、カメラを取り出して、ここにあったと言った。
本当は、カメラが欲しかったのだと、野中は言う。
そして、子供たちにも、行けば、二ドル貰えると言って、連れて来た様である。

野中に、みんなに、二ドルくれと、いったらしい。
野中は、お金は、木村が持っている。自分には無いと言ったと、言う。
野中が言う。
金があると、見ると、こういうことになる、と。
確かに、ある人から、貰うというのは、彼らには、当たり前のことである。
私は、それで、気分を悪くすることはなかった。
結果的に、カメラが、戻り、良かったのだ。

夜の九時である。
私たちは、ホテルのレストランに入り、最後の食事をした。

ビーフのミンチを、チーズで、くるんでいるような、実に、後味の悪いものだった。
本日の、お勧め、ディナーである。
一人、約10ドル。
飲み物は、水にした。

部屋に戻る。
野中が、急いで、帰り支度をする。

野中が、荷物を持って、部屋を出た。
フロントの女の子と、話すためである。

私は、時間まで、部屋にいた。

私が、一階に下りると、いよいよ、迎えの車が来た。
旅行会社に委託されている、現地の旅行会社の方である。
現地生活、20年という女性だった。その、旦那さんは、30年の現地生活であった。

彼女から、車の中で、島のことを、聞いた。
私が、感じたことを、確認するようだった。

そして、産経新聞の記事のことにも、触れた。
取材を受けたのだと言う。
それは、産経新聞の記者ではなく、JOCAの人だと言う。
独立行政法人である。青年海外協力隊などを、出している団体である。

産経新聞は、その文章を元に、記事を書いた。
つまり、記者は、取材に来ていない。
そして、それは、非常に偏狭なものだった。
そのように、書くことも出来るが、状況を誤って、理解しているというものだった。

どうしても、遺骨を、見世物にしているという、発想なのである。
確かに、遺骨は、見ることが出来るが、そこまで、見るということは、前にも書いたが、ダイビングでも、相当の経験者である。
それで、果たして、見世物にしていると、言えるのかということである。

遺骨の多くある場所を知る、案内人もいる。
そして、それは、案内するという、仕事であるから、お金を得る。見世物にして、チップを取るという感覚ではなく、それが、仕事なのである。

それを、チップを得て、遺骨を見せるという表現にも出来るということだ。

微妙な、表現の違いである。
ただ、基本的に、そのようなことは、無いと、彼女は言う。
私も、ダンピングショップの人から、聞いた話では、微妙に、ニュアンスが違うと、感じた。

だが、産経新聞の記者は、見世物にされているという、前提の元に、記事を書いたといえる。微妙な、ニュアンスの違いであるが、私は、それは、行き過ぎた書き方であると、判断した。

慰霊を終えた私には、更に、遺骨の、問題ではなくなっていた。
遺骨は、抜け殻である。
その、霊、魂は、すでに、次元を異にしている。

彼らも、後は野となれ山となれ、なのである。

出国審査を終えて、搭乗ロビーに出た。
再び、この島に来ると、信じた。また、やるべきことが、一つ増えたのである。

神仏は妄想である。28

神仏は妄想である、という、エッセイを書いている。

それは、神仏であり、宗教家、及び、信徒の批判ではない。
純粋、神仏というものの、思想的批判である。

多くの宗教家、それらは、特に、潜めて、素晴らしい行為行動を行っていることを、知っている。

宗教に、救いはあるか、未来は、あるかといえば、彼らの行為行動により、あると、言える。

それは、人間主義、人間愛に、元ずく、行為行動であり、言論ではない。

行為により、宗教には、救いがある。

宗教家が、実践家として、活動をした事実は、歴史を見れば、よく解る。

私も、多くの宗教家の、人間愛に満ちた、人道的行為行動を見てきた。今も、見ている。

ただし、問題は、その行為行動にあるものである。
人間愛に元ずく、行動には、それ以上のものがない。
例えば、布教、宣教、折伏等々である。

キリスト教徒は、福音宣教といい、善行を行うとしたなら、誤りである。行為自体が、すでに、それであるから、それ以上の言葉は、必要ではない。

それを、行うこと、それで、よい。
人を助けて、それでは、この教えを、信じなさいと、言えば、その行為は、嘘になる。結局、宗教入信のための、手段としての、行為である。
行為は、目的であるはずだ。

この時代であるから、特に、それは、必要なことである。

宗教の役割が、これほど、大きな時代はない。

ある僧侶が、自殺防止のために、手紙相談を始めたという。
実に、真っ当な、宗教家としての、活動である。

私が、追悼慰霊に行く、タイ・チェンマイから北部タイにかけての、戦争犠牲者遺骨収集と、その、追悼慰霊碑を建立したのは、佐賀県の、浄土真宗の僧侶たちである。
そこで、私は、古神道による、追悼慰霊を行った。
浄土真宗の方法でとは、言わない。

宗教に救いがあるというのは、その行為行動にある。

そして、宗教家、宗教団体だから、出来る行為行動である。

真実、教えが、正しいものならば、行為行動以外に無い。

そして、宗教の、行為行動する、範囲は、他のものが、手出し出来ないところのものである。

日本の社会でも、それらの活動が期待される、場面は、多くある。

会員数の多さから、商売をしている団体も多い。
他の分野が行うことを、平気でするのである。
一々例は、上げない。

善行を持って、会員獲得のために、行為するのであれば、すでに、邪である。魔である。
その勢力、拡大のために、する善行というものは、単なる、偽善になる。

宗教に、フィティフィティは、無い。

与えることによって、与えられているからである。
もし、本当に彼らが、神や仏を、信じているならば、すでに、与えられているのである。
それ以上に、何が必要か。

孤立無援で、行為行動出来る力を持つのが、宗教である。

日本で最初に、唐に渡り、玄奘三蔵法師の、弟子になった、道昭は、矢張り、福祉事業を行っている。
師匠の玄奘は、膨大な、仏典の翻訳に、後の生涯をかけた。
何かに、奉仕することによって、その信仰の、証とする。

その、玄奘の、思いは、億万の衆生を救うという、命題だった。
晩年は、天竺行きの、高山病から、肺を病む。
しかし、最後の最後まで、翻訳をし、成し遂げた。

衆生の、救いは、彼の仏典翻訳という、大業に、結実した。

今、日本で、学ばれている、仏典の多くは、彼が翻訳したものである。

道昭は、玄奘の、法相宗を持って、日本の仏教に寄与した。

当時の時代が、要求していたものを、提供した。

そして、現代である。
宗教というものの、本質が、問われている。

教派を、超えて、行為行動をという、動きも、10年以上前から、はじまっている。
教派を、超えることは、実に簡単である。
共に、神や仏という幻想の、ものを、掲げているのであるから、教派を、超えられる。

宗派の、共同幻想である。
なんとなれば、この世のもの、移り行くものである。
宗派の、教えも、移り行くものである。

天動説から、地動説に、変更を余儀なくされたのである、カトリックは。
真実が、明らかにされれば、当然、それを、受け入れる。
宗教の寛容さである。

無知を、そのままに、神に託すことではない。

宝くじに、二度当たった、僧侶は、すべてを、寄付した。当然である。必要ないからだ。
彼には、仏の教えという、黄金の教えを持っている。金は、手段である。
勿論、金を目的とする、宗教団体は、数多い。

キリストは、汝の隣人を愛せよと、宣教した。
しかし、狭義の、隣人愛であった。
それを、広義の隣人愛にまで、広げて活動することで、キリストの教えを、更に、推し進める。

私の、友人、そして、その、指導司祭は、日本にて、アジア人の留学生の、支援をしている。様々な宗教を持つ人々を、分け隔てなく、支援する。
キリストの、隣人愛を、拡大した、行為行動である。

宗教の強さは、そこにある。

神仏は、妄想であるという、エッセイを通して、私は、宗教的行為にある、もの、そして、宗派を超えるもの、そして、教えを、変容させるものを、観るものである。

万教一致を唱える、生長の家という、宗教がある。
実に、正しい。
だが、その、団体が、何を行っているのかで、その、裏づけがある。

すべての、宗教を認めるという。
そして、どんな宗教に入信していても、生長の家の、聖典を唱えることが、出来るというものだ。
だが、教祖が信仰していた元の宗教のことは言わない。イスラムについても、言わない。

しかし、それさえも、言わず、他を受け入れる、古神道、民族宗教は、数多い。
伊勢神宮は、誰もを、受け入れる。
日本の神社は、誰もを、受け入れる。
バリ島、バリヒンドゥーも、然り。
他の、民族宗教も、然り。

タイ・チェンライの寺院に行った時、僧侶に、こちらの、お祈りの言葉を教えてくださいと、言うと、無いという。
私は、日本では、波阿弥陀仏や、南無法蓮華教という、マントラがあるというと、それで、いいという。

要するに、仏は、無限大の存在である。
祝詞を唱えた。
それで、善し。

無節操であることは、無限定であること。
寛容な宗教、伝統宗教は、皆、そうして、他宗教の者を、受け入れる。

御祭りする、神や仏は、人の心を頂くのである。
規則、作法は、それぞれに、任せるのである。

伝統宗教の場に行き、不快な思いをすることは、なかった。

私は、宗教に期待する。
そして、救いを観る。
更に、平和を、もたらせば、神や仏も、その、妄想は、共同幻想として、実に、有意義なものである。

そう、そのうちに、死ぬのである。
人間には、死という、救いが、確実にある。

2008年02月04日

神仏は妄想である。29

有神論者は、神が宇宙をセッティングしたときに、宇宙の基本定数を精妙に調整し、それぞれが生命を生み出せるゴルディロックス帯のなかに収まるようにしたのだと言う。まるで、神はひねることのできる六つのノブをもっていて、それぞれがゴルディロックス値になるように慎重に調整したかのようである。しかし、有神論者の答えがひどく満足のいかないものであるのはいつも通りだ。なぜなら、彼らが神の存在を説明しないままでおくからである。六つの値について計算することができる神というものは、少なくとも、精妙に調整された数字の組合せそのもの同様にありえないものだろうし、ということは、きわめてありえないというレベルの話になるーーーそして、その「きわめてありえない」存在というのが、私たちがこれまで延々とつづけてきた議論の出発点であった。したがってここから、有神論者の答えは、目の前の問題を解決するため、いささかの前進ももたらさなかったという結論が導かれる。それを退ける以外の代案が私には思いつかないが、同時に、多くの人間がこの問題を理解せず、「神がノブをひねっている」という論証に心底から満足しているように見えることに驚嘆している。

神は妄想である。第四章、ほとんど確実に神が存在しない理由、より。
リチャード・ドーキンス

要するに、信じる者は、確実に、自己洗脳して、信じ込むという、愚劣に陥るということである。
そして、安心する。
実に、愚かな、安心である。
信じるという、安易なムードに、自分を乗せるのである。それは、実に、心地よいのだろう。すべて、思考を捨てるのである。
そして、信じるという行為に、酔う。
酔い知れる。
神という妄想に、委ねて、人生を流すのである。それを、また、善しとするから、おめでたい。

ある日の決闘に出かける、宮本武蔵は、祠の前を通る。
その時、その祠の神に、勝負の祈りをの、誘惑を覚える。
そして、自分を叱咤した。
俺は、この勝負を、この祠の神に、祈ろうとしている。何という、馬鹿馬鹿しいことだ。闘うのは、この俺である。在るか無きかの神に、祈る俺は、剣の道に遠い、と。
武蔵は、そのまま、そこを、通り過ぎる。

五輪書を書いた武蔵は、観世音菩薩を、奉じて云々という、解説者がいるが、武蔵のことを、知らない。
武蔵が、観音様を奉じたのは、見る目と、観の目を、見抜いたゆえの、観世音菩薩であった。観音に、観の目を、あてただけである。
合理主義の武蔵が、拝む対象の観音様を、奉じる訳が無い。
方便である。
書いたものを、そのまま、信じるという、アホな真似をするのであるから、呆れる。

さて、有神論者は、特別の考えなど無い。
信じていれば、事足りる。

本当の意味で法外である「神がいる」という仮説と、見かけ上法外なように見える多宇宙仮説のあいだの決定的な相違は、統計学的なありえなさの相違である。多宇宙は、いかに法外なものに思えようとも、単純である。しかし神は、あるいはどんな知的で、意思決定し、計算する作用者であれ、それによって説明される事柄とまさに同じ統計学的な意味で、高度にありえないものだと言わざるをえない。多宇宙は、そこにかかわる宇宙の数という点だけからすれば法外なように見えるかもしれない。しかし、そうした宇宙の一つ一つは、その基本において単純であり、高度にありえないものを何一つ仮定してはいないのである。しかし、神仮説で想定される知性については、事情はまさに正反対だとしか言いようがない。

ドーキンスは神学者に言う。
私たちの求める第一原因は、自力で自らを高め、最終的に世界を現在のような複雑な存在まで上昇させる一種のクレーンの単純な基礎であったにちがいない。

神学者たちは、繰り返し言ったという。
「何かがないことにではなく、何かが存在することに対し、その理由がなければならないのだ」
そして、それに神という名を与えてもいいのではないか、と。

実に、面白いやり取りをしている。
どうでも、いいことに、互いにムキになるところが、いい。

世の中は、神も仏も、どうでもいいと、思う者が、多数である。
それは、イスラム圏、キリスト教圏、ユダヤ教権、仏教圏、等々である。
誰も、真実、それほど、神や仏に必死になってはない。
知能レベルの低い者が、真剣になるのである。

例えば、死期迫る者が、突然のように、洗礼を受ける。親鸞に帰依する。密教に入信する、という、程度である。
それは、麻酔代わりである。

実に、愚かなことである。

人間が霊的存在であると、知れば、そんなことをする必要は無い。

死後の世界の未知に、不安になるだけである。
死後、霊になると、知らないのだ。

さて、ドーキンスの、論舌は続く。果てしなく、続く。科学者の頭は、実に良い。
分厚い本である。神は妄想である。

私は、第一章に戻り、これから、キリスト教の聖書について、ドーキンスの言葉と、共に、徹底的に、検証し、大嘘であることを書く。

ちなみに、私は、カトリックの洗礼を受けている。
少年の頃から、勉強をせずに、神学、キリスト教を、学んだ。そして、準じて、宗教である。勿論、キリスト教の側からの、宗教であるから、実に、偏ったものである。

私の、主イエスは、何も変わることなくある。
しかし、神という、キリスト教が教える存在については、別物である。
また、主イエスに関しても、新約聖書というものが、どのようなものであるかを、知ることによって、実に、冷静に対処できるものである。

熱心な、クリスチャンほど、罪深い者はない。
余程、前世の因縁が悪いのだろう。
そのせいか、熱心なクリスチャンほど、冷酷無残である。
または、確実に、愚かである。
その証拠に、知らないはずの、聖書を人に説くのである。

教会が、教える神というものは、教会の神であり、それこそ、妄想である。
そして、キリスト教の霊性というもの、すべては、魔界から発するものである。
悪魔より、怖い魔界である。

2008年02月15日

もののあわれについて164

御覧じて、げにいとはしうもとおぼせど、かかる御歩さらにせさせたまわず、北の方も、例の人の仲のやうにこそおはしまさねど、夜ごとに出でむもあやしとおぼしめすべし。「故宮のはてまでそしられさせたまひしも、これによりてぞかし」とおぼしつつむも、ねんごろにおぼはされぬなめりかし。暗きほどにぞ御返りある。

ひたぶるに 待つとも言はば やすらはで 行くべきものを 君が家路に

おろそかにやと思ふこそ苦しけれ」とあるを、「なにか、ここには、

かかれども おぼつかなくも 思ほえず これも昔の えにこそあるらめ

と思ひたまふれど、なぐさめずはつけ」と聞こえたり。おはしまさむとおぼしめど、うひうひしうのみおぼされて、日ごろになりぬ。

それを、御覧になって、宮様は、可愛そうに思われました。
しかし、夜歩きは、しませんでした。
それに、北の方(妻)も、世の常の睦まじい夫婦仲のようではなかったが、毎晩出かけるのでは、不審に、思われるでしょう。
亡き兄宮が、最後まで、兎に角言われ、噂されたのは、この女であったと思われ、慎まれるのであったが、それは、女のことを、ねんごろに、思い召していなかったからでしょう。

暗くなった頃に、お返事がありました。

ひたぶるに まつともいはば やすらはで ゆくべきものを きみがいえじに
あなたが、ひたすら待つというのならば、何をおいても、ためらわずに、あなたの家に向かって行きます。

私の思いを、いかげんなものだと、思っていられるかと思うと、心苦しいものです。と、書かれてあった。
それを見て、女は、いいえ、私のほうは、

かかれども おぼつかなくも 思ほへず これもむかしの えにこそあるらめ
お越しいただけない、という、おぼつかない状態ですが、心細く思われません。
これも、亡き兄宮様との、ご縁で結ばれているからで、ございましょう。

と言う、女の気持ちの底に、亡き宮との、宿縁に結ばれている私は、慰めの言葉を、かけていただかなければ、耐えられそうにありません。
と、打ったえる気持ちを、歌にしました。

宮は、出かけようと思ったが、心重く、そのまま、日が経過した。

女は、宮の気持ちを信じかねる思いあり、冷淡になると、逆に、宮は、積極的に、女に近づこうとするという、男女の駆け引きの様あり。

かかれども おぼつかなくも 思ほへず これも昔の えにこそあるらめ

これも昔の えにこそあるらめ
つまり、宿縁によるものだと歌う。
仏教の、思想が、浸透している、証拠である。

縁とは、えにし、であった。
縁にこそあるらめ
恋も、縁に支えられてある。
縁なくば、恋は、叶わぬ。
叶わぬ恋をすることほど、哀しいことはない。
縁が無いものを、どうすることもできない。

女は宮と、一度、契っている。
これは、縁有り、とみる。
縁があるから、交わることが、出来た。それでは、この先の、関係を、如何にするのか、進めるのか。

恋愛とは、何か。
交わることは、出来た。それから、何を持っての、付き合いになるのか。

現代は、セックスフレンドという存在がいる。
セックスのみの、関係で、善しとする。
しかし、恋愛は、セックスに尽きる。
セックスが、目的であるから、それを、成就させれば、後はない。ただ、次々と、体の関係を、持つのみ。

ある27歳の、女性が、五年ほどの付き合いのある、男に尋ねた。
私たちは、付き合っているよね、と。
すると、男は、言った。別に、付き合っているという、気持ちはない、と。
女は、驚いた。
五年も、セックスを繰り返しているのである。いずれは、結婚するのだろうと、思っていた。
しかし、男の意識には、それが、なかった。
だが、哀しいことに、女の体は、男の体に、慣らされて、しまっていた。

結婚しない、セックスの関係に、女は、絶望を感じた。
それでは、どうするか。
別れる。
しかし、体が、もう、後戻りできないようになっている。

ある女は、妊娠して、男に告げた。
すると、男は、簡単に、堕してくれと、言う。
君と、結婚するつもりは、ないと。
女は、混乱する。
今までの、付き合いと、体の重ねた日々は、なんだったのか。

今度は、男の方をみる。
長年の付き合いの女に、別の男がいると、知る。
問い詰めると、素直に、認めた。
どういうつもりだと言うと、女は、あなたも、楽しんでいるでしょう。今更、どういうつもりも無い。私こそ、どういうつもりで、付き合っていたのかと、聞きたいと。

恋愛の目的を、明確にしていない、恋愛である。が、恋愛とは、そういうものである。

恋愛の目的は、恋愛することである。

そして、実のところ、恋愛とは、乱交という無意識の意識に、支えられてある。

そして、また、それは、性格である。
恋愛も、性格による。

人は、生きられるようにしか、生きられない。

好き者といわれても、好きなものは、好きなのである。
セックス好きなのである。

兎に角、多くの者と、交わりたい。
今では、男女問わず、交わる者がいる。
進化したのだろう。

性を楽しむことは、生を楽しむことでもある。
性を楽しむ者同士が、恋愛をすれば、いい。

結婚は、次元が違う。

恋愛が、結婚に行き着くと、考える方が間違っている。
恋愛と、結婚は、別もの。別次元のものである。

当時は、男が、女の元に、通う形の恋愛である。
女は待つ。男が行く。

男は、多くの女の元に通ってもいい。
乱交である。

人間に大差は、無い。
昔の男と、今の男が、何か違いがあるか。同じである。
そして、女も、同じである。

結婚とは、国家が認めた、男女の契約である。
恋愛は、個人的、行為である。
誰も、その、良し悪しを、判断するものを、持たない。

恋愛こそ、百人百様の様がある。当然である。
この、恋愛の様にあるものから、もののあわれ、という心的状態を、得た日本人である。

恋に生き、恋に死す、からいい。
結婚は、相互扶助の、関係である。そのまま、福祉である。

皆々、恋愛は、これも昔のえにこそあるらめ、なのである。
それ以外に、何があるのか。
昔の縁ゆえの、関係である。

何故、北海道の男と、九州の女が、恋愛するのか。
遠く離れた土地の相手と、何故、恋に落ちるのか。
偶然にしては、出来すぎている。
当然、縁、えにし、があった。それは、昔のえにこそあるらめ、なのである。

男と、女が、相対する時、そこには、膨大な男と、女の縁がある。
それが、解れば、人生の秘密を知ることになる。


2008年02月16日

もののあわれについて165

晦日の日、女

ほととぎす 世にかくれたる 忍び音を いつかは聞かむ 今日も過ぎなば

と聞こえさせたれど、人々あまたさぶらひけるはどにて、え御覧ぜさせず。つとめて、もて参りたれば見たまひて


忍び音は 苦しきものを ほととぎす こだかき声を 今日よりは聞け

とて、二三日ありて、忍びてわたらせたまへり。女は、ものへ参いらむとて精進(さうじ)したるうちに、いと間遠なるもこころなきなめりと思へば、ことにものなど聞こえで、仏にことづけたてまつりて明かしつ。つとめて、宮「めづらかにて明かしつる」などのたまはせて、


いさやまだ かかる道をば 知らぬかな あひてもあはで 明かすものとは

あさましく」とあり。さぞあさましさやうにおぼしつらむといとほしくて、


よとともに もの思ふ人は 夜とても うちとけて目の あふ時もなし

めづらかに思うたまへず」と聞こえつ。

四月三十日、女は、宮に一首をおくりました。
ほととぎす よにかくれたる しのびねを いつかはきかむ きょうもすぎなば

ほととぎすの、ひそかな忍び音を、いつ聞くことが、できるのでしょう。
四月の果ての日も、過ぎてしまいます。
と、申し上げましたけれど、宮の元には、人々が参上して、それを、御覧になれませんでした。

翌朝、参上して、お歌を見せますと、御覧になり、
しのびねは くるしきものを ほととぎす こだかきこえを きょうよりはきけ

忍び音を出さなければならない、ほととずきは、苦しいのです。
高々と呼ぶ声を、今日からは、お聞きください。
人目を、忍ばすに、訪ねましょう。

と、お返しになりました。
二三日たってからも、忍んで来られました。
女は、寺詣でをしようと精進しているうちに、宮のお出でが、遠のいていますのは、愛情が薄くなったしるしであると、思いました。
とくに、お話もせずに、仏道のことにかこつけて、一夜を、明かしました。

翌朝、お帰りになられた宮から、「随分と、変わった夜を過ごしました」と、書かれて、届きました。

いさやまだ かかるみちをば しらぬかな あひてもあはで あかすものとは

いやはや、このような、恋の道が、あるとは、知りませんでした。
お会いしても、共寝もせずに、夜を明かしてしまうとは。

あきれました」と仰せでした。

さぞ、あきられておいでと、気の毒に思い

よしとともに ものおもふひとは よるとても うちとけてめの あふときもなし

夜がくると、物思いする私は、くつろぐ気持ちで、目を合わせて、眠ることなど、決してございません。

私にとっては、珍しくありません」と、申し上げました。

現代とは、時間の感覚が、違うということが、よく、解る。
時間というものに、対する、感覚が違うということは、物に感じる心得も、違うということである。

現在のように、時間というものが、区切られていないということである。
流れる時間感覚である。

現在、時間が流れていると、感じる感覚とも、違う。

よとともに もの思ふ人は
夜と、共に、つまり、夜に物思う者を言う。
夜は、物思う時なのだ。
夜の闇の中で、人は、じっと、人生の秘密を、見つめるのである。
闇を忘れた、現代人に、それを、理解してもらうのは、大変なことである。

夜とても うちとけて目の あふ時もなし

よとともに、を、更に、夜とても、と、夜を、繰り返している。
物思いする者は、くつろいで、目を合わせて、眠ることなど、できない。

ただ、単に、和泉式部は、色情狂いではない、ということだ。
この時代にあって、時代精神を生きているといえる。

時代精神とは、その時代に、求められる生き方である。
和泉式部は、平安期の、理想的女性を、演じたといえる。
男狂いと言われて、善しとする。

色好みから、儚さを、感得し、さらに、その底に流れる、もののあわれ、というものを、見つめるのである。
源氏物語は、まさに、それである。

何度も言うが、色好みは、セックス好みではない。
性というものを、全人的に理解することである。
性にまつわる、諸々を、含めた意味での、色好みである。

その、やり取りにある、所作に、もののあわれ、を、源氏物語は、語るのである。
本居宣長は、それを観た。
私は、源氏物語における、自然、季節描写から、それを、観る。

日本の、風土、季節感覚を抜きに、もののあわれ、というものを、理解出来ないからだ。

もののあわれについて166

またの日、宮「今日やものへ参りたまふ。さていつか帰りたまふべからむ。いかにしておぼつかなからむ」とあれば、


をりすぎて さてこそやめ さみだれて 今宵あやめの 根をやかけまし

とこそ思ひたまふべかりぬべけれ」と聞こえて、参りて、三日ばかりありて帰りたれば、宮より「いとおぼつかなくなりにければ、参りてと思ひたまふるを、いと心憂かりしにこそ、ものうくはづかしうおぼえて、いとおろかなるにこそなりぬべけれど、日ごろは、


すぐすをも 忘れやすると 程ふれば いと恋しさに 今日はまけなむ

あさからぬ心のほどを、さりとも」とある。御返り、


まくるとも 見えぬものから 玉かづら とふひとすぢも たえまがちにて

と聞こえたり。

次の日、宮様から、「今日は、お寺参りをしますか、そして、いつお帰りになりますか。どのように、常より、待ち遠しく、思われることでしょう」と、書かれてあります。

をりすぎて さてもこそやめ さみだれて こよいあやめの ねをやかけまし
時期が、通り過ぎてしまえば、そのまま五月雨も、止みます。悲しみも、止むでしょう。

ですから、今宵は、亡き宮様を、偲ぶ涙で、袖を濡らすことになります。
この気持ちは、お解りくださいますね。
と、申し上げて、寺から三日ほどして、戻り帰りますと、宮様から「大変、待ち遠しくなりましたので、お訪ねしたい。でも、以前、思い満たされぬ夜があったので、気後れします。こう申しますと、ひどく冷たいことだと、思われるでしょうが、近頃は

すぐすをも わすれやすると ほどふれば いとこいしさに きょうはまけなぬ
日を過ごせば、あなたを、忘れられると、思っていましたが、日を経るにつれて、恋しさが、増します。今日は、それに、負けて、お訪ねしましょう。

尋常ではない、心の程を、お解りくださるでしょう。

とありました。
お返し

まくるとも みえぬものから たまかづら とふひとすぢも たえまがちにて
恋しさに、負けて、訪ねてくださるとは、思われません。お手紙を、下さることさえ、絶えがちなのに。
と、申し上げました。

恋の駆け引きである。

まくるとも
恋の気持ちに負けて、である。
みえぬものから
そんな、気持ちには、見えません。
とふひとすぢも
文を書いてくれません。
たえまがちにて
絶えがち、なのに。

火に油を注ぐ、女の言葉である。
いや、まだ、そんなに、私を恋しく思っているのではないのでしょう。と、わざわざ、拗ねている。

前夜に、一度、共寝をせずに、語り合っていたことを、宮は、思い叶わぬという。つまり、セックスが、出来なかったという。
また、そんな風なら、と、言うのである。

会う度に、セックスをするという、単純な付き合いをしたいのではない。
恋のやり取り、駆け引きが、楽しい。嬉しい。
その、間、にある、物思いに、女は、賭ける。

その、間、とは、あわれ、である。
当時は、儚さ、ともいう。

恋愛の、間にある、儚さを、見つめるのである。

優雅である。

恋心に、彩られる様を、表現して、雅と、なる。
平安期の、雅は、その底に、恋心がある。

雅の色彩は、恋心を、現すのである。
絵巻とは、それである。

恋は、絵巻なのである。

アメリカの、日本文化研究の、ドナルド・キーン氏は、戦争時に、英訳の源氏物語を読み、驚愕したという。
戦争の無い、優雅な世界というものがあると、感動したのである。
恋に生き、恋に死ぬ物語は、平和の象徴となった。

以後、キーン氏は、日本軍の捕虜から、日本について、多く知ることになる。
日本文化に流れる、平和の思想である。

それが、恋であった。

すぐすをも 忘れやすると 程ふれば いと恋しさに 今日はまけなむ
時を経れば、忘れると、思ったが、逆に、恋しさが募る。それに、今日は負けて、会いに行く。

恋とは、そういうものである。
今も昔も、変わらずに、人の心は、恋に生き、恋に死すのである。

恋人は、いと恋しさに 今日はまけなむ、と、恋人の元に行く。
何が恋しいのか。

孤独を埋めるようなものは、我以外に無いと、思いつつ、それでも、恋に、賭けるという、人間の悲しさである。それを、儚いと、観た。
これは、知性である。そして、感性を拓くのである。
いざ、恋に生きめやも、である。

2008年02月17日

神仏は妄想である。30

宗教とは、別だが、霊感、霊能というものに、ついて言う。

まず、大半が、嘘である。それは、主観である。客観性を持たない。つまり、信じることしか、出来ない。
また、それは、魔界や、悪魔から、出るもの多い。
悪魔とは、一種の妄想である。

霊感があるというのは、特殊な、感覚があるというもので、風雅を、感じるというのと、似ている。それ以上ではない。

例えば、当たる霊感としても、それが、どこからのものかが、問題である。

何によって、その霊感を得ているのか。
大半が、浮遊する霊や、怪物の霊、つまり、人間もどきである。
あるいは、少しばかり、霊界で、進化した、動物の霊である。勿論、その後に、人の霊が、憑く。

インドの聖者といわれる者に、ロクな者がいないのは、インドの地は、魔界関与が、凄まじいからだ。

フリーセックス主義の、世界の和尚と言われる者、どうしようもない者である。
言葉の綾に、皆々、騙される。
サイハバも、そのトリックを暴かれた。彼は、別次元の霊界の者であるから、奇跡めいたことは、起こすことが出来る。だから、何だというのか。

霊感があるというのは、自己顕示欲が、旺盛であると、思えばよい。
何も、とりえが無い者、よく、霊感があると言う。

霊能は、特異体質である。
霊媒体質とも、言う。女性に多い。
霊が懸りやすいのである。

トランス状態というが、脳の中で、一種の麻薬に似た物質を出している。そういう、体質である。

大半が、思い込みである。

虚言とも言う。
本人は、思い込む。
妄想症とも、言う。病気である。

霊性という言葉を使う宗教もあるが、宗教の霊性は、危ない。
観念の神や仏の霊性であるから、その実が、知れる。

大半が、精神の狂いである。
少し、狂っても、社会生活は、出来る。

ある、カトリック信者の女が、霊感があり、霊性が、云々と言うのを、聞いたが、単なる、自己陶酔、自己催眠であった。
勿論、そういう者、精神不安定になる。
祈っていると、突然、涙が出るの、未来を見るのと、ヒステリーである。

伝統宗教には、必ず、霊性の教育がある。しかし、誰一人、真っ当な霊性を持つか、否かは、解らない。

甚だしいのは、共同幻想、共同妄想、共同催眠に、陥る。

見える、聞こえる、話す。すべて、主観である。
確認の、しようがない。

何かを、当てられたから、信じるというのは、実に、愚かなことである。
人生の大半の問題は、あてずっぽうに言っても、当たること、多々あり。

最新の心理学では、相手のことを、すべて知っていると、思い込ませるテクニックがあることを、突き止めている。

霊感では、なく、それは、やまかん、である。
霊能ではなく、それは、自己顕示欲のヒステリーである。

勿論、騙されたい人が多くいる。需要があると、当然、供給がある。

女に多いが、嘘を話しているうちに、それが、現実になってくるという。まさに、病気である。
それを、信じてしまうと、ほとんど、生き地獄になる。

知能レベルが低いと、特に、そういう、自己顕示欲にある、霊感に、陥る。寂しい病である。
そういう、小さな教祖が、日本には、数多くいる。

自分が描き出した、神や仏を見て、何が憑いたというから、気の毒である。
憑いたのではなく、描き出したのである。
寂しいゆえに、である。

更に、支配欲が、加わると、最低最悪になる。
そこに、集う者、支配されて、生活自体が、滅茶苦茶になる。
そういう人を、多くみた。

前世というものは、あるにはあるが、ハイ、誰々ですと、言えない。
その一部の魂を、受け継いでいる場合、多々あり。
つまり、次元が違うのであり、誰々ですと、簡単に言えるものではない。

キリストの生まれ変わりなどと、聞くと、愕然とする。
有り得ないことである。

そして、前世を知って、どうするのかということだ。
そんなものは、終わったことであり、未来に関わりが無い。
結果、この人生は、今、目の前にいる、私しかないのである。

先祖の因縁で、云々というのも、誤りである。
肉体先祖が受けている、苦しみを受けるという、説もあるが、それは、妄想である。
霊界にいる、先祖が、救いを求めている。
それは、自業自得であり、子孫にかかっているとしたら、更に、罪を作ることになる。確かに、先祖が、子孫に、求めることがある。血縁による、関係である。
先祖の行為によって、他の霊に祟られている人もいる。

およそ、三代、四代前の先祖が多い。
この世の未練に、囚われている。それを、子孫に投影する。
よって、先祖供養という、商売が成り立つ。
実は、先祖に供養されていることが、多い。
先祖は、崇敬するものである。

障る霊より、援軍する霊の方が多いのである。
それを、知らない。
障る霊のみを、取り上げて、除霊だの、供養だのを、行う。

この迷いは、如何ともし難い。

あの、仏陀でさえ、霊界のことに関しては、言葉を発していない。
キリストに、至っては、死者は、死者に任せよ、私に従いなさいと、言うのである。

この、次元では、あずかり知らぬことである。

先祖供養で、幸せになりました。目でした目出度し。
そういう者が死ぬと、今度は、子孫に、それを、求めるという、無知であるから、ホント、救いようがない。
親がアホなら、子もアホということである。

更に言う。
先祖供養とは、アフリカの、人類発生の頃からの、先祖を言うのか。

私の知り合いに、関が原の合戦の頃からの、家系図がある人がいる。
それ以前は、知らない。
他人に見せるべからずという、家系図を見て、先祖というのは、この程度の年代を言うのかと、感慨深くした。

ホント、ご苦労さんです。

実は、親を大切に、親に感謝するということで、先祖供養は、終わっている。
それを、続けていれば、問題ないのである。
子が親に、子が親にである。

親を、放って、先祖供養ですか。
信じられません。
以下省略。

2008年02月18日

神仏は妄想である。31

世の中には、特定の宗教の強い影響のもとで育てられたが、居心地の悪さを感じていたり、その宗教を信じることができなかったり、あるいはその宗教の名によっておこなわれる悪徳に心を悩ませたりしている人間がたくさんいるのではないかと私は疑っているーーいやむしろ、確信している。

リチャード・ドーキンス 神は妄想である。はじめに、より。

そういう人のために、この本を書いたという。

アメリカ。世界で、これほど、戦争の好きな国は無い。また、世界で、一番、戦争を起こしている国である。
それが、どうであろう。

今日のアメリカにおける無神論者の社会的地位は、50年前の同性愛者の立場とほとんど同じである。ゲイ・プライド運動のあと、いまでは、同性愛者が選挙で公職に選ばれることは、けっして簡単というほどではないが、可能である。1999年におこなわれたギャラップ調査では、アメリカ人に対して、その他の点では十分な資格をもつ次のような人物に投票するかどうかが質問された。女性99パーセントは投票する、ローマカトリック教徒94パーセント、ユダヤ人92パーセント、黒人92パーセント、モルモン教徒79パーセント、同性愛者79パーセント、無神論者49パーセントという結果だった。明らかに、道ははるかに遠い。しかし無神論者の数は、多くの人が気づいているよりも、もっとはるかに多く、とくに高い教育を受けたエリートのあいだに多い。この点については、すでに19世紀からそうだったのであり、だからこそジョン・スチュワート・ミルが実際、こう述べているのだ。「世界にもっとも輝かしい光彩を添えている人々のうちの、英知と徳という通俗的な評価においてさえももっとも傑出した人々のうちの、どれほど大きな比率が、宗教への完璧な懐疑論者であるかを知れば、世間は驚愕するだろう」

欧米諸国、アラブ諸国は、宗教の国々である。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。
しかし、どれ程、多くの人が、それに対して、懐疑的であるかは、語られない。

甚だしい、苦痛を感じている、真っ当な人々が、無神論であると、カミングアウトすることは、不可能に近い。
イスラム圏では、死刑に相当する場合もある。

これを、無明と、言わず、何というのか。
更に、イスラム圏では、他の宗教に改宗すると、死刑に相当するという、驚きである。

妄想の神に対する、不敬が、最も重い罪とされる。
信じられないのである。

そして、もっと、驚くべきことは、それらが、簡単に戦争をするという、事実である。
それも、神の名において、である。

宗教と、共産主義が、殺した人の数は、星の数にもなる。

ホント、糞でも、食らえ、である。

対立するように、見えるものが、実際は、同じ、土俵にいるという、驚き。

私は、人類のために、宗教と、共産主義を、大罪と、定める。

これ程、愚かしく、哀れであるものは、見ることもない。
そして、これらは、すべて、無知からくるのである。
無知蒙昧という。

どんなに、議論をしても、無い物を、在ると言うのであるから、議論にならない。

人類は、宗教的であったゆえに、こうして、続けてきたのであり、宗教によってではない。宗教的というのは、自然との、共生、共感の考え方である。
宗教から、発した思想も哲学も、何も解決していないのである。
言えば、迷いを与えるものである。

無知の、ゆらぎに、付け込んでの、神だの仏だのという、妄想は、人間を救うことなく、人間を、無明の、只中に貶めた。

無明とは、仏教用語である。仏の知恵を言うが、それこそ、無知なのである。仏の知恵などない。ある訳が無い。
在ると信じて、お勉強して、多くの言葉を覚えて、迷うのが、関の山である。

仏教の教義など、支離滅裂である。
一つの言葉を取り出しても、何の根拠も無いという、仰天である。

それなのに、無知な人々は、真実の科学の知識や知恵を、宗教だと言う、アホらしさである。つまり、知能レベルが、低すぎるのである。

科学は、全体の、ほんの、少しを知った程度である。しかし、宗教の妄想とは、違う。実際に在るものを、見ている。しかし、宗教は、妄想なのである。

あれかし、と、願う心に、神や仏が、宿るのである。

マイクロソフト・ワードについている辞書は、delusion を「矛盾する強力な証拠があるにもかかわらず誤った信念をずっともちつづけること。とくに精神障害の一症候群として」と定義している。

禅とオートバイ修理技術の、著者であるロバート・M・バーングが、「ある一人の人物が妄想にとりつかれているときは、精神異常と呼ばれる。多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる」と述べているが、私はこちらを採りたい気持ちがする。

以上、そのようである。
私も、そう思う。

このエッセイでは、日本の伝統、古神道に行き着くべくの、エッセイである。
それは、宗教ではなく、実に、宗教的である。
日本には、宗教という、概念が無い。それは、つまり、日本には、宗教が無いということである。

欧米の宗教学を持って、宗教を論じるのは、かまわないが、日本の伝統を、その枠で、語ることは、出来ないということを、言うための、エッセイを書いている。

お解りか。

日本人には、宗教は、必要無いのである。
しかし、何故、こう多くの宗教が成り立っているのか。
日本の、宗教団体は、商売だからである。
故に、十分、成り立つ意味がある。

お解りか。
商売である。
宗教法人とは、株式会社と、同じように、経営の形態なのである。

お解りか。
アホ、ども。

神仏は妄想である。32

神仮説は、証拠よりもむしろ個人的な啓示にもとづく地域的な伝統の上に築かれたものだから、さまざまな変形版があるとしても驚くにあたらない。宗教史家は、未開部族のアニミズムから、ギリシャ、ローマ、北欧神話の多神教を経て、ユダヤ教およびそこから派生したキリスト教やイスラム教といった一神教にいたる発展過程を認めている。

神は妄想である。第二章、神がいるという仮説、より。

宗教の過程についてを、考察するのである。
突然、宗教というものが、現れるのではない。原始信仰体験から始まる、アニミズムから、次第に、整理整頓され、支配者に、都合の良いものとしての、宗教が、起こる。

ローマカトリックという、キリスト教も、ローマが、国教と定めてから、巨大な権威を持つようになる。それでは、それ以前の、ユダヤ人キリスト教徒は、どうなったのか。異端として、殺された。

ヨーロッパ中世史は、異端審判に、覆われている。
皇帝と、組んでの、異端審判であるから、驚くのである。
神の名において、平然として、人を殺し続けた。

むしろ私は、神仮説をもっと弁護のしようがある形で定義したいと思う。すなわち、宇宙と人間を含めてその内部にあるすべてのものを意識的に設計し、創造した超人間的、超自然的な知性が存在するという仮説である。本書で代筆として提唱される考え方は、何かを設計できるだけの十分な複雑さを備えたいかなる創造的知性も、長期にわたる斬新的進化の単なる最終的産物にすぎないというものである。進化によって生じた創造的知性は、当然のことながら、すでにできあがっている宇宙に後から生まれてくるのだから、その設計に責任をもつことは不可能である。このように定義された意味における神は妄想である。

さらに、それは、有害な妄想である、という。

ドーキンスは、ダーウィンの進化論による、淘汰に関して、実に興味深い考察を続ける。

すでにできあがっている宇宙の後から生まれてくるのだから
つまり、宗教は、虚であるから、なんとでも、こじつけて、説明することが、出来るのである。

労働は、しないが、理屈は、三人前、いや、五人前である。
私の知り合いの、お婆さんが言った。
毎日、阿弥陀経を唱えているが、コレ、本当に、効くのかなー。どんな、意味があるんじゃー。
寺の坊主に聞いても、ようわからんしー、なー。
そんな、お経の意味を知れば、お婆さんは、仰天して、泡を吹くだろう。

どこかの、エロ小説を声に出して、読んでも、同じである。
死者は、その方が楽しくて、成仏するかも、しれません。

僧侶は、誤魔化しの専門。
自分でも、よく解っていないのである。
ただ、有り難い、有り難いと、言っていれば、爺、婆を、騙せると、思っている。
そういう、時代は、もう、終わる。

いずれ、経典についても、徹底して書く。
仏教の思想というものも、結果は、異端に対する、論戦のために、出来上がったものであり、仏陀の教えとは、何の関わりも無い。
要するに、負けないための、言葉の数々である。
議論のための、議論であるから、終わっている。

さて、一神教の大本は、多神教から、発したものである。
一神教の優越主義は、すべて、為政者によるものである。つまり、支配しやすいのである。
政治と、密接に宗教は、絡み合うのである。

ローマ皇帝は、ローマ法王により、認証される。ローマ法王は、皇帝により、認証される。
馬鹿馬鹿しいが、茶番である。
そういう、時期を経ての、世界宗教としての、カトリックである。

勿論、イスラムも、然り。
政治と、密接に結びついての、宗教体制である。
しかも、ムハンマドは、司祭職を置かなかったが、今では、宗教指導者として、司祭ではないが、それに似た権威を持つのである。
何とも、適当である。

精神的指導を宗教が、受け持つという、暗黙の了解があるということも、不思議なことである。
それは、政治よりも、実に、残虐で、許しがたい行為を、続けている。

政治が、何故、宗教を保護するのか。
今一度、考え直すへき、時期がきたのである。

日本の場合も、宗教法人という、特別税制のシステムがある。
それに、案じて、のうのうとして、貯蓄に励む僧侶たちである。
信じられないの一言。
こんな、差別税制があっていいのか。

どんなに、金を集めても、献金、寄付である。そして、税金がかからない。
これは、ヤクザよりも、酷い話である。
精神暴力団である。

さて、
進化によって生じた創造的知性は、その設計に責任をもつことは不可能である。
つまり、神という観念は、後から後から、付け足して、作り上げるものだということだ。

神は、完全ではないといことになる。
淘汰する、自然の様を、何という。

宇宙飛行士たちが、宇宙から、神を感じたという言葉を、勝手に解釈して、神の存在の証拠のように言うが、彼らが言う神という言葉は、宗教の言う神という言葉と、根本的に違う。
まあ、中には牧師になったというものもいるが、錯乱したのである。
感動が大きければ、大きいほど、言葉というものを、失う。
結果、神という言葉に託す。

仏というものも、同じである。

人知を超えたものに、感動する時の言葉が、貧弱なのである。

それなら、歌を詠めばよいが、それが、出来ないのである。
彼らは、日本人ではない。

日本人なら、和歌を詠む。
神や仏という言葉を使わずに、感動を、言葉にする。
言葉が言霊の国だからである。

それで、日本人の宗教的行為と、欧米の宗教というものの、断絶がある。
その、断絶をよくよく、知るべきである。

一神教とも、多神教とも、違うのである、日本の物の見方、考え方は。

以下省略。

2008年02月19日

もののあわれについて167

宮、例の忍びておはしまいたり。女、さしもやは思ふうちに、日ごろのおこなひに困じて、うちまどろみたるほどに、門をたたくに聞きつくる人もなし。聞こしめすことどもあれば、人あるにやとおぼしめして、やをら帰らせたまひて、つとめて、


あけざりし まきの戸口に 立ちながら つらき心の ためしとぞ見し

憂きはこれにやと思ふも、あはれになむ」とあり。「昨夜(よべ)おはしましけるなめりかし、心もなく寝にけるものかな」と思ふ。お返し


いかでかは まきの戸口を さしながら つらき心の ありなしを見む

おしはからせたまふめるこそ。見せたらば」とあり。今宵もおはしまさまほしけれど、かかる御歩を人々も制しきこゆるうちに、内大殿、春宮などの聞こしめさむこともかろがろしう、おぼしつつむほどに、いとはるかなり。


宮は、例のように、お忍びで、お出になりました。
女は、まさか、お見えにはなるまいと、思い、日頃の疲れがでて、眠ってしまった。
その時でした。
門を叩いても、聞く者もなく、宮様は、女の噂など聞いて、他の男が、来ているのであろうかと思い、ひそかに、帰られました。
翌朝になり

あけざりし まきのとぐちに たちながら つらきこころの ためしとぞみし

開けてくださらなかった、まきの戸口に立ち続けながら、あなたの、無情のこころの、しるしだと思いました。

人を思う恋心は、このように辛い切ないものかと、悲しい思いでした。
と、御文がありました。

女は、「昨夜は不用意に眠ってしまいました」と申しました。
お返し

いかでかは まきのとぐちを さしながら つらきこころの ありなしをみむ

まきの戸口は、誰のためにも、閉ざしたままでした。
どうして、私が、無情な者だと、お解りですか。外からは、お解りになりますまい。

この人知れぬ、心を、お見せしたいと思います。へんな想像を、しないで下さい。
抗議の気持ちが、にじんでいる。
宮様は、今宵も、お出かけになりたかったのですが、お忍び歩きは、人々も、お止していますので、そのうちに、内大臣や、春宮のお耳に入るようなことになっては、軽率な行いと、思われることになります。

心を抑えて、慎んでおられますうちに、長い日を経てしまいました。

憂きはこれにやと思ふも、あはれになむ
ここでは、あはれ、という言葉を、切ない、悲しいと、使う。
心象風景の一つである。

憂いは、恋心である。
恋とは、その心とは、あはれ、であるという。

決して、憐憫の情ではない。
あはれ、は、我が心の内にあるものである。

外にある、事象を見て、起こる心であるが、それは、内側のものである。

そのものが、あはれ、なのではない。
我が心に、あはれ、という、風景が、広がるのである。

外の事象を、我が内に取り込んで、それを、あはれ、と、認識する。

例えば、目の前に、辛く悲しい思いを持つ人がいる。その人が、あはれ、なのではない。それを、見ている、私が、あはれ、なのである。

相手の様を、哀れ、と思う心ではないということ。
それを、見る、私が、あはれ、という、心象風景を持つということである。

我が内に起こる、心模様が、あはれ、なのである。

見えるものは、私の心に在るものなのである。
私の内に無いものは、見えない。

もののあわれ、というものは、見るものを、すべて、抱擁する。包括する。

一切の否定無く、前面肯定の様である。


さらに、
女の歌にある
つらき心の ありなしを見む
薄情である。冷たいという心。
どうして、そのように見るのですか。

つらき心は、辛い心である。
こちらが、辛いと、現代では、解釈する。
しかし、この時代は、相手に対しての行為を、つらいと、表現する。

言葉が、その、理解が、変転しているのである。

辛く当たると、言えば、相手に対するもの、である。
本来は、こちらの方が正しい。

辛いという言葉の、広がりを考えると、言葉というものの、威力を知る。

私が、辛い場合と、相手に対して、辛く当たるという、二通りの意味である。

それを、前後の言葉の有り様から、感じ取るというのは、日本人ならではの、言葉に対する感性である。

要するに、深みである。
言葉、そのものに対する、深みが、他の民族と違うのである。

もののあはれ、という時、それは、二通りにも、三通りにも、何通りにも、なる。
もののあわれ、というものを、再度、思索するべきなのである。

タイ・ラオスへ

タイ・ラオスへ行く。

出発の前日、関東に大雪が降った。
高速道路が通行止め、電車や、飛行機も運転見合わせということで、翌日のことが、心配になり、横浜駅から、成田エクスプレスで行くことにした。

翌日は、午前中まで、通行止めだったようで、列車にして、安心だった。

この時期は、それほどの混雑なく、スムーズに出国手続きが済む。
私の荷物は、子供服が、二袋で、後は、持ち運びの鞄に、自分ものを入れて、機内に持ち込む。
子供服は、向こうで配ると、無くなる。
暖かい国に行くので、夏物の薄い着物なので、鞄で十分に間に合うのが、いい。

一万円が、バーツにすると、3005バーツになることを確認する。

飛行機は、時間通り、飛びたった。
丁度、夜であるから、寝ていればいい。
バンコクまで、七時間と少しである。
到着は、現地時間の、11:30頃になる。

バンコクでは、以前泊まった、安いホテルを、二泊予約していた。
スクンビット通りにあるが、地図に、名前の載っていないホテルである。
一泊二千五百円で、朝食付きである。二人で、その値段である。
泊まれれば、いいのである。

バンコクは、雨だった。バンコクの雨は、初めてである。

バンコクの 夜は雨なり 涼しくも あり新鮮な 街並み光る

タクシーに乗り、ホテルに到着した。
以前に泊まった時にもいた、無愛想な女が、いた。
イサーン出身である。つまり、私たちが、向かう、イサーン、タイ東北部の出である。

野中が、あれが、イサーンだと言う。つまり、あのような、無愛想な顔が、イサーンの顔だという。

12日間の、旅の始まりである。
バンコクの夜には、興味がないので、ホテルの部屋のビールを飲み、飛行機のせいで、すぐに酔うので、そのまま、寝た。

日本時間より、二時間遅れが、タイの時間である。
深夜十二時は、日本では、二時である。
三時頃に寝たから、日本時間では、五時である。

朝は、八時に目覚めた。
私は、すぐに、一階のレストランに似せたような、オープンカフェに出た。
無愛想な女から、チケットを取りに行く。
ナンバーと、訊くので、私は、キーを見せた。
朝食券二枚をくれた。

若い男がいた。
前回は、おじさんだったが・・・
コーヒーを頼む。
たまごは、どうすると訊く。
スクランブルで、ソーセージにした。

トースト二枚に、それらが付いてくる。
私は、タバコを吹かして、コーヒーを飲んだ。
コーヒーは、何倍お替りしてもいい。

他の客は、すべて、欧米人である。
若い欧米人は、カップルで、年老いた欧米人は、タイの女を連れている。
中には、中年のおじさんも、タイの女を連れていることもある。

二杯目を飲み終わる頃、野中が、降りてきた。
次第に、ホテル周辺が、騒がしくなる。朝の、状態である。

野中は、周辺に出掛けると言う。私は、この辺りにいると、言った。
行きたいところは、無い。

夜は、チェンマイから、野中の友人の、タンニャが、バンコクに来ることになっている。逢えると、いいと、野中が言う。
お客と、ベトナムに行くらしい。

部屋に戻り、野中が、ディジュルドゥを担いで、出て行った。
私は、部屋で、のんびりと、イサーンの空港、ウドーン・ターニと、その後行く、ノーン・カーイについて、調べていた。

国内線の格安チケットを予約していた。
ウドーン・ターニに、一泊するか、そのまま、ノーン・カーイに行くかと、迷った。
ノーン・カーイは、ラオスとの、国境の町である。
その距離感が、解らないから、迷う。

私は、8日にラオスに入り、翌日、ノーン・カーイに戻る予定である。野中は、そのまま、二三日、滞在する予定だ。

昼になったので、ホテルを出る。少し、その周辺を回った。
食堂に、日本語が多い。
驚いた。
これは、日本人が、多いということである。

一軒の、日本語で書かれた、タイ料理の店に入った。
タイ語、英語、日本語で、書かれたメニューがある。
私は、焼きそばを注文した。

待っている間、店にある、雑誌を手に取った。
日本語のものがあり、無料配布されているものを、取った。
開いた。
驚いた。
すべて、ピンク系の広告で、埋まっている。
オイルマッサージ、2000バーツから、2500バーツである。
それは、射精するまでのコースである。
オイルマッサージは、200バーツから、250バーツが、普通であり、その値段は、高級ホテルの、マッサージ並である。

出張もあるという。
ここまで、日本人が、多く来ているのだと、感心した。

焼きそばは、量が多くて、すべてを食べると、満腹を通り越した。
勿論、日本の焼きそばに似せたものである。
タイ料理は、野菜を半生で、平気であるから、戸惑う。
更には、すべて、生ということもある。

その雑誌を持って、ホテルの部屋に戻り、体を横たえた。
そして、寝た。

野中が、戻って、例の雑誌を見て、こんなもの、持っていると、勘違いされるよとの、アドバイスである。

タイの売春は、有名であったが、タイ政府が、牽制して、少し収まった経緯がある。
売春に準じる方法を、考えたのだろうと、思えた。

知り合いの男の子たちは、必ずタイでは、売春を一つの、目的にしていたものである。
私は、その度に、コンドームの使用を、勧めていた。

夕方、タンニャから、電話があった。
ホテル近くに来るらしい。
野中が、逢いに行くと言っている。
時間が、遅くなりそうだというので、私たちは、先に、夕食を済ますことにした。

夜になると、日本語の店が、続々と開店する。
私は、肉が食べたくなり、近くの、韓国料理店に野中と入った。
野中は、ビビンバを注文したが、私の焼肉セットの野菜を食べているうちに、腹が一杯になったようで、ビビンバをキャンセルした。というか、野中の注文を店の者が、忘れていたようだった。

二人で、ビール一本を飲んで、一杯になり、食べてすぐに、ホテルに戻った。

タンニャからの電話があり、野中が出て行った。
私は、ベッドに横になり、うとうと始めた。
野中が、鍵を持って出ないので、鍵は、開けたままである。

眠れず、これからの予定を考えていた。
野中は、十二時前に戻り、明日のタクシーの予約が出来たと言う。
ホテルに、十一時に来てくれる。
野中が戻り、安心して、私は眠った。

2008年02月20日

タイ・ラオスへ 2

タイ・ラオスへ2

タクシーが、時間通りに来たが、昨夜の人ではないという。用事が出来て、替わりに来たという。メータータクシーなので、安心して乗る。

高速道路を通り、その料金を払った。
そして、メーターは、200バーツと少しである。ところが、300バーツと言う。
私が、メーターを指して言うが、野中が、帰りの客がいないと、困るんだって、という。
帰りの客がいないことは、無いと思うが、面倒なので、300バーツを払う。
まあ、チップだと、思えばいい。

タイの民間機は、実に、適当である。
搭乗手続きをすると、三時間遅れであると言う。
前回も、チェンマイで、遅れて、日本行きの便に乗られないかもという、事態になったが、本当に、当日になってみなければ、解らない。

決して、信じてては、駄目である。
勿論、帰りも、三時間遅れだった。
結果、四時間を、空港で、過ごすことになる。

新しい空港、スヴァルナプ空港は、国際線、国内線と、入り乱れている。
私たちは、いつも、一階のロビーで過ごす。
人が少なくて、心地が良い。ただし、冷房は、きつい。全体に、冷房が行き渡り、下手をすると、風邪を引く。
私は、外に出て、暑い風を楽しみ、タバコを吹かすのが、好きだ。

漸く、時間になり、搭乗口に行く。
ところが、時間になっても、誰もいない。
また、遅れているようなのだ。
結局、30分過ぎで、案内が流れた。

座席は、自由席である。
私たちは、一番後ろの席に座った。結構、席が空いている。私は、途中で、隣の空いている席で、体を横にした。
一時間程度で、ウドーン・ターニに、到着した。

空港から、国境の町、ノーン・カーイまでの、バスがあるというので、それに乗ることにした。
約、一時間である。丁度良い。

ミニバスに乗り込んできた、最後の方々が、日本人の、榊原夫妻だった。
私の後ろの座席に座った。
老後をタイで、暮らし、ビザのために、一度海外に出るということで、ラオスを選んだという。

その榊原さんとの、話で、様々な情報を得ることになる。

四方山話から、ラオスの話になった。
山の上に行くほど、信じられないような生活の様であること。日本の戦後の生活より、悪いという。
私たちが、子供服を持ってきたというと、それは、何よりだという。
裸で生活している、子供たちが大勢いる。それは、貧しさゆえである。

私は、日本の戦後より悪いと、聞いて、少し考えた。
日本の戦後は、最低最悪である。
それより、悪いということは、どういう事態だろうと。
もし、そんな所に、私が行けば、あまりのことに、また、アホなことを、考え始めるだろうと、思えた。
つまり、支援活動の拡大である。
果たして、私個人に、それ程の、能力があるのか。
これは、宿についてからも、考え続けた。

そして、私が、戦争犠牲者の追悼慰霊から、この活動が始まったと言うと、榊原さんは、是非、戦場に掛ける橋という、映画で、有名になった、カンチャナブリーに、慰霊に行って欲しいと言った。
日本兵だけではなく、多くの捕虜を犠牲にした、橋の建設である。
泰緬鉄道である。

榊原さんは、慰霊ではなく、見学に行ったが、花などを持たなかったことを、後悔したと言う。
せめて、花でも、供えてくれば良かったと。

日本軍慰霊塔には、日本語、英語、マレー語、タミル語、ベトナム語で、慰霊の辞が、刻まれているという。

戦争とは、愚かなものだと、言ってられない程の、悲惨な犠牲を出したのだ。

連合軍共同墓地にも、日本人として、追悼慰霊に、行くべきであると、思う。

榊原さんの、お話は、随分と、私に、多くの思索を与えてくれた。

バスは、ノーン・カーイの国境まで来た。
そのまま、国境を通る人もいる。
私たち、榊原さんは、ノーン・カーイに、宿泊する予定である。
皆、バスを降りた。

ソンテウや、トゥクトゥクを探すが、見当たらない。
夜であるから、知らない場所に降ろされると、不安になる。

私が、ミニバスの運転手に行った。
ホテルに行きたいと。
すると、運転手が、オッケー、送るよ、と言う。

すると、降りた人の中で、町に行く人が、また、乗り込んだ。
タイ人もいた。彼らが、先に行き先を言うので、そちらに向かった。そして、欧米人たちである。最後が、私たちであった。

街中の、中流ホテルである。
私たちは、そのホテルの、コテージを取り、榊原さんは、ホテルを取った。
荷物を置いて、一緒に食事をすることになった。

一泊、600バーツの部屋である。約、二千円。
ベッドが、二つある。
私は、二泊を、そこにした。その後は、ゲストハウスにする予定だった。

榊原さんとの、食事で、ラオスのことを、多く聞いた。
その時点で、私は、ラオス行きを、断念していた。
瞬時の決断である。

行けば、とんでもないことになるという、直感である。

バリ島、タイ北部、トラック諸島である。そして、ラオスとなれば、私の個人活動は、限界である。
相当な、支援金が、必要である。

榊原さん夫妻は、明日、ラオスに出るという。
私のことを、尋かれて、野中だけが、ラオスに入りますと、答えた。
私は、この町で、ゆっくりしていますと、いうことにした。

真っ暗闇の街中である。
ホテルの明かりだけが、異様に、輝く。
そして、夜が、以外に寒いのである。

夫妻に別れて、部屋に入った。

部屋も、寒くて、野中が、窓をすべて閉めた。
そこで、明日、ゲストハウスを探し、明後日、そちらに移り、野中も、明後日、ラオス入りすることにした。

疲れたのか、すぐに、眠った。

翌朝の、朝食の時に、榊原夫妻に会った。
すでに、町を散歩していた。これから、ラオスに向かうという。
野中に、向こうで、会うかもしれませんねーと、話している。

私は、食事を終えて、野中と、散歩がてら、ゲストハウスを探すことにした。
料金は、おおよそ、400、300バーツの部屋である。

メコン河に向かって歩いた。
イミグレーションの建物の前に出た。この建物も、日本の援助によって、建ったものである。
その、界隈には、多くのゲストハウスがある。
私たちは、その、一軒、一軒を見て回った。
部屋の中に、シャワー、トイレのある、ゲストハウスを選んだ。始めは、400バーツの部屋を紹介されたが、野中が、二階の300バーツの部屋もあると、言うので、そちらを見せてもらい、300バーツの部屋に決めた。約、千円である。
私は、帰る日まで、そこに、滞在することになる。

タイ・ラオスへ 3

タイ・ラオスへ 3

メコン河の流れは、雄大である。
たゆたう、如くに流れている。
向こうには、ラオスが見える。

8日、私は、野中をラオスの、国境まで送った。その足で、ノーン・カーイの町を巡った。といっても、トゥクトゥクの男が、回ると言うのだ。
観光見物は好きではないが、連れまわされた。

市内見学を終わると、二時間が過ぎていた。
本当は、一時間のはずである。
すると、トゥクトゥクの男が、二時間だから、一時間、200バーツで、400バーツだと言う。
その通りであるが、私の約束したのは、一時間である。

相手が、確認しなかったことも、悪い。また、私が、一時間を過ぎたことを、言わなかったことも、悪い。

私は、男に、譲らず、あなたの、ミステイクだと、繰り返した。
相手も、よく解らないと、英語で言う。

最後に、私は、200バーツを出し、そして、100バーツを、チップだと言って、渡した。
男は、どうしても、400バーツが欲しいらしいが、私は、平然として、ゲストハウスに入った。
暫く、男は、留まっていたが、そのうちに、エンジンを掛けて、行った。

こういう場合は、相手の言いなりになるという、方法もあるが、私は、これからのために、妥協しなかった。
実際、私は、市内見学は、ほどほどで、良かったのだ。
日本人の悪い癖で、ついつい、相手に、乗ってしまう。

トゥクトゥクとは、バイクの後部に、二人用の座席を作って、お客を乗せるものである。
男は、街中の人ではなく、観光客専門の者だったと思う。
つまり、20バーツや、30バーツの、仕事はしない。大物を狙うのだ。

それっきり、その男には、会わなかった。

ゲストハウスで、過ごす一人の時間が、始まった。

まず、食べ物を、どこで食べるかである。
ゲストハウスの付近には、多くの食べ物屋がある。
地元の人を対象にした、食堂、欧米人向けの食堂、レストランである。

私は、地元の人の行く、食堂に出掛けることにした。
メコン河沿いにある、オープンハウスの食堂である。

店先で、鶏肉、豚肉、ソーセージ、その他を、焼いている。
ここ、ノーン・カーイは、鶏肉の産地であるという。

私は、もち米と、サラダを頼んだ。
と言っても、言葉が通じないから、指で指して、欲しいものを、言う。
もち米は、竹の米びつを指し、サラダは、店先にあったものを、指した。
この、サラダが好きになる。名前を、後で知る。

もち米は、日本の赤飯を食べる感じに似る。もち米だけ食べても、十分だ。

食べ終えて、清算すると、45バーツである。約、150円。

夜のために、店先で焼いていた、鳥のモモ肉を買う。
ついでに、豚のソーセージも買う。手作りである。

一度、部屋に戻り、体を横にする。
食べた後は、休むに、限る。

実は、私は、タイパンツと、Tシャツで、過ごしていたが、何となく、寒く感じていた。
それで、注意深く考えてみると、この地の、気候が、今までにない、ものだと気づく。

つまり、24時間のうちに、日本の四季があるのだ。信じられないようだが、まさしく、そうなのだ。

明け方の寒さは、冬である。そして、次第に、春に向かう。正午を過ぎると、夏になるのである。そして、夕方は、秋である。

その証拠に、人々の服装を見る。
一番、手っ取り早いのは、子供たちである。
皆、てんでに、季節の服装をしている。
ある子は、夏服、ある子は、冬服というように。

翌日の、朝は、格別に、寒かった。
Tシャツで、下に降りると、ゲストハウスのオーナーが、防寒服を着ていた。そして、私に、そんな格好で、大丈夫かと言うのである。

タイという国は、どこもかしこも、暖かい訳ではない。

時間差によって、温度の幅が、実に大きいのである。

ここは、ラオスとの国境に、位置する、タイ東北部、イサーンである。
風の強いのは、川風のせいである。

他のタイの人は、イサーン人を、やや軽蔑するように、イサーン人と呼ぶ。
これには、長い、物語がある。
18世紀末から、20世紀初頭にかけてのことである。

最初に、インドシナ半島で、植民地化を進めたのは、イギリスである。
次いで、フランスが、東から、半島を狙った。フランスは、アヘン戦争後、中国と条約を結び、中国進出を本格化させる。そのための、拠点をベトナムに求めた。
1847年、逮捕された宣教師の釈放を求めて、ダナン港を攻撃する。さらに、ダナンの割譲を求めて、1856年以降、断続的に、攻撃が続く。
ついに、1862年、フランスは、コーチシナを獲得する。これが、フランスのインドシナ植民地化の、第一である。

さらに、フランスは、メコン川を通り、中国に進出するルートを確保することを、画策する。さらに、そこから上流は、カンボジアである。
カンボジアと、1863年に、保護条約を結ぶ。
しかし、タイ側は、カンボジアの宗主権は、タイにあるとして、保護条約に反発する。
だが、フランスは、ベトナムが、カンボジアに持つ、宗主権を根拠に、タイに譲歩を求める。これにより、1867年、タイ仏条約が結ばれ、タイとカンボジアの保護条約の破棄と、フランスのカンボジア支配権を、認めることとなった。

カンボジアを手に入れたフランスは、さらに、ベトナム全土を、保護国化したのが、1884
年である。

ベトナムを確保すると、次は、メコン河流域の、ラオスである。
紆余曲折を経て、1888年国境画定交渉を行い、タイの属国の、ルアンプラバーンの支配下にあった、シップソーンチュタイが、フランス領となる。
タイ族の居住地であったものの、バンコクとは、今まで関係が無かった土地である。

フランスは、さらに、メコン河の左岸(東側)の全域確保に進み、1893年、メコン左岸から、タイ軍を撤退させるよう、要求したが、タイが拒否したため、フランスは、軍事行動を起こす。
パークナーム事件と、呼ばれる事態である。

結果、タイ側は、フランスの要求を全面的に、受け入れる。
300万フランの賠償金と、メコン川左岸と、メコン右岸25キロ地帯と、カンボジア北西部の、非武装化と、徴税権喪失である。
これにより、メコン河左岸は、すべて、フランス領となり、メコン河が、国境線としての、機能を持つことになる。

ただ、フランスは、これだけに、留まらなかった。本当は、タイ全土を、植民地化したかったのである。
しかし、1886年に、ビルマ全土を植民地化した、イギリスがいる。
両国は、1896年、英仏宣言を発表して、チャオプラヤー川流域を、緩衝地帯とする。
この、緩衝地帯は、バンコクから、北部タイまでは、含まれていたが、メコン河流域の、東北部、マレー半島は、除外された。

東北部と、マレー半島に、英仏が、それぞれ、進出しあうことを相互に容認する内容である。

東北部とは、イサーンのことである。

1909年の、領土、割譲によるまで、東北部は、タイではなかったのである。
およそ、100年前に、現在のタイの地図に、入ったのである。
不運である。
その時、ラオスから、タイとなった東北部に、人々が、流れたという。
先祖に、ラオス人が、多いはずである。

2008年02月21日

神仏は妄想である。33

19世紀以来、学術的な神学研究者たちは、「福音書は現実世界の歴史で起こったことについての信頼できる記述はない」という決定的な論証をおこなってきた。

ルカ福音書などは、歴史的にありえず、内部的に矛盾している、と、結論づけられている。

一々、その例を上げない。
面倒だからだ。
それは、研究者の、書いたものを、読むことを勧める。

聖書にしろ、コーランにしろ、仏典にしろ、それぞれは、教祖が、亡くなり、しばらく経てからの、書き物である。
二三年後ではない。仏典などは、300年以上を、経ている。


キリスト誕生の物語である、東方の星、処女懐胎、王による赤子の殺し、奇跡、復活と、昇天を含めて、イエス伝説の本質的な、特徴のすべてーーーどれもこれも一つ残らずーーーが、地中海および近東地域にすでに存在した他の宗教から借用されているという経緯を示した。

聖書が一から十まで本当だと思っている学識のないキリスト教徒がいっぱいる。
彼らは聖書を、実際的に歴史の忠実で正確な記述であり、したがって彼らの宗教的信念を支持する証拠であると、まったく真剣に受け止めている。

完全完璧に、信じる者は、騙されるのである。

私は、キリストの絶唱という、エッセイを書いた。
それは、キリストの奇跡を、現実のものとするという、考えであり、そうでなければ、キリストの絶唱というものを、書けないと、判断した。
それは、奇跡によって、イエスキリストは、今も、存在し続けていると、確信するからだ。
つまり、それは、奇跡を行えないキリスト教徒は、キリスト教徒たりえないという、ことであると、言いたかった。

前ローマ法王が、射撃されて、命を狙われた時に、ファティマの聖母が、助けてくれたというが、実際、彼を助けたのは、医者である。

こういう、医者に対する、不遜な姿勢を、キリスト教徒の代表が、行う、言うという、驚きである。

一事が万事そうである。

法王に、銃弾が弾き飛ばされたというなら、キリスト教徒であるが、撃たれて、それを、医者に取り除いてもらい、聖母のお蔭であるという、根性は、そうとうな、玉である。

神の代理者である、法王は、亡くなると、神の国、天国に入ると、信じているという、驚き。
金持ちが、天国に入るのは、ラクダが、針の穴を通るより、難しいとの、イエスの言葉が、嘘になることを、知らない。

とっても、いい気なものである。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという、新約聖書の、四福音書は、正典とされているが、実は、他にも多くの福音書がある。
しかし、
正典にされなかった福音書は、四つの正典に収められたものよりも、あきれるほど納得しがたい物語を含んでいたために、聖職者たちによって排除されたものである。

ハリーポッターより、低俗で、正典に出来なかったということである。

彼らが書いたことのほとんどは、正直な歴史を書こうとする試みではけっしてなく、「旧約聖書」の単なる焼き直しにすぎなかった。なぜならば、福音書の書き手たちは、イエスの生涯は「旧約聖書」の預言をかなえるものでなければならないと心底から信じ込んでいたからである。

要するに、新約聖書も、信じる行為から、書かれたものであるということだ。
信じる、つまり、騙されるのである。

聖書にある証拠によって神を信じるように説得された人々がいる。
しかし、それが、大嘘であるとされるのである。
どうするのか。
答えは、簡単である。
信じる者は、騙されるのであり、それを、喜ぶのである。


イエスが何らかの種類の神の地位を宣言したという歴史的な証拠はごく小さなものである。

それなのに、ああ、それなのに。
どうして、このようなことになったのか。

恐れと、不安にある人が、こうあれかし、と思う、気持ちが、福音書を書かせたのである。
そして、一度、信じてしまうと、それは、自己暗示であり、自己洗脳によって、確実になる。嘘であるが、真実であると、撹乱するのである。

私が、キリストの絶唱で、キリストの奇跡を、肯定したのは、キリスト教徒は、奇跡を行えという、メッセージである。
種一つの信仰があれば、山をも、動かすという、信仰を、実践してこその、キリスト教徒である。

その、メッセージを込めての、キリストの絶唱だった。

さて、キリスト教徒は、少し賢く、聖書を検証すべきである。
無知蒙昧では、信仰など出来ない。
また、知的レベルが、低いというのも、信仰は、出来ない。
信仰とは、実に、知的な行為である。

そこに、妄想の思い込みがあっては、ならない。

あらゆる、種類のキリスト教徒に共通するものは、信じることによる、酔いである。
思春期の女の子のような、自我意識拡大の、様を、信仰というのだから、終わっている。

世界を超えるような、自我意識の拡大は、一種の精神疾患である。

誇大妄想。
それに尽きる。

バートランド・ラッセルの言葉が、第三章に載っている。

知的な意味で著名な人々の圧倒的多数はキリスト教を信じていないが、大衆に対してそのことを隠している。なぜなら、彼らは自らの収入が減ることを怖れているからだ。

宗教の太鼓もちをすると、それだけで、収入になるのである。
そういう、学者、作家、芸術家、芸能人等、多数いる。

日本にも、大勢いる。
一人、一人を、上げていると、終わらなくなるので、省略する。

タイ・ラオスへ 4

タイ・ラオスへ 4

東北部、イサーンは、100年前に、タイになった。
それゆえ、そこに住む者は、複雑な心境を持つ。

最初のホテルの時に、レストランの女の子に、タイ人かと、尋ねると、全くのタイ人で、ラオ人ではないと、きっぱりと言った。それ程、タイ人としての、誇りがある。
彼女は、三代目あたりであろう。しかし、生まれながらのタイ人であると、信じる。

私が、ノーン・カーイで、探っていたことは、どうも、タイではないような気がするのは、何かということである。

微笑みの国タイという、イメージは、ここ、イサーンには、全く無い。

笑顔が、極端に少ないのだ。
さらに、言葉遣いである。
早口である。タイ人のように、ほんわかとしているものではない。
まくし立てるといった風である。

こちらが、笑顔で、近づかないと、笑顔にならないのである。
勿論、例外は、ある。ホテルや、ゲストハウスの人である。また、食堂経営の人。それでも、何度目かで、漸く、安心した、笑顔を見る。

警戒心が強いという訳ではない。そういう、体質なのである。
しかし、皆、人は良い。

イサーンから、バンコク、チェンマイに、出稼ぎに出る人が多い。彼らは、イサーン人と、呼ばれる。少しの、蔑称を込めてである。
書きたくないが、売春婦の、産地とも言われる。

無愛想であるということを、体験した。
マッサージは、安い。一時間、150バーツからある。約、400円と少しである。
ある、美容室兼用の、マッサージ店に行った。
タイマッサージを一時間、状況によっては、オイルマッサージを一時間と、決めて行った。

店に入ると、オーナーの女性が、カッテングの最中である。
私が、入ると、挨拶したが、一人の女の子は、入り口のソファーに、座り、動く気配無い。
少し、立っていると、オーナーが、英語で、マッサージと、訊く。
オーナーたけが、英語が出来る。

女の子に、何か言うと、その子は、やっと、立ち上がり、私を二階に案内した。
タイマッサージ、ワンアワーと、言うが、通じない。
時計を指して、二時間を示すのだ。
下手で、二時間もやられては、たまらないと、一時間を示すが、解らない。
その内に、下に戻り、オーナーが、やってきた。オーナーが、時間を確認して、女の子に言う。

漸く、その子の、マッサージが、始まった。
普通は、足から始めるが、彼女は、肩から始めた。
まずまずの調子である。

上手ではないが、その雑さに、私のようなコリを持つ者は、丁度いい。
下手に、やさしくやってもらうと、逆に、具合が悪くなる。

終わった。
そこで、物は試しと、オイルマッサージを一時間、頼んだが、言葉が通じない。
私は、全身を使い、表現したが、解らない。
後で気づくが、アロマだったのだ。

結局、オーナーの女性を呼んだ。
話はついた。
今度は、彼女の指示である。
服を脱げという。
私は、パンツひとりになった。憮然としているので、パンツもかと、仕草で表現すると、首を振る。要するに、無愛想なのである。

ところが、オイルマッサージの時に、彼女は、もう一人の女の子を呼び、二人で、するではないか。それが、また、上手なのである。
単なる、撫で回すものではない。コリを、取るのである。
これで、無愛想も、許せた。

だが、清算の時に、600バーツを請求された。少し、ボラれたのである。
約、2000円である。
勿論、そこには、二度と、行かなかった。

典型的な、イサーンの人を見た思いがした。

9日の朝は、ゲストハウスで、アメリカンスタイルの朝食を取ったが、100バーツである。お客は、ほとんどいない。330円の食事は高い。
向かいの食堂に入ると、その半額程度である。私は、一度で、ゲストハウスの朝食をやめた。

午前中、私は、メコン河を眺めて過ごした。

言葉が出るままに、歌を詠む。

何ゆえに 我タイにいる 日の本の 大義を求めて ここにいるなり

実に、傲慢な歌である。

川ひとつ 隔てた国を なんとする 国境なくば 親しきものを

老いの口 ラオス貧しく してありて 手出しできぬと 足を留める

東北を イサーンと呼んで 吐き捨てる 微笑の国も 差別ありてや

ひとりにて 出来ることなど 限られて 奉仕の心 萎える時あり

今回、持ってきた本は、西行の山家集のみ。しかし、読たいとは、思わない。
昼近くなると、気温が、ぐんぐんと、上がるのが解る。夏の気候である。

川沿いに、お土産小路がある。それが、延々と続く。
面白い。
その大半の品物が、中国産である。
後は、ラオス、ベトナム、イサーンの民芸品である。
値段を見て、日本円にして、歩くと、頭の体操になる。

これも、あまり書きたくないことだが、中国人が、おおよそ、席巻しているのが、解る。
大型の店は、中国人の経営である。
そして、丁度、中国のお正月の最中だった。
町の至るところに、新年を祝う言葉を書き付けた、旗や、幟が立つ。
ある、道路などは、すべて、中国の新年を祝う旗が、道に、横断幕になっているから、驚く。
中国人を、無視出来ないということだ。

ただし、それを言えば、日本も言われる。
電化製品、自動車、食品に至るまで、日本製品が、大半を示す。
驚くべき、席巻である。

そして、私は、一つの、問題の解決を見た。
何故、日本が多くの支援をするのかということだ。
つまり、日本企業の進出のために、日本政府が、支援して、後押しするというものだ。
現地で、作らせても、日本企業である。

税金というもの、そのように、使用されている。
大企業優先であることは、事実である。しかし、世界的企業を、育てるために、必要なことでもある。それを、国内の問題と、どう、折り合いをつけるのか、ということである。

ゲストハウスには、英字新聞が、多数ある。
それらに、目を通す。私の英語力では、読めないが、ジャパンを探す。無い。経済新聞のみに、日本企業の不祥事の記事がある。
それだけ。

陽気なドイツの、じいさんに、声を掛けられた。
寒くて、ゆかたを、羽織っていたゆえ、日本人と、理解された。
英語で、捲くし立てる。
解るか、と、言われて、頷くと、さらに、喋る。
日本とドイツは、世界で、最も強い国だと言う。
日本の、長崎と、東京に、カンパニーをやっている、友人がいるらしい。

このように、欧米人の、おじいさんが、実に、多い。そして、現地の、タイ女性を連れている。これも、老人介護の一つであろう。

オーストリアからの、老人にも、話し掛けられて、適当に、応えていた。彼らは、自分が、喋れば、満足するのである。どこの、国の老人も、一緒である。

2008年02月22日

タイ・ラオスへ 5

タイ・ラオスへ 5

街角で、子供が、とうぎひの茹でたのを、売っていた。
値段を訊く。
小学生くらいの、男の子である。
トェンティと、指折り数えた。

私は、小銭を、差し出すと、10バーツ硬貨を、一つ取った。
テンだったのだが、まだ、英語の数が、よく解らないのだろう。

その、とうきびと、少し歩くと、焼き芋が、売っていた。
日本の、サツマイモと同じである。
一つの、値段を訊いた。
タイ語である。よく解らない。小銭を出すと、7バーツを取った。

それを、部屋で食べた。
旨い。
とうきびは、子供の頃に食べたものと、同じ、味だった。そして、焼き芋は、中が、黄色で、旨い。

タイだから、安心して、お金を見せることが、出来る。
財布の中味を見せることは、海外では、危険である。
しかし、私は、大半、こうして買い物をした。

皆、一々説明して、お金を取り出した。
小銭は、10バーツ、5バーツ、1バーツである。それを、私に確認させて、取るのである。

お札は、20バーツ、50バーツ、100バーツ、500バーツ、1000バーツである。

お札を、使うと、小銭が貯まるので、小銭も、使うようにする。
一番安い水は、ペットボトル6本で、20バーツである。
食堂の水は、大半が、10バーツである。

現地で、ろ過して作る水は、500ミリリットルで、6バーツである。
約、20円。

土曜の夜、私は、トゥクトゥクの運転手に、ナイトバーを紹介してくれと、乗り込んだ。
夜の街である。
ゲストハウスの、周辺も、夜になると、小さな電球が点滅して、それらしくなるが、ノーン・カーイの飲み屋街に、出てみたくなった。

普通では、面白くないので、レディボーイバー、ゲイバーと、言うと、驚いた。
しかし、二軒並びの、ゲイバーに、連れて行かれた。
ところが、ゲイは、一人もいない。

ビールを頼んで、少年たちと、話をした。
彼らは、体を売る、普通の少年たちである。
20歳から、27歳程度の、幅である。

だが、20歳の子は、17歳と、私に言う。後で来た子が、嘘をばらした。ただ、悪気ではない。彼らは、英語も通じないので、私の質問に、ちんぷんかんに、応える。

その、飲み屋街は、何と、三軒のみで、後は、二つのゲイバーの前に、レディバーがあるだけである。

私は、一時間ほどいた。
帰りの車を、どうするかと、考えていると、一人の男の子が、やって来た。
ボーイである。
一番、しっかりとした顔付きをしていた。

そのバイクで、ここまで、行ってくれるかと、ゲストハウスの、名刺を見せた。
すぐに、オッケーと、言う。

彼らが、付き合うのは、多く、欧米人である。一晩、最低、1500バーツのようである。
だが、ゲイは、一人もしないという。金を得るためだけに、体を売るのである。

バイクの後ろに乗ると、彼から話しかけてきた。
明日の予定を、訊く。
私は、リラックスタイムで、ゲストハウスで、休んでいると言った。
彼は、バイクで、町案内をしたかったようである。
ガイドで、金を得ようとしていた。

私は、もう、市内見学は、嫌なので、その話には、乗らなかった。

ゲストハウスに着いて、私は、100バーツを彼に渡した。
喜んだ。
二度と会わない相手であろう。

ビールを飲んで酔うのであるから、矢張り、異国である。一本飲むのに、やっとである。
しかし、日本酒を飲みたいとは、思わない。不思議だ。
矢張り、酒は、雰囲気で、飲んでいるのだろう。

ただ、ゲストハウスでは、私の話題が上っていたようだ。
トゥクトゥクの、運転手が、ゲストハウスのオーナーの知り合いで、私を、ゲイバーに連れたと行ったのだ。
そこで、私が、ゲイボーイを、連れてくると、思ったらしい。
勿論、部屋に、連れて帰っても、問題はない。
オーナーが、私が庭に入ると、何か言った。
よく解らない英語である。
すると、横から、英語の堪能な、お手伝いの、青年が出てきて、私が、男の子を、テイクアウトしたのかと、尋ねる。
ノーノーノーと、私が言う。
危ないことを、して欲しくないという、思いなのだろうと、思った。

最初の夜、私の隣の部屋で、欧米人の男が、女を連れて帰り、激しい行為を始めた。それは、朝方まで、続いた。
一度、目覚めて、朝、目覚めると、まだ、続いていたから、驚いた。

そういうことが、普通なのだろうが、まさか、ゲイボーイを連れ込むとは、考えていなかったようである。

私は、オーナーと、青年に、グッナイトと言って、部屋に上がった。
シャワーを浴びてすぐに寝た。

夜風は、冷たいが、私は、少し窓を開けて寝た。
野中がいたら、完全に閉めるたろうが、私は、どうしても、少し空けておきたいのだ。

翌朝、激しい、鳥の鳴き声で、目を覚ました。

すぐに歌が出た。

朝に鳴く 目覚めの一声 あざやかに 異国の鳥の その強烈さ

名も知らぬ うぐいすに似た 異国鳥 大和心を かきたてられし

私は、そのまま、浴衣を羽織り、階下に降りた。その鳥を、見たかった。しかし、鳥の姿は、見えない。

そのまま、ゲストハウスに置き付けの、インスタントコーヒーを飲んだ。
暫く、そうして、朝の気配を感じて、楽しんだ。

鳴く鳥も 涼しげにあり タイランド 吹く風薫 メコンの流れ

大陸は 国の境に 妙ありて 微妙な意識 聞けば驚く

その日の朝は、歌遊びをした。

国離れ 国見る目が さわやかに 国を思うて 何が悪い

川一つ 挟んで国境 作る人 その賢明さ 見事なりけり

旅人の 我は読むこと することなく ただ見つつと 見尽くすなりて

あまりにも 悲惨なるやと 語る人 それ聞く我は ラオスに入らず

ただ今は、日本にて、引きこもりが、多いと聞く。
家の中に、籠もっている。しかし、それとは別に、外こもりという、現象があるという。
つまり、一定期間働いて、そのお金で、タイに長期滞在するというものだ。

榊原夫妻も、そういう話をしていた。
ただ、その人たちが、年を取った時、どうするのだろうという。
若い時は、いいが、年老いてゆく。その時、彼らは、どうして、老後を過ごすことができるのかと。

非常に、難しい問題である。

日本に無いものを、求めて、タイに逗留する。
物価も安い。しかし、いつまでも、そうしては、いられないのではないのか。

次第に、タイも、物価が高くなっている。
榊原さんの知り合いも、タイに、家を持っているが、売りたくても、高くなって、売れないという。
持ったのは、いいが、手放して、日本に戻りたいと思っても、うまくいかないのだ。

そんなことを、考えていると、川柳が出て来た。

ひきこもる 男も異国で 女買う

更に、歌一首

ひきこもり 今外こもり タイランド 日本の男の 逃避行なり

2008年02月23日

タイ・ラオスへ 6

タイ・ラオスへ 6

10日の日に、新しいマッサージ店に、出かけた。
地元の人が来る店である。
一時間、150バーツと、安い。約、480円。

程よい、愛想のおばさんが、担当だった。
足から、よく揉み解す。実に、丁寧に、指圧する。
矢張り、タイマッサージは、足のマッサージが、主である。下半身は、実に、有意義である。ただ、肩が、惜しい。肩の凝りを取ることが出来れば、最高だ。

おばさんは、日本語を、三つ知っていた。
気持ちいい。ありがとう。痛い。
私とは、英語で話した。お互いに、あまりよく出来ない英語なので、通じるのである。

私は、そこに、二日通った。

足をよくよく揉まれると、全身の血行が良くなる。そして、体が、軽くなる。
ただ、今までのタイでは、肩凝りを、あまり覚えないほど、暑いのだが、ノーン・カーイでは、寒さで、肩が凝るのである。

最初と、最後に、お茶を出してくれる。
ジャスミン茶だと思う。

お客は、皆、地元の人である。
二回目の時、欧米人のおじさんが、フットマッサージをしに来た。
それ以外は、地元の人。

その後、部屋に戻り、暫く、休んだ。昼食も、買ってきた、パンなどを食べて過ごした。

持ってきた、西行の、歌集を読み始めた。
珍しいことである。
旅の間は、あまり、本を読まない。
読むより、見る方が楽しいのである。

ノーン・カーイは、見るものが少ない。
メコン河のみ、眺めていても、飽きない。

西行の歌は、素直で、解り易い。それは、万葉に続くものである。
私は、西行を、万葉の精化とみる。

万葉集が、西行で、一つ完成するのである。

西行は、生まれ持っての、歌詠みである。
小細工無しの、歌詠みである。
口から出る言葉、そのままが、歌になる。

23歳で、出家し、旅をして、歌を詠む。
日本の精神の底流に流れる、もののあわれ、というものを、歌で表現する。
いずれ、私の、もののあわれについて、の中でも、触れることになる。

西行も 詠まざりしなり 東南の 国の風情を 我は詠むなり

メコン河 西行歌集を 詠ずれば 大和心に 流れも変わる

部屋の中で、辛吟して作る、藤原定家のような、歌詠みもいる。それも、ありである。
多くの日本古典文学は、定家によって、現代に、継承されている。その功績は、非常に大きい。そのような、文学者、歌人もいる。

そして、旅をして、歌を詠む、西行のような歌詠みもいる。

それぞれが、いい。

野中から、電話が入る。
ラオスからである。
ラオスの首都、ヴェンチャンから、バスで三時間の町に行き、そこから、山に向かい、中腹の村のゲストハウスにいるという。

子供服の、配布の状況を聞く。
ゲストハウスの、付近も、貧しく、ある二人の姉弟は、親を亡くして、村の老人たちによって、育てられているという。
子供服を、二三持って行き、まだ、必要かというと、必要だと言うので、皆持って行くと、村の人々が、待っていた。
そこで、皆、広げて、村の人に任せると、取り合うようにして、無くなったという。

持っていって、本当に、良かったと言う。
この上の村は、まだ、貧しい所だが、今回は、それ以上に行かないとのこと。

実は、ヴェンチャンから、バスで三時間の町は、欧米人たちで、大賑わいであるという。
麻薬と、セックスである。
勿論、日本人もいる。

警察官がいない、町だという。
取り締まる誰もいない。
そこで、皆、麻薬とセックスを楽しむために、その町に集うのである。

野中のゲストハウスにも、二組の、日本人がいた。
野中が、ノーン・カーイに戻ってから、色々と、話を聞くことになる。

子供服は、まだまだ必要であるらしい。
兎に角、物が無いという。
服の無い子は、裸であるが、暖かいから、救われている。

それでも、子供たちは、楽しそうであるとのこと。

あまりにも 貧しきゆえに 貧しさを 知らぬ子たちが 楽しく遊ぶ

私は、その電話を受けて、少しして、夕食のために、近くの、タイレストランに出た。
そこは、地元の人が、集う店だが、精一杯、欧米人向けにしているのが、解る。
メニューは、タイ語と、英語で書かれている。

私は、もち米と、野菜スープを注文した。
ところが、野菜スープは、塩が効いて、しょっぱいのである。
ダシの味がしない。
少しつづスープを飲み、もち米を食べる。
何とか、食べ終えて、早々に、店を出る。
45バーツ、約140円。
安いが、味は、酷い。

そのまま、メコン河のイミグレーションの通りの、店に買い物に行く。

二軒続けて、小売店がある。
同じような物を売っている。
私は、手前の店に入った。

ビールと、ピーナッツ、パンを少し買う。
突然、日本語が飛び出した。
その店の主人である。

八年間、日本に出稼ぎに出ていたというから、驚いた。
大阪、川崎などに、いたという。

その時に貯めた資金で、きっと、この店を開店したのだろう。

この地から、日本に出稼ぎに行くという。
驚きと、感激である。
出る時に、よろしくお願いしますと、声を掛けられた。
仕事の時に、覚えたのだろう言葉であろうか、驚いた。

私は、毎日、その店に買い物に行くことにした。

南国の 四季無き国の 夕風も 国思うべき 寒き風吹く

国境の 町は静かに 暮れ行きて 家路急ぐに 国境なし

どこで、どんな出会いがあるかもしれない。
それを、不思議と思えば不思議である。
ノーン・カーイは、どうですかと、尋ねられて、私は、いい町です、と答えた。
もう、来ない町かもしれないが、そういうことが、礼儀である。

河を見る。

ノーンカーイの 夜風に触れる メコン河 岸辺向こうに ラオスの灯あり

神仏は妄想である。34

リチャード・ドーキンス 神は妄想である。第一章すこぶる宗教的な不信心者

ひろくおこなわれていて、私たちの社会のほとんど全員が受け入れているーー宗教的人間でない人間を含めてーーのは、宗教的信仰は、攻撃されると非常に傷つきやすいので、どんな人間であれすべての他人に対して払うべき敬意に加えて、異常なほど厚い敬意によって、護ってやらなければならないという前提である。

余計な言葉を、差し挟より、ドーキンスの書くままを、引用する。

北アイルランドでは、カトリック教徒とプロテスタントといったように、「宗教」という言葉が「共同体」に改ざんされるのだ。イラクは2003年の米英軍の侵攻の結果として、スンニ派とシーア派というイスラム教徒の宗派間の内戦状態に陥ってしまった。明らかに宗教戦争であるーーーなのに、2006年5月20日のインディペインデント紙の第一面の見出しと、記事の冒頭はいずれも、それを「民族浄化」と表現していた。この文脈における「民族」も、やはり彎曲語法である。私たちがいまイラクで見ているものは、実は宗教的浄化なのだ。旧ユーゴにおける「民族浄化」という最初の使い方もまた、ほぼまちがいなく、ギリシア正教のセルビア人、カトリックのクロアチア人、イスラム教のボスニア人がかかわる宗教的浄化の彎曲表現である。

2006年2月に、デンマークの新聞が、預言者ムハンマドを描いた12枚の風刺漫画を掲載した。
それから、一ヶ月をかけて、イスラム教徒の小さな集団によって、憤激が慎重かつ組織的にイスラム世界全体に醸成されていった。
この集団の指導者は、アラブ諸国で、好ましからざる人物と宣告されて、デンマークで、庇護を与えられていた、悪名高い二人のイマーム導師だった。
彼らは、さらに、記事の写真を捏造し、デンマークにおけるイスラム教徒への不当な処遇と称する嘘の記事を掲げて、イスラム諸国に、喧伝した。

その後の、イスラム教徒の様々な、暴力は、見ての通りである。
デンマークの大使館や、キリスト教の施設等への、暴力である。
それは、インドネシアまで広がった。

ドーキンス曰く
これらの人々がなによりも愛しているのは、本当は、地獄のような大混乱なのである。

まさに、狂人である。
信教の自由を掲げると、人権も何も無い。
裁判でも、勝利するのである。

差別に関しても、信教の自由を持ち出せば、裁判に勝利するという、摩訶不思議である。

アメリカでは、キリスト教原理主義は、平然として、同性愛は罪だ。イスラム教徒は嘘つきだ。中絶は殺人だと、叫んでもいいのである。

彼らには、静かな、信仰というものが無い。
恐ろしく、過激な、闘争による、信仰宣言がある。

ある、敬虔なクリスチャンは、正しい神の教えのための、戦争ならば、必要だと、平然として言うのである。
要するに、宗教浄化である。

例えば、どんなに穏健なイスラム教徒でも、簡単に、死刑を宣告する。
アッラーと、ムハンマドに対する侮辱罪、不敬罪として。

ジャーナリスト、アンドリュー・ミューラーの言葉。
イスラム教徒の価値観は他のいかなるものにも勝るーーーこれは、イスラム教徒の誰もが実際に思っていることで、他のどの宗教の信者も自分たちの宗教が唯一の道であり、真理であり、光であると信じているのと同じことだ。もし人々が自分の家族よりも七世紀に教えを説いた人間を愛したいのであれば、それは彼らの勝手だが、他の誰もそれを本気で受け止めるように強制されることはない・・・

信じる行為とは、完全に理性を失う故に、狂うのである。
どの、宗教信者も、我らが、唯一と、思い込むのである。
理性が狂うと、その、感性はまた、狂う。
すると、平気で、人を殺すのである。

21世紀は、この悪夢から、逃れられるのか。

世界宗教者会議という、茶番が行われている。
いくら、議論しても、はじまらない。
参加する者、皆、理性を失い、他宗教との、対話など出来ないからだ。それを、知らない。
皆で、お茶を飲み、食事をして、終わりである。
他宗教を尊重しましょうと、宣言するのが、関の山である。

しかし、そんなものは、すぐに流れる。誰も、本気で、そう思っているのではない。

前法王、ヨハネ・パウロ二世が、ギリシャ正教と、和解のテーブルについたが、ただ、それだけである。
法王の野心は、統一である。
和解など、できるものではない。
和解して、どうするのか。

現法王は、アジア人の枢機卿を解任し、白人支配に戻そうとしている。

宗教の無明は、甚だしく、理性的な話し合いなど、出来ない状態である。

私は、そんなことだけのために、誰かを屈辱したり、傷つけたりすることに賛成できないのだ。その他の点では世俗的な私たちの社会で、宗教があまりにも不釣合いな特権を与えられていることに私は好奇心をそそられ、当惑させられる。
と、ドーキンスが言う。

はっきりと、そんなことだけのため、と言う。

宗教とは、そんなこと、なのである。

20世紀前半の評論家である、H・L・メンケンの言葉。
われわれは他人の宗教を尊重しなければならないが、あくまでそれはその人の奥さんが美人だとか子供が賢いという言い分を尊重するというのと同じ意味においてのことである。

何故、宗教の信者は、その教えを、唯一の正しい、真理の教えと、思い込むかというのは、実に、簡単である。
その教えに、不安を抱いているからであり、その不安を、他宗教を、排斥、攻撃することで、解消するからである。

古神道を奉ずる私には、そういう、ものは、一切無い。

自然と、共生、共感するという、一点にある、古神道という、日本の伝統には、他を排斥し、攻撃するという、意識が無い。
何故なら、自然と共にしか、生きられないからである。
それは、理性である。
理性的であれば、他宗教を、いくらでも、寛容に受け入れられる。
甚だしい場合は、一時的に、他宗教の信者としても、行為できるのであるのである。
それによって、自分の何ものも、犯されることも、傷つくこともない。

私の先祖は、立派でした。そして、あなたの、先祖も、立派でした。しかし、私の先祖の方が、あなたの、先祖より、やはり、優秀で立派でした。
この程度の、知的レベルが、世界宗教と言われる。

そしてそれらが、皆、妄想に支えられているということである。
それを、総称して、馬鹿は死んでも、治らないという。

敬虔なクリスチャンも、熱心な、念仏者も、誇大妄想の題目者も、レベルの低い霊界の霊人から、啓示を受けた宗教を、奉じる者も、皆、一緒に、馬鹿は、死んでも治らないと、信じるべきである。

全知全能の神も、大千三千世界も、完全に妄想であることを、知るべきである。
それを、理性という。
理性は、知性を育て、感性を磨くのである。
そうすると、当たり前のことに気づく。

当たり前のこととは、自然の中でしか、生きられない人間であるということである。
太陽が、一秒停止すれば、この世は、地球は、壊滅する。

太陽崇拝の、古代人の方が、実に、真っ当である。

2008年02月24日

神仏は妄想である。35

進化論者にとって、宗教儀礼は「陽の差し込む林間の空き地の雄クジャクのように際立った」ものだ。宗教的行動は、大掛かりな、蟻浴や東屋づくりの人間版に等しい。それは時間を消費し、エネルギーを消費し、しばしばゴクラクチョウの毛羽のように過度に装飾的である。宗教は信心深い人間の生活を危険にさらすだけでなく、他の人間の生活も危険にさらすことがある。無数の人間が宗教への忠誠心のために拷問され、多くの場合、どこがちがうのかはほとんどわからない別の信仰をもつがゆえに狂信的な他教徒の迫害を受けてきた。宗教は資源を、時には途方もない規模で、貪り食う。中世の大聖堂はその建造に100人掛ける一世紀の労働力を消費することがあったが、住居やあるいは何らかの有益な目的に使用されることはけっしてなかった。それはある意味クジャクの尾羽の建築版だったのだろうか? もしそうなら、その広告は誰に向かってなされたものだったのだろうか? 宗教音楽と宗教絵画が中世およびルネサンス期の才能の大部分を独占していた。敬虔な人々が神のために死に、神のために人を殺した。血が出るまで背中を鞭打たれ、終生の独身あるいは沈黙を誓った人は、すべて宗教への献身のためにそうしたのである。これらはいったい何のためなのか? 宗教を信じることで得られる利益とは、何なのだ?

第5章 宗教の起源 より

無知ゆえの、無明である。
仏教では、その逆で、信仰の無い者を、無知ゆえの、無明であるという。

命懸けで、伝える教えというものがある、と、思い込むのは、その人の性格である。極めて、強迫的な性格である。

それにより、自分を保つのであり、教えの良し悪しではない。

聖人になる前は、さんざんに、放蕩を尽くしていた、アグスチヌス、イエズス会の、イグナチオ・ロヨラ、数え切れないほどいる。
一転して、信仰深くなるのである。
つまり、放蕩に飽きたのである。
そして、次には、人生を信仰と、その布教に賭けるのである。
何とも、暇つぶしに、持って来いである。

越後の良寛さん。
出家する前日まで、遊郭で、女と、セックスしていた。
翌日、出家して、善人良寛さんになっという。
アホらし。
放蕩に飽きて、何も興味が持てなくて、出家である。
つまり、遊郭にいることと、一緒なのである。
女と、セックスすることも、快楽で、女を絶つことも快楽なのである。

それを、改心、回心と、判断する、自称、宗教家の面々である。
何のことは無い。単なる、生きるための、暇つぶしである。

神や仏という、善に生きると、いう、強迫症である。
つまり、そのようにしか生きられないのである。
それを、聖人だとは、笑わせる。

イエズス会は、ローマ法王の、支配地を拡大するために、世界に布教を開始する。勿論、日本にも、ザビエルが来た。
植民地政策の、第一歩である。
信仰という、野心である。

無いものを、在るという、集団が大きくなるのは、確実に、魔界関与であることを、知らないのである。
巨大教団になればなるほど、魔界が関与する。
悪魔も手出だし出来ない、魔界である。

魔界の手先が、悪魔祓いをするという、仰天である。

知的レベルが低いほど、性格が、強迫的になる。
信心深い者を見れば、一目瞭然である。

信仰という、迷いに入り込むということが、理解出来ない。また、それが、偏狭であるということを、知ることがない。

人間の知性は、そうそう、揺らぐことのないものである。しかし、その、知性の力を知らないうちに、信仰という、迷いに入り込むのである。
作られた経典ということを、知らないのか、知らない振りをするのか。
すべて、人間の手によったものである。
それでさえ、経典に書かれてある。聖書に書かれてある。
その、経典も、聖書も、大嘘だと証明されても、信じるという、無明である。

信じる行為は、手のつけようも無いほど、偏狭、頑固になる。

修正できないほど、矯正されるのである。
自己矯正である。

例えば、拝んでいた神を捨てるとなると、心に大きな穴が開いた気分になる。つまり、勝手に、心に神の居場所を作り、それを、肥大化させているのである。
穴など、空いて、いないのであるが、そう感じるのである。

人間は、思い込みによって、病も癒える性質を持つ。
戦後、成長の家という、教団の本を読み、病を癒した者が、多くいた。
その、本を読むと、心のカラクリが解るのである。
当時、アメリカの心理学を取り入れた、その著作は、画期的だった。
さらに、すべての宗教は、一である。つまり、宗教の教えるものは、すべて、同じものであるという考え方で、どの宗教に所属、どの信仰を持っても、良いという教えである。

しかし、その著作で、イスラムには、一切触れていないのである。
仏典、聖書には、多く触れるが、イスラムには、触れない。そして、自分が、元所属していた、宗教にも、触れない。
万教帰一というが、徹底していないのである。

日本の伝統である、神道も取り入れての、著作である。

病は、影である。はじめから、無いのである。人間は神の子であるから、何も恐れることがない。等、実に、プラス思考の著作であった。
そう、思い込めばよいのだ。

甚だしいのは、細菌も無いと、思えば無いのである。
風邪も引かないということになる。
教祖は、高齢まで生きた。高い霊界に入ったという、霊能者もいる。
しかし、あれほど、金を集めて、教団、わが身のために、使えば、長くも生きられる。
信者は、奉仕活動などするが、教団が、社会的に、意義ある、奉仕活動などしたと、聞いたことが無い。

思い込みを教えると、霊界の高い段階まで、上がるというならば、霊界も、大したところではない。

生きる場の、知性こそ、必要なものである。
病になれば、病を受け入れる。
それは、影でも、なんでもない。
在るものである。

知能レベルの低い、宗教の多くは、そのように教える。
病は無い。心の蔭であると。
病というものの、必要性を知らない。

仏陀が、正しい。
人間は、生老病死である。
だから、生きるによいのだ。

彼らは、人間を、化け物にする。

溺れる者、藁にも縋るという、人間の弱さに付け込むという、罪作りである。

宗教の霊性というものも、すべて、思い込みの、何ものでもない。

霊性とは、知性により、感性を高めてのみ、至るものである。

知性により、感性を高めるものとは、自然に、他ならない。
自然と、共生、共感して、成り立つものである。
何故なら、人間は、自然の中でしか生きられないのである。
宇宙を、含めた自然である。

古代人の、太陽崇拝が、実に、正しいことが、解る。

宗教は、人間の前頭葉に、錯覚を与えるものである。

タイ・ラオスへ 7

タイ・ラオスへ 7

12日、野中から、明日帰るとの、電話あり。
私も、一人で三泊した。
今日で、四泊目である。

朝は、日本に電話をしてみた。携帯電話から、簡単に掛けられるのである。
本当に便利になった。

朝は、ゲストハウスのコーヒーと、ゲストハウスの前にある、手作りジュースの店で、絞りたての、みかんジュースを買う。
その店の、女主人は、全く愛想が無い。憮然としている。
10バーツを置いて、みかんを指すと、憮然として、絞ってくれる。
小さなビニール袋にいれた、ジュースを持って、部屋に入り、ストローで飲む。
みかんは、日本のみかんと、同じである。ただ、種が入っている。

ゲストハウスにある、コンピューターで、インターネットを見る。
ホームページを確認するが、日本語で、打ち込むことができない。
30分程見て、20バーツを払う。

今日は、川沿いの、お土産小路に行き、何か、買おうと思う。
基本的に、人に、お土産などは、買わない。観光旅行ではない。必要な物を、買う。

この、お土産小路には、面白いおばさんがいる。
ギターを持ち、肩のところに、マイクをつけて、歌うのだ。マイクは、効いていない。単なる飾りである。
その歌である。
ただ、アァー、アァーと、それを、繰り返すのみ。
ギターも、形だけ。それだけの芸で、勝負である。

今日で、三度目である。
私を見ると、笑顔になる。
初めて、5バーツを缶に入れる。
すると、即座に、その、小銭をポケットに入れる。

タイの、物貰いは、曲者が多いと、聞いていた。
それで十分、生活出来る。さらに、良い家に住んでいる者も、いるという。

だが、彼女は、一発芸での、勝負をしているから、大したものだと思う。
アァーアァーである。
それで、お金を得られるとは、玉である。

それとは、別に、カラオケを背中に背負って、歌う、目の不自由な、男がいる。それが、また、旨い。上手である。
最初は、歌のテープを流しているのかと、思った。しかし、本当に、歌っているのである。
感激した。

小路には、同じ物を売る店が多い。
そこで、同じ物の値段で、違いを見て歩く。
小物入れが、一つ10バーツである。それを、見た。6つで、55バーツ。それが、50バーツの店がある。
行きつ戻りつして、私は、6つで、50バーツの店で、買った。
店員が、一つ得だと、身振りで言う。その通りである。

私は、それを、薬入れにするために、買った。ただ、余れば、誰かに、お土産として、上げてもいい。

その途中で、昼の食事を買う。
フランスパンの、サンドイッチを買う。
25バーツである。きっと、食べきれない量だと、思う。
途中、中国系のスーパーに立ち寄り、色々と見て回る。
日本のダイエーのような、安売りの店である。
サンマの缶詰を買ってみた。10バーツと、安い。そのまま、缶に、サンマと、書いてある。興味である。そして、水を二本買った。

部屋に戻り、パンと水で、昼の食事をする。
そして、サンマの缶詰である。
開けて、爪楊枝で、サンマを引き上げてみた。小さい。それが、3つのみ。後は、汁である。
これだけかと、考えた。
少し考えて、タイの食事は、ご飯に、汁を掛けて食べるのが普通である。つまり、身は、3つでも、汁で、ご飯を食べるのだと、納得した。

味は、悪くない。しょうゆ味である。

フランスパンの方は、矢張り、半分で、十分だった。

ハムと、干し肉と、玉ねぎが、挟んであった。それに、小さな袋の、タレをつけて食べる。そのタレが、特性で、辛い。ところが、それが、美味しく感じられた。
魚醤に、辛子などを入れて作る。
それぞれの店で、少しつづ、その味が変化する。それが、面白い。

食べてから、私は、少し体を横にした。

夕食のことを、考えるから、また、面白い。

旅は、食べることである。
ただ、私の場合は、安くて、現地の物という、定義であるから、高級料理店には、行かない。また、行けない。

ノーン・カーイでも、高級ホテルは、ある。
そこに行けば、それなりのメニューがあるだろう。
だが、行く気にも、なれない。

以前、チェンマイのホテルで、日本食のレストランに行った。
日本並みの料金である。
味は、駄目。
完全に、駄目。それで、料金は、現地の価格の何倍である。
二度と行かないと、決めた。
それは、現地の物で、食あたりしたせいで、ホテルの和食と、思ったのである。
しかし、それ以後は、止めた。

さて、ここで少し、イサーンと、タイとの、相違を見ることにする。

それは、信仰形態である。
ゲストハウスの近くにも、お寺があり、中でも、僧を養成するお寺もあった。
小僧さんたちを、多く見た。
また、地元の食堂に、托鉢に来ている、小僧さんたちもいた。
おおよそ、仏教徒であろうが、他の地域と、その温度差が違うと感じた。
熱心さが違うのである。
それ程、強い意識は無い。それでは、元からの信仰があるのかといえば、そうでもない。

バンコクの空港などでは、僧が、警備の者に、何か尋ねると、帽子を脱いで、対応するほどの、姿勢だが、それ程のものはないようである。
そして、仏教の前の、ピーという精霊信仰である。
あるにはあるが、それ程、熱心ではない。
ゲストハウスの、玄関の横にも、ピーの、祠があったが、一度も、そこに、供え物を置いたのを、見ていない。

国王の肖像も、他の地域より、少ない気がした。

勿論、道路を車で走ると、国旗と、王旗が、たなびいている。これでもか、というほど、掲げられてある。

お寺には、必ず、国王の、出家した時の写真もある。

だが、少し違う気がする。
まだ、私の、滞在期間が、短いせいもあろうと思う。

イサーンの人々は、生活することに、追われて、そこまで、手が回らないのではないかと、思えた。つまり、余裕を持てない。
日々が、戦いである。生活との。

また、中国系の活躍が、目覚しく、それに、飲み込まれているのかもしれない。
ゲストハウスには、国王の写真も、仏教関係のものも無かった。

ラオスから、1975年に亡命して、ワット・ケータという、異色の寺院を作った、ルアンブー・ブンルア・スラリット師の寺院を見た。
仏教というより、ヒンドゥーの影響が強く、驚いた。
色々な、像を見た後、寺の中に入った。
一階は、仏陀の像があったが、二階に上がると、そこは、ヒンドゥーの世界である。
仏陀を、ヒンドゥーの一部と、捉えていると、感じた程である。

また、メコン河に、生息する、魚の一種である、パヤナークという長い魚の像が多く、信仰の対象となっている。

七頭の、パヤナークの像の下に、仏陀を置いている像などは、明らかに、仏陀の保護として、扱われている。
日本で言えば、八大竜王のようである。

きっと、生命力が、旺盛なのであろう。
町の至るところにも、パヤナークの、像があるのだ。

ピーという精霊信仰より、パヤナーク信仰の方が、勝っているようである。

原始信仰を観る時、その地の、生き物に、一種の呪術的なものを、投影する。
メコン河、周辺は、この、パヤナーク信仰が、それに当たるのだろう。
ラオスの方は、どうかと、興味がある。

中国寺院もあり、私は、そこに行かなかったが、道教、儒教のものだろう。

ビルマ、タイ、ラオス、カンボジアは、仏教が主である。
しかし、歴史を見ると、侵略、戦争の跡が多い。
歴史家は、マンダラ型の、国家という、表現を使う。
王室を中心に置いた、マンダラである。

それが、紆余曲折を経て、現在に至る。
後で、それについてを、書くことにする。

兎も角、イサーンは、他のタイと、違う雰囲気があるということだ。

ピーの、祠は、ほとんど見ないといってもよい。
ただ、面白いのは、祠があり、仏陀が置かれている前に、髪の長い、女の像があり、それが、何を意味するものかが、よく解らない。
野中が、ラオスでも、それを、多く見たという。
何でも、仏陀を、助ける者のようである。
仏陀に、乳粥を差し出した、スジャータという、娘かとも思ったが、違うらしい。

タイの仏教は、小乗であるが、多分に、ヒンドゥーの影響を受けていると、思われる。
恐るべし、ヒンドゥーの魔力である。

2008年02月25日

タイ・ラオスへ 8

タイ・ラオスへ 8

夜に、もう一度、地元の人の行く、タイレストランに出向いた。

今度は、牛肉のミンチの炒め物と、もち米を頼んだ。
最初に、もち米と、大量の生野菜が出て来た。
生野菜は、水で洗っている。
少し心配だが、食べる。

ミンチの炒め物が出てきた。
何とも、不味い。
しょっぱいだけである。それを、生野菜と食べろ、ということなのだろう。
交互に食べる。
もち米だけは、美味しい。

生野菜は、キャベツ、ハニーレタスのようなもの、そして、いんげんの、生である。いんげんの生は、さすがに食べられなかった。

それでも、50バーツである。約、170円。
実に、安い。矢張り、地元のレストランである。

そのまま、日本で働いていたという方の店に行く。
ビールと、水を買う。
店番は、子供がいた。主人は、いなかった。

部屋に入ると、八時になっていた。

少し歌を詠む。

父母の 姿をみたり メーサイの 貧しき親の 生きる情熱

死にたくも 生きたくもあり この憂い 深き病に 陥る我は

さらにまた 旅行く空の あわれさに 流れる雲を 追い行く我は

通じぬは 言葉なりせば 同じ血の 人の思いは 通じぬわけ無し

微笑みは 国境越えて 共通の 人の心を 開く術なり

腹が、収まってきたので、ビールを飲む。
私は、酒を飲むためには、物を食べない。食べると、飲めなくなる。受け付けないのだ。
酒を飲んでいて、一口でも、食べると、もう、酒は、嫌になる。

一人で、夜を過ごすと、様々なことを、考える。
実にいい。

電話に、煩わされることもない。
好きなだけ、考えることが出来る。

世界の、グローバル化は、世界の縮小である。
世界の一地域で起こることが、即座に、世界に広がる。
世界は、狭くなっている。
一つの国の問題が、その国だけの問題ではなく、世界の問題になりえる。

そこに、大きく立ちはだかるのは、価値観である。その価値観を、宗教が、負う。
問題は、それである。
主義、イデオロギーというものも、宗教と同じである。

何とか、それを超えるべくの、働きかけが必要である。
つまり、それらを、包括して、超える行動である。

それが、人道支援である。また、そうでなければならない。
だが、それにより、逆に、宗教、主義の、偏狭さを、増す場合もある。それには、注意が必要である。
人道支援を受けて、その裏では、軍備を充実させるという国もある。

政府支援は、書いたように、大企業の世界化を、推し進めるものである。それも、よし。
それでは、私のように、個人や、民間の支援は、人と人の、結びつきを主にして、ある感情的、親密感を作るものである。

それが、後々に、日本と、その国との関係を良い方向に、向かわせると、信じる。
それが、大きな目的である。
私が言う、千年の日本のために、である。

国も、最後は、個人的感情に、動かされる。

良いことをするということには、やや、偽善的な感情の、抵抗感がある。
それは、私も、じゅうじゅう、承知している。

例えば、野中が戻り言う。
子供服を皆に、上げる。配布する時に、勇気がいったと言う。
つまり、良いことをしているという、偽善的感情である。
昔の、自分なら、鼻で、笑った行動であると。

しかし、実際に、それを実行して、相手が、非常に喜び、それが必要であることを、実感として感じて、それは、実に有意義なことであると、気づいた。

その子供服は、人から、貰ったものである。それを、ただ、渡すのみである。
こういう、旅の仕方もあると、思ったという。

日本人旅行者にも、多く出会ったが、もし、彼らも、子供服を持参して、村の人々に、配布したら、また別の付き合い、村人との、触れ合いが、出来たはずであると言う。
そして、それは、有意義なことである。

必要な物を、必要としている人に、支援する。
何の恥ずかしいこともない。

実際、野中に対して、村人は、その対応が、全く変わったという。
村を、見学するのに、抵抗がなくなった。
よそ者意識が、無くなったのである。
知り合いの関係になったという、僥倖である。

麻薬と、セックスを求める日本人旅行者に、新しい、旅の喜びを、伝えたいと、野中が言った。それだけではない、旅もあると。

使用しなくなった、子供服を持参して、配布するだけで、新しい関係が築けるのである。
そして、荷物は、そこで、無くなる。手ぶらになるのである。

私が、今回、ラオスに入らないということで、野中は、新しい体験と発見をした訳である。
ただし、私は、次には、タイを通らず、直接、ラオス入りして、支援活動をしようと、考えた。

無視、出来なくなったのである。

個人としての、活動を、これ以上に広げることは、無謀だと、思いつつ、矢張り、性格である。何とか成るだろうという、楽観である。

実は、寄付商売とか、NPO商売というものがある。
それで、殺された人もいる。
例えば、ベトナムで、学校建設をしていた、NPOの男が、行くへ不明になった。殺されたのだ。
彼は、ベトナムに、学校を作ると、日本にて、寄付を募り、一応は、学校を建てた。ただ、建てただけである。そして、更に、募金運動をして、金を集めた。
その地域の人には、実に、傲慢不遜に接していたという。
ところが、彼の本性が、ベトナム人に、見抜かれた。単なる、金目当ての、行動であること。学校を建てても、それは、使用されていないのである。
地域の人の、不信と、反発を招き、遂には、殺されるという事態になったのである。

こういう、団体は、多い。
表面は、確かに、ボランティア活動であるが、裏は、商売なのである。
金を、いかに、人から、巻き上げるかということである。
私は、それを、寄付商売と言う。

勿論、私も、その一人である。
ただ、寄付する人が、私と、行動を共にして、私の行動を確認すれば、いいことである。
ただし、同行であるから、私と同じように、安宿に泊まり、私と、同じ物を食べて、貰う。

ある団体は、その団体の施設に、人を招くが、高級扱いをする。
そんなことで、誤魔化されるのである。

そこの人と、同じように寝泊りし、同じものを食べることで、より、支援の様を理解すべきである。

そこで、初めて、支援することの意義と、現状を知ることが、出来るというものである。

タイ・ラオスへ 9

タイ・ラオスへ 9

12日である。野中がラオスから、戻る。
帰国の日が、近づく。

朝は、ゲストハウスの庭で、コーヒーを飲んで過ごした。
思いつく、歌を書き付ける。

一人の男が、私に話し掛けた。
アムステルダムから来た、中年の男である。

私に、何を書いているのかと、問う。
私は、日本の古い歌を、書いているというと、それは、何かと訊く。

英語で説明するのが、難しい。
要するに、日本の古い歌の形があり、それを書いているのだと言うと、シンガーかと、訊く。
歌手ではなく、ポエムだと言うと、少し納得したが、古い歌という、言い方を、アイドントノウと、言うのである。古い形式の歌の形と、説明すれば、よかったと、後で気づく。

彼は、奥さんと、タイを旅していると言う。
奥さんを連れて旅する人は、珍しい。
若いカップルや、子供づれは、いることは、いるが、中年は、現地の女、タイ人の女を連れていることが、多い。

私も、もう少し英語が出来ると、話し合いが、スムーズにゆくと思うが、あまり、覚える気は無い。
それに、不自由しない。

彼は、何か、色々と話したが、私の方は、ただ、相槌を打つ程度である。
何となく解るような、感じである。

タイ語も、あまり、覚えない。
覚えられない。
発音が難しすぎる。
語学というのも、才能である。私には、語学の才能は無い。

才能があれば、一度で、覚えるものである。

好きな料理の名前も、店の人が、私に教えるが、覚えない。
私の好きな、サラダは、パパイヤサラダで、甘酢のソースで作る。
ソムタムというが、覚えられない。
これも、野中に聞いて書いている。

注文するのに、身振り手振りでする。
店の人は、それで、何とか想像してくれる。
鍋を手で表し、火をポッポと、手で表現すると、それに似たものが出るというもの。それも、楽しい。

地球の歩き方の本を持って、料理の図を見せることもあるが、無いと言われることもある。
その土地の料理ではないということだ。
だから、間違いもある。地球の歩き方である。
でも、そんなことは、どうでも、いい。

少しの英語で、何か質問して、楽しむ程度が、私には、いい。

後は、向こうの人に、日本語を覚えて貰う。それが、いい。

一度、部屋に戻り、再び、食事をするために、出た。
近くの、食堂である。
現地の人の食堂だ。

店先で、色々な肉を焼いている。
私は、ソーセージと、例のサラダと、もち米を注文した。
相変わらず、指差してである。

それで、十分、満腹になる。
45バーツ。約、150円程度である。
実に、安い食事である。

もち米は、半分程、余したので、持ち帰る。
おばさんは、必ず、それを、袋に入れてくれる。

部屋に戻り、ベッドに体を、横たえる。

そうして、寝てしまった。

目覚めて、西行を読む。
感じた歌には、線を引く。
西行を読むと、歌が出来る。

歌詠みは 心素直に 誠なり 作為の技も 捨てて立つなり

そうしている内に、日本のことを、思う。

民族の 伝統卑下し どこへ行く 行き先無くし 喜ぶ愚衆

そうそう、ここで書くことが、あった。
丁度、ノーン・カーイでは、市議会議員選挙であった。
選挙運動が、行われていたのである。しかし、その様、日本と、全然違う。
日本では、何々党の誰々ですと、繰り返すが、こちらでは、音楽を流す、車に、写真を貼って回るのである。
その音楽が、演歌なのである。
それが、面白い。

音量規制がないゆえに、大音響で演歌を、流す。
日本の演歌が、タイに流れたと言える。

今は無き 日本の演歌 ここにあり 流れ流れて ここに至れり

タイにては 演歌主流で 芸術と あいなりたりて 威風堂々

兎に角、演歌なのである。
最初に泊まったホテルで、流れていたのが、クラシック音楽であったのが、不思議な程であった。

夕方、野中が、戻るので、私は、ゲストハウスの庭で、コーヒーを飲みつつ、待った。

四時頃、野中が、戻った。

旅の相棒が、戻るのは、嬉しい。
早速、ラオスの話を聞く。

野中が、行った村は、バンビエンという村である。
その村の、山の中腹にある、ゲストハウスに泊まった。
バンビエンは、麻薬とセックスの町で、欧米人で、たいそう賑わっているという。

このエッセイを、ラオスの政府が読んで、麻薬撲滅に着手したら、面白いが、まず、読まないだろう。

勿論、日本人もいる。
以下、省略する。

部屋に戻っても、野中の話が、続いた。
これから、ラオスに支援活動をするか、否かと、私は考えたが、前に書いたように、することになるだろう。

日本の企業で、ラオスに、学校建設をしている、企業がある。
これからは、企業イメージを高めるためにも、企業の支援活動が、注目されるだろうと、思える。
だが、人と人の関係である。
建物だけを建てて、善しとするものではない。
如何に、人と人を結びつけるか、である。

野中が、今日は、一日何も食べていないと言うので、早いが、夕食を食べるために、出た。
一度、野中と、行った、店に向かった。

中国人が食べていた、鍋物が、食べたくて、指差し、注文した。
中国人は、正月のお祝いに、食事に来ていると、店の女の子が、教えてくれた。
二つのテーブルを使っての、大家族である。お土産小路で、店をしているという。

そして、私は、その家族が、食べていた、ソーメンのような、緬を注文した。彼らは、それを、そのまま食べているのである。
出てきたものは、ソーメンそのままである。

食べてみると、ソーメンである。
野中が、鍋の汁を入れて食べる。旨いというので、私も、真似をした。
日本のソーメンと、変わらない。

鍋は、野菜が多く、味が薄い。
それに、好みで、辛いソースをつけて食べるのである。

ほうれん草のような、野菜が多く、キノコ、マッシュルームのようなもの、である。
エビが多く入っていた。出汁にしているのだろう。しかし、どうも、海のものである。海は遠いから、輸送してきているのだろう。

店の人は、英語が全く通じない。野中が、タイ語で、話し掛ける。
女の子は、店主の娘だった。手伝っているという。高校生であり、お金があれば、大学に行き、コンピューターの勉強をしたいと言う。
大学は、地元の大学であり、この町から、出たくないと言う。この町が、好きなのだ。

タイ語で、話をすると、愛想が、良くなった。

その内に、欧米人のカップルが、入ってきた。
英語であるが、全く通じない。
彼らは、諦めたように、注文して、出て来たものを見て、ノーと、言っていた。想像していたものと、違うのであろう。
しかし、仏頂面をして、食べ始めた。

私たちは、それを見て、おかしくて、笑いたくなったが、我慢した。
男の方が、私たちを見て、肩をすくめ両手を上げる、仕草をする。

しかし、次に行った時、何と、英語のメニューを用意していたのである。
実に、素早い、反応だった。
ただ、野中が見て、変な英語だと言う。
ヌードルといっても、数多くある。どのヌードルなのかが、解らないという。
スープといっても、数多くある。どのスープなのか、これでは、解らないらしい。

そういえば、別の店で、フライヌードルという英語を見た。フライヌードルとは、どんなものか、興味がある。炒めた緬ということで、焼きそばのことか。よく解らない。

2008年02月26日

いつまで続く平和ボケ

平和ボケは、いつまで、続くのか。

中国製造の毒餃子から、中国産に対する不信感が募り、ほとんど売れなくなるだろう。
しかし、それでは、どこの物を買うのか。
国産である。
その、国産の値段は、中国産の倍は、する。

400円で出来る、弁当が、国産の物を使えば、800円になる。
更に、国産のみを、求めると、物価高になる。
当然のことである。

今更、気づくこと、遅すぎる。

自給率39パーセントという意識を、持ち合わせない者、多数。

中国からの物を、拒むと、死ぬ者も出る。餓死である。
低所得者は、中国産の物で、生活出来たのである。
テレビに出ている、アホな、識者たちは、何の痛みも、ないだろう。
金がある。
国産のものを、いくらでも、買って食べられるのである。
そういう、連中の話を、聞いて、頷くほど、馬鹿ではない。

私のような、貧乏人は、自転車を走らせ、卸をしている会社が小売する、店に行き、売れ残りを買うのである。
国産の売れ残りは、中国産と、同じ値段になる。
納豆や、豆腐なども、安い曜日を控えて、買いに行く。

食料については、もう、何十年も前から、私は、心配していた。いつか、食べ物がなくなると。政府の対策も、あって、なきようなもの。本当に、食料を、どうするのだろうかと、心配していたのである。

ここに来て、少し、いや、漸く、日本の食糧事情が、理解出来るようになったのだが、遅い。
とんでもないほど、物価高になる。

さて、毎日新聞、2月21日の、夕刊を見る。
一面のみを、見る。
イージス艦と漁船との、衝突である。
親子の二人の、行くへが、解らない。冬の海である。想像はつく。
それを、思うと、私の心は、引き千切られる思いだ。
このような、不幸な事故を、聞くことになるとは、断腸の思いである。

私は、従兄弟を、海で亡くしている。
船が沈没した。漁船だった。
私は、従兄弟の遺体を引き取りに、父と出掛けた。
16歳の時である。
忘れられない、辛い思い出である。

さて、自衛隊の、平和ボケである。
しかし、自衛隊員を、悪者には、しない。

日本の自衛隊は、軍隊ではないと、皆々言う。
軍隊であるのに、そう思っても言わない。
平和憲法があるからだ。
平和憲法は、あってよい。しかし、自衛のための、軍隊は、必要不可欠である。
勿論、社会、共産主義の人のように、アホになり、国を取られても、いいというならば、別である。
彼らは、日本が、北朝鮮や、中国、ロシアに、取られても、いいと、本気で、考えているのである。
しかし、彼の地に、住むことは無いという、矛盾である。

衝突、12分前に、確認している。
新勝浦市漁協側は、30分前には、多くの漁船を確認しているとの、見解である。

注意力散漫、つまり、平和ボケである。
殺される、でなければ、殺すしかないという、戦闘状態に無い、自衛隊である。当然、ボケる。
それは、国民の意識と、同じであるから、何も、言えない。

ただし、二人の親子を、海に投げ込んだ罪は、問われるべきだ。
御免なさいで、済むことではない。
大臣はじめ、すべての幹部の、辞任であり、更に、罪の意識深い者は、自害すべきである。
それ程の、罪である。

二人の親子は、帰らないのである。

その横の、記事は、耐震偽装の、姉歯被告実刑確定である。
懲役5年、罰金180万円。
弁護側は、罪が重もすぎるという。
私は、罪が軽すぎるという。

この人の偽装で、どれほど多くの人が、経済的にも、精神的にも、追い詰められたか。
建て直しを迫られて、とんでもない、借金を負う人もいる。

刑が軽すぎるし、建て直しをする人の、保障も、取り付けたいところだ。

そして、児童虐待最多とある。
昨年の、ポルノ被害児20パーセント増である。
児童買春事件は、1347件であり、その被害児童は、1600人である。
児童ポルノの、被害児は、304人。

虐待で、死亡した児童は、37人である。

悲惨である。
言葉が無い。

貧しい国では、児童買春が、多々ある。
人身売買もある。
上記を見ると、日本も貧しい国なのである。
物は豊かでも、実に、貧しいのである。
大人、オトナと、呼ばれる人の、犠牲になる、児童が、哀れすぎる。

これは、市中引き回しの上、磔の刑が、よろしい。

子供を汚す者は、未来を、汚すのである。

新聞を読むと、絶望する。
だから、テレビは、なお更、見ない。
更に、絶望するからだ。

コメンテーターの、正義の怒りを、聞いて、そうだそうだと、言えない。
解釈、批判は、誰もがする。

そして、それは、どうでもいい、コメントである。

知性を磨き、感性を澄まし、理性を養う、そんな、正常な人の、コメントは、無いのか。

最悪なのは、宗教家が出て、人心を養うには、宗教心を、などという、アホさである。
日本には、宗教というものは無いと、まだ、知らないのである。

道徳や、人道とは、理性であり、知性によって行為され、感性によって、鎮められる。

もののあわれについて186

雨うち降りていとつれづれなる日ごろ、女は雲間なきながめに、世の中をいかになりぬるならぬとつきせずながめて、「すきごとする人々はあまたあれど、ただいまはともかくもおもはぬを、世の人はさまざまにいふめれど、身のあればこそ」と思ひて過ごす。宮より「雨のつれづれはいかに」とて、


おほかたに さみだるるとや 思ふらむ 君恋ひわたる 今日のながめを

とあれば、折を過ぐしたまはぬををかしと思ふ。あはれなる折しもと思ひて、


しのぶらむ ものとも知らで おのがただ 身を知る雨と 思びけるかな

と書きて、紙のひとへをひき返して、


ふれば世の いとど憂きのみ 知らるるに 今日のながめに 水まさらなむ

待ちとる岸や」と聞こえたるを御覧じて、たちかへり、


なにせむに 身をさへ捨てむと 思ふらむ あめの下には 君のみやふる

たれも憂き世をや」とあり。

五月雨が降り、たいそう、徒然なる日を過ごしています。
徒然とは、所在無く過ごす。何となく、無為に過ごす。物思いに過ごすと、色々な意味あり。

女は、晴れ間の無い空を見上げて、うっとおしい中で、わが身は、どうなるのであろうかと、思うのです。
果てしない、物思いにふけります。
言い寄る男たちは、大勢います。
しかし、今の私には、何の気持ちも、湧き上がることは、ありません。
世の中の人は、様々に噂しますが、それも、私が生きていればこその、こと。

どこかへ、隠れてしまいたいものです。
と、思い過ごしていました。
そのとき、宮様から、「この雨の中を、どうしているのですか」とお尋ねになります。


おほかたに さみだるるとや おもふらむ きみこいわたる きょうのながめを

ありふれた、五月雨がふっていると思いでしょうが、この雨は、あなたを恋しく思う、私の涙が、長雨になっているのです。

とあります。時をはずされぬ御文を、嬉しく思いました。
心とんみりとしていましたので、


しのぶらむ ものともしらで おのがただ みをしるあめと おもひけるかな

私を、お慕いくださった雨とも、知らず。私は、私の悲しさから、降った雨だとばかり、思っていました。

と、書き、その紙の一枚を引き返して、裏に


ふればよの いとどうきのみ しらるるに きょうのながめに みずまさらなむ

この世に生きながらえていますと、切ないことばかりです。
今日の長雨で、水が増し、私を、押し流して欲しいものです。

私を、救ってくれる、彼岸は、ありましょうか。
と、申し上げたのを、御覧になり、すぐに


なにせむに みをさへすてむと おもふらむ あめのしたには きみのみやふる

どうして、わが身を捨てようと、思うのですか。この世の中には、あなただけが生きているのではありません。

と、女の訴えを、それは、出家の気配を感じ取って、「誰もが、辛い世の中なのです」と書かれるのです。

雨を、私の恋しさのものだと、言う。
そして、それに、女は、それは知りませんでした。雨は、私の悲しさの雨だという。

雲立てば、亡き人の思いだと、観た、万葉人を、思い出す。
雨は、私の心の悲しみの雨であり、人を恋しく思うがゆえの、雨としてみる。
このような、感性は、いつから、どこから、発したものか。

自然と、対峙するのではない、この、心象風景は、日本人独特のものである。

雨が、私の内にも、降るのである。

自然と、共感する、共生する、思いである。
言葉の世界の、精神の前に、心や、魂、霊というものに、感応する、自然の様である。

単なる、恋のやり取りではない。
日本伝統の、心の有り様を、見事に、現している。

今時、今日の雨は、私の悲しみの涙が、雨になりましたと、言えば、何を、気障な、とか、または、頭がおかしいと、思われるだろう。
それほど、余裕が無い時代になったのである。
というより、雨など、ゆったりと、眺めている時間などない。
ましてや、空を、である。

子供の頃、雨が降る日は、じっと、雨の音を聞いていた。雨の匂いを、嗅いでいた。そして、その時間は、黄金の時間であった。
いつから、雨の音を聞かなくなったのか。雨の匂いを嗅ぐことがなくなったのか。

どうでも、いいことに、かまけて、実に、大切な時間を失う。

バリ島に行き、日本から、日常から離れて、私は、闇の月明かりを見て、親に、感謝したことがある。今まで、感じたことのない、気持ちだった。
生んで育ててくれて、本当に、ありがとうと、親に感謝した。
そんな、時間を持てなかったのである。
また、雨の音を半日、聞いていても、飽きなかった。

そういう時、日本の心、歌詠みの心が、蘇るのか、目覚めるのか。
歌を詠みたくなるのである。

あめの下には 君のみやふる
世の中には、あなただけがいるのではない。
あなただけに、雨が降るのではない。

人は皆、それぞれの、人生の切なさを負って、生きている。
それを、君のみやふる、という、七文字に託すのである。

言葉が、多ければ、いいというものではない。

語ることより、歌うことを、善しとする。
日本の伝統である。

2008年02月27日

もののあわれについて189

五月五日になりぬ。雨なほやまず。一日の御返りのつねよりももの思ひたるさまなりしを、あはれとおぼし出でて、いたう降り明かしたるつとめて、「今宵の雨の音は、おどろおどろしかりつるを」などのたまはせたれば、


夜もすがら なにごとをかは 思ひつる 窓うつ雨の 音を聞きつつ

かげにいながらあやしきまでなむ」と聞こえさせたれば、なほ言ふかひなくはあらずかしとおぼして、御返り、


われもさぞ 思ひやりつる 雨の音を させるつまなき 宿はいかにと

昼つかた、川の水まさりたりとて人々見る。宮も御覧じて、「ただ今いかが。水見になむ行きはべる。


大水の 岸つきたるに くらぶれど 深き心は われぞまされる

さは知りたまへりや」とあり。御返、


今はよも きしもせじかし 大水の 深き心は 川と見せつつ

かひなくなむ」と聞こえさせたり。

五月五日になりました。
雨はまだ、やみません。
先日の女の返事が、常よりも、物思い深く感じられた宮は、あわれに思い、ひどい雨後の明けに「昨夜の雨の降る音は、すごいものでしたが、いかがですか」と、お手紙がありました。


よもすがら なにごとをかは おもひつる まどうつあめの おとをききつつ

一晩中、何を思い、明かしたのか。
宮様のことばかりでした。窓を叩く雨を切なく聞きながら、です。

家の中にいましたのに、あやしきまでに、袖が涙で、濡れました。
と、申し上げると、宮様は、この女は、やり取りの上手なものだと、思い、お返事を書かれました。


われもさぞ おもひやりつる あめのおとを させるつまなき やどはいかにと

私も、あなたと同じように、雨を聞きながら、思い続けていました。
たしかな夫のいない、宿で、どのように過ごしているのかと。

女が、定まった夫もなく、一人でいることへの、哀れみと、かつて戸を閉ざしていた夜の思い出とを、引き出し、少し、皮肉めいた感じで応える。

昼頃、加茂川の水が増したということで、見に出かけられました。
宮様も、御覧になり、「今どうしておいでですか。私は、増水を見にいきました。


おおみずの きしつきたるに くらぶれど ふかきこころは われぞまされる

大水が、岸を浸しているのに、比べても、私の方が、はるかに、人思う心の深さは、勝っています。

そのような、私の心を、お解りくださいますか」と、書かれました。
そのお返事に


いまはよも きしもせじかし おおみずの ふかきこころは かわとみせつつ

今は、なさか、おいでになりは、しないでしょう。
心の深さを、川で、お示しになっても、

かいなくなむ。
ああ、つまりません、という。
どうせ、来ては、くださらないのでしょう。

雨降れば、雨に。風吹けば、風に。雪降れば、雪に。
すべての、事象が、恋に染まる。

そしてそれは、恋のみではなく、喜怒哀楽に、つけて、自然の事象が、すべて、それに、関わってくる。

大水が岸を、越えたと、言えば、その、岸を、帰し、に懸ける。
大水のように、岸を越えて、おいでください。という気持ちを、きし、という言葉に懸けて歌う。

時間というものの、感覚が違う。
それを、知るだけでも、価値がある。

文のやり取りとは、現代のメールである。

メールにより、短文の才能が、開花しているはずだ。

今、どこ。
いつものとこ。
来る。
行く。
じゃあ。
うん、じゃあね。

関係というものも、偏狭になった。
二人にしか解らないのである。

歌は、誰もが、理解する。その、違いである。

なにごとをかは思ひつる
われもさぞ思ひやりつる

何を思い明かしたのか。
私も、思い続けていた。

思うことは、一緒である。
それを、恋という。

心というものの、有り様が、恋によって、明確になるのである。

万葉の恋は、性に、直結していた。
そこに、曇りは無い。
しかし、性の前に、佇む、という行為を覚える。
歌心である。

それが、思ひ、となる。
思ひ、は、心である。
恋に、歓喜し、恋に、悲しむという、心の様を観るのである。
心とは、恋にあった。
それは、新鮮な驚きである。

無骨な者も、細やかになる、心を作る、恋というもの、である。

おしなべて 物を思わぬ 人にさえ 心を作る 秋の初風
西行

恋の、色好みが、風情として、感得させられるようになる。

人の心と、自然との、深い関わりにより、日本人の、感性が、磨かれるのである。

古代の、恋即性が、色好みとして、変容し、さらに、風情として、変容する様、ただただ、驚くばかりである。

雅というものも、色好みによる。

恋を、色と、見立てた感性には、矢張り驚く。
恋は、色合いである。

恋の、一部分にある、性愛というものを、取り出してみても、どれほど多くの作家が、描いたことであろう。しかし、まだまだ、描ききれない。
エロ小説も、いつまで、終わらない。
繰り返し、繰り返し、同じことを、繰り返している、性愛のお話も、終わることがない。
人間が、生きる限り続く。

ものの真実とは、実に、単純明快なものである。
この世に、奥義なるものなど無い。

これを、色即是空などと、解ったような言葉で、断罪するのは、実に愚かである。
色は、物質である。それは、空である。
そんなことは、はじめから、解っていたことである。

今、有る様に、生きる時、その、生きるということを、最大限に生かす、楽しむことを、日本民族は、善しとしてきた。

恋に生き、恋に死す、ことである。

タイ・ラオスへ 10

タイ・ラオスへ 11

野中が、戻った翌日は、帰る日の、前日である。
13日の朝、3:40に、夢を見て、目覚めた。

象徴夢であった。

再び、眠り、朝日が出てから、起きた。

庭に出て、コーヒーを飲もうとした。
すると、一片の白い花びらが、落ちてきた。

名も知らぬ 白き花あり あわれなり メコンの風に 大和の心

野中は、眠っている。
若い人は、よく眠る。それは、体力があるからだ。眠るのも、体力である。
年を取ると、眠られなくなる。眠る体力が無いのだ。

寒さが、少し薄らいでいる。

白い花びらが、気になり、歌を詠む。

風に散る 一葉よりも 軽きもの 人の命の さらに軽きよ

散ればこそ 芽を出すものを 人の亡き 後は戻らぬ ことぞ悲しき

実は、私は、しばらく、20年ほど、歌を詠むことがなかった。
母に、歌を詠むことを勧めて、その母の歌が上手になってゆくのを、楽しんでいた。
小説を書くことを、楽しんでいたが、この頃になって、歌を詠むことが、多くなった。
これは、年齢なのか。
小説を書くことは、実に、体力がいる。職業作家には、なれないと、諦めていた。勿論、作家になるほどの、小説は、書いていない。
ただ、物語を作るのが、好きなだけである。下手の横好き、というやつである。

野中も、起きてきた。
一緒に、コーヒーを飲む。
明日の移動を、相談する。
空港のある、ヴドーン・ターニまで、行かなければならない。そして、バンコクへ行く。

トゥクトゥクの、おじさんに聞いてみることにした。
朝、ゲストハウスに顔を出す、おじさんがいる。

暫く、二人で、英字新聞を読む。私の場合は、眺める、である。
野中が、声を上げた。
新聞の一面に出ている記事を、私に示した。
何、セックス。
いや、トイレのことだよ。
野中が言う。
ついに、レディボーイのトイレが出来たって。
あるタイの空港に、レディボーイ用のトイレが、出来たということだった。

つまり、男、女、そして、レディボーイの、三つのトイレができたということである。

レディボーイの国、タイである。
野中は、翌日、帰る前に、その記事を切り抜いて、貰っていた。

トゥクトゥクのおじさんが、やって来た。
帰りのバスの時間を訊く。
予約して、乗るのだという。もう、チケットは、売っているというので、私たちは、すぐに、チケットを買いに出た。

風を切って、トゥクトゥクが走る。
この町に、再び来ることがあるのかと、自分に問うた。何とも、解らない。
二度と来ないかもしれない。

この地をも 旅の一つと 名残惜し 生きること旅 と思う身にも

帰国する こと惜しむ身も いざ心 立ててゆく明日 今日ぞ忘れぬ

チケットは、すぐに買うことが出来た。
何事も、早め早めが、いい。
下手をすると、乗れないこともある、と。
ゲストハウスに戻り、そのまま、食事に出た。

店先で、焼いている、地元の人の食堂である。
もち米、豚肉、鶏肉、春雨サラダを注文した。丁度、春雨サラダを作っていたので、それを、注文した。
サラダは、思った以上に甘かった。
メコン河を眺めての、食事である。

留め置きて 国境流る メコン河 心にかけて 忘ることなし

異国にて 風にあわれの あるものと 生まれし国を 誇りたるかな

二人で食べて、満腹した。75バーツ、約240円。
地元の食堂は、安い。
明日の朝も、ここで食べることにした。それが、最後のノーン・カーイの食事になる。

部屋に戻り、いよいよ、帰り支度である。
何とも、過ぎてみれば、早いことである。
毎日のことを、手帳につけているが、単に、メモである。つまり、人生は、数行で、書き表せるというもの。

生まれて、恋をして、老いて、死んだ。
仏陀は、ここに、病を入れた。恋は、入れない。
日本人の心は、恋を抜きにしては、語れないのである。
恋とは、大和心の、種である。

子供服が無くなったので、荷物が、減った。
買い物も、多くしていない。というより、私は、六個の小物入れのみ。野中も、キーホルダー付きの、小物入れを、五個である。

旅に余計な荷物は、実に余計である。大きな、バッグをズルズルと引きずり持つ人が多い。何をそんなに、持つのかと、不思議だ。
特に、暖かい国に出掛けるならば、ほとんど、荷物は、いらない。
毎日の、着替えを持つのだろうか。一度、人のバッグを、覗いてみたい。

野中が、ディジュルドゥを吹くために、部屋を出た。
私は、ベッドに横になり、ゲストハウスの本棚に置かれていた、更級日記を読んだ。奇特な人がいるものである。古典の更級日記を携えて、ここまで来たのである。
これを、置いていった人を、風情があるなーと、思いつつ、読んだ。

物語に憧れる、女の話である。
古典の日記ものは、大和言葉であるから、大和言葉を知りたければ、古典の日記を読めばいい。
ひらがなは、女文字といわれたが、日本の文学は、女房文学から、始まった。
世界最古の小説は、源氏物語である。
日記文学から、私小説文学へと、変転する。
小説は、爛熟期を過ぎて、衰退期へ。しかし、文字の廃れることはない。
日本の場合は、和歌と俳句の廃れることはない。
芭蕉が言う、不易流行である。

ふっと、タイの文学を思った。実は、何一つ、それを、知らない。
現代小説ならば、翻訳物で、二三読んだ程度である。
あとは、演歌の歌詞を、少し聞いた。
この、イサーンの、演歌の歌詞は、他に無い、激しいものがある。

例えば、流れる涙は、地に落ちる、私の血である、とか。

このタイ東北部、イサーンは、大地が乾き、風が強いのである。
私も、何度か、涙を流した。悲しくてでない。乾いた大地の風で、ある。
それは、また、この東北部の歴史の歩みにもあると、思う。

植民地時代の、歴史の風に、揺れたのである。
支配が変わるという意識は、島国の日本人では、理解し難いものがある。
大陸である。
国境という、微妙さの中にある地域は、いつも、揺れ動いていた。
そして、民族という意識である。
到底、私の及ぶところの、ものではない。

シャムという、国名から、タイに変更した時に、それは、タイ族の国であるという意識である。
立憲革命により、立憲君主制になり、人民党のピブーンが首相に就いてからの、1939年六月の、国家信条にて、民族名と、国名を一致させるということで、タイとなったのだ。

2008年02月28日

タイ・ラオスへ 11

タイ・ラオスへ 11

14日、ゲストハウスを後にして、ウドーン・ターニ行きのミニバスが出る場所に着いた。

私は、夏大島を着た。更に、単の紺の大島の、羽織である。
全くの日本人である。
夏大島は、白であるから、目立つ。
ゲストハウスの、清掃のおばさんが、すぐに見つけて、近づき、オー、オーと、声を上げていた。

この地に、着物で来る日本人は、いないだろう。

ミニバスだと、思っていたが、普通の乗用車であった。
お客が、三人であるからだろう。
私たちの他には、黒人のおじさんが一人だった。

Pm3:15に、出発した。
それが、また、早い。スピードを出すのである。
15分程走ると、検問のようなものがあり、車が、止められた。
警官もいる。
女の子といえるような、年齢の子が、何かを運転手に話ている。
運転者が、それに、答えた。
意味は、全く、解らない。
すぐに終わり、再び走り出した。

それが、きっかけで、皆で話合うようになった。
野中が、どうしたんですかと、訊いた。少し、タイ語が解るが、内容まで、解らなかったのである。
運転手が、一ヶ月の給料を、訊かれたと言う。
私が、エッーと、声を上げて、英語で、いくらですかと、尋ねた。
6000バーツだった。約、2万円である。

今度は、黒人の携帯電話が鳴った。
その会話を聞いて、私は、野中に、何語なのだろうと、言うと、フランス語かなーと、言う。そして、私に、訊いてみたら、と言う。
それにしても、フランス語の語感が、感じられない。

私は、英語で、どちらからですか、と尋ねた。
すると、黒人は、コートボワールというではないか。アフリカである。
エッー、私は、声を上げた。

黒人の方は、私に、ジャパンと、訊く。
イエスと言うと、握手を求められた。
英語で、話出した。
日本にも行く、これから、中国に行きますと。
私は、どんな仕事をしているのですか、と、中学二年生程度の英語で、訊く。

彼は、何と、商人である。
中国でも、商売をしていて、色々と見て周り、新しいビジネスを、探していると、言う。
ヘェー、私は、声を上げた。
そして、更に、英語で話し出した。
よく解らないから、野中にバトンタッチである。

半年後に、日本に行くので、私に、電話番号を教えて欲しいと言う。
野中が、すぐに、携帯の電話番号を書いて渡した。

その内に、彼の電話が鳴る。
話の内容から、相手は、女ではないかと思えた。
さらに、また、電話である。
英語や、母国語、色々と、混じる。
続けて、電話が多かった。

今夜は、バンコクに泊まるということが、解った。そして、女と会うことも、解った。
私たちは、日本語で、色々、女いるね、と話した。
中には、家族からではないかと、思える電話もあった。

それにしても、身軽である。
小さな、バッグ一つである。
野中の分析は、要するに、ビップなのだという。ホテルも一流に泊まり、余計な物を、持ち歩かないのだと。
携帯電話は、二つある。

私は、とんでもない人に、会ったのかもしれないと、思えた。

車は、猛スピードで、道路を走る。高速道路並みである。

対向車線の、間にあるスペースには、一定間隔で、国旗と、王旗が、たなびく。
本当に、タイの国は、その、旗を多く見る。
至る所に、掲げてあるのだ。

王室のマークも、覚えてしまった。
王様の、Tシャツを着ている人も、ひと目で解る。
さすがに、ノーン・カーイでは、他の土地より少ないが、着ている人がいた。

私は、国旗と、王旗を見るたびに、いつも、タイ国民の心意気を感じるのだ。
私たちは、タイ国民ですという、意思表示である。

国民の、95パーセントが、国王支持であるから、驚く。

現在の、プーミポン国王は、ラッタンナコーシン朝の第9代の国王である。
ラーマ九世とも、呼ばれる。
2006年六月に、在位60周年を迎えた。
その式典の日に、私は、バンコクにいた。
人々が、皆、国王の黄色のTシャツを着て、バンコクが、黄色に染まっていたことを、思い出す。

空港に着いて、飛行機が、三時間遅れであることを知り、愕然として、空港の中を、ブラブラして、私は、外に出て、タバコをふかし、出入り禁止の扉から、出入りしていた。
警備の男たちと、仲良くなったせいもあり、誰も、咎めないのである。

空港に入るのに、検査があり、出たら、再度、入り口から入るのである。が、私は、出口から、出入りしていた。
タイでは、禁煙政策が取られて、実に厳しい。

一人の、警備の若者に、ユー、ナイスガイ、本日は、バレンタインデーである。沢山、チョコレートを貰うだろうと、話しかけた。相手は、少しだけ、英語が出来るのが幸いした。
それで、色々とやり取りした。すると、警備員が、集ってきた。
兎に角、何でもいいから、話し掛けることである。

こちらから、飛び込んで行けば、相手も、胸襟を開く。特に、タイの人は、優しい。

一人の警備員が、俺は、一人もいない、という。ガールフレンドだ。
悲しいと、涙を流すまねをするので、私が、タバコを一箱上げた。
喜んだ。すると、色々と自分のことを、話す。この付近に住んでいるだの、家族のこと。ありったけの、英語で喋る。
よく解った。

ちなみに、タイでも、バレンタインデーは、お祭りである。
新聞には、この日の、男女間のセックス相談員の記事が載っている程である。

警備員とは、それで、仲良くなり、出口から、出入りして、時間を潰していた。

さて、搭乗時間、一時間前になり、私たちは、待合ロビーに入った。
その前で、検査がある。
ビーと、鳴る。
着物の袖のものを、すべて出す。
ペットボトルは、駄目なはずだが、検査官が、いいよと言う。
ビーと鳴る。
ああ、またかと、思った。
しかし、検査官は、丁寧に、私の体に、棒を当てて、検査した。何でもない。
オッケーである。

私が、特に書きたかったのは、ここからである。
待合ロビーには、テレビが何台か、つけてある。
六時になった。
その時。どこかで、聞いたことのある、メロディーが流れた。
すると、ロビーの雰囲気が、変わったと気づく。
それでも、私は、椅子に腰掛けていた。すると、野中が、私に、起立だよと言う。
はっとして、すぐに、起立した。
見ると、向こうの欧米人も、起立している。
国王の歌が、流れたのである。

ロビーにいた人々が、全員起立した。
国籍、関係なくである。

欧米人たちも、国家意識が強いから、こういう、作法を、当然だと思うだろう。
日本人は、私たち、二人のみである。

もし、ここに、日本の若者がいたら、何のことか、解らない。解っても、関係なと思い、平然として、腰掛ていたかもしれない。そういう、教育が、されないからだ。

タイでは、僧侶と、国王に対しては、特別の敬意を払うのが、当たり前である。
旅人でも、である。

国王に対する、不敬は、国民が許さないだろう。

日本の天皇に対する、作法が、こうでないことが、有り難いし、また、ある意味不幸なことである。国家意識の、希薄である。
国家の意識を持てないでいる、子供たちから、若者である。勿論、今では、中年、老年に至るまで。
ホント、幸せなことである。

国王は、タイの、民主化を推し進めて、象徴たろうとしている。
日本の天皇は、憲法で、象徴である。
タイの国王の歴史は、200年ほどである。日本は、2668年である。
世界に冠たる、天皇の歴史である。

大陸にあり、多くの国との、軋轢等々により、国家意識を、強く持つことで、歴史を作ってきたのである。当然の帰結で、国王を国として、置き換えて、敬意を払う。
真っ当な感覚である。

国家幻想の、一番良い方法なのではないかと、私は、考えている。
軍事政権の将軍より、遥かに良い。
ネパールのように、国民に、退位を迫られた国王もいる。余程、愚かだったのだろう。
国家幻想に、象徴がある方が、安定するのである。

物ではなく、人間が、介在した方が良い。

遅れていた飛行機の時間だが、その時間より、40も早く、機内に入ることが、出来た。
私は、座席に座り、そのまま、寝てしまった。
目覚めると、もうすぐ、バンコクだった。

タイ・ラオスへ 12

タイ・ラオスへ 13

バンコクの空港で、約、八時間を過ごさなければならない。
何という、接続の悪さか。
しかし、私たちのような人が、大勢いた。

一階のロビーに降りて、そこに荷物を置く。
館内の冷房がきつくて、外に出た。荷物も、持ってである。
ベンチを一つ占領して、そこに、陣取る。

外だと、タバコが吸えるし、暖かい。夕方から夜は、涼しく、実に過ごしやすい。
何度も、眠った。
ベンチで寝るという、経験は、格別である。
旅をしているという、気分が、最高潮に達する。

水がなくなり、上の階に買いに行く。
二階にも、売り場があったので、そこで、7バーツの水を求めた。
すると、40バーツと言われた。
四倍以上の値段になっている。
約、130円である。日本より、高い。

怒りようがない。
しょうがないのである。

野中と、一度、食事に、三階に上がった。矢張り、料金は高い。
丁度、その頃になると、私の腹は、複合的に、食あたり状態になりつつあり、食欲があまりないので、飲み物だけにした。

日本に戻り、その食あたりの状態は、三日続いた。
下痢と、発熱である。一時的に、38度以上の熱も出た。
風邪でも、そんなに熱を出すことは無い。
風邪用の、抗生物質を貰っているので、それを飲む。

帰国の翌日は、コンサートで、歌ったから、私も大したものである。と、自画自賛する。

さて、旅行記の最後に当たり、タイ国王のことを、少し書いておく。

国王は、民主化を進めて、政治的発言を控えているし、極力、関与しないようにとの、行動であるが、政変がある度に、その調停の様が、世界に報道される。
国王の政治的影響力を無視出来ないのが、タイという国柄である。

1993年の、五月の暴虐では、国王の前に跪く、スチンダー首相と、チャムローン反スチンダー派代表の姿が、世界中に、報道された。
流血の事態を、調停した、国王の権威が、示されたのである。

2006年の、反タクシン運動の発生と、クーデターでも、調停役として、国王に注目が、集まった。

実は、これは、新しい伝統なのである。
国王に対する、国民の敬愛と言う、形である。

1932年の、立憲革命は、絶対王政に反対する国民の不満からの、ものである。
その際に、国王、王室の、権威は失墜させられたのである。

しかし、前回書いた、ピブーン首相時代の、ナショナリズムにより、歴代の王に対する、認識が高められた。

歴代の国王の像が、各地に、建設されたのである。

その後、更に、国王に対する、権威高揚が、図られた。
それには、共産主義思想に対する、牽制もあった。

現国王の、プーミポン王は、若い頃から、その政策に、積極的に参加した。
そして、国王一家は、頻繁に、地方行幸を行い、国民の辛苦を見て、慰めと、励ましの言葉を送った。
国王自身、僻地の地域開発に、関心を示し、具体的な、施策を提言した。
更に、国王が、行幸しなかった地域には、新聞、テレビが、国王の動向を伝えた。

現在も、夜八時からは、各局が、王室関係のニュースを流している。
その日の、王族の、公務が、報道されているのである。

こうして、国民の王と王室に対する、敬愛の情を深めての、現状なのである。
新しい伝統と、言える。

立憲革命以後は、基本的に、国王の政治権力は、無いのであるが、どういう訳か、ここ一番という時に、国王の言動が、大きな影響を与えるのである。

それは、国民の信頼ゆえのものだろう。
国王が、善しと言えば、国民も善しとする。否と言えば、国民も、否とするのである。

ただ、国王自身は、政治権力を求めてはいない。
中立的な、存在としてあろうとするのである。
その意思が、国民に見えるというのも、特徴である。
だから、こそ、国民も信頼するのだろうと、私は思っている。

日本の天皇が、国民の祈りの存在でありたいと、仰せられるように、タイ国王も、国民の平和と、幸せを祈る存在でありたとの意思であろう。

国王は、また、熱心な仏教徒でもある。
若い頃の出家の写真が、タイの至るところの、寺院に、飾られてある。
勿論、国王夫妻の写真も、至る所に、掲げられてある。

国政は、タクシン派の政党が、首相を選出した。
その、政策も、タクシンの、政策を継ぐものに、見える。

高齢の国王の存在が、タイの自制心である、とみる。
次の時代を、どのように、拓くのかは、未知であり、それは、世界も同じである。

タイが、好きで、これから、タイでの活動を考えている私には、国王の存在は、実に良き存在である。
私もタイ国民と、共に、国王の長寿を願いたい。

また、日本の高齢者が、これから、益々、タイにお世話になることと、思う。
相互扶助の精神で、タイの人々と、共存出来れば、素晴らしいことであると、思っている。

日本が、苦境に立たされた時に、助けてくれる国の一つであると、私は思っている。

朝、四時に、搭乗手続きである。
何度も、寝たので、元気だった。

一月の、チューク諸島の慰霊から、一週間後のタイの旅である。
矢張り、少し疲れたようである。

飛行機が、飛び立つ前に、私は眠った。
目覚めた時は、機内食の時間だった。
不味い機内食である。辛いだけの、焼き飯である。しかし、残すことなく、食べた。贅沢を言える身分ではない。

ちなみに、アメリカの航空機である。
勿論、格安チケットである。

いずれ、バンコク空港の、顔馴染みになりたいと思っている。

日本の空港まで、足袋を履いているが、その後は、裸足である。
着物姿で、裸足。これは、一度で、覚えられる。

今回は、多くの歌を詠んだが、すべてを載せてはいない。
いずれ何かの機会に、書きたいと思う。

成田に到着して、それ程の寒さを感じなかったのは、ノーン・カーイが、寒かったからであろう。

雪が降ったようだったが、バスが走っているというので、バスにした。

次に、タイに行くのは、六月、チェンマイそして、追悼慰霊は、メーホンソンを計画している。
追悼慰霊と、児童の学習支援である。
残り少ない人生を、何かのために、生きたいと思う。しかし、それは、また、自分のためでもあるのだ。
千年の日本のためにと、大げさなことを言いつつ、我が身のためにしているということである。

尽くしては また戻り我 に賜る 行幸はそれ ただ有り難き

2008年02月29日

タイ・ラオスへ その後

タイ・ラオスへ 帰国してから

矢張り、胃腸の調子が、悪く、一週間ほどは、下痢を繰り返した。
帰国した、翌日は、熱も出たほどだ。

あれが、悪かったという、一つの食べ物ではなく、複合的なものだったと、思う。

水で洗った、生野菜、店先で焼いている肉など、そして、スープの水である。暫くの、沸騰だといいが、ある程度の、沸騰だと、菌が殺せない。
腸内細菌の、有り様が、あちらの食べ物に、負けるのだ。

長期滞在だと、それも、しょうがない。
あちらの、菌に慣れるのみ。

ただ、鳥インフルエンザが、人に、そして、人から人にと、新型インフルエンザが、世界的に広がるという、話である。
また、新しい病気が、増えた。

ただ、私は、バリ島や、タイで、放し飼いで、飼っている、鶏などを見ている。その命を、いただいて、命を繋ぐ。そういう、命の、交換の、有り様を見る。
子供たちも、生き物を食べて、生きるという、学びをする。日本には、無い、教育である。

放し飼い 鶏つぶし 食べるのは 命の教育 極まれるなり

生き物を 食べて命を 繋ぐなり それを忘れし 人は愚かと

その鳥から、異常な菌が出るとは、何とも、複雑な思いである。

そして、ラオスのことである。
見ないと、思い、入らなかったが、矢張り、支援をしたいと、次は、直接ラオス入りしょうと思う。
子供服のリサイクルである。

野中が、渡したという、皆々の写真を見て、矢張り、やろうと、決めた。
資金は、何とかなると、思うのみ。

原油高は、貧しい人を、益々、貧しくする。
ノーン・カーイでは、普通の店先に、ウイスキーの瓶に詰めた、ガソリンを売っていた。それも、半分程の量である。
走る分量だけ、入れるのだろう。

ラオスでは、廃車となる車を乗っているという。
さらに、酷い状況である。
車を使う度に、バッテリーに電気を入れるという。

勿論、それぞれの国のことは、その国の、政治の問題であり、関与できないことである。
ただ、言えることは、主義など、どこ吹く風である。
政治家は、支配者層に入り、一人勝ちである。
共産、社会主義も、幹部になれば、良い生活が出来る。
社会体制など、ナンボのものでもない。

兎に角、国民、民が、幸せであること。
広く、富が分配されること、これが、理想である。
しかし、それが、歴史のテーマでもあった。未だに、解決するような、思想は、生まれない。

富を独り占めする者たちとの、戦いである。

生き物の化石の、石油で、溢れるはがりに、金を得ている人々がいる。
ドバイを聞くが、どれほど、持つだろう。
石油の権利を有する者、王だというから、呆れる。

アラブの金持ちに、憧れることはない。

地獄とは、この世のことである。
格差甚だしく、世界の七割が、飢える。

GMP二位の日本が、十二位になった。
貧しいインドも、日本より、長者が多い。

誰も、日本の貧しい子供たちのためにと、世界から、ボランティアに来ることはない。
しかし、インドの貧しい子供たちのためにと、日本人が、ボランティア活動をしている。
矛盾である。

格差といえば、インドの格差は、天文学的格差である。
最も、ヒンドゥーは、金持ちに生まれるのは、前世の行いが良かったからであり、貧しいのは、前世の行いが、悪かったと、単純に考える。
だから、貧しい人を見ても、平然としている。

インド独立の、ガンジーは、立派な人であるが、彼は、また、仏教徒を、最低最悪の、環境に置いた。
カーストにも、入らないという、最悪の身分を得ている。

マザーテレサも、尊敬される、行動を起こしたが、何一つ、インドの考え方に、影響を与えなかった。
キリスト教世界に、大きな影響を与えたが、それならば、詮無いことである。

マザーテレサが、宗教ではなく、人道として、人類愛の行為として、語れば、もう少し、世界に影響を与えた。
神様のために、素晴らしいことをと、言い、逃げてしまった。
キリスト無くして、彼女の行動は無い。

どんな理由であれ、良いことをするのだから、いいのだと言えば、それで、終わりである。

NPOヤクザというものがいる。
善を成しているという、前提の元に、私腹を肥やすという、輩だ。
どんな理由であれ、良いことをするのだから、いいとは言えない。

寄付商売というものがある。
それは、また、乞食商売とも、言う。

説明するまでもない。
私も、その一人である。
その自覚を、持っている。
支援を受けて、行動する。
自分を律する力が必要である。ゆえに、私は、法人を取らない。あくまで、個人活動である。興味があれば、私と、一緒に行動すれば、いいのだ。

私が、何をしているのか、その目で、見ればいい。

何を言うのかではなく、何をしているか、それが、問題である。

ラオスに、野中一人を送り、支援の子供服を、配らせた。
野中が言う。
偽善的行為のように、思えて、本当に、勇気がいたと。
しかし、それをして、皆の顔を見て、偽善的行為でも、何でもいい、皆が、喜んだ。そして、それは、日本の、皆から、貰ったものである。
単に、自分は、橋渡しをしているだけだ。
更に、村の人々が、野中を仲間のように、扱ってくれた。
村を案内された。
友人になった。
私は、それで、いいと、思う。その他に、望むことはない。

布教でも、主義でも、主張でもない。
ただ、友人としての行為である。それで、いい。

偽善か、否かは、私の心一つの、問題である。

ある有名、カトリック作家は、ヤクザからでも、寄付を貰うと、言った。お金は、使い方であると。
あえて、カトリック作家というのは、彼女が、それを望むだろうと、思うからである。

善と偽善の間にあるものは、私一人の心の、問題である。

野中は、以前の自分ならば、鼻で笑った行動であったという。

つまり、多くの人は、鼻で笑うのであろうと、思う。
しかし、やらないより、私は、やるのである。それは、私だからである。

追悼慰霊行為というのは、誰も、理解できない行為である。
つまり、それは、目に見えない世界を扱うからである。
そして、理解されることは、皆無に近い。
そのついでに、私は、支援活動を行うのである。

その程度の行為である。

恥ずかしき その行為でも やらぬより やることを取る それ私ゆえ

中学三年の冬、私は、募金活動をしていた。
突然、その時、顔から、火の出るような、恥ずかしい思いに、とらえられた。
それから、ボランティア活動を止めた。

ただし、頼まれると、引き受けていたが、私が積極的にすることはなかった。

ボランティアは、ラテン語の、ボルンタスという語から出た。
意味は、生きる意味意識である。

その行為は、生きる意味意識を得ることなのである。

それでは、人生、ボルンタスである。
すべてが、それである。

私は、精々、殺されぬ、程度の行動を、心がけて、やることだと、思っている。

勿論、後は野となれ山となれ、野垂れ死にを、希望の人生であるから、どうでも、いいのだが、まあ、その程度だと、言う、つもりである。

それにして、日本は、良い国である。
安心して、水道の水を飲める。
水を飲んで死ぬことがない。

水は、命である。

神仏は妄想である。36

ニュージーランド/ オーストラリアで在住の科学哲学学者であるキム・ステレルニーが書いた、彼らの生活の劇的な対比を浮き彫りにする文章がある。一方でアボリジニは、生きる上での実践的な技量が極限まで試されるような条件下での、卓越した生き残り能力を持っている。しかしステレルニーはつづけて、ヒトという種は知能が高いかもしれないが、その知能の高さにはねじくれたところがあると言う。自然界とそのなかで生き延びる術にそれほどまでに精通している同じ人間が、同時に、明らかにまちがっていて、「役に立たない」という言葉でさえあまりに寛大で控え目に過ぎるような信仰に心を惑わされるのである。
・ ・・・・・
ステレルニーは、「私たちはいったいどうして、それほど賢明であると同時にそれほど愚かでいることができるのか」誰か説明してほしいと問いかける。
第5章 宗教の起源 より

近頃、ある友人の付き合いのある方が、亡くなった。
非常に、知的で、理性的な人だった、その男性は、最後の最後に、カトリックの洗礼を受けて、亡くなったという。

死の、恐怖からである。
何故、知能の高い、優れたヒトが、明らかに「役に立たない」という信仰に心を、惑わすのかというのは、脳内物質の、麻薬効果を求めるからである。
死を目の前にして、その恐怖から、逃れるべく、信仰という、迷いの中に入り込むことで、紛らわすのである。

それは、日常生活にも言える。
先行き不明である。誰も、明日のことを、知らない。考えれば、考えるほど、不安になり、明日を、恐怖する。
寄るべき心の在り処が無いのである。
それが、信仰への道になる。

安心立命という、この言葉で、どれほど多くの人が、迷いの信仰に入信したか。

私の友人のクリスチャンが言う。
ボランティア活動をしても、宗教が無い人は、基本的に、ボランティアを理解出来ないと。
それは、善行をしているという意識があり、善人であるという、立場での、行動となるというのだ。
彼女は、神のために、ということである。
マザーテレサも、「神様のために、素晴らしいことを」と言う。
要するに、超越したものに、捧げる行為としての、ボランティア活動だから、良いというのだ。

天の国に、宝を積む行為をしているのであり、現世の宝ではないということである。
宗教の無い人は、現世での、行為の、報いを、その行為から得るというのだ。つまり、名誉であり、自己満足である。

宗教の無い人の、善行は、現世での、褒美を得るという意味で、意味の無いということになる。確かに、それは、一理ある。
自己満足の、奉仕活動ならば、自己のみに、その行為は、帰すのである。

だが、果たして、天に宝を積むという、行為と、無宗教の人の、善行に、違いがあるのかといえば、無い。
やることは、同じである。
受け取る側の問題になる。

相手の思いが、どうであれ、やってもらったことが、自分たちに必要なことであれば、いいのである。

行為する側の意味意識である。
それを、神に掛けるのである。
仏でも、いい。

実は、その方が、やりやすいのである。
神や仏の無い人の、善行は、実は、純粋無垢なものである。
それが、名誉であれ、自己満足であれ、相手にとっては、どうでもいいことだ。

させて、貰っているという、感覚になるという人もいる。
ボランティアによって、自分の方が、与えてもらうという、感覚である。
これは、知性の問題である。

要するに、宗教の如何に関わり無く、知性的な人は、その行為によって、何かを得るということである。その、得るものが、さらに知性を、磨くこと、感性を磨くことになるかもしれない。それで、いい。

さて、信仰は、脳内物質の、麻薬効果を生むということである。
人間の脳は、必要なものを、必要なだけ、出す能力がある。
ところが、それが、間に合わなくなるという、事態が起こる。その時、信仰という、得体の知れない、陶酔感を与えるものが、提示されると、陶酔するために、信仰を、掴む。

悩み、苦しみ、病苦にある人々などを、狙うには、訳がある。
もっとも、痛んでいる人を、狙うと、事は早いのである。

本来は、知性によって、超えるべきことを、棚に上げて、得体の知れない、信仰という、迷いに、身を投じる。
信仰の味を、一度しめてしまうと、そこから、逃れなれなくなる。
麻薬と、同じである。

そして、悪いことに、今度は、洗脳が始まる。
宗教指導者が、これが、唯一の教えであるというのである。
そして、その教えを、受け入れた人は、選ばれたのである。
次から次へと、快感を与えられる。
そして、見事に、知性を捨てて、安心立命を得るという、寸法である。

世界中で細部にちがいはあるものの、何らかの形の、時間を浪費し、敵意を呼び覚ます儀礼や、事実に反し、反生産的な宗教という幻想をもたない文化は一つも知られていない。教育を受けた一部の人間が宗教を棄てることがあるかもしれないが、すべての人間は宗教的な文化のなかで育てられるので、そこから離れるためにはふつう、意識的な決断をしなければならない。

宗教の大本は、自然への、脅威に、他ならない。
自然への、畏敬が、宗教、そして、信仰の発祥である。
古代人は、それを、太陽信仰に、高めたのである。

そして、男と女の存在である。さらに、性というものの、不思議である。
原始体験である。
生は、性であるという、事実。

自分の身にあるものであるが、その、性を、崇拝する。
世界中、至るところに、男根、女陰の、奉ずる跡がある。

そして、言葉の発見である。
それが、飛躍的に、人間を知性的に押し上げた。しかし、一方では、原始体験の意識が、見えないものへの、畏敬として、自然から離れた、物を、拝むようになる。
宗教の発生である。

そして、それは、支配につながるという、結論。
人の心の、恐れを、取り込んでの、宗教の発生は、指導者の、また、ものであった。支配するには、実に、理想的である。

現在の宗教指導者の、躁病的、メッセージを見れば、よく解る。
決して、後に引かない、プラス思考のメッセージを流し続けるのである。
その、幻想に、信者は、騙され、地獄の果てまで、着いて行くという、オチ。

北アイルランドの古いジョーク、「わかった。で、あんたはプロテスタントの無神論者なのか、それともカトリックの無神論者なのか? 」には、苦い真実が垂らされているのだ。宗教的な行動は、異性愛的な行動にせよ、普遍的とはいっても例外的な個体の存在を許さないわけではないが、そうした例外者はすべて、自分たちが離反したルールの存在をわかりすぎるくらいよく理解している。ある種に普遍的な特徴があれば、何らかのダーウィン主義的な説明が必要である。

明らかに、性行動のダーウィン主義的な利点を説明するのには何の困難もない。それは赤ん坊をつくるためであり、避妊や同性愛がそれに矛盾するように思える場合でさえ、そうなのである。しかし、宗教的行動は何のためだろう? なぜ人間は、断食し、跪き、ひれ伏し、自分を鞭打ち、壁に向かって熱狂的に首を振り、十字軍に加わり、あるいはその他の、人生を消費し、極端な場合には人生を終わらせてしまうかもしれない犠牲の大きな行いにふけるのだろう?

リチャード・ドーキンス 神は妄想である。 第5章 宗教の起源 より

上記に、私は、答える。
自己の壮大な妄想に、身を投じるのである。
それは、死ぬまでの暇つぶしに、最もな、意味意識を与える。つまり、超越した絶対者を置くことで、妄想に、拍車をかけて、さらに、陶酔し、脳内物質の、麻薬効果を得るためである。
人間に与えられた、知性を捨てて、妄想に生きるのである。
馬鹿は死んでも、直らないのである。
ホント、お疲れさん、です。

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